「私はここにいます。」

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槇原敬之と松本零士と私。PART3。

 とりあえず第3弾。
 今回はそれぞれのフレーズと詞について、私なりの考察を。
 松本零士氏のフレーズ「時間は夢を〜 夢は時間を〜」と槇原敬之氏の詞「夢は時間を〜 時間は夢を〜」の違い、どうして「夢」と「時間」の順番が逆になっているかについて。
 その前にちょっとお断り。
 私は「銀河鉄道999」のマンガ版は買っていないので、考察の元になるのは全て「槇原敬之が松本零士「銀河鉄道999」のフレーズを盗作!? まとめWiki」からです。
 なお、私個人による勝手な考察ですので、書いた先生方の意図とは全く異なる物かも知れません。
 異論、反論はコメントにて随時受付中、という事で。
 まずは松本零士氏のフレーズから。
 松本零士氏はこのフレーズを、「銀河鉄道999」の作中でメーテルやハーロックの口から主人公の鉄郎を励ますために、あるいは鉄郎が自分自身を奮い立たせるために使っています。
 もちろんそのまま松本零士氏から読者へのメッセージという意味もありますが、松本零士氏は講演会などでも頻繁にこのフレーズを使っているそうです。
 「時間は夢を〜」が「努力すれば夢は叶う」という事で、だから「夢は時間を〜」の「夢を叶えるために努力しなければならない」というメッセージに繋がります。
 だから必然的に「時間は夢を〜」が先で「夢は時間を〜」という順番にならなければならないのです。
 対して槇原敬之氏の詞の方はというと、メッセージ性よりはストーリー展開を大切にしていると思います。
 つまり「夢を叶えるために努力をして」、「夢が叶い」、そして努力に応えて「時間が夢を叶えてくれるという事に気付く」という展開です。
 だから「夢は時間を〜」が先で「時間は夢を〜」という順番になるのが自然なんだと思います。
 ちなみに槇原敬之氏はいくつかの曲で「正しい生き方や考え方をしていると、それに応えてくれる」という考え方をしています。
 それが「約束の場所」では「時間をかけて努力すれば夢は叶う」という事で「時間」に設定されたのかなと。
 とりあえず似通った言葉であるのは確かだけど、その根幹にある考え方や世界観には意外と大きな違いがあるのではないかと思うのですが。
 漫画家にしろ作詞家にしろ、ちょっとした言葉の選択、順序などに神経を使っているという事をわかっていただければ、と思います。
 ちなみにこの違いが盗作かどうかに関係があるかは専門家じゃないのでわかりませんが。
 参考までに。

 でわでわ。
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