守護者−Gardian−
第3章「今だけのさよならを」
最後の一体のガーゴイルを倒し、俺は大きく息を吐いた。
剣にかかっていた魔法剣を解除する。
「へえ、それが噂に聞く魔法剣なんだ」
セリーナの声からは素直な感嘆の気持ちが伝わってきた。
俺は剣を鞘に納め、振り返る。
「でも一回一回、剣に魔法をかけてたら大変じゃない?」
「まあね……でも慣れたよ」
「ふ〜ん……あ、そうだ。これ、あげようか?」
セリーナは腰の剣を外して俺に差し出す。
古代王国の文字と装飾が刻み込まれた、小振りの真っ直ぐな剣。
俺はそれを受け取る事も出来ず、立ち尽くしていた。
「これ、魔剣なの。知ってるでしょ? 古代王国の遺跡から見付かる、永遠に消えない魔法がかかった剣……」
「それはわかるけど……いいの? 大切な物じゃないの?」
「うん。父さんの形見なんだけど……いいよ。私が持ってるよりあなたが持ってる方が役立ちそうだから」
ぐいっと、セリーナが剣を押し付けてくる。
それでも……俺はただじっとセリーナの顔を見ていた。
「………」
「どうしたの?」
「……どうして僕の事をそんなに信用できる?」
「え?」
「僕はね、いつだって君の地図を奪う事が出来る。気付いているんだろう? いや、君みたいな賢い人がその可能性を考えないはずがない。知っていたんだろう? 最初から」
「………」
「もし僕がそうしようとした時、その剣がないと抵抗できないじゃないか。それなのにどうして……」
俺がそう言うと、セリーナは少し寂しそうに笑って言った。
「最初から信じてたわけじゃないわよ」
「………」
「これ、見てくれるかしら」
セリーナは一冊の本を取り出した。
古さから見て、古代王国の物。
古代王国の文字は読めない事はないが……。
「これはね、古代王国の『守護者』に関する記録よ」
「え!?」
「いつ、どの遺跡に守護者が作られたのか。そして……誰が守護者になったのか、そういう記録なの」
「………」
「それで……他の遺跡には守護者が完成するまでが記録されているのに、この北の火山の遺跡は違うの」
「………」
「ここの守護者は……人間を取り込む魔法装置は完成しているのに、まだ人間を取り込んでいない、唯一の守護者なのよ」
「……!」
それが本当だとすれば、どんでもない事だ。
魔法技術の神髄、古代王国最大の謎とされてきた守護者の秘密の解明に、一歩近付く事が出来る、貴重な資料だ。
今まで、この北の火山の遺跡は貴重な未踏の遺跡だと浮かれていたが……それどころじゃない、もっと重要な価値じゃないか!
「……でもね、私一人じゃ調査は出来ない。父さんはこの資料を手に入れながら、結局、最後まで遺跡の調査しなかったの。
この地図を奪われるのを恐れて……」
「………」
セリーナの剣の腕は素人同然。
恐らくゴブリン一匹でも苦戦するだろう。
セリーナの父親もそうだったのだろうか?
「でも私はどうしても遺跡を調査したかった。この手で、古代王国の神秘、守護者の秘密を解き明かしたかったの。
だから……私はね、銀光のアリオスという人を信じる事にしたの」
「………」
「……守護者を調査するためにはね、あなたを信じるしかなかったの」
そうだったのか。
セリーナは俺を信じていたわけじゃなくて……信じているように振る舞っていただけなのか。
ようやく、少しだけセリーナの本心に触れたような気がする。
「それであなたの事を信じてみて……良かったと思ってる」
「………」
「この一週間、あなたはとても良くしてくれた。遺跡に入る前も入った後も、何かと気を遣ってくれた」
「………」
「最初は信じているふりだったけど……今は本当に、心の底からあなたを信じているの」
セリーナが笑った。
とても優しくて、誇らしくて……それだけで今までの苦労が報われる、そんな笑顔だった。
「だからその剣を受け取って欲しいの。私がこの先もずっとあなたの事を信じてもいいのなら、その証に受け取って欲しいの」
「……わかった。受け取るよ」
俺はうなずき、セリーナが差し出す剣に手を重ねる。
「今までありがとう……そして、これからもよろしく」
「ああ」
受け取った剣を、俺は右の腰に提げた。
今まで十八年生きてきた中で最も誇らしい気持ちで、誰かからの贈り物を受け取った。
遺跡を出た俺とフェリアは町に戻ってきた。
俺達が再会した酒場に入り、酒と料理を注文して、久々にくつろいだ気持ちになる。
「はあ……」
だけどフェリアは落ち込んだ様子だった。
「どうしたフェリア。元気ないぞ」
「はい……だって、わたくし、強引にアリオス様に遺跡に連れていっていただいたのに、アリオス様に怪我をさせてしまって……」
なんだ、そんな事か。
もう回復魔法で完治させて、なんでもないのに。
……………。
……そんな事って事もないか。
きっとフェリアには誰かにあんな怪我させた事ないだろうから。
「アリオス様……本当にごめんなさい……わたくし、もうアリオス様にご迷惑かけませんから……」
「なあ、フェリア」
俺はフェリアの言葉を途中で遮る。
「は、はい……」
「俺はな、お前のせいで怪我したわけじゃないぞ。お前に怪我させたくないから、代わりに怪我したんだ」
「………」
「だったら、お前の言うべきなのは、ごめんなさいじゃないだろ?」
「………」
フェリアは眉間にしわを寄せて考え込む。
しばらくして答えが見付かったのか、ひとつ手を叩く。
やけに小気味いい音が酒場に響いた。
「ありがとう……ございます……」
フェリアが上目遣いで俺の顔をのぞき込むようにして言う。
出来の悪い弟子がようやく出した正解に、俺は笑ってうなずいた。
「ありがとうございます♪ アリオス様♪」
にこにこと笑って、フェリアが言う。
「でも不思議ですね。ごめんなさいって言った時はモヤモヤした気持ちでいっぱいだったのに、ありがとうって言ったらとても優しい気持ちになれるんですね」
「ようやくわかったか、バカ弟子」
「うわっ、バカ弟子なんてひどいですよう」
フェリアがぷうっと頬をふくらませる。
「でもなあ、フェリア。あれくらいの事で落ち込んでいたら、いつまで経っても一人前のトレジャーハンターにはなれないぞ」
そう言ってから、俺は最初はフェリアがトレジャーハンターになるの、嫌がってたのに、などと気付く。
情が移ったのかな?
俺も甘くなったもんだ。
「はい。そうですね」
俺の気持ちをわかっているのかいないのか、フェリアはやけに嬉しそうに笑っていた。
その時だった。
「よお、二人とも元気だったか?」
顔を上げるまでもなく、ダインが立っていた。
「あっ……えっと、ダインさんでしたよね?」
「覚えていてくれたか。嬉しいねえ、お嬢ちゃん……じゃなくてフェリアちゃんだったか?」
「はい♪」
初めて会った時とは打って変わって、二人は仲が良くなっている。
ダインもフェリアの事、一人前だと認めてくれたのかな?
呼び方が「お嬢ちゃん」を卒業して「フェリアちゃん」になっているところを見ると。
ダインは勝手に空いている椅子を引っ張り出して座る。
「で、トレジャーハンター初体験はどうだった?」
「アリオス様のおかげで色々と貴重な勉強ができました」
胸を張って、堂々と答えるフェリア。
「……遺跡に入った瞬間に悲鳴を上げて逃げ出さない事とかな」
俺が茶々を入れると。
「うわっ、アリオス様! わたくし、そんな事してませんわ! ……ちょっと不気味だから怖かっただけですっ」
まあ、確かに悲鳴も上げなかったし逃げ出しもしなかったけど。
「あっ、ダインさんの方はどうでした? 北の火山の遺跡に行ったんでしょう? その時のお話、聞かせて欲しいです!」
フェリアが興味津々に話をせがむ。
ダインは照れくさそうに頬をかいて答える。
「それがなあ……遺跡には行かなかったんだよ」
「えっ? どうしてですか?」
「出発してすぐ、何者かに襲われたんだよ。馬には逃げられるわ、利き腕に怪我はするわで……幸先悪いってんで、取り止めたんだよ」
「そうだったんですか……残念です。色々と面白いお話がうかがえると思いましたのに」
「悪かったな、フェリアちゃん。期待に添えなくて」
「あっ、いえっ、でもダインさんが無事で本当に良かったです」
「それだけが唯一の救いかな……?」
ダインの目が、さっきから話に参加しない俺に向けられる。
「アリオス、お前は驚かないのか?」
「……前にも似たような事があったじゃないか」
「あ、そうか。そうだったな」
ダインは納得したようにうなずく。
「しかし俺達を襲った奴っていうのが凄腕でなあ。野営中を襲われたとはいえ、完全にしてやられたよ」
ダインはうんうんと何度もうなずきながら話す。
フェリアは神妙な面持ちでダインを見て、俺は興味がなかったから、フォークで皿の上のポテトを突っついていた。
しかしそんな余裕の表情を保てなくなったのは、ダインが口走ったとんでもない言葉のせいだった。
「カルーソーの奴が戻ってきたなんて話は聞かないが……無事なんだろうかなあ」
「!」
カーン……。
俺の手からフォークが落ちて皿にぶつかって、高い音を立てた。
そのまま床に落ちて数回跳ねる。
俺はその時の姿勢のままで動けなくなっていた。
「アリオス様、何やってるんですか」
フェリアが椅子から立ち上がってフォークを拾っている。
「……ああ、すまない」
フェリアがウェイトレスを捕まえてフォークの交換を頼んでいるのを横目で見ながら、俺はダインに問いかける。
「……カルーソーの奴も北の火山の遺跡に行ったのか?」
「ああ。お前らが町を出た日の晩にでたらしいぞ」
だったら、今から追いかけても間に合わないか。
「なあ、ダイン。他に北の火山の遺跡に行こうって奴はいないのか?」
「ラルフの奴も……さっきこの酒場に入る前に会ったんだけどな。これから町を出るところだって言ってたぞ」
「そうか……ありがとう、ダイン」
俺は短く礼を言った。
その時、俺の心は決まっていた。
何度もやってきた事じゃないか。
胸郭にぎりぎりと締め付けられるような痛みが走り、喉が渇いてひりひりとした感触が生まれる。
そして……心の中には暗い炎が灯った。
何度もやってきた事だったが……この感覚には慣れてこない。
そしてきっと、永遠に慣れる事はないだろう。
そう思った。
とうとうそこに着いた。
セリーナが目的としていた、守護者の部屋である。
部屋の構造は、他と変わらないただブロックを積んだだけの構造である。
守護者の部屋のお約束でもある、五メートル四方程度の大きさの池もある。
ただ、他と違うのは……。
「すごい……」
セリーナの口から感嘆の吐息が漏れる。
「………」
俺もただ、言葉もなく、バカみたいに大口を開けて立ち尽くしていた。
そう。
俺達の反応も大げさではないくらい、その部屋はすごかった。
一面の壁や天井を構成するブロックのひとつひとつが、サファイアを思わせる、透明感を持った目の醒めるような青色をしていたのだ。
俺は近寄って壁に手を触れてみる。
塗装ではない。
確かにブロックのひとつひとつがその輝きを持っているのだ。
こんなの、今まで探索した遺跡でも見た事がない。
「……すごいね、アリオス君」
「……うん」
セリーナが部屋の中央の池に向かって歩いていき、その傍らで膝をついた。
俺も慌て付いていき、それに習う。
池に満たされた水も青く、俺の目に映る。
けれどそれは水まで青いのか、透明な水に青い壁の色が透けているのか、わからなかった。
「……これでお別れね、アリオス君」
「え?」
「だって、私の依頼はこの部屋に着くまでなのよ」
「………」
そう……確かに俺はここまでで依頼を果たしたんだ。
「今までありがとう。おかげで念願の研究が出来るわ」
「………」
「ねえ、アリオス君。君は君で目的があるんでしょう? だから……早く行きなさいよ」
「………」
俺は言葉を返す事も出来ず、ただセリーナの顔を見ていた。
確かにそうだ。
俺は今、念願の未踏の遺跡の中にいて……。
もう何の心残りもなく、遺跡を探索できるんだ。
だけど……今、俺の胸のモヤモヤは一体、何だろう?
答えは……。
俺の出すべき答えは……。
夜の闇に溶け込みつつある、茂みに隠れて様子をうかがう。
ラルフとその仲間が野営をしている。
何者かの襲撃に備えてか、場所は開けた河原である。
本来なら、川が増水する危険があるため、河原では野営を行なわないのが常識である。
しかし川の増水より襲撃の危険性を重要視すれば、身を隠す場所がない開けた河原を選ぶのは妥当だろう。
しかし……。
だからといって怖じ気づくような銀光のアリオスではない。
俺は剣を抜き放つと、茂みを飛び出した!
「みんな! 起きろっ!」
見張りをしていた男が叫ぶ。
寝ていた男達も寝ぼけ眼を擦りながら起き出す。
しかしその時、俺はすでに見張りの男の眼前に迫っていた。
俺の剣が一閃し、辛うじて抜いていた見張りの男の剣を空高く弾き飛ばす。
そして俺は用意していた魔法を解き放つ。
「炎よ!」
いつもの魔法剣ではない。
俺の解き放った魔法に応じて、焚き火の炎が大きく燃え上がる。
「うわっ!」
「な、何だ!?」
自分達を巻き込みかねない勢いで燃え盛る炎に、男達は動揺した。
しかしそれがごく短い時間稼ぎにしかならない事を、俺は知っている。
俺が目を付けていたのは、彼ら以上にパニックになった者だった。
彼らが馬車を牽かせてきた馬である。
馬は悲しげにいななき、地面に立てた杭に結び付けられた手綱を揺らしている。
俺はその戒めを解こうと、剣を一閃させた。
しかし……。
ギンッ!
高い金属音が河原に響く。
俺の剣は何者かに受け止められた。
しかし受け止めた奴も勢いを殺しかね、何歩か後ろに下がっただけで辛うじて転ぶのを避ける。
ラルフの仲間達ではない。
それ以外の奴だった。
薄い月明かりの下で、俺はそいつの正体を知ると、地面を蹴って元の茂みに戻っていった。
そいつも俺の後を追って地面を蹴る。
森に飛び込み、少し開けた場所に着いてから振り返る。
俺を妨害した奴がそこに立っている。
手に抜き身の剣を提げたまま、挑むような目で真っ直ぐに俺を見ている。
「フェリア……」
俺はそいつの名前を呼んだ。
軽装の鎧を着た、長い金髪のお嬢様然とした少女は俺に答える事なく、そこに立っている。
「何のつもりだ? フェリア」
「それはこっちの台詞です。アリオス様」
「………」
俺は黙って剣を構えた。
フェリアも臆する事なく、剣を構えてそれに応じる。
「……俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「思っていません」
フェリアは言った。
「でも……例え勝ち目がなくても、戦わなくてはいけない時があると思います」
「……俺に剣を向けて? 今がその時だって?」
「はい」
お嬢様然とした容姿に似合わない、神話の戦女神を思わせる、堂々とした態度と凛とした声。
剣で打ち負かすのは簡単だ。
しかしウソもごまかしも通用しないと、フェリアのその目が語っていた。
俺は……。
ため息をついて、剣を下ろした。
「やめよう。いくらなんでも、お前と剣を向け合うのはイヤだからな」
「………」
しかしフェリアは俺の言葉に応える事なく……ぺたんとその場に座り込んでしまった。
「フェリア、どうした?」
「……すごく怖かったです」
「………」
「あーっ、そこっ! 呆れないで下さいよぅっ!」
頬をふくらませて怒るフェリア。
さっきまでそこにいた、戦女神を思わせる少女はどこにもいない。
頼りないトレジャーハンター見習いの、ワガママで世間知らずのお嬢様がそこにるだけだった。
やれやれ、と思いつつ、俺は手を差し伸べた。
「ほれ、立てるか?」
「……立てません」
「………」
「腰が抜けたみたいです」
「………」
「あーっ、そこっ! 笑わないで下さいよぅっ!」
両腕をぶんぶん振り回して怒るフェリア。
「わかったわかった……ほれ」
俺はフェリアに背を向けてしゃがみ込む。
もちろん、負ぶされ、という事である。
「あの、アリオス様?」
「ん?」
「お姫様だっこにしてくれませんか?」
……女の子の足の後ろと首の後ろに両腕を入れて抱き上げる、アレか?
「そっちの方がいいのか?」
「はい♪」
「そうだな。おんぶよりそっちの方が川に落としたりしやすそうだからな。そっちにするか」
「……あ、いえ、やっぱりおんぶの方がいいです」
というわけで、予定通りにフェリアを負ぶって歩き始めた。
フェリアは必要もないのに、俺の身体に回した腕にぎゅっと力を込める
「アリオス様……」
「ん?」
「わたくし、とっても怖かったんです。アリオス様がいつもの優しいアリオス様じゃないような気がして」
「………」
「でも……良かった。いつものアリオス様です」
自分の頬を、きゅっと俺の頬に押し付けてくる。
そこにいるのは、やっぱりちょっとワガママで……そして甘えん坊のお嬢様だった。
俺も何となくほっとして、思わず苦笑いが漏れた。
でもな、フェリア。
この銀光のアリオスに勝ったのは、その甘えん坊のお嬢様の、純粋で真っ直ぐな気持ちなんだぞ。
宿屋に取ったフェリアの部屋に着いた。
背負っていたフェリアの身体をベッドに下ろす。
ここまで背負ってきたから、一階の酒場ではウェイトレスには盛大に冷やかされた。
まあ、今さら文句を言う事でもないが。
俺もフェリアの隣に腰を下ろす。
「フェリア、もう大丈夫か?」
「はい、お陰様で……」
フェリアがにこっと笑う。
「でも……またアリオス様にご迷惑をおかけしてしまいましたね」
「迷惑かけっぱなしくらいでちょうどいいんだよ、バカ弟子なんだから」
フェリアの頭に手を置いて、髪を軽くかき回す。
「俺がやってた事、よくわかったな」
「わたくし達が東の湖の遺跡に出発する前の晩……アリオス様、この部屋にいらっしゃいましたよね?」
「ああ」
「あの時……アリオス様から血の匂いがしました」
血の匂い……。
何かやばい事をしてきたと気付くだろうな。
「………」
気が付くと、フェリアがじっと俺の顔を見上げている。
「……知りたいか?」
「はい」
「そうか」
ここまで巻き込んでおいて、話さないわけにはいかないだろう。
五年前、俺が北の火山の遺跡で背負い込んだ、辛い過去の事を。
「ねえ、アリオス君」
セリーナが戻ってきて声をかけてきた。
ついさっきまで守護者の部屋の調査をしていたのだが。
「まだここにいるの?」
「………」
「私の事だったら大丈夫だから。アリオス君は他の場所で財宝でも何でも探してきなよ」
「……でも、モンスターとか出てきたらどうすんだよ。丸腰だったらどうにもならないだろ?」
嘘をついた。
入り口をきちんと塞いであるから、外のモンスターは入ってこない。
一方、魔法で生み出されたモンスターは勝手に移動しないから、ここはほとんど間違いなく安全なのだ。
事実、この三日間、俺がやるべき事は何もなかった。
「でも……」
「いいから! それとも僕がここにいると邪魔なのかな? それなら……」
「ううん、そんな事ないよ! 君がいてくれたら私も嬉しい……けど……」
困り顔のセリーナ。
しばらく考え込んでいたようだったが、やがて優しく微笑むと。
「……ありがとう……アリオス君」
そう言って、座った俺の隣に膝をつく。
そして……。
そっと俺の唇に自分の唇を重ねた。
「………」
「もうちょっと待ってて。調査がひと区切りしたら、晩ご飯にしようね」
セリーナは守護者の部屋に戻っていく。
「………」
俺はしばらく呆然と、自分の唇に残る柔らかい感触を指でなぞっていた。
それがセリーナの唇の柔らかさで……俺の初めてのキスだと気付いて……。
胸の鼓動が高鳴って、俺はセリーナに抱いた気持ちの正体を、今さらになって知った。
セリーナはどうなんだろう?
俺の事、どう思っているんだろう?
そんな事で頭が一杯になった。
そして……。
どれくらいの時間が経っただろう?
「きゃあっ!」
セリーナの悲鳴。
そして悲鳴に続いて水音が上がる。
「セリーナ!」
俺は思わず駆け出していた。
守護者の部屋に入る。
セリーナの姿はない。
ただ……部屋の中央の青い池だけが、静かに波紋を広げていた。
迷わず池に駆け寄る。
セリーナの姿があった。
驚いて目を見開いた表情で池の底に横たわっている。
調査をしていて足を滑らせて落ちたのだろうか?
手を伸ばして水面に触れてみて……硬い。
水が固まっていた。
いつの間にか波紋もなくなっている。
「………」
俺は言葉もなく、ただその場に膝をついていた。
青くかげるセリーナの姿に、ああ、壁だけでなくこの水も青かったんだ。
意味のない事に、今さら気付く。
いつの間に眠っていたのだろう?
身体を起こす。
「あ、起きた?」
聞き慣れた声。
池の真ん中に人影があった。
「……セリーナ?」
「うん」
セリーナが答える。
だけど……その姿はもはや昨日までのセリーナのそれではなかった。
確かに勝ち気な瞳も柔らかな肌も、イヤになるくらいセリーナそのままだった。
違うのは材質。
この部屋の壁や天井と同じ、サファイアの青色をしていた。
「………」
「………」
お互いに何も言わない。
しかしわかっていた。
セリーナが「守護者」になってしまった事を。
トレジャーハンターの俺と守護者になったセリーナの、奇妙な共同生活は長くは続かなかった。
「………」
「ねえ、素晴らしいと思わない?」
セリーナはよくそうして話しかけてきた。
今まで俺が見てきた守護者は、人の形をしてはいても凹凸のない大雑把な造形だった。
しかしセリーナは違う。
守護者になる前の形と表情を備えていた。
「………」
「この守護者の身体はね、永遠の寿命と無限の魔力を秘めているのよ」
「……セリーナは」
俺が口を開く。
「守護者になった事に戸惑いとかはないの?」
「戸惑い? どうして?」
セリーナが本気で意外そうな声を出す。
「私はね、古代王国の魔法技術の最高峰と一体になって、その素晴らしさを身を以て感じているのよ。これ以上の幸せはないわ」
「………」
「ねえ、アリオス君?」
「………」
「アリオス君ってば、聞いてるの?」
「………」
こうして俺の口数は減っていった。
そして対称的にセリーナの口数は増えていく。
セリーナの話す事は自分の身体の事ばかり。
それが恐らく数ある守護者の中で、最高の魔法技術を注ぎ込んで作られたという事。
守護者の魔法装置には古代王国の歴史と技術が記録されていて、それが少しずつセリーナの知識になっていく事。
そしてそれらの知識を、セリーナは夢見るような瞳で語る……。
「結局……俺はそんなセリーナと一緒にいる事に耐えられなくなった」
俺は遺跡を出た。
さよならの一言もなく、ただ黙って遺跡を出た。
何事もなかったように一匹狼のトレジャーハンターに戻って……ラルヴァさんのところに厄介になってフェリアと出会って、またこの町に戻ってきて……。
翌年の事だった。
セリーナのいる北の火山の遺跡が見付かった。
腕に覚えのあるトレジャーハンターはこぞって北の火山の遺跡を目指した。
一時は忘れようと思っていたセリーナの存在だったが、こうなると放っておけなくなった。
守護者になり果ててもなお、セリーナが他のトレジャーハンターに傷付けられるのは耐えられなかった。
そして……セリーナに人殺しをさせたくなかった。
「……だから俺はセリーナの『守護者』になった」
何食わぬ顔で酒場で情報を集めて、北の火山の遺跡を目指して出発したトレジャーハンターを襲撃した……。
「アリオス様……」
フェリアが泣き出しそうな目で俺を見上げている。
「……そんな目で見るなよ」
「で、ですけど……」
「お前が追いかけてたアリオスって奴はな、こんな情けない男なんだよ」
好きな人と一緒にいる事から逃げ出し。
好きな人の事を忘れる事からも逃げ出して、見て見ぬふりも出来ずに中途半端な形で守っている。
それが正しくない事はわかっていた。
覚悟を決める事が、俺のためでもあり、セリーナのためでもある事はわかっていた。
だけど……そうする事はひどく悲しくて……辛くて……。
決断する事から逃げ出した、みっともない男が一人、ただウジウジと生きていた。
「アリオス様……」
フェリアがうつむく。
「わたくしでは……セリーナさんの代わりにはなりませんか?」
「な、何をバカな……」
言い終えるより早く、俺の唇は柔らかい感触に塞がれた。
それがフェリアの唇の感触だと気付くより早く、俺はフェリアの身体を引き剥がしていた。
「バカッ! お前、なんて事を……」
「………」
悲しげなフェリアと目が合う。
その目には……。
「……お前……なんでだよ?」
「………」
「お前、なんで泣いてんだよ!」
「………」
「俺が泣いてないのに……俺が泣かなくちゃいけないのに……どうしてお前が泣いてんだよ!」
「……アリオス様」
フェリアが口を開く。
その頬を涙が伝っている。
「……わたくし、アリオス様の事が好きです」
フェリアが言った。
その瞳に俺の顔が映る。
どうしてだろう?
今までずっと子供だと思っていたフェリアが、この時は何故か大人びて見えた。
「だから……苦しんでいるアリオス様を見ているのが辛いです」
「………」
「もう……自分を苦しめないで下さい」
「………」
またフェリアが唇を寄せてくる。
今度は拒まなかった。
二人の唇がそっと重なる。
それから俺達は話をした。
まだ半人前のトレジャーハンターだった俺を連れて遺跡を駆け回った親父の事。
親父が死んで一人で遺跡に潜り込むようになった日の事。
セリーナと出会い、強く惹かれた日の事。
ラルヴァさんの屋敷に厄介になって、フェリアと過ごした日の事。
セリーナのいる遺跡が見付かり、腕に覚えのあるトレジャーハンター達が大挙して遺跡を目指していると知った時の事。
そして……セリーナを守るために、お互いの腕を認め合ったトレジャーハンター達を傷付けた日の事……。
話す内容はどうでも良かった。
ただその時の自分の気持ちを包み隠さずに話して、その度にフェリアが同じ気持ちになってくれて、笑ったり悲しそうな顔をするだけで……。
こんな時間の過ごし方があったんだ。
そんな事に気付かされる。
だけど本当は知らなかったわけじゃなくて、ただ目を逸らしながら生きていただけで……。
そしてさすがに眠そうになってきたフェリアを寝かした頃には。
俺の気持ちは決まっていた。
夜明け近く。
こっそりフェリアの部屋を抜け出した俺は、自分の部屋に戻って装備を調えた。
それからまたフェリアの部屋に戻る。
ベッドの上のフェリア。
枕に頬ずりをして、幸せそうに寝息を立てている。
「……行ってくるよ、フェリア」
起こさないように小さな声で、俺は言う。
「何日かほったらかしにするけど、必ず帰ってくるから。待っててくれよ」
ベッドに歩み寄り、手を伸ばしてフェリアの髪を撫でる。
「帰ってきたら、その後はずっと一緒にいてやるから。今だけ我慢してくれるよな?」
「うぅん……アリオス様……」
いきなりフェリアが声を上げて、俺はドキッとした。
だけどただの寝言だったらしく、規則的な寝息が再開する。
俺の夢を見ているのか?
夢の中の俺は、本物の俺より強くていい男なのか?
大切な人を置いていくようなひどい奴じゃないといいな……。
「じゃあ、行ってくるよ」
俺は最後にそう言った。
二人で一緒に暮らすための、今だけのさよならだ。
眠るフェリアを置いて、俺は部屋を出た。
守護者−Gardian−第3章「今だけのさよならを」 了
第4章「サファイアの少女」へ続く
ご意見、ご感想は「私にメールを送る」または「私の掲示板」でお願いします。
トップページに戻る