二人の英雄 第1部・鷹獅子騎士団編

第1話「少年の初陣」

 つい先ほどまで戦場だった場所に、木々の隙間を抜けた朝日が射し込んでいた。
 朝日が射し込む森に、幾多の死体が折り重なって倒れている。
 しかしその死体の大半が敵兵の物である事を、少年は知っていた。
 およそ五千人に及ぶと見られる敵兵に対し、こちらはわずか五百騎ほどの手勢に過ぎなかった。
 にも関わらず、今、少年を自分の馬に乗せている男は戦いを挑み、そして勝利した。
 そして少年の村を全滅から救ったのだ。
 少年は身体をねじり、男を見上げた。
 敵兵の返り血を浴びて真紅に染まった凄惨な姿を、朝日が照らしている。
 馬上で毅然と胸を張りながら、どこか寂しげな瞳でかつて戦場だった場所を見ている。
 この光景を一生忘れる事はないだろう。
 少年は思った。
 自分の命を省みず、少年の村を救ったこの男の事を、一生忘れる事はないだろう。
 強くなりたい。
 強くなって、いつかこの男の背中に追い付き、隣に並んで戦えるようになりたい。
 そして自分の大切な物を守るために命を張れる、この男のようになりたい。
 少年の心の中に「英雄」の姿が刻み込まれた、それは瞬間だった。
 この男、後に末期のエルラザ帝国において最強の将軍と称えられる事になるアークザットも、この時はわずか五百の手勢を率いる小隊長に過ぎなかった。
 若き日のアークザットに村を救われ、彼の背中を追いかける事を誓った少年ラティスも、この時は十歳の少年に過ぎない。
 そして彼らが共に戦場を駆ける日が来るのは、それからまだしばらく先の事であった。

 荒野に風が吹いていた。
 眼下に敵の反乱軍が陣形を整えているのが見える。
 その数、およそ一万五千という。
 彼、ラティスの目にはとてつもない大軍に見えたが、それでも彼らの軍隊の半分に過ぎない。
「……緊張しているのか?」
 ラティスの隣に馬を寄せてきた男が言った。
 彫りの深い、精悍な顔立ち。
 身長は高いが、肩幅は決して広くはない。
 むしろ痩せ気味の印象を与える。
 男の名はアークザット。
 エルラザ帝国に五人しかいない将軍の一人で、その中でも最強の名を欲しいままにしている男である。
 普段は鋭い眼差しも、今は少しだけやわらいでいるように見えた。
「いえ、大丈夫です」
「無理するな。俺だって少しは緊張しているし、むしろ多少の緊張がなければ、自分の力を発揮する事はできないさ」
「はい……」
「戦場では自分が生き延びる事を第一に考えていればいい」
「はい」
 ラティスが深くうなずくと、アークザットは表情を緩め、ラティスから少し離れて別の部下に声をかけた。
 今度は打ち合わせらしい。
 ラティスは振り返り、自分の属する軍勢を見た。
 総勢三万に及ぶという鷹獅子騎士団。
 ほとんどを軽装の騎兵で構成された軍隊のところどころに、鷹獅子騎士団の紋章を刺繍された旗がなびいていた。
 身体は獅子だが鷹の翼と頭を持つという伝説の魔獣グリフォン。
 その猛々しく誇り高い姿が、今は彼の所属する軍隊の象徴だった。
 それを見て、ようやく自分の来るべき場所に来たのだと実感できた。
 強くなりたい。
 そしてアークザットの隣に並び、共に戦えるようになりたい。
 今はまだ十七歳という少年と大人の境目の年齢で、今日は鷹獅子騎士団での初陣に過ぎない。
 それでも、いつかきっと……。
 ふと隣に目を向けると、アークザットが片手を頭上に掲げている。
 それまでは戦いの前の緊張で微かにざわついていた軍勢が、にわかに静まりかえる。
「全軍、突撃!」
 アークザットが手を振り下ろし、低くよく通る声で号令を下す。
 そして三万の軍勢が、怒濤のような勢いでこれまで布陣していた丘から駆け下りる。
 戦が始まった。

 戦いの帰趨はすでに決まっていた。
 こちらの軍勢は敵軍の二倍。
 さらに鷹獅子騎士団はエルラザ帝国正規軍の中でも精鋭中の精鋭。
 そして敵の反乱軍はろくな訓練も積んでいない烏合の衆で、いくつかの反乱組織が寄り集まったため、指揮系統も統一されていない。
 アークザット自身がラティスに語った事であり、ラティスはほとんど無条件にアークザットの言葉を信じる事ができた。
 しかし全体の戦況がどうであれ、ラティスは目の前の敵兵と戦わなくてはならない。
 眼前に敵の騎士の騎兵槍が迫る。
 ラティスは右脇に抱えた騎兵槍を構え直す。
 騎兵槍はその長さも重さも、歩いている人間が使うようにはできていない。
 馬上の人間が疾駆する馬の力をそのまま騎兵槍に伝えて、初めて使う事ができる武器である。
 騎兵槍で軽く押し退けるようにして、ラティスは敵兵の騎兵槍の進路を逸らせた。
 代わりにラティスの騎兵槍が敵兵の胸の前に動く。
 二頭の馬がすれ違う瞬間、ラティスの騎兵槍は敵兵の胸を覆う鎧を貫いた。
 そのままの勢いで、敵兵の心臓と、背中を覆う鎧も串刺しにする。
 一瞬で絶命した敵兵は、ラティスの騎兵槍を胸に抱え込んだまま馬上から転げ落ちた。
 ラティスはあっさりと騎兵槍を放り出す。
 敵兵の胸から引き抜いている暇はない。
 その間にも新たな敵兵が襲いかかってくる。
 再び繰り出される敵兵の騎兵槍を、ラティスは左手の盾を跳ね上げる事でかわした。
 その間に引き抜いた剣を、敵兵の腰と腹の間の、鎧の隙間に叩き付ける。
 騎兵槍でもない限り、分厚い鉄製の鎧を貫く事はできないが、鎧の隙間なら剣でも充分に切り裂く事ができる。
 脇腹から血飛沫の尾を引きながら、敵兵は馬上から転落する。
 恐らく彼が絶命するのは、地面に叩き付けられ、敵の馬の蹄に身体を砕かれてからだろう。
 ラティスは周囲をうかがう。
 今すぐに自分に襲いかかってくるような敵はいないが、すぐ隣で味方の騎士が苦戦しているのが見えた。
 味方の騎士と敵の騎士が、お互いの剣を噛み合わせた状態で押し合っている。
 味方の騎士が小柄で見るからに頼りないのに対し、敵の騎士は大柄で、力勝負では明らかに味方の騎士の方が不利だった。
 ラティスは剣を水平に振るった。
 剣は敵兵の上腕部を覆う鎧に当たり、悲鳴の代わりに金属音を上げる。
 鎧は刃を通す事はなくても、衝撃だけは伝わる。
 敵兵の腕の力が抜け、注意が逸れた瞬間を、味方の騎士は見逃さなかった。
 腕と身体全体を伸ばすようにして剣を突き出す。
 剣の切っ先は敵兵の兜のわずかに下を抜け、喉元に突き刺さった。
 敵兵が落馬するのを見届ける事もせず、周囲を見渡す。
 少し離れた所にアークザット将軍の姿を見付ける。
 右に左に敵を切り伏せながら、ラティスとはずいぶん距離を広げていたようだった。
 アークザットは将軍の身でありながら、後方の安全な場所から指揮を執る事はない。
 鷹獅子騎士団の陣頭には常に、愛用の剣を振るうアークザットの姿があった。
 そして敵兵を次々と切り伏せていくその姿に、味方はアークザットに続けと勇気を奮い立たせるのだった。
「アークザット!」
 敵軍の奥の方から怒声が響いてきた。
 見ると敵軍の海をかき分けながら、巨漢の騎士が進み出てきている。
 ラティスの知らない男だったが、敵軍の中でも指折りの強者らしい事は、容易に推測できた。
 巨漢の騎士はアークザットの方に一直線に進み、アークザットも敵兵を切り伏せながらそちらに進んでいる。
 巨漢の騎士は自軍の不利を悟り、起死回生をアークザットを討ち取る事に賭け、アークザットはまた、敵の名だたる騎士を討ち取り、敵軍の抵抗の意志を挫こうという考えだ。
 ラティスも乗馬を進めた。
 今は群がる敵軍を蹴散らしているアークザットだったが、強敵を相手にしている間に雑兵にやられては元も子もない。
 そしてラティスがようやくアークザットのすぐ近くまで来たところで、アークザットと巨漢の騎士も戦いを始めた。
 巨漢の騎士の武器は戦槌だった。
 太い柄に対して直角に、槍の穂先のような鋭い刃物が付いた武器だ。
 力の強い者であれば鎧も貫く事ができる、この巨漢の騎士に相応しい武器だった。
 岩さえ破壊できるであろう戦槌の一撃を、アークザットは横から剣を当てて進路を逸らしてかわした。
 その隙に別な敵の騎士がアークザットに襲いかかってきた。
 しかしその攻撃がアークザットに届く前に、ラティスの剣がその剣を弾き返した。
 返す刃で敵の騎士の兜を力任せに叩くと、異音と共に兜はひしゃげ、敵の騎士は落馬した。
 あれだけの力で叩けば、脳震盪くらい起こしているだろう。
 ラティスが振り返ると、アークザットと目が合った。
 兜越しにのぞくその顔は、確かに笑っているように見えた。
 再び巨漢の騎士が攻撃を仕掛けてきた。
 戦槌を薙ぎ払うように水平に振るう。
 風圧だけで人一人吹き飛ばせそうな一撃!
 アークザットはその攻撃を、盾で受け止めようとする。
 この時、巨漢の騎士は自分の勝利を確信していた。
 彼の一撃は盾くらい易々と貫く事ができる。
 戦槌は盾を貫いた後、アークザットの身体に深々と食い込む事だろう。
 エルラザ帝国最強の将軍、アークザット!
 大陸全土に勇名を轟かせるその男を倒したのは、この俺なのだ!
 しかし次の瞬間、巨漢の騎士は自分の勝利が夢想に過ぎない事を知った。
 確かに戦槌はアークザットの盾を貫き、反対側からその先端をのぞかせていた。
 しかしアークザットの身体は盾よりも後ろにあり、戦槌の届かないところにあった。
 そして次の瞬間、アークザットは自分の盾を後ろに引いた。
 均整のとれた、しかしどちらかといえば痩せ気味の身体にそれほどの力が秘められていたのか。
 巨漢の騎士は自分自身の武器に身体を強く引かれ、馬上で姿勢を崩し、前のめりになってしまった。
 そしてアークザットは戦槌が食い込んだままの盾を手放し、馬の鞍を蹴って跳び上がった。
 前のめりになって無防備になった、巨漢の騎士の首の後ろに剣の切っ先を突き立てる。
 それでアークザットと巨漢の騎士の戦いの勝敗は決した。
 そして同時にこの戦の勝敗も決まった。
 巨漢の騎士を失い、アークザットの圧倒的な武勇を目にした反乱軍は戦意を失い、たちまち潰走を始めたのである。
 逃げ惑う反乱軍に対し、アークザットは追撃は最小限にとどめた。
 こうしてアークザットと鷹獅子騎士団の輝かしい戦歴に、また新たな一ページが記される事になった。
 そして同時にラティスは記念すべき鷹獅子騎士団における自分の初陣を無事に生き延び、また初陣を勝利で飾る事になった。

 エルラザ帝国。
 かつて長い戦乱の時代を戦い抜き、大陸全土を掌中に収めた軍事国家だった。
 しかし三百年に渡る平和な時代を経て、この国は内部から崩壊を始めた。
 初代国王は自ら陣頭に立ち、進んで節制を行なう男だったが、その子孫に当たる現在の国王は政務を執る事を嫌い、遊興に耽り、後宮に多くの愛人を集め、日夜宴を開くような男だった。
 そのような国王の元、重臣達がまじめに仕事をするはずもない。
 他人を陥れて財産を奪い、賄賂を受け取って能力のない者に地位を与え、国王に追従して美女を探しては国王に差し出す有様だった。
 国王の贅沢のために城の増改築や別荘の新築が相次ぎ、その財源のために度重なる増税が行なわれた。
 日増しに人々の生活は困窮していき、ついには怒りを爆発させるに至った。
 その先鋒がかつてエルラザ帝国に併合された旧王家、現在のエルラザ帝国の地方領主であり、職にあぶれた者が集まった野盗まがいの者だった。
 しかし彼らは皆、エルラザ王家の打倒を掲げながら、地方での勢力争いに精を出し、かえって罪のない民衆に被害を及ぼす有様だった。
 そういう者達を、エルラザ帝国正規軍は征伐して回った。
 五人いる将軍のうち四人までが王都を離れ、各地で転戦を重ね、反乱を鎮圧して回りながら、ひとつ反乱軍を壊滅させれば次の日には別の反乱軍が挙兵している、という状況で、エルラザ帝国全体が泥沼のような戦乱の中に溺れつつあった。
 ラティスが生まれたのはそんな時代だった。
 戦乱が当たり前。
 生活は苦しく、いつ野盗に村を滅ぼされてもおかしくない。
 いつも戦争の影に怯えながら、幼少期を過ごした。
 ラティスが十歳の時にも、村には滅亡の危機が迫っていた。
 流れ着いた野盗がラティスの住む村を狙い、近くまで来たものの、たまたま近くに来ていた正規軍に見付かってしまった。
 明らかに劣勢だった野盗の方は、動くに動けず、しかし優勢だった正規軍の方もラティスの住む村の事を軽視し、自らの軍隊に損害が出る事を嫌って動かず、膠着状態に陥った。
 そんな状況を救ったのは、当時わずか五百騎を従えるに過ぎない小隊長のアークザットだった。
 彼は当時の将軍の命令を無視し、深夜に自分の手勢だけで奇襲をかけ、見事に勝利したのである。
 アークザットの姿は、ラティスにとってとても輝かしい物に思えた。
 いつか強くなって、この男の隣で戦えるようになりたい。
 その願いが叶うのは数年後、皮肉にも彼の村が野盗によって滅ぼされた後の事だった。

 ラティスの初陣の日の夜、鷹獅子騎士団で会議などに使われる大型の天幕には、五人の男が集まり、食事をしていた。
 まずはアークザット将軍とラティス。
 残りは鷹獅子騎士団の三人の副将であった。
「ラティス、初陣はどうだった?」
 そう人懐っこく笑いながら話しかけてくるのは、副将の一人、レイバートだった。
 燃えるような赤い巻き毛が目に鮮やかなこの男は、指揮官というよりは戦士という事で知られていた。
 感情の起伏が激しく、いつも笑っているか怒ってるかの両極端だという。
 しかし情に厚く涙もろい性格で、部下からの信頼も篤い。
 また、アークザットと並ぶ剣の使い手としても知られていた。
 ラティスが返答に迷っていると、
「確かラティス君は今日が初陣というわけではないんですよね?」
 同じく副将の一人、ウェインが助け船を出してくれた。
 この男は鷹獅子騎士団において、参謀の役割を果たしていた。
 いつも冷静で、判断を誤る事がない。
 作戦立案におけるアークザットの片腕と呼ぶに相応しい男だという。
 しかしその一方で、冷たい印象のせいで損をしている面も少なくないという。
「はい。故郷の村では自警団に入っていましたから」
 アークザットに救われた一件の後、ラティスの村では自警団が作られた。
 何人かの退役軍人と数十人の若者で組織された、何とも頼りない物だった。
 それでも小規模な山賊相手には何度も戦果を上げていたので、全く無意味な存在ではなかった。
 ラティスも十五歳の時に入団し、何度か実戦経験を積んだ。
 しかし十日ほど前、千人規模の野盗に村を攻め込まれた時、奮戦の甲斐なく、村は滅ぼされてしまったのだ。
「ふ〜ん、なるほど。どうりで戦いに慣れてると思った」
 レイバートがそう言ったので、ラティスは少し驚いた。
 自分としては初めての大規模な戦闘という事で、かなり緊張していたつもりだったのだが……。
「なるほど、じゃありませんよ。その事はラティス君が入団した時に聞いたはずですよ?」
「そうだったか?」
「ええ、そうですよ。大体、あなたはいつも人の話も聞かずに……」
 ウェインが説教を始めてしまった。
 ラティスはふと、もう一人の副将の方に目を向ける。
 ノークトは背丈も横幅も大きく、揺るぎない花崗岩のような印象の男だった。
 レイバートやウェインがそれぞれタイプは違ってもよくしゃべるのに対し、ノークトは無口な男だ。
 こうして二人が論戦しているのに、ノークトはそれに参加せず、ただ黙々と食事をしている。
 無愛想な男だが、与えられた役割はきちんと果たすし、普段は無口であっても、発言が必要な時はきちんと発言する。
 レイバートとウェインでは足りない部分を埋める、鷹獅子騎士団において重要な役割を果たしているのだった。
 この三人はアークザットがラティスの故郷の村を救った時、彼の部下として戦いに参加していたという。
 ラティスは最初に三人に会った時、彼らの事を思い出せなかった。
 しかし今、こうして三人が食卓を囲んでいるのを見て、ああ、あの時、あそこで話していた人だ、という事を思い出していた。
 やがて全員の皿が空になり、一息ついたところでラティスが皿を片づけると、食卓に(といっても本来は会議用の机を食卓にしていたのだが)地図を広げて、作戦会議が始まった。
 あちこちから集められた情報を元に、地図上に木の駒が並べられていく。
 それらはエルラザ帝国に敵対する勢力の物であったり、あるいはエルラザ帝国に忠誠を誓う勢力を示していた。
 それぞれの勢力の実状を比べながら、鷹獅子騎士団がどう動くべきかを議論していく。
 この勢力はリーダーが交代して組織が不安定だ、あの勢力は別の軍隊の助けを借りる事もできる、などという具合に、色々な意見が飛び交う。
 ラティスもそれらの意見に耳を傾けながら、どのような考え方や着眼点の元に意見が挙げられるのかを考えていた。
 帰るべき故郷を失い、アークザットを頼ってきたラティスを、アークザットと三人の副将は暖かく迎え入れてくれた。
 それだけではない。
 アークザットの従者のような立場という、彼にとって最も嬉しい役割を与えてくれた。
 仕事といえばアークザットの身の回りの世話が中心だが、それでも作戦会議を横で聞いたり、あるいは戦場で戦うアークザットの隣にいたりと、学ぶべき機会が多いし、それを期待されてもいるのだろう。
 少し前まで小さな村の自警団の一員に過ぎなかった身である事を思えば、今の立場は夢のようだった。
 しかし。
 一方で思う。
 本来なら門前払いにされるか、せいぜい一兵卒から、というのが普通だろう。
 それがアークザットの一番近くにいられるのである。
 この上なく光栄ではあるが、その期待は身に余る物ではないのだろうか?
 自分はその期待に応えられるのだろうか?
 自分はその期待に相応しい人間なのだろうか……。
 そんな事を考えていると、天幕で番兵をしていた騎士が中に入って来て、来客がある旨を告げた。
 てっきりアークザット将軍か三人の副将の誰かだろうと思っていたら、呼ばれているのはラティスらしい。
 番兵が告げる「シェリナ」という名前にも聞き覚えがない。
 そもそもアークザット将軍と三人の副将以外に知り合いなんていないはずだが……。
 首を傾げながら天幕を出ると、小柄な騎士がラティスを待っていた。
「……あなたがラティス殿か?」
 小柄な騎士はそう話しかけてきた。
 妙にまじめ腐った硬い表情と、女の子のような高い声で。
 いや、女の子のような、ではなくて、女の子の声だった。
 思えば番兵から聞いた「シェリナ」という名前も、女の子のような名前だ。
「……はい。そうです」
 少し遅れて、ラティスは答えた。
 シェリナという小柄な騎士はラティスより年下らしかった。
 張り詰めた表情が浮かぶ顔にはあどけなさが確かに残っている。
「僕に何か用ですか?」
「……礼を言いに来た」
「礼?」
「昼間の戦闘の時に……」
「あっ」
 ようやく思い出した。
 確かに戦闘中に苦戦していた味方の騎士を助けた事があった。
 その時の騎士がこの少女だったのか。
「あの時は助かった。礼を言う」
 シェリナはぶっきらぼうに言って頭を下げる。
「あ、いや……」
 しかしラティスが何か言葉をかける前に、シェリナは逃げるように去っていった。
 呼び止める暇もなかった。
「………」
 ラティスは狐につままれたような気分で立ち尽くしていたが、やがて天幕の中に戻っていた。
 天幕の中に戻ると、作戦会議はもう終わっていた。
 机の上の地図は片付けられ、くつろいだ空気が流れていた。
 戻ってきたラティスを見て真っ先に声をかけてきたのは、レイバートだった。
「どうした? デートの誘いじゃなかったのか?」
「……そんなんじゃありません」
「今日は月が綺麗ですからね。夜の散歩にはちょうどいいんじゃないですか?」
「だからそんなんじゃないですよ」
 ウェインにまでからかわれて、ラティスは少し語気を荒くした。
 それから簡単に事情を説明する。
「でも正直、意外でした。鷹獅子騎士団に女性の方がいるなんて」
 ラティスは率直な感想を言った。
「あ、いや……」
 レイバートはばつが悪そうだった。
「あいつな、実は前任の将軍の娘なんだ」
「え?」
 そうだ。アークザットの前に鷹獅子騎士団の将軍を務めた男……。
 野盗に狙われたラティスの村を見捨てようとした男……。
 シェリナはその娘だというのか?
 だけどどうして鷹獅子騎士団に?
「あいつの家は武門の家系でな。一族の中から少なくとも一人、騎士を軍隊に送り出す慣わしがあるそうだ」
「………」
「前任の将軍が殉職して、あいつの一族から送り出された軍人がいなくなっちまったってわけだ」
「でも、女の子が戦場に出るなんて、あんまりですよ」
「ま、俺達もそうは思うんだけどな。あいつの祖父……もう年寄りなんで引退しているんだけど、そいつの影響力っていうのは決して無視できないもんでな」
「………」
 ラティスが黙っていると、アークザットが声をかけてきた。
「ラティス、シェリナの剣の腕、どう思う?」
「え? ……すみません、ほとんど見ていないので……」
「だろうな。少なくともシェリナはお前より三ヶ月先に鷹獅子騎士団に入団して、今日まで生き延びてきたんだ」
「………」
「シェリナは女の子だが、幼い頃から剣を教え込まれていた。鷹獅子騎士団の水準の、一番下くらいには何とか食らい付いているさ」
「………」
 まあ、今日もラティス君に助けられなければ、命を落としていたかも知れない、というレベルですがね。
 ウェインが小声で言うのが聞こえた。
「しかしシェリナも義理堅いところがあるんだなあ。わざわざ礼を言いにくるなんて」
 レイバートが言った。
 だけど……逃げるように立ち去ったシェリナ。
 本当は嫌だけど、礼を言わなくちゃいけないから、仕方なく来た。
 今思えばシェリナのそっけない態度はそういう事だったように、ラティスには思えた。
「さてと、ここにいない人間の話はこれでやめにして」
 アークザットが椅子から立ち上がった。
「ラティス、ちょっと付き合え」
「あ、はい」
 天幕から出るアークザットを、ラティスは慌てて追いかけた。

 かがり火の薄赤い光がアークザットの精悍な横顔を照らす。
 鷹獅子騎士団の野営地の外れの少し開けた場所で、ラティスとアークザットは向かい合って立っていた。
 アークザットは手にした剣をラティスに放り投げる。
 刃を潰した、練習用の剣。
「そうだ。礼を言っておかないとな」
 アークザットはいきなりそう切り出した。
「昼間の戦闘の時……一騎打ちの邪魔をした奴を倒してくれたな」
「あ、はい」
 ラティスはうなずいた。
 しかし今になって思えば、アークザットにはラティスの方を見て笑うだけの余裕があった。
 もしラティスが助けに入らなくても、自力で切り抜けられたように思うのだが……。
「無駄話はこれくらいにして、構えろ、ラティス。少し稽古を付けてやる」
「は、はい」
 アークザットが剣を構え、ラティスも慌てて剣を構える。
 二人とも左手の盾を胸元に構え、右手の剣を軽く前に出して構えている。
 ラティスが逡巡していると、アークザットから挑発するような言葉が飛んできた。
「どうした? 黙って立っていても稽古にはならんぞ? それとも俺の方から攻めるか?」
「い、いえ!」
 そうだ。
 強くなりたい。
 アークザットに追い付き、共に戦えるようになりたい。
 そう誓ったのに、こんなところでためらっている場合じゃないっ!
「行きますっ!」
 ラティスは軽く地面を蹴り、滑るように間合いを詰めた。
 斜め上から打ち下ろされるラティスの剣を、アークザットは軽く身体を後ろに引きながら剣で受け流す。
 最初の一撃でけりが付くとは、攻撃をしかけた側も受ける側も思っていない。
 打ち下ろされた剣を、ラティスは水平に振るう。
 アークザットはバックステップでかわした。
 第三撃、第四撃……。
 ラティスは次々と攻撃を繰り出す。
 アークザットはそれを剣だけでさばく。
 ラティスの剣技はほとんど我流に近い。
 それでもいくつかの基本のパターンや、我流のフェイントなどを身に付けていた。
 それを思い付くままに、できる限りの力を乗せて可能な限りの速さで繰り出していく。
 しかしそれらをアークザットは表情ひとつ動かさず、余裕を持って受け流していく。
 まるで自分が頭の中で組み立てた攻撃パターンが、アークザットに筒抜けになっているような錯覚を覚えた。
 ラティスは一度、間合いを広げた。
 アークザットは追ってこない。
 距離を置いて、二人は向かい合う。
 ラティスはそこで初めて、自分が肩で呼吸している事に気付いた。
 にも関わらず、アークザットは息ひとつ乱さずに立っている。
 落ち着け、ラティス。
 ラティスは自分自身に言い聞かせる。
 慌ててがむしゃらに攻めたところで勝てるわけがない。
 落ち着いて考えて、活路を見出すんだ。
「どうした? もう終わりか?」
 アークザットが挑発する。
 挑発だと分かっていても、ラティスに他の選択肢はなかった。
「いえ、これからです!」
 ラティスは再び剣を打ち込む。
 剣を打ち合いながら、隙を探るしかない。
 しかしラティスの目論見はあっけなく崩れた。
 斜めに走る斬撃を、アークザットは左手の盾で受け止めた。
 そして半瞬の間を置かず、右手の剣を繰り出す。
 鋭い突きを、ラティスは左手の盾で受け止める。
 つもりだった。
 しかしアークザットの剣はラティスの盾に受け止められる直前、軌道を逸らした。
 剣はラティスの盾と左肩の上を通り過ぎる。
 急速に間合いが縮まり、アークザットの盾とラティスの胸の部分の鎧がぶつかった。
 アークザットが左手の盾でラティスの身体を無造作に押す。
 押されるままに間合いを広げようとしたラティスだったが、一瞬の後に彼の身体は地面に叩き付けられ、鎧がやかましい金属音を立てた。
 足を引っかけられて転んでしまった。
 ラティスがその事に気付いたのは、喉元に剣を突き付けられた後の事だった。
 まるで歯が立たなかった。
 最初から最後までアークザットの手の平で踊っていただけだった。
「………」
「まずまず、といったところか」
 アークザットは剣を引きながら言った。
「………」
「おいおい、そんな顔するなよ。そう簡単に俺に勝てるだなんて思われちゃ困るぞ」
「は、はい」
 自分はまだ、アークザットに追い付くという目標のスタートラインに立ったばかりなのだ。
 強くなるのはこれからなのだ。
 ラティスはアークザットの手を借り、立ち上がる。
「さてと、余興に俺の秘密の技でも見せてやるか」
 アークザットはそう言うと、盾を放り出し、剣を両手で握った。
 そして腰を低く落とし、ラティスの方に切っ先を向けた剣を目の高さで水平に構える。
「さあ、好きなように打ち込んで見ろ」
「はい」
 ラティスは剣を構える。
 しかしアークザットの構えの意図はわからない。
 どう斬り付ければいいのだろう。
 そして自分の攻撃に、アークザットはどう対処するのだろう。
 いくつかのパターンを想像してみたが、どうもうまくいかない。
 しかし。
 今はまだ自分の力ではアークザットには勝てない。
 それはわかっている。
 だからアークザットの胸を借りるつもりで、ラティスは踏み込む。
「行きますっ!」
 ラティスは何も考えず、間合いを詰めて斜めに剣を打ち下ろした。
 踏み込みに合わせ、アークザットも片足を打ち鳴らすように踏み込む。
 そして短く、しかし鋭く気合いの声を上げる。
 その後のアークザットの剣の動きはラティスの想像を超えた物だった。
 ラティスの剣のこれから先の動きを逆行するように、アークザットは剣を斜め上に跳ね上げた。
 一対の剣が刀身をぶつけ合い、甲高い悲鳴を上げる。
 ラティスは剣を振り切ったはずだった。
 しかしその右手に伝わる感触はやけに軽い。
 剣を弾かれてしまったのか?
 右手の中を確かめて、ラティスは絶句した。
 手には剣の柄だけが残されていた。
 刀身は半ばから切断されていたのだ。
 周りを見回して、少し離れた場所に剣の先が地面に刺さっているのを見付けた。
 そしてアークザットの剣を確かめると、それは確かに剣を打ち合う前と同じ姿を保っていた。
「………」
 同じ材質の剣を打ち合い、一方的に相手の剣を切断する。
 それがどんなに難しい事か、想像に難くない。
 まさに達人の技だった。
「それなりに集中が必要だから一騎打ちの時でもない限り使えないし、かわされたら後がない。一発逆転狙いの大道芸に近い技だがな」
 アークザットは言った。
 これを使う価値のある相手なんて、滅多にいないんだが。
 と笑いながら付け加える。
「明日からもできるだけ俺が稽古を付けてやるつもりだが……忙しい時はレイバートにでも頼む事にしよう」
 そう言ってラティスの肩を叩く。
「強くなれ、ラティス」
 そして続ける。
「強くなって、俺に追い付いてみせろ」
「………」
 ラティスは隣に立ったアークザットの顔を見上げる。
 エルラザ帝国が誇る英雄の顔には、力強い笑いが浮かんでいた。
 それを見た瞬間、ラティスは自分の心が高揚するのを感じた。
 彼が少年の日に心に焼き付けた英雄の姿。
 それが遙か遠い物だという事は、ついさっき鮮烈に見せ付けられたばかりだった。
「は、はいっ!」
 だけどそんな遠い道のりを越える事さえ決して苦ではないように、今のラティスには思えた。


二人の英雄「少年の初陣」 了
第2話「錫杖の行方」に続く


あとがき

 ど〜も、wen-liです。
 「少年の初陣」いかがだったでしょうか。
 「私はここにいます。」初めての長編小説、「二人の英雄」、いよいよ始まりました。
 今回は第1話という事で、作品の雰囲気をつかんでもらって、後は主な登場人物の顔見せ、という感じです。
 内容的には中途半端ですが、第2話以降に期待しましょう……じゃなくて期待して下さい。

 ふと思えば「私はここにいます。」初めてのファンタジー。
 しかも歴史で戦争で大河な感じ(意味不明)。
 でも実は私、HP作る前はファンタジーばっかり書いてたんですけどね。
 「二人の英雄」も構想自体はかなり昔の物なんですけど、なかなか書く機会がありませんでした。
 21世紀になってようやく日の目を見る事になった、というところです。
 ちょっと短いですがこの辺で。

 感想お待ちしてます。
 でわでわ。


 レイバートら三人の役職を「騎士隊長」から「副将」に変更しました。
 別に三人が昇進したわけでも降格したわけでもありません。
 念のため。(2001/02/23)


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