二人の英雄 第1部・鷹獅子騎士団編
第4話「夜明けは戦場に下りる」
カルリーク候とワークリフト、ヴィルレインらの反乱勢力と鷹獅子騎士団の間で繰り広げられた戦闘は、鷹獅子騎士団の勝利に終わった。
ヴィルレイン軍は戦闘の初期において、友軍と分断されて、鷹獅子騎士団の猛攻に耐えかねて潰走した。
残るはワークリフト軍とカルリーク軍だったが、これもワークリフト軍の猛将バルクスの戦死とカルリーク候の醜い裏切りにより、壊滅した。
結果、カルリーク候は鷹獅子騎士団の手で処刑され、ワークリフトとヴィルレインはわずかな手勢を率いて退却していった。
この地方一帯における反乱勢力の脅威はほぼ取り除かれた事になるが、まだ合流したワークリフトとヴィルレインの敗残兵が残っている。
その数はおよそ五千と推測され、山間に兵力を展開していた。
三万を擁する鷹獅子騎士団から見れば物の数ではないが、放置しておけば成長して一大勢力となりうる。
およそ滅ぼすべき敵勢力に事欠かない鷹獅子騎士団だったが、今回は徹底的に残党狩りをしていくべき状況だった……。
山間を進む小集団の中に、ラティスの姿があった。
馬上に背を伸ばして、少年のような顔立ちに相応しくないしかめっ面で正面を見ていたが、ふと視線を横に向けた。
一人の少女が暗い顔で馬を並べているのを見て、ラティスはため息をつきたくなった。
自分の鷹獅子騎士団での初陣の時に知り合って以来、何度となく言葉を交わしてきたつもりだったが……彼女が何を考えているのか、今でもよくわからない。
反乱勢力が潜む山間はほとんどを森林に覆われ、大きな街などは存在しない。
それでも小さな村がいくつか点在していて、鷹獅子騎士団が反乱勢力の掃討戦を行えば、逃亡兵が村に被害を与える可能性があった。
それを防ぐために、鷹獅子騎士団は兵力の一部を裂いて、村を守らせる事にした。
そしてその部隊の隊長の一人にラティスも選ばれ、これから守るべき村に向かっているところである。
わずか百騎程度の小集団に過ぎないが、まだ若く、鷹獅子騎士団に入団してからの年月も浅く、貴族の出身でもない自分である。
アークザットの期待には身が引き締まる思いだが、一方で自分より年長か経験豊富か、あるいはその両方という者が大半を占める小集団のトップに立つ事には戸惑いを感じるのだった。
そして。
自分より年下だが、鷹獅子騎士団での来歴は長い少女が、馬を並べている。
少女の名はシェリナ。
今回の任務ではラティスの副官を務めている。
鷹獅子騎士団の副将の一人、レイバートがやけに積極的に薦め、アークザットも苦笑混じりに認めた人事だったが、今のところ大過なく任務をこなしている。
ラティスの初陣以来、何かと縁の多い彼女だが、今ひとつ、彼女の事を理解できないでいる。
先日も大きな戦闘の後、理由もわからないままに勝負を挑まれ、斬り付けられたばかりである。
お互いに怪我ひとつなかったから良かったが、未だにその件はうやむやのままである。
「ラティス隊長」
厳しい響きを含んだ声がかかった。
声をかけたのはリナールであった。
整った容貌の青年で、経験、年齢、信望など、おそらくあらゆる面でラティスより格上である。
本来なら隊長を務めると目されていた男だが、副隊長にとどまっている。
「見えてきました。あの村ですね」
「ああ」
ラティスは短く答える。
リナールの指す先にある、小さな名もない村。
それが今回の戦いの舞台だった。
村に着いたラティスは、シェリナとリナールだけを連れて村に入った。
途中、道を歩いていた男を捕まえて村長の家までの案内を頼み、村の中を歩いていく。
しばらく歩くと、リナールが近寄ってラティスに短く耳打ちした。
「……歓迎されていないようですね」
「……そうだな」
ラティスも短く答える。
通りを行く村人はほとんどいない。
しかし家々の窓や戸口からはこちらの様子を恐る恐るうかがっている人々の姿が見え隠れしていた。
ラティスはふと隣を歩くシェリナを振り返る。
シェリナはいつになく緊張した面持ちで辺りをうかがっているようだった。
そして村長の家に着いた。
三人を出迎えた村長は頭髪も髭も真っ白な老人だった。
しかしラティスらを値踏みするようににらみ付ける眼光の鋭さからは、年齢による衰えを一切感じさせない。
丁寧に礼をした後、ラティスは用件を伝えた。
もうすぐ反乱勢力と鷹獅子騎士団との戦いが始まり、この村に反乱勢力の残党が来る恐れがある事。
自分達は反乱勢力の残党が村に被害を与えないようにするために来た事。
そして村に一切見返りを求めない事……。
ラティスがその事を話し終えると、村長は鷹揚にうなずいた。
「断って痛い目に遭うのは儂らじゃからな」
しかし村長がラティスらをにらみ付ける視線は、変わらない鋭さを持っていた。
「官軍も反乱軍も何も変わらない。自分勝手に戦争を始めて、さもそれが儂ら民衆のためのように言い立て、恩を着せようとする」
「何だと!」
リナールが怒声を上げ、腰の剣に手をかけた。
しかし一瞬早く、ラティスの手がそれを制した。
「リナール、やめないか!」
「しかし隊長……」
「ふん、だから官軍も反乱軍も何も変わらないというのだ。自分の都合が悪くなると、力ずくで相手の口を塞ごうとする」
「貴様、言わせておけば……」
「リナール、落ち着け! 僕らは何のためにここに来た? この村を守るためだろう?」
「………」
リナールはようやく半ばまで抜きかけた剣を鞘に収めた。
しかし不承不承という様子で、納得しきっていないのは明らかだった。
お騒がせして申し訳ありません、やや早口に言って、ラティスはリナールを引きずるようにして村長の家を出ていった。
村に通じる道は二本で、それぞれ東西に延びている。
その内の片方、これから戦場になるであろう、東に延びている道に陣地を敷く事にした。
軽装の騎兵による、機動力を生かした戦法を得意とする鷹獅子騎士団だったが、今回は普段と違う戦い方を採った。
丸太を組み合わせた柵を作り、さらに落とし穴も掘る。
得物もいつもの騎兵槍ではなく、機械仕掛けで矢を射る弩に、接近戦のための剣だった。
完全な防衛戦のための備えである。
「ラティス」
備えが終わり、一息ついているラティスに声がかけられた。
顔を上げると、予想通りシェリナが立っていた。
「あの時、よく怒らなかったな」
「………」
「村長の家で、だ」
「ああ……」
「お前はアークザット将軍に心酔しているからな。あんな事を言われたら、真っ先に怒ると思っていた」
「……そうだね」
ラティスはうなずいた。
「僕も少し前までは、あの村長と同じ事を考えていたからね」
小さな村に生まれたラティスにとって、反乱軍も正規軍も変わりはなかった。
そもそも生産拠点を持たない反乱軍は、村にあるわずかな食糧と女達を手に入れるために、無力な村人の血を流す事をためらわなかった。
無力な人々を守るのが役目の正規軍でさえ、反乱軍から守る見返りを要求してきり、時には自ら略奪を働く事もあった。
エルラザ帝国から補給を受ける身の彼らであったが、その補給でさえ滞りがちだったのである。
そんな中でただ一人、違う、と言える人物がアークザットだった……。
「だから……あんな風に言われるのは仕方ないと思う」
「そうか……」
「シェリナこそ、よく怒らなかったね」
「ああ、そうだな」
シェリナはくすっと人の悪い笑みを浮かべた。
「リナールの方が早かったからな」
もしリナールがいなかったら、剣を抜きかけてラティスに止められるのは、リナールではなく自分だっただろうな、と人の悪い笑みは崩さずに付け加える。
ラティスはシェリナの笑みにつられるように笑った。
先日から冷戦状態にあったのだが、ほんの些細なきっかけで話ができて、それだけで冷戦状態は解消してしまったようだ。
ラティスにはそれが嬉しかった。
「隊長〜〜〜!!!」
しかしその時、遠くからラティスを呼ぶ声が聞こえてきた。
「やれやれ休憩時間も終わりか」
ラティスは立ち上がり、鎧に付いた土埃を払った。
そして隊長の表情に戻って、走ってきた騎士を迎えるのだった。
ラティスとシェリナがそこにたどり着くと、すでにリナールと見知らぬ若い女性……とは言ってもラティスやシェリナよりは年上であったが……が待っていた。
ラティスが手短に自己紹介すると、女性はまだ若いラティスが隊長である事に驚き、戸惑ったようだったが、それでも俯きがちになりながら事情を説明する。
彼女には七歳の息子と六歳の娘がいるという。
二人はいつものように村の外の森まで遊びに行ったのだが……。
「いつもは陽が暮れる前に戻ってくるのですが……」
「それがまだ戻ってきてない、と」
「はい。そうです」
消え入りそうな女性の声。
ラティスが西の空を見上げると、すでに太陽はその姿を半ばまで山の稜線に隠しつつあった。
いつもなら気にかけるほど遅い時間という訳でもないのだろう。
しかし今晩にも鷹獅子騎士団と反乱軍との戦いがある。
万が一、巻き込まれたら……。
ラティスはふとリナールの方に目をやる。
予想通り、渋い顔でこちらを睨んでいる。
そんな顔をされるまでもなく、リナールの言いたい事はわかっていた。
「あの……どうか子供達を……」
「わかりました。微力ですがお力になりましょう」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます……」
女性は何度も何度も頭を下げる。
ラティスはふと横を見る。
リナールが相変わらず渋い表情を保っているのを見て、ため息をつきたくなった。
「安請け合いしてよろしかったのですか?」
子供達が行きそうな場所を聞いてから女性を家に帰すと、間髪を入れずにリナールが詰め寄ってきた。
「安請け合いなんかしてないよ」
「そうでしょうか?」
リナールは言う。
「あの女だって、村長と同じように我々に敵意を抱いていたはずだ。それなのに自分の子供が危ないとなると、尻尾を振って我々に媚を売る」
「……リナール、そんな言い方はないだろう?」
「下賤の者はいつだってそうだ。自分の身が安全な時は我々を愚弄するくせに、危なくなると手の平を返して我々に頭を下げてへつらう」
「………」
ラティスはため息をつき、頭を振った。
「確かに村長はそういう人物だった。だけど村長とあの女性を一緒にする事はないだろう?」
「………」
今度はリナールも黙り込んだ。しかし渋い表情を見れば、頭では理解していても納得できていないのは明らかだった。
「しかし隊長。我々の兵力とて決して余裕があるわけではありません。あまり大人数を割くと肝心の村を守る任務に支障を来たす恐れがあります」
「ああ」
「それに人選も重要です」
まず、山道に慣れていなくてはいけない。
そしてこの任務に不満を持たない者を選ばなくてはいけない。
リナール自身のように、村人に敵意を持っている者には務まらない。
また、手柄を立てられる可能性の低いこの任務を許せる者でなくてはならないのだ。
「わかった」
リナールが指折り数えるのに、いちいちうなずいていたラティスが言った。
「それなら僕が行こう」
「なっ……」
さすがのリナールも短く声を上げた。
「僕は元は猟師の子供だから、山道に慣れてる。自分で決めた任務には何の不満もない。これ以上の適任はいないだろう?」
「ですが、この部隊の指揮は……」
「リナール、君が執ればいい。本来なら僕じゃなくて君が指揮するべき部隊なんだ。問題ないだろう?」
「し、しかし……」
リナールは最初、戸惑っていたようだった。
しかししばらくすると、
「わかりました。部隊の指揮はお任せ下さい」
決然としてうなずく。
「それと、ラティス隊長が連れて行く部下の人選ですが……」
「それならいいよ。僕一人で……」
「ま、待てっ!」
ラティスとリナールの間に割って入る声があった。
シェリナだった。
「ラティス、待ってくれ。私も行く」
「………」
ラティスは少し考え込んだ。
リナールの方を伺い、苦笑混じりにうなずくのを見て、言った。
「よし、それじゃあ一緒に行こうか」
すでに陽は落ち、ラティスとシェリナが進む山道は闇に包まれていた。
陽射しが差し込む昼間であれば子供達の格好の遊び場になるのだろうが、今は木々の隙間からは暗闇がのぞき、邪悪な妖魔が手招きしているような、怪しげな空気が漂っていた。
頼りない足許を手にした松明で照らしながら、ラティスとシェリナは歩いていく。
シェリナは慣れない夜の山道に苦労しながら、それでも懸命にラティスの後ろを付いていく。
「ラティス、ちょっと話していいか?」
「いいけど……」
ラティスは肩越しに一瞬だけ振り返り、答える。
シェリナは軽く息を吸い、口を開いた。
「なあラティス、私達は……一体、何のために戦っているのだろう?」
「え?」
唐突な問いに、ラティスはすぐには答えられなかった。
「私は……ずっと家のために戦ってきた。
父上が死んで……私の他に、家のために戦う者がいなくなったから」
「………」
「だけど……手に血豆を作って剣の修行をしても、辛うじて鷹獅子騎士団の水準から落第しないだけだ。
挙げ句には、入ったばかりの猟師の息子にも助けられたり追い越されたりする始末だ」
「………」
いきなり自分の事が話題に上って、ラティスは罰が悪くなって頭をかいた。
もし後ろを振り返っていたら、シェリナのいたずらっぽい、悪気のない笑顔が見れたのだが。
「この鷹獅子騎士団だって……いくら戦って、どんなに反乱軍を壊滅させても、また新しい反乱軍が現われて、また次の戦場へと駆り出される。
いつまで戦い続けても戦乱は収まらない。
堂々巡りだ」
シェリナは首を左右に振る。
それから、やや控え目な声になって続ける。
「ラティス……今回のこの任務、どうして引き受けた?」
「………」
「この村にしろこれから迎えに行く子供にしろ、今、この危機を乗り越えたところで、またいつか新しい危険にさらされる事になるだろう。
その時に私達が守ってやれるとは限らないんだ。
それなのに……」
シェリナは一度、言葉を切った。
うつむいて息を吐き、それから顔を上げて、頭上の木々の枝の隙間からわずかにのぞく夜空を仰ぎ見る。
「それなのに……私達は何のために戦い続けているんだろうな……?」
シェリナは言葉は切り、ラティスの答えを待つ。
思うようにいかない現実と未来への不安。
少女が胸に抱えた悩みの一端に、ラティスはようやく触れる事ができた。
だけど……。
今の僕はシェリナのために、どんな言葉を伝えられるのだろう?
ラティスは思う。
そう簡単に答えを出せるような物ではない。
ラティスが言葉を探し、シェリナはラティスの答えを待って……夜の森に静寂が降りた。
しばらく無言の行軍が続いたが……。
ラティスがふと足を止めた。
「……どうした?」
シェリナも足を止めて小声で問いかける。
自分の胸の内の不安を打ち明ける弱気な少女の面影はもうどこにもない。
鷹獅子騎士団の一員に相応しい表情が、そこにはあった。
「今、向こうで何か動いた気がしたんだ」
ラティスは木々の隙間からのぞく暗闇を指さす。
「……動物か何かじゃないか?」
「かも知れない。でも……」
ラティスはそう言いながら、道を外れて森の中に分け入っていく。
木々の間隔は広く、下草も少ない。
少し進むと、この森に生える木としては一際大きな木があった。
その木を背にして、男の子が剣のように木の棒を構えて立っている。
「レイル君だね?」
「え?」
ラティスがしゃがみ込んで目線の高さを合わせて呼びかけると、男の子……レイルは惚けた表情になった。
「君のお母さんに頼まれてね。迎えに来たんだ」
「本当に?」
「ああ」
ラティスが笑ってうなずくと、レイルは安心したのか、木の棒を下ろして息を付いた。
「後ろにいる女の子……君の妹のレミちゃんだね?」
木の根本に女の子が座り込んでいた。
くじいたのだろうか? 小さな両手で足首を押さえている。
「妹を守っていたのか。偉いぞ」
「う、うん……」
ラティスが頭を撫でてやると、レイルは照れたように笑った。
「さて、と。まずは……」
ラティスはレミの方に歩み寄った。
足首の様子を確認し、簡単な応急手当をする。
「それじゃシェリナ、この子を頼む」
「わかった」
ラティスの手を借りて、シェリナはレミの小さな身体を背負った。
シェリナがふと気付くと、何やらレイルが幼い顔に険しい表情を浮かべてシェリナを見上げている。
目が合うと、レイルは言った。
「にーちゃん、レミの事、しっかり守ってくれよ!」
「に……」
一瞬、シェリナの顔が強張った。
しかしひとつ咳払いをすると、シェリナはしっかりとレイルの目を見て言う。
「わかった。任せておけ」
それから隣を見て笑いをこらえるラティスに気付き、シェリナは憮然とした表情を向けた。
二人の騎士と二人の子供で構成された一行は、村へ戻り始めた。
松明の明かりだけを頼りに、山道を進む。
最初は妹のように背負われる事を嫌がり、ラティスに手を引かれて自分の足で歩いていたレイルだった。
しかししばらく歩いて疲れてきたのか、結局はラティスに背負われる事になった。
やがて安心したせいもあったのだろう。
妹と同じように寝息を立て始めるのだった。
無言で足を進めるラティスとシェリナだったが、シェリナが背負ったレナの寝顔に顔をほころばせているのを見て、ラティスは声をかけた。
「たぶん……それでいいんだと思うよ?」
「え?」
「シェリナは今、どんな気持ちかな?」
「………」
「この子達が助かって良かったって、思ってるかな?」
「あ、当たり前だ!」
「だったらそれでいいじゃないか」
「………」
「今、この子達が安心して眠って、静かに寝息を立てていられるなら……今はそれでいいんじゃないかな?」
「………」
シェリナは背負ったレナの寝顔を見る。
二人の会話を知ってか知らずか、少女は変わらず幸せそうに寝息を立てている。
「私は……」
シェリナの口から声がこぼれる。
「私は……」
つぶやいたシェリナの声は、夜の闇へ消えていく。
「あっ、シェリナ、あれは……」
ラティスが声を上げて、シェリナは顔を上げた。
道の先に明かりが見える。
明かりの正体はすぐにわかった。
数人の鷹獅子騎士団の騎士がラティスとシェリナを出迎えに来たのだ。
彼らは二人に近寄ってくると、口々に「ご無事でしたか?」、「遅いので心配しましたよ」などと声をかける。
ラティスは「大声を出すな、子供が寝ているんだぞ」と応じながら、顔は笑っていた。
シェリナはいきなりの歓待に困った顔をしていたが、ラティスと目が合うと、やはり笑顔を浮かべた。
そして……。
出迎えに来た騎士達が分かれて道を空ける。
その先に、少し離れて一同を見守っていたらしい、リナールの姿があった。
リナールはゆっくりと歩いて距離を詰める。
「お帰りなさい、隊長」
口許に微笑を浮かべて、リナールは言った。
村に帰ると、二人は子供達をすぐに家に連れて帰った。
子供達を心配して待ちかねていたのだろう。
戸を叩くと母親はすぐに飛び出してきて、涙を流して自分の子供達を抱き締めた。
その光景を見て二人は去り難い気持ちになったが、そういう訳にもいかない。
二人がその場を辞そうとすると、母親は慌てて立ち上がって何度も何度もお礼を言い、レナは「ありがとう、おねーちゃん」と言ってレイルの目を丸くさせた。
それから二人は陣地に戻った。
陣地で今後の方針についてリナールらと話し合っていると、偵察に出ていた騎士が戻ってきた。
二十人程度の反乱軍の兵士がこちらに向かっているとの事だった。
ラティスは直ちに迎撃体制をとらせた。
弩を持たせた一隊を柵の内側に並べて反乱軍兵士が近付いてくるのを待つ。
反乱軍兵士が弩の射程内に入ったところで、ラティスは号令を下す。
「射て!」
命令は直ちに実行された。
弩から放たれた矢は一斉に反乱軍兵士に襲いかかった。
機械仕掛けの弩は手で引く弓より強く弦を引く事ができる。
矢は容易く反乱軍兵士の鎧を貫き、手傷を、時には致命傷を与えた。
一方で機械仕掛けの弩の欠点は、一度矢を放つと次の矢を番えるまでに時間がかかる事である。
その隙を狙って、反乱軍兵士は一気に間合いを詰めてきた。
しかしそれはラティスら鷹獅子騎士団の面々の予想の範囲内の事であった。
あらかじめ左右の茂みに潜めておいた別働隊が飛び出し、反乱軍兵士に襲いかかる。
不意を突かれた反乱軍兵士は浮き足だった。
別働隊を率いるリナールは自ら先頭に立ち、手にした剣で次々と反乱軍兵士を斬り捨て、血の海に沈めていく。
そしてほとんどの反乱軍兵士を倒し、何人かは捕虜にして、リナールが陣地に戻ろうとした時だった。
その背後から別の反乱軍兵士の一軍が襲いかかってきた。
リナールらは慌てて応戦するが、さっきまでは不意を突いていた自分達が今度は不意を突かれて、辛うじてその場に踏みとどまるので精一杯だった。
味方を巻き込む恐れがあり、弩は使えない。
ラティスの判断は早かった。
陣地に残っていた全軍に命じて、リナールらの救援に向かった。
負傷者こそ少なからず出したものの、死者は一人も出さずに反乱軍兵士を撃退したラティスらは、まず負傷者の手当てを始めた。
軍医などいないので、重い怪我の者は仲間が、軽い怪我の者は自分で応急手当てをする。
それが終わったら、部隊の再編成が待っていた。
怪我の程度や場所に応じて、前線で戦う部隊に回すか、弩部隊に回すか、あるいは後方に回すかを決め、交替で行う休憩や偵察のローテーションにも手を加えていった。
そうして一通りの業務が終わり、ラティスはようやく休憩に入った。
ラティスが人の多い所から離れて腰を下ろしていると、そこに近付いてくる人影があった。
「ラティス……こんな所にいたのか」
近付いてきたのはシェリナだった。
手に持っていた二つの水筒の一つを渡す。
「ありがとう」
水筒を受け取り、口を付ける。
安物の葡萄酒だが、それでも渇いた喉に心地よく滑り落ちていった。
胃に辿り着くと、そこから暖かさが全身に広がっていく。
「冷えてきたからな」
そう言って、シェリナはラティスの隣に腰を下ろし、自分も水筒に口を付ける。
「そうだな」
「こういう時だと安酒でも……」
シェリナの言葉が途切れた。
「ラティス! お前、怪我してるじゃないか!」
「え? あ、ああ……」
見ると手袋の手の甲の部分が裂けて血が出ていた。
恐らく、先程の戦闘でできた傷だろう。
「ほら、見せてみろ」
シェリナはラティスの手袋を外して手当てを始める。
手早く傷薬を塗り、包帯を巻き付ける。
「全く……真っ直ぐなのはいい事だが自分の心配もしろ」
「ああ……悪かった」
「これで……よし、っと……少しは心配している周りの身にもなれ」
「ありがとう。気を付けるよ」
ラティスは手当ての終わった手を動かしてみる。
剣を握るのに支障はないだろう。
「まあ……それがお前のいいところなんだろうがな」
「………」
ラティスはシェリナの顔を見る。
さっきから叱るような事ばかり言っているが、その顔には苦笑が浮かんでいた。
ラティスと目が合うと、シェリナはふと視線を外して立ち上がる。
「少し……歩かないか?」
そう言うと、ラティスの返事も待たずに歩き始める。
ラティスも立ち上がり、シェリナの後を追った。
月明かりに照らされた道を、二人は歩いていく。
しばらく歩いたところで、シェリナは振り返って言った。
「ラティス……この間は悪かったな」
「この間……」
前にシェリナが斬りかかってきた時の事だろうか?
「あの時は……意地になってた。
私より後になって入ってきた平民出のお前が将軍に高く評価されて……。
戦場ではお前に助けられて……。
シャルバサートの時だって、私一人だったら宿を取る事さえできなかったろうな」
そう言って、シェリナは自嘲っぽく笑う。
「お前には負けたくないと思っていた」
シェリナは一際強い口調で言った。
「お前には負けたくないと思って……意地になって……冷静さを失って……一人で勝手に空回りしていたんだ」
「………」
「だけど……今日になってようやく気付いた」
シェリナは立ち止まる。
真っ直ぐにラティスの目を見て、笑った。
寂しそうで……だけど何かを振り切ったようなすがすがしさを感じさせる笑顔で。
「お前にはかなわないって……私なんかじゃ絶対に、だ」
「………」
「きっと技術とか経験とかじゃなくて……もっと根本的なところでお前は強いんだと思う」
「………」
「そう思ったら、急に心が楽になった。なんでバカみたいな事で悩んでいたんだろうって、今は思う」
「……そうかな?」
「え?」
「僕がシェリナにかなわない事だって、きっとあるよ」
「例えば?」
「え〜と……リュートの演奏と歌……」
「騎士として役に立つ事はないのか?」
「う〜ん……」
「バカ、なくてもいいんだよ」
シェリナは言って、ラティスの隣に並ぶ。
「私は私で、ラティスはラティスなんだから」
肩と肩がぶつかりそうな距離からラティスを見上げながら、シェリナは言う。
「ラティス、お前はきっと出世するぞ」
「え?」
「私が言うんだから間違いない……それとも出世したくないのか?」
「今のままでもいいよ」
「そうか? 出世しないとアークザット将軍には追い付けないぞ?」
「………」
「出世するつもりがあるなら……そうだ、ダンスを教えてやろう」
「え? うわっ」
シェリナはそう言うと、勝手にラティスの手を取って、ステップを踏み始める。
ラティスはシェリナの突然の行動に戸惑いながら、かろうじてシェリナの足を踏まないくらいに、ステップの真似事をする。
「……ダンスは初めてなのか?」
「あ、当たり前だ!」
「その割には上手いじゃないか。筋がいいぞ」
「そ、そんな事言われても……」
ラティスはシェリナのステップに付いていくのに必死だった。
「もう少し練習したら、城の舞踏会でも恥をかかなくてすむようになるな」
「そ、そうか……」
「私にもラティスに教えられる事があったとはな。意外だ」
「………」
ラティスはようやく顔を上げるだけの余裕が出てきた。
そして見ると、シェリナが楽しそうに笑っていた。
シェリナがこんな風に笑うのを、初めて見た気がする。
もちろん、今までだって笑った顔を見た事がないわけではない。
でもそれはいつも悲しそうだったり、寂しそうだったりして……。
だけどこれが本来のシェリナなんだとラティスは思う。
自分より少し年下の、普通の女の子らしい明るい笑顔……。
ラティスがそんな事を考えている間にも、ステップは続いている。
鎧と鎧がぶつかって喧しい音を立てる、不器用なステップ。
時折、冷たい風が吹いてその音を夜の森へと運び去っていく。
戦場のすぐそばに咲いた場違いな二人のダンスを、月明かりだけが照らしていた……。
「ラティス」
不意にシェリナが名前を呼び、ステップを止めた。
ラティスもステップを止め、シェリナの手を放す。
その時だった。
解放された手を、シェリナはラティスの首に巻き付けた。
爪先立つと、小鳥のような素早さでラティスの唇に自分の唇を重ねる。
ほんの一瞬。
二人はお互いの唇の感触を共有して……。
離れた。
シェリナは身を翻してラティスから離れる。
そして距離を置いて振り返る。
「出世しろ! ラティス!」
シェリナは夜の森に響き渡る声で、叫ぶように言った。
「出世したら、その時は……きっと……」
シェリナは身を翻して、今度は走り去っていった。
ラティスはしばらく呆然と、シェリナの唇の感触が残る唇に指で触れていたが、やがて指を離すと、苦笑してシェリナの後を追い始めた。
ラティスとシェリナが陣地に戻ってしばらくすると、また反乱軍兵士の攻撃があった。
敵の人数は少なく、楽に撃退できたものの、そんな攻撃が何度か続き、ラティスらは落ち着く暇もなかった。
そして……。
明け方に近付いて、これまでで最大規模の攻撃があった。
鷹獅子騎士団の本隊と反乱軍の戦いが終盤に近付き、まとまった数の反乱軍兵士が戦場から離脱してきたのだろう。
そういった事情はさておき、ラティスら百人の鷹獅子騎士団の騎士達は、雪崩のように押し寄せる反乱軍兵士を迎え撃たねばならなかった。
混戦状態になった。
丸太を組み合わせて作った柵に反乱軍兵士が取り付き、鷹獅子騎士団の騎士が槍で突き落としていく。
多くの騎士が柵の向こう側で反乱軍兵士を迎え撃ち、弩が使えない状態になる。
「弩隊、弩を捨てろ! 各自、剣を抜いて戦え!」
リナールの怒号が響く。
そしてリナール自身、剣を抜いて、柵に取り付く反乱軍兵士に突き立てる。
柵の内側の部隊の指揮はリナールに任せて、ラティスとシェリナは柵の外側で敵を迎え撃っていた。
敵兵の剣の軌跡をかいくぐって剣を突き出しながら、ラティスは思う。
自分は何のために戦っているのだろう?
シェリナのように思い悩んだ事が、ラティスにも何度もあった。
幼い頃、剣の稽古が厳しくて泣き出しそうになった事が何度もあった。
自分に剣の稽古を付けてくれた大人が戦死し、その亡骸を土に帰しながら、いつか自分もそうなるのだろうかと、眠れぬ夜を過ごした事もあった。
生まれ育った村が襲われ、夜の闇に紛れて逃げ出しながら、十七年間を一緒に過ごしてきた家族や村の人々を守り切れない自分の弱さに歯がみした事もあった。
「ラティス! 左だ!」
背中合わせに戦っているシェリナの声。
言われるまでもなく、ラティスは動いていた。
左手の盾で敵兵の剣を弾き返し、体勢を崩したところに剣を突き出す。
ラティスは剣を振るいながら、戦場全体を見回す。
いつもなら、敵の指揮官を狙うなどの作戦も考えるのだが、今の敵軍は指揮官もなく逃げ回っているだけなので、それもできない。
ただ粘り強く、この場所を死守するだけだ。
僕は強いと、シェリナは言ってくれる。
だけど本当に自分は強いのだろうか?
シェリナの目からはどう見えていても、悩んだりくじけそうになった事も何度もある。
自分は強いわけではない。
ただ強くありたいと思っているだけだ。
未来の事はわからない。
失敗する事や判断を間違う事もあるだろう。
だけど結果がどうであれ、何年か後に自分を振り返った時、何年か前の自分を悔やむような道を選びたくないだけだ。
「シェリナ、向こうの方が手薄じゃないか?」
「そうだな……向こうに行くか?」
「ああ」
二人は剣を振るいながら移動していく。
より反乱軍兵士の密度の厚い所で立ち止まって、剣を振るう。
反乱軍兵士はまるで終わりがないように押し寄せてくる。
すでに幾人を斬り捨てたか知れない。
幾人の死体を踏み越えていったのかわからない。
それでも剣を振るい続ける。
一兵でもこの柵を乗り越えてしまえば、無力な村の人々が危険にさらされるのだ……。
シェリナやリナールは、いつかわかってくれるのだろうか?
「強い」という事と「強くありたい」と思う事は、まるで違うという事を。
「強くありたい」と思い続ける事は、実際に「強くある」という事よりもはるかに難しくて、別の種類の強さが必要だという事を。
シェリナやリナールは……いつかそれをわかってくれるのだろうか?
そして……。
いつか……。
長い夜が明けようとしていた。
気が付くと、戦いは終わっていた。
かつて戦場だった場所には死体が積み上げられて、一面に血臭が漂っていたが、それでも木々の隙間を縫って射し込む朝日だけが、場違いなすがすがしさを見せていた。
命がけで守り続けてきた柵は、作られた時の面影はなかったが、それでもなお健在だった。
積み上げられた死体の中に散らばるように、座り込んでいる人達がいた。
そのどれもが見知った顔である事を知って、ラティスは嬉しかった。
座り込んでいる自分にもたれかかる人がいた。
ラティスが気付く前から顔を見ていたようだった。
目が合うと、血に汚れた顔で笑って口を薄く開く。
気が付いたか? とでも言ったのだろうか?
だけど声にはならなかったようだった。
ラティスも何か答えたが、声にはならなかった。
そっとシェリナの身体を押して、ラティスは立ち上がった。
全身の傷と過重労働を強いられてきた筋肉が悲鳴を上げる。
シェリナやリナールは、いつかわかってくれるのだろうか?
自分には「強くありたい」という事を教えてくれた人がいた。
自分が子供だった頃、野盗に襲われた村を救ってくれた男がいた。
その頃はまだ、男は五百の手勢を率いるだけで、敵の軍勢はその十倍を数えた。
それでも男は……上官の命令を無視して攻撃を仕掛けた。
その卓越した剣技と指揮能力、そしてわずか五百の手勢の他には勇気しかない状況で戦いを仕掛けて……そして勝利した。
しかしそれから七年後、別の野盗に襲われて村は自分一人を残して滅びた。
その時の決断を、男は悔いているだろうか?
村を守るために強いられた犠牲を、無駄だと思っただろうか?
そんな事はないと、ラティスは思う。
ただ男は、何年か後に自分の決断を悔いたくないと思っていただけだ。
見捨てた無力な人々を何年か後に思い出して、あの時の自分を責めたくないだけだ。
朝日が射し込むかつての戦場に、一つの人影があった。
血塗られた甲冑をまとった姿を愛馬に預け、こちらを見ている。
鷹を思わせる精悍な顔に、今は笑顔が浮かんでいた。
いつか……。
シェリナやリナールは、いつかわかってくれるのだろうか?
あの日、村を救ってくれた男から教わった強さをシェリナやリナールに伝えられるように、自分はなれるのだろうか?
村を救ってくれた男と同じ強さを、自分は持つ事ができるのだろうか……?
馬上から手が差し伸べられる。
手を伸ばして……ラティスはその手に触れた。
二人の英雄「夜明けは戦場に下りる」 了
第5話「黄昏色の夜から」に続く
あとがき
ど〜も、wen-liです。
「夜明けは戦場に下りる」いかがだったでしょうか。
今回はラティス君も小部隊ながら隊長まで出世しましたが、肝心のお話の方は、わかったようなわからなかったようなお話です。
たまにはこういうお話もよろしいんじゃないかと。
何にせよ、いよいよ次の第5話で第1部が終わりになります。
第5話は第2部に向けて急展開のお話になります。
そういうわけで、乞う! ご期待!
感想お待ちしてます。
でわでわ。
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