「私はここにいます。」

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何かのために、何をどれだけ犠牲にできるか?

 某パナソニックの小型軽量なレンズ交換式デジタル一眼DMC−G1の発表会の記事を見て。
 女性をターゲットにしているという事で、女優さんなどが自分の撮った写真をアピールしていました。
 別にDMC−G1やこの女優さん達に文句がある訳じゃないけど。
 これらの写真に、本当にDMC−G1が必要だったのだろうか?
 画質を諦めるなら、もっと小さくて持ち運びやすい優れたコンパクトデジカメは山のようにあるし。
 多少持ち運ぶ苦労をするなら、同等以上の画質を誇るデジタル一眼レフだって前からある訳ですよ。
 DMC−G1よりずっと重いカメラを使っている女性カメラマンも多数いるはずですし、少なくとももうちょっと重さと携帯性を我慢するなら、DMC−G1は必然じゃないはずですよ。
 もうちょっと写真のために犠牲を払ってもいいんじゃないかな?
 とまあ勝手な事を思ったところで、自分の事を顧みたわけですよ。
 確かに私は撮影の時は縦グリ付きK10Dや645に数本のレンズと、重い機材を持ち歩くという犠牲を払っているわけですが。
 カメラを持ち歩くのは休日の、しかも晴れの日だけ。
 休日しかカメラを持ち歩かないという事は、平日のシャッターチャンスのために犠牲を払っていないという事で。
 晴れの日にしか出歩かないという事は、確かに晴れの方が確実に綺麗な写真が撮れるけど、曇りや雨ならではの写真のためには何も犠牲を払っていないという事で。
 そもそも写真のためには色々と犠牲がつきもので。
 重い機材を持ち運ぶ苦労もそうだし、例えば洗車や家族の団らんなんかに使える時間も犠牲にして写真を撮りに行くわけだし、カメラを構えてシャッターを切る時間も犠牲になっているし、撮影後はレタッチする時間も犠牲にしなくちゃいけないし、機材を揃える資金も犠牲にしているわけだし、遠くまで撮影に行けば交通費も犠牲にしているし、デジカメ以前は撮影の度にフィルム代と現像代を犠牲にしているわけだし。
 顧みて私という奴は、写真のためにもっと犠牲にしなくちゃいけない物がある気がするわけですよ。
 とりあえずいつもコンパクトデジカメを持ち歩く事から始めてみようかと。
 毎日シャッターを切る訳じゃないし、大した写真が撮れるとも思えないけど、まずはできる事から。
 でもこの考え方は写真に限らず当てはまるわけで。
 執筆活動もそうだし、ホームページの更新もそうだし……。
 何かを犠牲にしてやらなきゃいけない事が多すぎる気が。
 でも仕事と睡眠時間は犠牲にしちゃいけないし。

 でわでわ。
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