二人の英雄・第2部「フィルスーン解放軍編」

第2話「エステー川の戦い」

 エステー川を挟んで巨竜騎士団と反乱軍の連合軍が対峙して、三週間が過ぎた。
 事の発端は、バーンスタイン将軍率いる巨竜騎士団の進攻に対し、その地方一帯を支配下に置くリモルトが近隣の反乱軍にも結集を呼びかけた事に始まる。
 五万の兵力を誇る巨竜騎士団に対し、同数の五万の兵力をかき集めたリモルトは、エステー川の河原に布陣し、巨竜騎士団の渡河を阻む構えだった。
 それに対し巨竜騎士団も反乱軍の対岸に布陣し、持久戦の構えを見せた。
 そして……リモルトの呼びかけに応えて集まった反乱軍の中に、フィルスーン解放軍とそこに身を寄せるラティスの姿もあった。

「どうして巨竜騎士団は動かない!?」
 反乱軍の天幕の中に、リモルトの怒号が響いた。
 しかしその場に居合わせた男達は、冷ややかな視線を向けるか、呆れたようにため息をつくかのどちらかだった。
 巨竜騎士団との睨み合いが始まって以来、作戦会議のために集まっては怒号を聞かされ、誰もが辟易していた。
 最初はリモルトをなだめていたフォルトだったが、最近では何を言っても無駄だと諦めたのか、ため息をつくばかりだった。
 そしてもう一人、一軍の指揮官であるバーノンは、最初から無関心に冷ややかな視線を向けるだけだった。
「三週間だ! もう三週間にもなる! 奴らも食糧が乏しくなってきたはず……なのにどうして動かない!?」
 しかしリモルトの怒号は虚しく天幕を揺らすばかりだった。
 そうして今日も、作戦会議の時間は何の実りもなく過ぎていく……。

 フィルスーン解放軍の天幕に戻ってきたフォルトは、長い息を吐いて自分の椅子に身を投げ出した。
「相変わらずの調子なのか?」
 さすがに心配そうに、カルロスが声をかける。
「ええ、相変わらず怒鳴り散らしてばかりで。よくもまあ飽きずに続く物です」
 答えるフォルトの声にも重い疲労感が漂っている。
「……しかし巨竜騎士団は、どうして三週間も軍を動かさずにいられる?」
 ブリンナーが言った。
 駐留が長引けば、食糧が不足するし、他の地域で反乱軍の勢力が拡大する可能性がある。
 巨竜騎士団にとって、長期化は好ましい成り行きとは思えないのだが。
「……ラティス君だったらどうしますか?」
「え?」
 突然話を振られ、ラティスは短く声を上げた。
「ラティス君が巨竜騎士団のバーンスタイン将軍だったらどうしますか?」
「………」
 ラティスは無言のまま、机上の地図に指を這わせた。
 三人も自然と集まってくる。
 エステー川は、歩いても馬に乗っても比較的楽に渡れる程度の深さと流れの川である。
 移動中に渡河する分には何の問題もない。
 しかし渡河している最中に攻撃を受ければ、行動に支障を来すのは間違いない。
 それを狙ったフィルスーン解放軍を含む解放軍の布陣と、それを嫌った巨竜騎士団の持久戦の構えが、現在の膠着状態を招いているのだ。
「……近くに橋はありませんか?」
 ラティスの言葉に、ブリンナーが動く。
「上流に馬で一日ほど行った所にある」
「馬で一日……」
「重装歩兵が中心の巨竜騎士団だと、もっと時間がかかるだろう」
「………」
 再び黙り込むラティス。
 フォルトが笑いながら口を開く。
「機動力で言えば、我々の方が有利です。巨竜騎士団が橋を渡って奇襲をかけてくる、という可能性は低いと思いますよ」
 軽装の騎兵を主力とし、少数精鋭を旨とする鷹獅子騎士団とは対照的に、巨竜騎士団は重装歩兵を主力とし、兵力は多いものの、兵士一人一人の練度では劣ると言われている。
 機動力では遠く及ばないが、巨竜騎士団の持ち味はなんと言っても鉄壁を誇る防御力の高さにある。
 バーンスタイン将軍はいつでも徹底的な防御戦に持ち込み、どれほど多数の反乱軍に囲まれ、幾度も強烈な突撃を受けようと、陣形を少しも崩す事なく持ち堪え、少しずつ敵軍の力を削ぎ落としていく。
 巨竜騎士団の力を侮り、自滅していった反乱軍は数知れない。
 一般的に鷹獅子騎士団とアークザット将軍の方が声望が高いが、実力では決して引けを取らないと言われている。
 そんな巨竜騎士団が相手だから、無為無策にこちらか仕掛けても敗北は目に見えている。
 だからといってこちらが迎え撃とうと思っても、慎重なバーンスタインは兵を動かそうとしない。
 そんなジレンマに陥っているのだ。
「何かいい方法はないんですかねえ」
 カルロスが漏らしたぼやきに、フォルトが答える。
「方法がない訳じゃないんですけどね」
「ほう?」
「ちょっと発想を変えてみましょうか」
 現在、鷹獅子騎士団も反乱軍も動くに動けない状況にある。
 しかしどうしても動かざるを得ない事態が起きれば?
「例えば別の反乱軍が巨竜騎士団の背後で動き、補給路、退路を断つような動きを見せれば?」
 巨竜騎士団は動かざるを得ない。
 フィルスーン解放軍としては、退いていく巨竜騎士団の背後に襲いかかればいい。
 説明を聞いて、カルロスとラティスは感嘆の声を上げかけたが、それより一歩早く、フォルトが付け加える。
「……しかしこの作戦にはひとつ重大な問題がありまして」
「なんですか?」
「巨竜騎士団の背後で動いてくれそうな、手頃な反乱軍がいない事です」
「………」
 カルロスは落胆のため息をついた。
 しかしラティスは感心してうなずいた。
 今まで、作戦とは自分の指揮下にある軍隊を動かし、独力で戦う事だと思っていた。
 別な軍隊と連携し、共通の敵と戦うという発想は、ラティスにはない考え方だった。
 戦力で劣勢に立つ事の多いフィルスーン解放軍は、何よりもフォルトの柔軟な発想と多彩な作戦を武器に生き残ってきたのだろう。
 それに引き替え、自分の考えた作戦と言えば……。
 機動力を生かした奇襲作戦。
 いかにもアークザットを始めとする、鷹獅子騎士団の面々が真っ先に検討しそうな作戦ではないか……。

 会議が終わり、天幕を出たラティスはぶらぶらと歩き、気が付くと対岸に巨竜騎士団の陣営を臨む場所に出ていた。
 手近に一抱えもある石を見付けたので、そこに腰を下ろす。
 フィルスーン解放軍に助けられ、戦陣の一角を担うようになり、巨竜騎士団と対峙するようになってからかなり経つ。
 しかし今でもなお違和感は消えない。
 アークザットに憧れ、様々な不運と幸運の末、鷹獅子騎士団に入団し、エルラザ帝国軍の一員となった。
 それが今はフィルスーン解放軍の一員として、エルラザ帝国軍の巨竜騎士団と対峙している……。
「ラティス君、こんな所にいたんですか」
 声に振り返ると、フォルトが立っていた。
 確か会議が終わった後も、カルロスやブリンナーと共に仕事をしているはずだったが……。
「二人には内緒にして下さいね。少し息抜きと言って抜け出してきたんですから」
 ラティスの心の声が聞こえたわけでもないだろうが、フォルトはそう言ってからラティスの隣に腰を下ろす。
「知ってましたか? カルロス君とルティーナ君はフィルスーン解放軍ができる前からの知り合いで……言うなれば幼馴染みなんですよ」
「へえ、そうなんですか」
 ラティスがうなずくと、フォルトは人の悪い笑みを浮かべる。
「それどころか、カルロス君は昔からルティーナ君の事が好きらしいですよ。もっとも、ルティーナ君の方は相手にしていないみたいですけど」
「はあ……」
 ラティスは生返事をする。
 そんな話をされても、どう答えればいいのか全然わからない。
 だけど……。
「……もしかすると、そういう事なんでしょうか」
「なんですか?」
「カルロスさんが鷹獅子騎士団を敵視するのは、ルティーナが鷹獅子騎士団のせいで危ない目に遭ったからなんでしょうか?」
「いや、そういう事じゃなくて……はあ、ルティーナ君も可愛そうに……」
 フォルトは何やらため息混じりにつぶやく。
 ラティスはますます何がなんだかわからなくなった。
 ふうっと息をついて気を取り直した後、ラティスは切り出す。
「ひとつ聞いていいですか?」
「何ですか?」
「フォルトさんはどうしてフィルスーン解放軍を作ったんですか?」
「………」
 フォルトからの返答はすぐにはなかった。
 ぽかんと口を開けている。
「……本当は反乱軍なんて柄じゃないんですけどね」
 しばらくして、フォルトが照れた表情で言う。
「無力な村の人達が身を守るために、どうしても武装して、団結する必要がありました。ですがエルラザ帝国は正規軍以外と地方領主の軍隊以外の軍隊を、全て反乱軍と見なしています」
 そしてフォルトは、本来はエルラザ帝国軍の仕事を自分達でやっているだけなのに、と付け加える。
「好きで反乱軍になった訳じゃありません。自分達の身を守るために武装して、その結果、反乱軍と呼ばれるようになりました。ただそれだけの事です」
 言い終えて、フォルトはにこりと笑う。
「……こういう答えで良かったでしょうか?」
「ええ、ありがとうございます」
「それじゃあ、そろそろ行きますね。あんまりのんびりしているとカルロスに殺されてしまいますから」
 物騒な事を言って、フォルトは去っていった。
 ラティスに笑顔を向け、大きく手を振って。
 再び一人になったラティスはひとつため息をつく。
 武装して団結する方法を教えればそのリーダーになる事を請われ、引き受ければ今度は反乱軍呼ばわりされる。
 きっと本人はそんな事は望んでいないのに、もっとのんびりと過ごしたいだけなのに、気が付くとどんどんと事態が大きくなっていく。
 そういう巡り合わせなのだろうか?
 もっと悲観してもおかしくない状況なのに、本人は忙しい忙しいとぼやきながら、笑って仕事をこなしている。
 望んだ状況ではないのに、結構楽しんでいるのかも知れない。
 羨ましい。
 正直にそう思えた。
 自分も望んだ物とはかけ離れた状況にある。
 アークザット将軍に助けられ、幸運にも彼の元で戦えるようになったのに、今はそれとは正反対の状況、フィルスーン解放軍の一員となっている。
 いつかフォルトのように笑えるのだろうか?
 この戦いの果てに、自分はどんな答えに巡り会うのだろう?
 そんな風に、ラティスは思った。

 巨竜騎士団との実りのない対峙が始まってから一ヶ月が過ぎたある朝の事だった。
 いつにない騒がしさに目を覚ましたラティスは、天幕を出て唖然とした。
「霧……」
 辺りには深く白い霧が立ちこめ、いつもは柔らかい朝陽に照らされて爽やかな朝を迎えるフィルスーン解放軍の陣地が、さながら年老いた魔女が住む呪いの森を思わせた。
 ざわめく胸を押さえながら、数十メートル先の視界さえ覚束ない霧の中を、ラティスはフォルトの天幕へと急いだ。

「遅いぞ! ラティス!」
 天幕に入るなり、カルロスの怒声が響いた。
 しかしフォルトの方は至って呑気な物で、まあまあとカルロスを宥めている。
 ラティスが現在の状況を尋ねると、ブリンナーが答えてくれた。
「この霧だ。いつ敵軍が攻撃してきても直前まで気付けない。今は全軍に臨戦態勢を整えさせているところだ」
「それから、リモルトとバーノンに使者を送りました。軍を動かさないように伝えます」
 フォルトは慎重策を選んだようだった。
 霧の中で軍隊を動かしても、不意は突けるかも知れないが、道に迷ったり脱落者を出す恐れがあった。
 それに敵軍の動向も掴めないし、友軍と連携を取る事さえ不可能に近い。
「こんな状況で軍を動かすなんて無謀です」
 フォルトの視線がラティスからカルロスに移った。
 カルロスは憮然とした表情で視線を逸らしている。
 どうやら本心では軍を動かしたいらしい。
 しかしそれが無謀である事を知っているのか?
 それともフォルトに説得されたのか……?
「我々は一ヶ月待ちました。もう一日くらい待ってもいいでしょう」
 フォルトはのんびりとした声で締め括った。
 また状況の変化を待つ日々が続くのか。
 全員が拍子抜けしつつそう思った時だった。
「大変です! リモルトの軍がいません!」
 息を切らせて天幕に飛び込んできた男は、リモルトの元に送り出した使者だった。
「それは確かか!?」
「は、はい! リモルト軍の陣営はもぬけの殻で、人っ子一人いません!」
「………」
 一同の視線がフォルトに集まる。
 フォルトの表情がいつになく険しくなっている。
「まずはバーノンの元に送った使者が戻ってきてから……」
 絞り出すように、言った。
 程なく、もう一人の使者も帰ってきた。
 全く同じ内容の報せを携えて。
「………」
 一同は押し黙った。
 沈黙を破ったのはカルロスだった。
「……奴ら、示し合わせていたのか?」
「かも知れん」
 うなずくブリンナー。
 エステー川では、季節によって希に深い霧が立ちこめる事がある。
 リモルトやバーノンはそれを狙って、一ヶ月に渡る長い睨み合いを続けていたのかも知れない。
「……出撃の準備を」
 重い声で言って、フォルトは立ち上がった。
 決して楽な状況にあるとは、誰も思っていなかった。

 出撃体勢を整えた後、フォルトの前にフィルスーン解放軍の主立った者達が集まっていた。
 カルロスやブリンナーより下の中隊長クラスの者も集まり、フォルトの前に整列している。
「はっきり言って、状況は不利です」
 フォルトは正直に言った。
「リモルトとバーノンの軍は勝手に行動を起こし、恐らく巨竜騎士団に攻めかかって、不利な状況にあると思われます」
「……不意を突かれた巨竜騎士団が押されている可能性はありませんか?」
 中隊長の一人が言った。
「だったら楽でいいんですがね」
 苦笑いでフォルトが言い、一同もつられて笑った。
 慎重な巨竜騎士団のバーンスタイン将軍の事だ。
 これだけ深い霧が立ちこめて、奇襲の可能性を危惧しないはずがない。
 後は兵力、兵士の練度、共に勝り、さらに防御戦の強さについては大陸最強を謳われる巨竜騎士団が後れを取るはずがない。
 ましてリモルトとバーノンの軍は視界の悪い霧の中を強行してきたのだ。
 勢いはあっても統率は取れていないだろう。
「本当はすぐにでも動きたい所ですが、それではリモルトやバーノンの二の舞です。霧が晴れるのを待ってから動きます」
 フォルトは一度、一同を見渡す。
「目標はリモルト、バーノンの両軍の救出です。本来なら二人が自滅しようが相打ちになろうが気に病む事はありませんが、我々だけでは巨竜騎士団に太刀打ちできませんので」
「………」
「リモルト、バーノンの失態による損失を最小限に抑えて、また我慢比べのやり直しです。まず今日のところは負けない事を考えましょう。勝つのはまた後で考えればいい事です」
「………」
「状況は圧倒的に不利ですが、いい材料がひとつだけあります。それが我々の存在です。この霧の中ですから、バーンスタイン将軍も我々の状況は把握できていないと思われます」
「………」
「恐らく全軍を挙げて、我々フィルスーン解放軍も奇襲に加わっていると思い込んでいる事でしょう。付け入る隙がそこにあります。我々の動き次第で、いくらでも戦局が変わる余地があります」
 このエステー川流域の支配権を巡る戦いにおいて、わずか一万のフィルスーン解放軍がにわかに重要な役割を占める事となった。
 身が引き締まる思いで、一同は霧が晴れるのを待つ。

 同じ頃、麾下の軍勢を指揮するバーノンは歯ぎしりしながら戦況を見守っていた。
 深い霧に身を隠して奇襲を仕掛けたのに、巨竜騎士団はまるで霧の向こう側を見透かして奇襲を知っていたように、強固な迎撃体勢を整えていた。
 バーノンの軍がいくら突撃を仕掛けようと、巨竜騎士団はそれを取り込むように受け止め、じわじわと殲滅していく。
 わずかに戦列に綻びが見えても、すぐに後方の兵士が前進して綻びを繕っていく。
 霧は少しずつ薄れてきたが、バーノンは自軍の惨憺たる状況を見せ付けられただけだった。
 ……退くか?
 バーノンの脳裏に弱気がのぞく。
 しかしすでに時遅く、巨竜騎士団に深く食い込んでしまっているため、退却するためには多くの兵士を見殺しにする事になる。
 さらに後背のエステー川を越える時にさらに多くの犠牲を強いられるのは明白だった。
 恐らく、ほぼ同時に攻め込んだリモルトの軍も同じような状況だろう。
 もはや退く事も進む事も叶わぬ。
 しかし一軍の指揮官として、決断を下さねばならない時が近付いているようだった。
 このまま無駄な突撃を繰り返すか?
 追撃による多大な損害を覚悟で、一度軍を退くか……?
 バーンスタインも知っていたのだろうか?
 エステー川流域では深い霧が立ち込める事があるのを。
 そして川越しに睨み合いを続けながら、霧が出るのを、霧を引き裂いて我々が奇襲をしかけてくるのを、一ヶ月もの間、じっと待っていたのだろうか?
 もしそうなら、自分達は最初から最後までバーンスタインの手の平で踊らされた事になる……。
 その時だった。
 何人かの兵士が声を上げた。
 吊られてバーノンも視線を向ける。
 そして見付けた。
 霧が晴れたエステー川を越え、矢のように進軍するフィルスーン解放軍の姿を。

 リモルトとバーノンの両軍を救う事を目的としたフィルスーン解放軍は、軍隊を二つに分けた。
 片方がフォルトとブリンナーが率いる部隊で、リモルトの軍を救う。
 そしてもう一方がカルロスが率いる部隊で、バーノンの軍を救う事を目的とし、その中にはラティスの姿もあった。
 そして、両部隊は巨竜騎士団の陣営のただ中に突撃していった。

 カルロスと並んで、ラティスは巨竜騎士団の軍旗と鎧の渦に飛び込んでいく。
 たちまち規則正しく並んだ槍が向けられる。
 カルロスとラティスは剣で槍の穂先を切り払い、巨竜騎士団の兵士を切り捨てる。
 身を包む厚い鎧も、関節部はどうしても無力になる。
 そこを狙って、二人は剣を振るった。
 しかし巨竜騎士団も指をくわえて二人に切られるままにはされない。
 二人を狙って、多方向から同時に槍が繰り出される。
 身をかわしている余裕はない。
 致命的な鎧の隙間を狙った攻撃を避け、厚い部分で受け止め、弾き返す。
 そうしている間にも、巨竜騎士団の空いた軍列は後衛が前進してきて埋められる。
「無闇に突き進むな! 孤立するぞ!」
 カルロスの怒号が響く。
 そう、今回の戦いの目的ははリモルトとバーノンの両軍の退却を支援する事。
 巨竜騎士団を壊滅させる事ではない。
 一方、バーノンの軍では退却の命令が伝わり始めたようだ。
 命令の声がラティスの耳にも届き始めた。
 しかし巨竜騎士団は易々と退却する事を許さない。
 フィルスーン解放軍の奇襲を受けてなお、浮き足だって陣列を崩す事もなく、バーノンの軍の包囲を決して緩めない。
 そこでカルロスは目標を変えた。
 目の前の巨竜騎士団との戦いは他の者に任せ、自らは何人かの部下を率いてバーノンの軍の包囲網の一角を攻撃させる。
 バーノンの軍との戦いに集中していた巨竜騎士団は、さすがに別方向からのフィルスーン解放軍からの攻撃には対応しきれない。
 たちまち軍列を崩しかけたところに、バーノンの軍の退路を確保する。
「ここは俺達に任せて、さっさと逃げろ!」
 カルロスが叫び、バーノンの軍の兵士は口々に礼を言いながら退却していく。
 中には退却を渋る兵士もいた。
「バカ野郎! お前達が早く逃げないと、バーノンの本隊も退却できないんだぞ!」
 カルロスに一喝され、慌てて退却を始めた。
 巨竜騎士団も、バーノンの軍が退却するのを静観しているわけではない。
 崩れた陣列を補強し、バーノンの軍の退却を阻止するため、新たな兵士が後方から送り込まれてくる。
 その前に立ち塞がるフィルスーン解放軍の面々に混ざって、鷹獅子騎士団の鎧を着た姿がひとつ。
 ラティスだった。
 悠然と馬を進ませると、抜き放った剣をかざし、巨竜騎士団が隙間なく並べた槍の列に躍りかかっていく。
 銀光が一閃し、数本の槍の穂先を切り落とす。
 ただの棒切れになった隙間に馬を割り込ませ、再び剣を振るう。
 疾風と化した剣は、一閃する度に巨竜騎士団の兵士の命を奪い、血飛沫が高く上がった。
 巨竜騎士団はラティスの攻撃に押されながら、それでも隊列を動かし、ラティスを包囲しようとする。
 ラティスも巧みに馬を操って死角から攻撃されないように動き、一方で他のフィルスーン解放軍の兵士と連携して、それぞれ一対多数を作らないように戦う。
 そうしている内に、近くのバーノンの軍の兵士をあらかた退却させたカルロスが戻ってきた。
「なかなかやるな」
 カルロスはラティスの肩を叩いて、ニヤリと笑う。
 吊られてラティスも笑みを返す。
 再び体勢を整えつつある巨竜騎士団を見て、笑っている場合じゃないのに、と思って表情を引き締める。
 戦いはまだ、始まったばかりだった。

 それなりに損害を出してはいたが、フィルスーン解放軍は着実にリモルトとバーノンの軍を撤退させていった。
「ラティス、あれを見ろ」
 馬を並べるカルロスが声をかけてきた。
 悠然と巨竜騎士団の軍旗を風になびかせ、整然と槍を並べている。
 フィルスーン解放軍に激しく攻め立てられてなお一糸乱れぬ統率ぶりを見せる巨竜騎士団の中で、最も強固で揺るぎない場所。
「バーンスタイン将軍……」
 アークザットと並ぶ、エルラザ帝国正規軍の頂点に立つ、四人しかいない将軍の一人。
 重装歩兵が中心の巨竜騎士団の中にあって、数人の男が馬に乗っており、一際雄偉な体格の男がバーンスタイン将軍その人なのだろう。
 どんなに多数の敵に囲まれてもなお、一糸乱れぬ統率を見せる巨竜騎士団の頂点に立つに相応しい、威風堂々とした偉丈夫だった。
 ラティスやカルロスの元からそう遠くない距離に、彼はいた。
 彼一人。
 彼一人倒してしまえば、一ヶ月にわたるこの戦いに終止符を打てる。
 しかし……。
「残念ながら、今日のところはご尊顔を拝むだけで我慢しなきゃいけないがな」
「………」
 この強固な巨竜騎士団の中枢部だ。
 簡単に突き崩せる物とも思えなかった。
 それに今回の戦いの目的はリモルトとバーノンの軍を円滑に撤退させる事だ。
 そしてそれはほぼ達成されつつある。
「よし、そろそろ潮時だな」
 あまりぐずぐずしていると、撤退の機会を失ってしまう。
 リモルトとバーノンの軍が混戦を抜け、まだ逆撃の構えを見せている内にフィルスーン解放軍も撤退しなくてはならない。
 カルロスが退却の命令を下す、まさにその瞬間だった。

 一陣の風が吹いた。
 馬上のラティスが思わずバランスを崩してしまうような、強い突風だった。
 ほとんどの者にとって、せいぜい転びかけたとか、数歩たたらを踏んでしまったとか、その程度の事だった。
 しかしそれだけではすまない者達もいた。
 バーンスタイン将軍の元で、天高く掲げられた巨大な軍旗だった。
 強固で揺るぎない巨竜騎士団を象徴するに相応しい、豪華な刺繍に飾られた巨大な軍旗。
 しかしそれを支えるのは数人の兵士に過ぎない。
 ほんの短い間だけ吹いた突風に、彼らは巨大で重い軍旗を支えきれず……倒れた。
 ラティスはそれを遠くに見ていた。
 ほんの数瞬、脳裏に様々な考えがよぎり、そして……。
 気が付くと、馬を走らせていた。
「おい! ラティス! 待て!」
 カルロスの声が追いすがってくる。
 しかし声はラティスの後ろ髪を捕まえるどころか、追い付く事さえできなかった。

 倒れた軍旗の元を、つい誰もが注視していた。
 そこをラティスただ一人が馬を駆り、バーンスタイン将軍の元へと突き進んでいく。
 数人の巨竜騎士団の兵士がラティスの接近に気付き、槍を構えて彼の突撃を防ごうとする。
 しかしとっさの対応では為す術もなかった。
 それらをラティスは剣で切り落とし、あるいははね除け、一直線にバーンスタイン将軍の元に駆けていく。
 その頃にはバーンスタイン将軍の直属の兵士も混乱から立ち直り、槍を揃えてラティスを待ち構えている。
 それでもラティスは勢いを殺さずに突き進んでいく。
 そのまま槍に貫かれると思われた、その瞬間。
「ハッ!」
 ラティスの短い気合いの声と共に、馬は宙を舞った。
 呆気に取られる将軍直属の兵士達の頭上を軽々と飛び越える。
 バーンスタイン将軍はちょうど自らの上に覆い被さった軍旗の下から抜け出した時だった。
 ようやく重い軍旗から解放されて、状況を確認しようとした彼の目に、一体となった人馬のシルエットが飛び込んでくる。
 ようやく高くなりつつあった太陽を背にした、ラティスの姿だった。
 声を上げるヒマももどかしく、バーンスタイン将軍はとっさに身体を反らせる。
 二人の影が交錯する。
 一閃!
 ラティスの手にした剣はしかし、半瞬前までバーンスタイン将軍の首があった空間を薙いだだけにとどまった。
 兜のてっぺんにあった羽根飾りだけが、虚しく宙を舞う。

 しくじった!
 突然の強風がもたらした千載一遇のチャンスは、かろうじてラティスの手からこぼれ落ち、バーンスタイン将軍の兜の羽根飾りを切り落とすにとどまった。
 ラティスが歯がみしながら馬を立て直す頃には、駆け寄ってきた愛馬に跨り、バーンスタイン将軍も馬上の人になっていた。
 一方、カルロスも部下を引き連れてラティスを追いかけていて、ラティスとバーンスタイン将軍の周りはすでに混戦模様を呈していた。
「小僧、やるな……」
 バーンスタイン将軍の口許に笑みが浮かぶ。
 突風のために、巨竜騎士団の軍旗は倒れた。
 そのスキを突いたラティスのために、バーンスタイン将軍の周りを固める一角も崩された。
 しかしそれでもなお、巨竜騎士団の頂点に立つ、バーンスタイン将軍自身は健在だった。
 揺るぎなく、そこに立って小賢しい反乱軍の少年を睨み付けていた。
「しかしその鎧……ふん、鷹獅子騎士団にも不幸な輩がいたようだな」
 不幸な鷹獅子騎士団の騎士の鎧を、ラティスが奪った物と思ったらしい。
 それから大きく息を吸い込み、戦場全体に轟く大音声で宣言する。
「この小僧は俺の獲物だ! 手出しは無用!」
 そして自らの武器を手にする。
 腕の長さほどの握りの先に、長い鎖とトゲの付いた巨大な鉄球を備えた武器、モーニングスターだ。
 バーンスタイン将軍はそれを頭上で旋回させる。
 じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ……。
 鎖が軋んだ、不吉な呻き声を上げる。
 二人の周りではフィルスーン解放軍と巨竜騎士団とが入り乱れて戦いを繰り広げながら、一定の距離を空けている。
 古の闘技場で繰り広げられた、剣闘士奴隷の殺し合いの様相を呈していた。
 ラティスがバーンスタイン将軍を倒し、フィルスーン解放軍に勝利をもたらすか?
 バーンスタイン将軍がラティスを倒し、カルロスらもそのまま乱戦の後に討ち取り、フィルスーン解放軍を全滅させるか?
 もはや退く事のできない状況に追い込まれている。
 あの時、バーンスタイン将軍のわずかなスキに付け入ろうとしたばかりに。
 そして将軍を仕損じたばかりに。
 ラティスの胸に後悔が走る。
「来ないならこっちから行くぞ!」
 バーンスタイン将軍が吼え、モーニングスターが唸りを上げて襲い来る。
 ラティスは馬を操り、モーニングスターの旋回半径から逃れた。
 代わりに二人から離れて戦っていた巨竜騎士団の兵士が巻き込まれ、重い鉄球は兜ごと頭を砕き、血と脳漿を撒き散らした。
 じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ……。
 再びモーニングスターが旋回し、不吉な呻き声を上げる。
 剣を構えながら、ラティスは注意深く、死を撒き散らす鉄球の動きを伺う。
 退く事ができないなら……。
 バーンスタイン将軍が繰り出したモーニングスターが、今度は真正面からラティスを襲う!
 進むのみ!
 モーニングスターが繰り出された瞬間、ラティスは馬を走らせる。
 馬上で身を伏せたラティスのすぐ上を、鉄球が唸りを上げて通り過ぎる。
 擦れ違う風圧の強さによろめきながら、距離を詰めていく。
 その時、背後に不吉な気配を感じて、ラティスはとっさに馬を横に跳ねさせた。
 一瞬前までラティスが馬を走らせていた軸上を、恐るべき勢いで鉄球が戻ってきていた。
 真っ直ぐに投げた鉄球を、そのままの勢いで引き戻す。
 よほどの膂力がないとできない技だ。
 かろうじて攻撃をかわしたラティスだったが、馬は体勢を崩していた。
 そのスキを見逃すはずもない。
 三度、鉄球が襲う。
 鉄球を迎え撃ち、剣を打ち込むラティス。
 重い鉄球に立ち向かうには細すぎる剣は、乾いた音を立てて先端が折れ飛ぶ。
 それでも勢いは削がれていた。
 鉄球はラティスの肩口をかすめ、バーンスタイン将軍の手元に戻っていく。
 再び距離を空け、対峙する二人。
 じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ……。
 バーンスタイン将軍の頭上で旋回を始めるモーニングスターから注意を逸らさないまま、ラティスは誰が使っていた物か、地面に突き刺さっていた騎兵槍を抜き、構えた。
 バーンスタイン将軍はせせら笑う。
「ふん、剣よりは長いから有利だろうが……俺の身体を貫くより先に、その頭を打ち砕く方が先だぞ!?」
「………」
 バーンスタイン将軍の挑発に、しかしラティスは乗らない。
 注意深く騎兵槍を構えたまま、バーンスタイン将軍の出方を伺う。
「小僧! これで終わりだ!」
 わずかに距離を詰め、モーニングスターを解き放つバーンスタイン将軍。
 寸分違わず、鉄球は横殴りにラティスを襲う。
 しかしバーンスタイン将軍が動くと同時にラティスも馬を進ませていた。
 距離を詰めて鉄球をかわしても、今度は鎖が襲いかかってくる。
 それに対応するラティスの動きは驚くべき物だった。
 手にしていた騎兵槍を地面に突き立てると、自らは身体を丸めてその上に立ったのだ。
 鎖は騎兵槍にぶつかると、そのまま騎兵槍に巻き付く。
「なっ……」
 バーンスタイン将軍が短く息を飲む。
 これで彼が最も頼りにする武器は封じられてしまったのだ。
 もはやラティスを阻む物は何もない。
 ただそれが唯一の道筋であるように、モーニングスターの鎖が両者の間の空間を結んで横たわっていた。
 騎兵槍の上で身体を丸めた姿勢のまま、ラティスは腰の剣に手をかける。
 そして胸の中に空気を吸い込むと、それを身体の中で爆発させるように、全身のバネを使って騎兵槍を蹴って飛び出す!
「ちっ!」
 短い舌打ちをして、バーンスタイン将軍はモーニングスターの鎖を放り出し、腰の剣に手をかける。
 先ほどの再現のようだと、ラティスは思った。
 違うところはいくつもある。
 先ほどは突風で倒れた巨竜騎士団の軍旗のために不意を突かれたバーンスタイン将軍も、今は油断していない。
 そしてラティス自身、戦友と言ってもいい乗馬の背を離れ、先の折れ飛んだ剣を手に、身体ひとつで決死の攻撃を仕掛けている。
 しかし……。
 今度はしくじらない!
 すでに眼前にはバーンスタイン将軍の剣が迫っていた。

 甲高い金属音が響き渡り、戦場は静まり返った。
 誰もが申し合わせたように剣や槍を握る手を止め、周囲から切り取られたような空間の中心に目を向ける。
 少し遅れて、兜が地面に落ちて乾いた音を立てた。
 鷹の意匠を凝らした、鷹獅子騎士団の兜。
 つい先ほどまでそれを被っていた本人は、地面を一転して起き上がった後、油断なく剣を構えていた。
 その視線の先に、バーンスタイン将軍がいた。
 ラティスに向かって剣を繰り出した体勢のまま、彫像のように動きを止めている。
「み、見事……だ……」
 バーンスタイン将軍の口から声が漏れる。
 そして声が止まった一瞬の後、剣を繰り出した姿勢のまま、どうっと音を立てて地面に倒れ落ちた。
 割れんばかりの歓声が沸き起こった。
 フィルスーン解放軍とバーノンの軍の、歓喜の声。
 そして将軍を失った巨竜騎士団の、悲痛な叫び声。
 剣と剣とがぶつかり合う音が再び戦場に響き始める。
 そしてその中に撤退を呼びかける号令が混じり始め、それも次第に遠ざかっていく……。
「………」
 それらを呆然と眺めていたラティスだったが、やがてぽんと背中を叩かれて我に返った。
 カルロスだった。
「やったな、大手柄だぞ」
 そう言って拾ってきた兜をラティスに手渡す。
「え……あ、うん……」
 そしてカルロスが巨竜騎士団追撃のために走り出して、ラティスもそれを追って駆け出した。

 一ヶ月後、見事に巨竜騎士団を打ち破ったフィルスーン解放軍は、凱旋を果たした。
 フォルトを始めとするフィルスーン解放軍の面々は、それぞれに負傷し、泥や返り血で汚れた姿ながら、馬上で誇らしく胸を張っていた。
 そんな彼らを、人々は盛大な拍手と歓呼の声で出迎える。
 カルロスが大きく手を振って応えると、一際歓声が大きく盛り上がった。
「ラティスお兄ちゃん!」
 群衆の中から小さな人影が飛び出してきた。
 声を聞き付けたラティスは、慌てて馬から飛び降りる。
「こら! リアナ!」
 しかし少女は勢いを緩める事なく、そのままラティスの身体に飛び付いていく。
「ラティスお兄ちゃん、お帰り」
「こら、汚れるぞ」
「汚れたっていいもん。ラティスお兄ちゃんが無事に帰ってきてくれたんだから」
「しょうがないなあ……」
 ラティスは苦笑いして、リアナの髪を撫でてやる。
 その時、もう一人の少女が近付いてきた。
 ルティーナだった。
「お帰りなさい、ラティス」
 そう言って微笑むと、さらにもう一歩、踏み出す。
「え? あっ……」
 ラティスが声をかけるより早く、ルティーナが抱き付いてくる。
 ちょうど間にリアナを挟み込むような形になった。
「………」
 少しの間、戸惑ったラティスだったが、やがてルティーナの肩に優しく手を乗せる。
「ただいま……リアナ、ルティーナ」
 そっとささやくように言った。

二人の英雄「エステー川の戦い」 了
第3話「少年の日の夢」へ続く


あとがき

 ど〜も、wen-liです。
 「エステー川の戦い」いかがだったでしょうか。
 今回はフィルスーン解放軍に移籍したラティス君、最初の戦いで大手柄です。
 第1部の第3話では目立たなかったんだけどなあ。
 というわけで次回の第3話を挟んで急展開、一路感動の大団円まで突き進んでいく予定です。
 乞うご期待!
 短いけどこの辺で!

 でわでわ。


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