二人の英雄・第2部「フィルスーン解放軍編」

第3話「少年の日の夢」

 フィルスーン解放軍が巨竜騎士団を打ち破ってから数ヶ月が過ぎた。
 エルラザ帝国の建国以来、将軍が戦場で敵との一騎打ちによって命を落とし、ひとつの騎士団が全滅の憂き目を見た事は一度もなかった。
 噂は瞬く間にエルラザ帝国全土を駆け巡り、戦禍に家族を奪われた者、故郷を焼け出された者、帝国に恨みを持つ者がフィルスーン解放軍に集まってきた。
 リーダーであるフォルトは彼らを分け隔てなく受け入れる事を決め、そして当然のように彼らを受け入れるための業務に追われ、悲鳴を上げる事になった。
 忙しくなったのはフォルトだけではない。
 カルロスとブリンナーは集団行動の訓練を行なう事になった。
 いくら数が増えても、組織的な戦闘が行えるようにならなくては烏合の衆に過ぎない。
 そしてラティスは一人一人の剣術の指導に当たった。
 集まってきた者の中には正規の訓練を受けた者もいたが、多くは農民出身で剣より鍬の方に慣れ親しんでいたり、あるいは我流だったりした。
 彼らは帝国軍の将軍を破った少年を熱いまなざしで見上げ、訓練を受けた。

 広場には気合いの声と木剣が打ち合う音が響き、汗の臭いが漂っていた。
 新たにフィルスーン解放軍に加わった者達を中心に、二人一組になって剣を打ち合っている。
 ラティスはその中を歩きながら、指導をしていく。
「そこっ! 背筋は真っ直ぐに伸ばして、剣に振り回されないように!」
「は、はい!」
「あなたは力を入れ過ぎです。疲労が溜まると、最後まで剣を握れなくなりますよ!」
「わかりました!」
 ラティスの指導の声に、気合いの入った返事が返ってくる。
 一人一人の一挙手一投足に注意を払いながら歩いている時だった。
 ふと背中に気配を感じた。
「えいっ!」
 気合いの声が届くより早く、ラティスの身体は動いていた。
 一瞬前まで身体があった空間を、木剣が通り過ぎる。
 咄嗟に距離を開け、振り返る。
 ラティスを背後から襲ったのは、剣の稽古を受けていた、ラティスよりいくつか下の少年だった。
 少年の剣が上がっていくのを見て、ラティスも剣を構える。
「やあっ!」
 再び振り下ろされた少年の剣を、ラティスの剣が弾き返した。
 押されて体勢の崩れた少年の手首に剣を打ち込む。
 あっと短い悲鳴を上げて、少年が剣を取り落とした。
 そしてその剣が地面に落ちるより早く、ラティスの剣は少年の眉間に突き付けられた。
「う……」
 少年はヘナヘナとへたり込んだ。
 ……さて、どうしたものか。
 剣を突き付けたまま、ラティスは思案する。
 少年の事は憶えている。
 剣の稽古を受けるのはフィルスーン解放軍に来てからという事だったが、筋は良く、背筋が真っ直ぐなので、剣に振り回されないのが良かった。
 一方で攻撃のパターンが単調なのが惜しまれる。
 さっきも立て続けに剣を正眼から振り下ろすのではなく、二度目を突きか切り上げにすれば、相手に立ち直る隙を与えない攻撃ができたはずだ。
「す、すみません! ラティス様!」
 稽古をしていた中から中年の男が出てきて頭を下げる。
「私の息子が失礼な事をしました! 私から良く言って聞かせますから、どうかお許し下さい!
 ……こら! お前も謝れ!」
「わっ! 親父! なにすんだよ! 将軍を倒したとかなんとか言って、俺と大した歳の変わらない子供じゃないか! へこへこする事ないって!」
「………」
 稽古用の木剣で怪我人もなかったとはいえ、本来なら厳罰に処しても仕方がない状況だった。
 だけど必死に頭を下げる父親を見ていると、そうする気にはなれなかった。
「お父さん、頭を上げて下さい」
「は、はい……」
「やんちゃだけど、いい息子さんじゃないですか」
「はあ……」
「えっと……君、特別に僕が稽古を付けようか。僕から一本でも取ってみればいい」
「い、いいのか?」
「その代わり、ちょっと荒っぽくなるから覚悟した方がいいよ」
 そう言うと、ラティスはまだ立ち上がったばかりの少年に剣を打ち込んだ。

「よーし、みんな、休憩にしよう!」
 ラティスの声が響くと、あちこちから安堵の声と木剣を下ろす音が返ってきた。
 額に浮かんだ玉の汗を手の甲で拭って辺りを見回すと、近くの木の根元に座って、ルティーナが手を振っていた。
「はい、お疲れ様」
「ありがとう」
 ルティーナから水の入った皮の水筒を受け取ると、口を付ける。
「今日はずいぶん頑張ってたのね」
「……そうだね。熱心な生徒がいたから」
 ラティスが視線を向けた先に、一人の少年が大の字になっていた。
 傍らには彼の父親がいる。
「知ってる」
 と、ルティーナが答えた。
「……見てた?」
「見てた。いつもより休憩に入るのが遅かったから」
「待たせちゃったんだな。悪い事したかな?」
「でも楽しかったよ、見てるのも」
「それなら良かったけど」
 ラティスの視線が再びフィン少年に向けられる。
「あの子も筋はいいんだけど……攻撃を組み立てる事を覚えてくれないとなあ」
「………」
「どうかした?」
 ルティーナがじっと横顔を見ている事に、ラティスは気付いた。
「ううん……なんだかラティス、楽しそうだなって」
「楽しそう……か……」
「あ、ごめんね、よく知りもしないで変な事言っちゃったかな?」
「ん? いや、そうじゃなくて……そうだね。楽しいんだよ、きっと」
 ラティスは目を細める。
「昔を思い出すんだ」
「昔?」
「うん、初めてアークザット将軍に出会った時の事……」

「いい加減にしろ! このクソガキ!」
 荒っぽく突き飛ばされ、尻餅をついた。
 見上げると、怒った顔の兵士が二人、立っている。
 打ち付けたのは背中だったけど、衝撃は頭にまで響いている。
 だけどそう簡単に諦めるわけにはいかない。
 僕らの村と村の人達の命がかかっているんだ!
 僕は立ち上がると、再び兵士に掴みかかっていく。
「お願いです! 将軍に会わせて下さい!」
「しつこいなあ、こいつ……将軍閣下がお前みたいなガキと会ってくれるはずがないだろ!」
 兵士は僕を振り払おうとするが、今度はしっかり掴まっている。
 絶対に離さない!
「……何をしている?」
 低く小さい、だけどよく通る声だった。
 兵士も僕も、動きを止めて声の方を向く。
 髭の生えた、鋭い目つきの若い男が立っていた。
 男は兵士に近寄って二言三言話をすると、今度は僕の前にしゃがみ込んだ。
 目線の高さを合わせて、僕の肩を叩く。
「少年、将軍に会いたいと言っているそうだな」
「は、はい……」
「将軍に会わせる事はできないが、俺で良ければ話を聞いてやる。来るか?」
「………」
「どうした? 来ないのか?」
「は……はいっ! 行きます!」

 随所に灯されたかがり火だけが足下を照らす鷹獅子騎士団の陣地を、男に連れられて歩く。
 やがて陣地の片隅の小さな天幕の中に通された。
 天幕の中心にはテーブルがあって、三人の男がそれぞれくつろいでいたり、何かの図面を睨み付けたりしていた。
「おかえりなさい……どうしたんですか? その子は」
「隠し子か? いやあ、アークザットも案外隅に置けないんだなあ」
「……冗談を言うのはいいとして、品がないですよ、レイバート」
 そんな二人のやり取りを無視して、僕を連れてきた男……アークザットというらしい……は僕をイスに座らせた。
 その頃には天幕にいた三人の男の内、一言もしゃべっていない男がお茶を煎れて、僕に勧めてくれた。
 口を付けてみると、家で飲むいつものお茶と変わらないような味だったけど、温かさが僕の緊張を緩めてくれた。
「話を聞こうか」
 アークザットが言った。
 その一言に、残りの三人も表情を引き締めて僕に注目する。
 僕はひとつ息を吸って、切り出す。
「獣道があるんです」
「………」
「僕の村の猟師しか知らない獣道です。そこを通れば、野盗に気付かれずに攻撃を仕掛けられると思います」
「………」
 言葉は返ってこない。
 その代わり、テーブルに地図が広げられた。
「ここが君の村です」
 地図の真ん中を指差す。
 そして地図の上に駒のような物を並べていく。
 ちょうど僕の村を挟むようになった。
「これが私達、鷹獅子騎士団、その数は五万。そしてこれが敵である野盗、数は五千」
「………」
 五万と五千……数字の大きさに、僕は面食らった。
「兵力差は十倍。正面から戦えば、いいえ、正面からでなくても鷹獅子騎士団が負ける可能性はほとんどありません」
「問題は守らなくちゃならないこの村だ。五万なんて大軍を動かすには狭すぎる」
「村に入って防御態勢を整えるにしても、その途中に攻め込まれたら手痛い損害を受ける事になりますしね」
「だから焦って動かないのが鷹獅子騎士団の方針だ」
「野盗が退けばそこを追撃すればいいし、村を襲うならそこで兵を動かせばいい……この場合は村にも被害が出る事になりますけどね」
「………」
 二人の男が交互に説明するのを、僕とアークザット、それにもう一人の男は黙って聞いていた。
 そこでアークザットが口を挟む。
「ここで獣道を使えれば話は違ってくる」
 アークザットは地図の上に指を伸ばして、駒を動かす。
「獣道を通って、奇襲をかける……少年、その獣道はどれくらいの広さだ?」
「………」
「馬に乗っても通れるか?」
「はい」
「馬を走らせる事は?」
「……難しいと思います」
「なら……あまり多くは送り込めないな」
「せいぜい千か……無理して二千くらいでしょうか」
「それだけあれば充分だ。奇襲を仕掛けている間に、五千の兵を村に送り込み、守りを固める」
「あるいはそのまま一気に攻めかかるという手もありますね」
「どちらにしろ、最小限の被害で勝てるわけだ」
「………」
 また一同は黙り込む。
 ひとつ息を吐いて、アークザットが口を開く。
「少年、本当は我々は獣道がある事を知っていた」
「え?」
「村長以下、村の者を何人か呼び出して、この辺りの地理について聞き出した。俺はその場で将軍に獣道を使った奇襲作戦を提案した」
「………」
「ところが将軍は奇襲作戦を却下した。奇襲作戦は失敗すれば被害が大きい。奇襲部隊だけでなく、村の守りに派遣した部隊もそうだ」
「………」
「少年、どうしてここに来た?」
「え?」
「冷静に考えれば、お前みたいな子供に将軍が会ってくれるはずないのがわかるだろう? 何もできない事がわかっていたはずだ」
「………」
 そう、自分は子供だ。
 子供だから、何もできない。
 そんな事はわかっていた。
 わかっていたけど……。
「村の人達はみんな野盗が怖くて、話す事も少なくなって、話しても野盗に襲われたらどうなるかとか、どうして鷹獅子騎士団は動かないんだとか、そんな事ばかりです」
 僕は慎重に言葉を選んだ。
 拙い言葉ばかりだけど、ひとつひとつ丁寧に選んだ。
「今日はこんな獲物が捕れたとか、いつもは明るくて楽しい村なのに……野盗が近付いてからは暗く塞ぎ込んでいます」
「………」
「こんな村、見ていられませんでした。いつもの明るい村に戻って欲しい。そう思ったら、いてもたってもいられなくなって……」
 アークザットの手が僕の頭に乗って、思わず言葉を止めた。
 いつもは鋭い目が、今は優しく、僕を見ていた。
 それからアークザットが三人の男に目を移すと、好戦的な笑みを浮かべていたり、苦笑していたり、無表情だったり、それぞれの表情を浮かべていた。
 アークザットはひとつうなずくと、立ち上がった。
「さて、それじゃあ行くか」
「え? どこへ?」
「決まってる。将軍が動いてくれないなら、俺達が動くしかない。そうだろ?」

 それからしばらくして、馬に乗った騎士が集まってきた。
 集まってきた騎士の多さと展開の早さに、僕はようやく事の重大さを思い知らされた。
 アークザットら四人もすでに馬上の人である。
「レイバート、少年を頼む」
「わかった……ほら、小僧、こっちに来いよ」
 言葉遣いは乱暴だったが、レイバートは優しく僕の身体を抱き上げ、自分の身体の前に乗せてくれた。
「それじゃ小僧、道案内、頼んだぞ」
「は、はい!」
「ははっ……意気込むのはいいが、あまり固くなるなよ……ところで俺達が全部で何騎か、知ってるか?」
「い、いえ……」
「鷹獅子騎士団が全部で五万、敵の野盗が五千、そして俺達が……」
 もったいぶって、レイバートは言った。
「五百騎だ」

 すでに時間は深夜。
 夢を見ているような気分だった。
 いつもは父さんに連れられて獲物を追いかける獣道は、まるで小さい頃に聞かされた妖魔の巣食う森のようだった。
 そこを鷹獅子騎士団の騎士達と進んでいく。
 それぞれの馬は足音を立てないように蹄を皮の袋でくるみ、いななきを上げないように口を縄で縛っている。
 誰も無駄口を叩いたりはしない。
 人と馬が微かに漏らす吐息だけが、夜の森の空気を揺らしていた。
「……驚いたか?」
「え?」
 声は僕を馬に乗せているレイバートだった。
「俺達が五百騎しかいない事。常識的には無謀なんだ。いくら夜襲とはいえ、十倍の兵力差をひっくり返すのは至難の業だ」
「………」
「しかも負けそうになったって助けは期待できない」
「………」
 身体をひねってレイバートを見上げる。
 真剣な眼差しが、行く手の闇を越えた先を見据えるようだった。
 僕の視線に気付いたのか、レイバートは表情を緩める。
「でも、俺達は信じている」
 レイバートは言った。
「俺達はアークザットを信じている。この中の誰一人として疑っちゃいない。あいつはこの先、出世して大軍を率いるような器だ。わずか五百騎のちっぽけな小隊長のまま、くたばっちまうような奴じゃない」
「………」
「だから今回だって、きっと勝つさ」
「………」
 気付かれないようにそっと、後ろを振り返った。
 一寸先さえ見えない闇の中、馬上で背筋をしゃんと伸ばしたアークザットの姿があった。

 木々の隙間からかがり火が見えるようになって、一行は馬を止めた。
 野盗の陣地まではあと一息。
 もはや隠密行動を取る必要もなく、ただ一息に馬を走らせるだけの距離だ。
 遠いかがり火を睨み付けるアークザットの隣に、一人の男が馬を寄せて、何やら耳打ちした。
 少し考えた後、レイバートを呼んだ。
 アークザットの隣に馬を寄せるレイバートだったが、声をかけたのはレイバートではなく、同乗している僕の方にだった。
「少年、名前は?」
 問われてやっと、今まで自分の名前を話していない事に気付いた。
「……ラティスです」
「本当はお前を村に帰してから、攻撃を始めるつもりだった」
「………」
「しかし思ったより時間がかかり過ぎた。我々は少数、一人だって欠かす事はできないし、お前を村に帰した後、戻ってくるのを悠長に待つ時間もない」
「………」
「だからといって攻撃を先延ばしにする事もできない。それだけ村が危険にさらされる事になる」
 僕としても、それだけは避けたかった。
 自分から提案した事だったから、自分のために支障を来す事だけは避けたかった。
 危険は覚悟の上だ。
 許される事なら、このまま……。
「……一緒に来るか?」
 アークザットは言った。
「絶対に安全とは言えない。しかし俺の命の続く限りは守ってやる。どうだ?」
「は、はい! 行きます!」
「よし、少年……いや、ラティス、こっちに来い」
 アークザットは僕の身体を抱き上げ、自分の馬に乗せた。
「しっかり掴まってろよ。落馬したら助からないと思え」
「はいっ!」
 それからアークザットは馬の口を縛っていた縄を外す事を命令した。
 命令は速やかに行き届き、粛々と実行された。
 そしてアークザットは大きく息を吸い込み、剣を高く掲げた。
「全軍! 突撃!」
 そして、戦いが始まった。

 森に夜明けが訪れる頃、戦いも終わりを告げていた。
 木々の隙間から漏れる朝日に、幾重にも折り重なった死体が照らし出される。
 そのほとんどが数に置いて優勢だった野盗の物である。
 戦いはわずか五百の手勢でしかない、アークザットの勝利に終わったのだ。
 敵兵の返り血を浴びて真紅に染まった凄惨な姿で、アークザットはそこにいた。
 馬上で毅然と胸を張りながら、劇的な勝利の直後であるにも関わらず、どこか寂しげな瞳でかつて戦場だった場所を見ていた。
 この光景を、僕は一生忘れる事はないだろう。
 僕は思った。
 強くなりたい。
 強くなって、いつかこの男の背中に追い付き、隣に並んで戦えるようになりたい。
 そして自分の大切な物を守るために命を張れる、この男のようになりたい。
 僕にとっての「英雄」が誕生した、それは瞬間だった。

 勝利を収めた鷹獅子騎士団は移動を始めた。
 しかし奇跡的な勝利を収めたばかりとは思えない、静かな行軍だった。
「あ〜あ、結局、やっちまったな」
 あっけらかんとした声を上げたのはレイバートだった。
「今さら後悔しても遅いですよ」
「まさか」
 レイバートはあっさりと答える。
「逆にすっきりした気分だよ。もう失う物はないって感じだな……おや、少年、心配そうな顔だな」
「………」
「話ちまっても問題ないか。俺達はな、今回の勝利で恩賞を与えられるような事はない。それどころか軍法会議にかけられるかも知れない」
「え? ……ど、どうしてですか!? 僕らの村を救ったのに!」
「理由も結果も関係ない。俺達は将軍に無断で軍を動かした。それは軍規に反する事だ。処罰の対象になる」
「………」
 僕は言葉に困ってアークザットを見上げた。
 アークザットは視線を正面に据えたままで答える。
「レイバートの言う事は本当だ。どんな形になるかはわからないが、何らかの処罰が下されるのは確かだ」
「………」
「しかしこれだけは覚えておけ。自分がどんなに正しいと信じる事を貫き通したとしても、結果が伴うとは限らない。報われないと知っていても、最後まで貫く価値のある事が、本当に正しいという事だ」
「………」
「だから、俺達は決して後悔しない」
 アークザットの言葉に、一同は強くうなずいた。

 僕の家の前に着いた。
 アークザットは僕を馬から降ろす。
 別れの時だ。
「ラティス、ここまでよく頑張ったな」
 そう言ってアークザットは優しく僕の頭を撫でる。
「お前に報いてやる事はできないが……元気で暮らせよ」
 アークザットは再び馬上の人となる。
 そして片手を挙げて合図をすると、一行は街道を進んでいく。
 行ってしまう。
 もう二度と会う事はできない。
 そう思った瞬間、胸が締め付けられた。
 足が震えた。
「ま、待って下さい!」
 そして気が付くと、そんな声を上げていた。
 立ち去ろうとしていた一行は足を止めた。
 二つに分かれて、先頭を進んでいたアークザットと僕の間に道を作る。
 馬上のアークザットの姿を見上げて、言葉を続ける。
「僕を……僕を連れて行って下さい! 鷹獅子騎士団に入れて下さい!」
「………」
 アークザットは黙っている。
 無理な願いだと、わかっていた。
 まだ十歳の子供がエルラザ帝国正規軍の一員に加われるはずがない。
 それでも、溢れる熱い想いは吐き出さずにはいられなかった。
「………」
「………」
 アークザットも僕も、そして鷹獅子騎士団の面々も沈黙を守っている。
 静かな森の中で、アークザットの口許が弛んで微笑を浮かべるのを、確かに見た。
「……勇敢だな、お前は」
 アークザットは言った。
 微笑を浮かべて言ったが、すぐに真顔になって続ける。
「俺に付いてきて、この村はどうなる?」
「!」
「お前を生み、育んできたこの村は誰が守る? お前の両親や友人は、誰が守る?」
「………」
 忘れていた。
 僕はこの村の住人で……ここには大切な人達がいる。
 放り出していく事などできはしない。
「俺はエルラザ帝国全土を巡って、俺の戦いを続ける。お前はお前の大切な人達を守るために、ここに残ってお前の戦いを続けるんだ」
「は、はい!」
 アークザットの言葉に胸を奮わせて、僕は応えた。
 各地を転戦するアークザットと、この村を守る自分と……。
 戦場は違っても、同じ気持ちで戦う事が出来るんだ!
「もし、この村のために戦う必要がなくなった時は俺の所に来い。その時は必ずお前の事を迎え入れてやる」
「はい!」
 精一杯、背筋を伸ばして応えた。
 再び街道を進む一行。
 その背中を見送りながら、ついさっきまでの置いて行かれるような感覚はなかった。
 アークザットの進んでいく街道。
 いつか自分も進んでいく道を、いつまでも見つめていた。

「……という事があったんだ」
 ラティスはそう締め括った。
 アークザットに命を救われ、その背中を追いかけようと思った。
 生まれ故郷の村を守るために戦い、そして守りきれずに失い、アークザットの元で戦うようになった。
 だけど今はアークザットの元も離れ、フィルスーン解放軍にいる。
 一度だって、あの時の気持ちに背いた事はない。
 少ない味方を率いて多数の野盗と戦い、村を救ったアークザットに憧れた気持ちに背いた事はないのに……。
「………」
「………」
 ふと気が付くと、ルティーナが真剣な顔で自分の横顔を見つめていて、ラティスは急に照れ臭くなった。
 ラティスが顔を背けてあさってを向くと、ルティーナもようやく気付いたのか、照れ笑いを浮かべて視線を逸らした。
「あのね、私、よく分からないけど……」
 それから優しく笑って、ラティスを見つめる。
「悩めばいいと思うよ」
「………」
「悩んで悩んで悩んで、悩み抜いた末に出した答えなら、どんな結果になっても、きっと後悔しないと思うよ」
 ルティーナの言う通りだと、ラティスは思った。
 誰かに答えを決めてもらって、導かれるままに生きていくのは簡単な事だ。
 だけどそうしないのなら。
 自分の心に従って生きていこうと思ったら、いくらでも悩んで、迎えた結末を受けれるしかない。
「少なくとも私は……」
 ルティーナは言う。
「あの時、ラティスが助けてくれたからこうしていられるし……ラティスにはずっとここにいて欲しいと思っているから」
「ルティーナ……」
「ほら! 休憩は終わり! 稽古の時間よ!」
 ばんっとひとつラティスの背中を叩いて、ルティーナは立ち上がった。
 見ると、ラティスの教え子達はすでに休憩を終え、稽古の続きが待ちきれないように、木剣の感触を確かめたり、素振りをしたりしている。
「がんばって! 応援してるから!」
 大きく手を振って、その場を離れていくルティーナ。
 ラティスも手を振り返して、剣の稽古に戻っていった。

二人の英雄「少年の日の夢」 了
第4話「決意と別離と」へ続く


あとがき

 ど〜も、wen-liです。
 「少年の日の夢」いかがだったでしょうか。
 先の展開がどうなるか気になるところですが、今回はひと休みして昔のお話。
 ラティス君当時十歳の一人称というスタイルを取ったために、いつも通り難しい表現を使いたいけど、ラティス君当時十歳の視点的にはどうだろう? と悩みつつ、こんな感じになりましたけどいかがでしたでしょうか?
 次回、今度こそ急展開の第四話に続く!
 乞うご期待!

 でわでわ。


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