この小説はTacticsより発売されたWindows95用ゲーム「ONE〜輝く季節へ〜」をもとに作成されています。
 ゲーム中のテキストから引用した文章、あるいは改変された文章が含まれています。


BLIND(前編)

 暗くて重い、雨が降っている。
 雨に濡れて冷え切った身体に、引かれる手に伝わる温もりだけが暖かい。
 僕の周りを行き交う、黒い服を着た見知らぬ大人達。
 無言で頭を下げて、そそくさと立ち去っていく。
 最初は暖かかった右手がだんだんと冷えていき……僕はこの時、僕が生まれて初めて、この世界にたった一人で放り出された事を知った。

「浩平! 今日は掃除当番だよ!」
 背中から長森の声が追いかけてくる。
 俺、折原浩平は教室を飛び出して廊下に出ると、余裕を持って後ろを振り返る。
 長森は掃除当番のクラスメートや帰り支度のクラスメートに行く手を阻まれ、なかなか教室を出る事ができない。
 おまけに誰かにぶつかる度に、ごめんなさい、すみません、と頭を下げているから、余計に前に進む事ができない。
 ……相変わらずトロいなあ。
 と思いながら、俺は次なる進路を決める。
 三階に上る階段と、一階に下りる階段。
 どちらを選ぶべきか……。
 いくらなんでも掃除当番を長森に押し付けて一人だけとっとと帰ってしまうのは寝覚めが悪い。
 ここは屋上でのんびりと時間を潰す事にしよう。
 俺は三階に上る階段を選んだ。

 赤。
 視界を埋め尽くす、泣き出しそうな赤。
 夕焼けに彩られた、真っ赤な世界。
 どうしてだろう。
 夕焼けはいつも懐かしくて……いつも優しくて……そしていつも胸を痛くする。
「明日は……きっと晴れだな」
 そんな気持ちを紛らわすように、俺はつぶやいた。
「そっか、今日は夕焼けなんだね」
 突然の声に、俺は振り返る。
 そこにいたのは、一人の少女だった。
「あ、別に怪しい者じゃないよ」
 自分から「自分は怪しい者じゃない」という奴ほど怪しかったりする事が多いが、俺の目の前にいる、長い黒髪と対照的に雪のように白い肌の少女は、いくらなんでも怪しい人間には見えなかった。
「夕焼け、きれい?」
 その大和撫子然とした少女は、変な事を聞いてくる。
「そうだな……65点ってところかな」
「けっこう辛口なんだね」
「俺は夕焼けにはうるさいんだ」
「そうなんだ」
 何故か感心したようにうなずく少女。
 よくよくバッジの色を見ると、俺よりひとつ上の3年生のようだ。
 おっとりしたお嬢様という感じで、あまり年上のような感じはしないのだが。
「私、川名みさき」
 突然の自己紹介。
「俺は折原浩平」
「よろしくね、浩平君」
「浩平君って……おいっ」
「だったら浩平ちゃん」
「それは絶対に嫌だ」
「私の事もみさきちゃんって呼んでもいいから。浩平ちゃん」
「……俺に選択の余地はないのか?」
「可愛いのに……」
 大げさにうなだれる仕草さえ、なんとなく可愛らしく見える。
 しかしここで引き下がっては、一生「浩平ちゃん」と呼ばれる事になる。
「あのなぁ、俺のどこを見たら可愛いなんて言葉が出てくるんだ?」
「雰囲気、かな?」
 可愛らしく、ちょっと小首を傾げながら、みさき先輩は言った。
「雰囲気……って言われても」
「私ね、人を見る目はあると思うんだよ」
 楽しそうに言うみさき先輩。
 何て言い返そうかと俺が迷っている間に、みさき先輩が付け加える。
「目は見えないんだけどね」
「目は見えないって……」
 そこまで言われて、俺はようやく気付いた。
 3年の先輩の中に、盲目の生徒がいるという話。
 そしてみさき先輩の目が、俺の事をまっすぐに見ているようで、微妙にずれた場所を見ている事に。
「なあ、もしかして……」
「多分、そうだよ」
 短く、あっさりと答えるみさき先輩。
 恐らくみさき先輩にとって、数え切れないくらいに繰り返された問いかけ。
 そして「そうだよ」とあっさり答える笑顔に、どれだけの重みがあるのか……。
「………」
「どうしたの?」
 黙ってしまった俺に、みさき先輩が怪訝そうに尋ねてくる。
「いや……目が見えない人に、どんな風に接すればいいのかわからなくて」
 俺が言うと先輩は、
「……普通で……いいと思うよ」
 少し寂しげに笑って言った。
「………」
 確かにその通りだ。目の見えない人を相手にしているからと言って、態度を変える必要なんかいらないはずだ。
 みさき先輩が俺に普通に接してくれているのに、俺が特別な態度でみさき先輩に接するのは失礼に当たる。
「浩平君?」
「あ……悪かった……それじゃ改めて自己紹介だ。俺は2年の折原浩平。よろしくな、みさき先輩」
「うん。よろしくね、浩平ちゃん」
 嬉しそうなみさき先輩の笑顔に、俺はがっくりと脱力した。
「じゃあ、浩平さん」
「いや、俺の方が年下なんだし……」
「冗談だよ、浩平君」
 そんなこんなで、俺の呼び名は「浩平君」に決まったらしい。
 屋上から見る夕焼けもずいぶん暗くなってきている。
 そろそろ掃除を終えた長森も帰る頃だろうか。
「みさき先輩、俺はそろそろ帰るけど」
「私はもう少しここにいるよ」
「そうか。じゃあな、先輩」
 見た目はお嬢様で、だけどちょっとお茶目なところもある先輩。
 だけど……。
「ばいばい、浩平ちゃん」
「だから……」
「冗談だよ」
 この笑顔で、全て許してしまえる気がする。
「廊下で会ったら、必ず声をかけるよ」
「うん。楽しみにしてるよ」

 翌日の放課後、俺は今日も長森の「浩平! 今日は掃除当番だよ!」攻撃の魔の手から逃れると、屋上に駆け上がった。
「……今日はいないのか」
 またみさき先輩に会えるかとも思ったのだが、どうやら甘かったらしい。
 誰もいない屋上をフェンスの影が長く伸び、冷たい風がただ通り過ぎてゆく。
 仕方なくフェンスにもたれかかって町を見下ろしていると、背後からコツコツと小さな音が近付いてくる。
 振り返ると、細長い棒で地面を探りながら歩いてくるみさき先輩の姿があった。
「よお、みさき先輩」
「えっと……もしかして浩平君?」
「あたり」
 まるで数年振りの再会のような会話だったが、本当は昨日初めて知り合ったばかりの俺とみさき先輩。
「今日の夕焼けは何点?」
 みさき先輩が聞いてくる。
「今日は夕焼けじゃないんだ」
「そっか。ちょっと残念……」
 本当に残念そうに、みさき先輩はがっくりと肩を落とす。
「きっと明日は夕焼けだよ」
「うん。そうだね」
 みさき先輩の顔に笑顔が戻る。
 その時、
「みさきーっ」
 階下から女の子の声が聞こえてきた。
「えっと……どうしよう……」
 途端にうろたえ出すみさき先輩。
「呼んでるみたいだぞ」
「気のせいだよ」
「いや、間違いなくみさきって」
「きっと目の錯覚だよ」
「それを言うなら空耳だろ?」
「そう、それ。空耳だよ」
「みさきーっ」
 そうこうしている内に、声は近付いてくる。
「えっとえっと……私はいないって言ってね」
「おい、ちょっと……」
 思ったよりも素早く、みさき先輩は物陰に隠れてしまった。
「みさきっ! ここにいるのはわかっているんだからね!」
 ほとんど間を置かず、勢いよくドアが開いた。
 ドアを開けたのは、軽くウェーブのかかったロングヘアの少女だった。
 バッジの色を見ると、彼女もみさき先輩と同学年のようだが、ボーっとした感じのみさき先輩と違って、しっかり者という感じがする。
 彼女は屋上をひと通り見渡し、俺と目が合って、ばつが悪そうにつぶやく。
「絶対にここだと思ったんだけど……勘が鈍ったのかな」
 いやいや、大した物だ。
 だけど賞品の代わりにみさき先輩の居場所を教えるわけにはいかない。
「ねえ、あなた。ここにボーっとして脳天気そうな女の子が来なかった?」
 どうやら間違いなくみさき先輩の事らしい。
「来たぞ」
「えっ、それでどこに行ったの?」
「来たけど、そこのフェンスをよじ登って飛び降りた」
「ええっ!?」
 女の子はフェンスに駆け寄り、みさき先輩を探して校庭を見下ろす。
「いないじゃない」
「きっと植え込みにでも隠れたんだな。すぐに降りていって探した方がいいぞ」
「……はあ」
 女の子は呆れたようにため息をつく。
「とにかく、髪が長くてボーっとして脳天気そうな女の子が来たら、深山雪見が探していたって伝えてもらえる?」
「だから飛び降りたんだって」
「お願いします」
 強い口調で念を押すと、深山雪見は階段を下りていってしまった。
「ボーっとなんかしてないよ〜」
 物陰に隠れていたみさき先輩が、不満そうに唇を尖らせて出てきた。
「先輩の知り合いか?」
「うん、クラスメートだよ」
「ふうん。どうして先輩の事を探していたんだろう」
「う〜ん……」
「それに、ずいぶん怒ってたみたいだぞ」
「もしかしたら、あの事を根に持っているのかも知れない」
「あの事?」
「幼稚園の頃、雪ちゃんの書いたうさぎにちょび髭を書いた事」
「それはないと思うけど」
「そうかなあ」
「そんな昔の事で、どうして今日になって追いかけてきたりするんだよ」
「そうだよね」
 安心したように、みさき先輩はうなずく。
「だけど……ずいぶん寒くなってきたね」
 そう言って自分の手の平に、はあっと息をかける。
 確かにこれ以上寒くなると、屋上にいるのも辛くなる。
「そろそろ帰るか」
「うん、そうだね」
 そうして俺とみさき先輩は校舎の中に戻る事にした。
「みさきっ! やっと見つけたっ!」
 階段を下りた俺達を待っていたのは、深山先輩だった。
「……えっと」
 みさき先輩はさっさと俺の背中に隠れてしまう。
「嘘つき。やっぱり屋上にいたんじゃない」
 深山先輩は俺を睨みつける。
「飛び降りたけど、戻ってきたんだって」
「どうやって?」
「雨水パイプをよじ登って」
「うん。がんばったんだよ」
 俺の背中で、みさき先輩が握り拳を作ってガッツポーズをする。
「……はあ」
 呆れたように、深山先輩はため息をつく。
「それで深山先輩はどうしてみさき先輩を追いかけていたんだ?」
「ごめんね、雪ちゃん。ちょび髭は悪気があったわけじゃないんだよ」
「ちょび髭って?」
「だからそれは違うって……それで深山先輩、どうして?」
「みさきが掃除当番をさぼったからよ」
「………」
 俺と深山先輩の視線がみさき先輩に集中する。
「えっと……」
 みさき先輩はしばらく困った表情をしていたが、
「……ごめんなさい」
 ちょこんと頭を下げて、素直に謝った。
「まあ、今日は大目に見てあげるけど」
「ごめんね、雪ちゃん。この埋め合わせは必ずするから」
「期待しているわよ」
 くすっと楽しそうに笑う深山先輩。
 そんな二人を微笑ましく思いながら見ていると、
「あーっ、浩平、こんなところにいたっ!」
 聞こえてきた声は、長森の声だった。
「掃除さぼってどこに行ってたのよ!」
「浩平君も掃除さぼってたの?」
 みさき先輩が聞いてくる。
 呆れたような深山先輩の視線が俺に注がれる。
「えっと……じゃあなっ、みさき先輩に深山先輩っ!」
「じゃあね、浩平君」
「浩平〜っ! 待ってよ〜っ」

 翌日の放課後、例によって教室の掃除から逃げ出してきた俺は、屋上に行った。
「よお、みさき先輩」
「あ、浩平君」
 振り返り、にっこりと笑うみさき先輩。
「先輩、やっぱり今日も屋上に来たんだ」
「うん」
 俺はみさき先輩の隣に並んで、夕焼けの町を見下ろす。
「今日は本当に寒いね」
「そうだな」
 俺が答えた時、少し強い風が吹いた。
「くしゅん!」
 みさき先輩が可愛らしくくしゃみをする。
「寒い……なんてもんじゃないぞ」
「そうだね……」
 俺もみさき先輩も、寒さのあまり自分の肩を抱くようにしている。
「……生半可じゃなく寒いぞ」
「そうだね……」
「………」
「………」
 二人とも、何となく黙ってしまう。
 冷たさを増した風だけが、二人の間を流れていく。
「先輩はどうして屋上に来たんだ?」
「え?」
「こんなに寒いのに……」
「えっと……浩平君も来てるかなって思ったから」
「………」
「それで私の事を待って風邪でも引いたら悪いかなって思ったから」
「………」
「浩平君は? どうして屋上に来たの?」
「まあ……先輩と似たようなものか」
 本当は先輩に会いたかっただけなんだけど。
「くすっ、私と浩平君って似た者同士かもね」
「………」
 ちょっと無理がないだろうか。
 また少し強い風が吹き、
「くしゅんっ!」
 みさき先輩がくしゃみをした。
 っていうかそれ以前にむちゃくちゃ寒いんだけど。
「みさき先輩、そろそろ中に戻らないか? こんな所にいたら、本当に風邪引くぞ」
「うん……そうだね。そうしようか」
 そして俺とみさき先輩は校舎の中に戻った。
「明日からは屋上に行けなくなるね」
「そうだな、こんなに寒いんじゃあ……」
 もう屋上には行けない。
 みさき先輩とどこで会えばいいんだろう。
「先輩、家まで送っていこうか」
「いいの?」
「ああ、任せておけって」
 何を任されるのかはイマイチよくわからないが。
「それじゃお願いしようかな」
「ああ」
「でもあんまり一緒に帰ってるって感じしないと思うよ」
「………?」

「着いたよ。ここが私の家」
「………」
 納得。
 校門を抜けて道路を一本横切ったら、そこはみさき先輩の家の前だった。
「じゃあね、浩平君」
「………」
「送ってくれてありがとう。嬉しかったよ」
「………」
「ばいばい、浩平君」
「………」
 そう言ってみさき先輩は自分の家に入ってしまった。
 ううむ、なんか物足りない……。
 あれ? 明日からはどこでみさき先輩と会えばいいんだろう。

 大きな工場の煙突の向こう側に見える空がオレンジ色に変わると、一緒に遊んでいた友達のお母さんが迎えに来る。
 バイバイと大きく手を振り、お母さんに手を引かれて家に帰っていく友達を見送ると、僕ら二人だけの時間がやってくる。
 誰かが忘れていったシャベルが刺さった砂場も、みんなで先を争って上った滑り台も、
誰が一番大きく揺らせるか競い合ったブランコも……公園の中は僕ら二人だけの世界だった。
 お互いの名前を呼んで、お互いの長い影を追いかけて……みんなのお母さんより少し遅く、僕らのお母さんが来るまでの、夕焼けの短い時間。
 それは僕らが二人だけでいられる大事な時間で……世界中のみんなが僕ら二人だけの物になる時間だった。
 今日は昨日の繰り返しで、明日は今日の繰り返しだった。
 そんな時間の流れだけが、僕らの全てだった。
 そんな時間の流れを、いつまでも繰り返していられると思っていた。
 そんな時間が、永遠の続くものと信じていた。

 みさき先輩を家まで送って帰った後、次にみさき先輩に会えたのは一週間後の事だった。
「たぶん、浩平君」
 俺が呼び止める声に振り返ると、そこにはみさき先輩が立っていた。
「あってる?」
「正解。よくわかったな」
「うん。自分でもびっくりしたよ。ため息だけで当たるなんて」
 にこにこと笑うみさき先輩。
 一週間会わなかっただけなのに、妙に懐かしい気がする。
「浩平君、ため息なんかついてどうしたの?」
「実はこれから体育でマラソンなんだ」
「大変だね」
「そうなんだ。この寒い中、どうして走り回らなくちゃならないんだよ……」
 そして、ふと気付いた。
「みさき先輩、次の授業は?」
「3年生は進路相談で、午前授業なんだよ」
「げ、先輩はもう帰るのかよ」
「うん、そうだよ」
「『うん、そうだよ』じゃないでしょ!」
 背後から現れた深山先輩が、こんっと軽くみさき先輩の頭をこづく。
「あうっ、痛いよ〜、雪ちゃん〜……」
「みさきはこれから演劇部の手伝いでしょうが」
「うぅ……でも雪ちゃん、背後から不意打ちは卑怯だよ」
 みさき先輩の場合、正面からでも背後からでも変わらない気もするが。
「さ、みさき、行くわよ」
「あ、待って。もう少し浩平君とお話ししていい?」
「しょうがないわねえ……浩平君、みさきの事、お願いね」
 そう言って深山先輩は一人でさっさと行ってしまった。
「深山先輩って演劇部だったのか?」
「うん。部長さんだよ」
 演劇部の部長か……しっかりしてるし、適任だよなあ。
「浩平君、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「うん。実はもうすぐ雪ちゃんの誕生日なんだけど……」
「……金ならないぞ」
「そうじゃなくて。お金は私が出すから、浩平君にプレゼントを選んで買ってきてもらおうと思って」
「まあいいけど……先輩が自分で買いに行った方がいいんじゃないか?」
「うん、本当はね」
「なんなら俺も付いて行って、選ぶの手伝うから」
 みさき先輩と一緒に商店街で買い物……いいかも知れない、デートみたいで。
「でも私じゃお店まで行けないし、行っても選べないから」
「………」
 時々忘れそうになるが、みさき先輩は目が見えなくて、それでいろいろなハンディキャップを背負っている。
 だからこんな風に、親友の友達の誕生日プレゼントを買いに行く事さえままならない。
「そういう事なら仕方ないか……よし、俺がバッチリ選んできてやるよ」
「ありがとう、浩平君」
「それでどういう物を買ってきたらいいんだ?」
「う〜ん……ぬいぐるみなんかどうかな」
「そうだな。いいんじゃないかな」
「じゃあ、ウサギのぬいぐるみ、お願いね……これで足りるかな?」
 みさき先輩は財布から千円札を何枚か取り出す。
 ちょっと大変そうな手つきで。
「よくわかんねえけど……まあ俺に任せとけって」
「がんばってね、浩平君」

 放課後、俺は深山先輩の誕生日プレゼントを買うために、長森から教わったファンシーショップとやらに行った。
 そして……途方に暮れた。

 数日後、深山先輩の誕生日。
 放課後になると、俺は買ってきたぬいぐるみを抱えてみさき先輩の教室に行った。
「浩平君。プレゼント買ってきてくれたの?」
「ああ、バッチリ買ってきたよ。ほら」
 目の見えない先輩の手を取って、ぬいぐるみを渡す。
「ありがとう。ちゃんと買ってきてくれたんだ……このぬいぐるみ、可愛いのかな?」
「ああ、俺が買ってきたんだ。間違いないって」
「そうだよね。可愛いんだよね、きっと」
 みさき先輩は嬉しそうにぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「そうだ。これから雪ちゃんにこのぬいぐるみを渡しに行くつもりなんだけど、浩平君も一緒に行く?」
「え? 俺も?」
「そうだよ。このぬいぐるみは浩平君が買ってきてくれたんだから、半分は浩平君からのプレゼントだよ」
「………」
 そう言われると、一緒に行くしかなかった。

 演劇部は体育館の舞台で練習していた。
 慣れた足取りで歩いていくみさき先輩の後ろを付いて歩いていると、舞台袖で後輩の演技を指導しているらしい深山先輩の姿が見えた。
 目が合ったので手を振ったりしていると、俺の無防備な腹にタックルをかましてくる奴がいた。
 しかし体重の差のせいか、俺は軽くよろめいただけだったのに、相手は思いっきり転んで尻餅をついてしまった。
 っていうか俺がよそ見して歩いていたら、相手が勝手につっこんできただけなのだが。
「おい、大丈夫か?」
「………」
 相手は一年生らしい、ショートカットの女の子だった。
 尻餅をついたまま、大きな目にたっぷりと涙をためて、今にも泣き出しそうな感じだった。
 ……なんだか俺が悪いみたいじゃないか。
「立てるか? ほれ」
「………」
 俺が手を差し出すと、女の子は無言で俺の手を借りて立ち上がった。
 ついでにぱたぱたとスカートのほこりを払ってやると、女の子はにこにこと嬉しそうに笑い、何度も何度も頭を下げてから走り去っていった。
「浩平君、どうしたの?」
 みさき先輩が振り返って、声をかけてきた。
「あ、いや、ちょっとね」
「誰かと話してたの?」
「まあね」
「でも相手の人の声、全然聞こえなかったよ」
「………」
 あれ? そういえばあの子、一言もしゃべらなかったな。
 ……まあ別にどうでもいいけど。
「先輩、それより早く行こうぜ」
「うん。そうだね」
 みさき先輩の後ろをついていって舞台のすぐ下まで来ると、深山先輩は俺達の姿に気付いて、休憩にすると部員のみんなに言って舞台を降りてきた。
「どうしたの、みさき」
「じゃじゃ〜〜〜ん!」
 と言ってみさき先輩は持っていたぬいぐるみを掲げてみせる。
「雪ちゃん、誕生日おめでとう!」
 そして驚いて目を丸くしている深山先輩にぬいぐるみを押し付ける。
「え? これ、みさきが買ってきたの?」
「浩平君に頼んで買ってきてもらったの。だから私と浩平君からのプレゼントだよ」
「そっか……みさきからの誕生日プレゼントなんて、何年ぶりかしら」
 二人が仲睦まじく話しているのを所在なく聞いていた俺だったが、しばらくして深山先輩が俺に話を振ってきた。
「浩平君、プレゼントありがとう」
 にっこりと笑う深山先輩。
「いやあ、これくらい大した事ないって……まあ、今朝、家からぬいぐるみ持ってくる時に周囲の視線が冷たかったとか、一緒にいた長森に持たせたらやけに嬉しそうな顔するから慌てて取り返したとかいうのはここだけの内緒だけど」
「ところで浩平君、好きな女の子はいる?」
「………?」
 は?
 深山先輩、どうしてそんな事聞くんだ?
 答えに困った。
「浩平君、もし好きな子ができても、ぬいぐるみだけはプレゼントしない方がいいかも知れないわよ」
「………」
 どういう意味だ、それは。

 僕はいつも君の幸せだけを考えていた。
 しょっちゅういじめては泣かせたりもしたけど……基本的にはいつも君の幸せを考えていた。
 だけど幸せはいつも、僕の手の届くところより、ほんの少しだけ遠くにあった。
 明日はいじめないようにしよう、今日いじめた分、明日は優しくしてやろうと、いつも思っていた。
 明日は今日よりも幸せに違いないと、いつも思っていた。
 届かない手を必死で伸ばしながら、明日になれば届くかなと期待して、そんな日が来る事を夢見て眠りについた。

 次にみさき先輩と会えたのは、十二月二十四日クリスマスイブ、学校の自販機の前を通りがかった時だった。
「あの、すみません……」
「………」
 みさき先輩は他の生徒に話しかけては、その度に無視されている。
「よお、みさき先輩」
「あ、浩平君」
「何やってたんだ?」
「のどが渇いたから、ジュースでも飲もうと思って来たんだけど……」
 盲目のみさき先輩には、自販機は使えない。
 だから誰かに頼もうと声をかけるのだが、無視される……というわけか。
「じゃあ先輩、俺が買ってやるよ」
「うん、それじゃあお願いするね……私、コーヒーがいいな」
「………」
「………」
 沈黙。
「みさき先輩……」
「どうしたの? 浩平君」
「お金」
「……おごってくれないの?」
 しゅんとうなだれる先輩。
「当たり前だっ!」
「冗談だよ」
 みさき先輩は可愛らしいがま口を取り出し、手探りで小銭を取り出して俺に手渡した。
「はい……浩平君、がんばってね」
「おう、任せておけ」
 よくわからないノリのやりとりの後、俺は自販機でコーヒーを買ってみさき先輩の元に戻った。
「先輩、お待たせ」
「ありがとう、浩平君」
 みさき先輩は嬉しそうに缶コーヒーのプルトップを開け、口を付けた。
 そして……。
「苦いよ〜〜」
「え?」
 慌てて先輩の手の中のコーヒーの缶を見る。
「……先輩、もしかして砂糖とミルクがたっぷり入った甘いコーヒーが良かったのか?」
「うん……」
「悪い、俺、ついいつもの習慣で……」
「ううん、気にしないよ。わざわざ浩平君が買ってくれたんだもん。それだけで嬉しいよ」
 先輩はそう言ってまたコーヒーに口を付ける。
 よっぽど苦いのが苦手なのか、ちびちびとなめるような感じで口を付けている。
 苦いコーヒーをがんばって飲むみさき先輩(なんとなく可愛い仕草だった)を眺めていた俺だったが、ふと思い付いて話しかける。
「そういえば先輩、今日はクリスマスイブだよな」
「うん、そうだね」
「先輩は予定あるのか?」
「うん……」
「もしかして友達と一緒とか?」
「違うよ。雪ちゃんは演劇部の人達と一緒なんだって。だから私一人だよ」
「そうか……それじゃあ、俺と一緒に過ごさないか」
「え?」
 心底驚いた顔をするみさき先輩。
「二人で商店街を歩いて見ようよ。クリスマスだからライトアップしててキレイなんだぜ。それから二人で食事して、ウインドウショッピングなんかして、それから、それから……」
「浩平君……」
 つぶやくように口を開くみさき先輩。
「私なんかでいいの?」
「ああ」
 しっかりうなずく俺。
 みさき先輩じゃなきゃダメなんだ、という言葉は飲み込んだ。
 さすがにちょっと恥ずかしいから。
「浩平君……でも……ごめん、やっぱりダメだよ」
「………」
「私、目が……その……こんなだから、浩平君に迷惑かけちゃうよ。だから……」
 うつむいて、消え入りそうな声で言う先輩。
 なんとなく、その声はみさき先輩自身を納得させるためのような気がした。
「ごめんね、浩平君」
「いや、いいんだよ、先輩が嫌だって言うんなら」
「うん……あ、そうだ。それじゃあ私の家に来る?」
「え?」
 みさき先輩の家? それはそれで楽しいかも知れないが……。
「う……悪いけどそれはちょっとパス」
 みさき先輩の両親に紹介されたりしたら、多少以上に居心地が悪い思いをするに違いない。
「そっか。残念だよ」
 ようやくみさき先輩にいつもの笑顔が戻ったようだった。
 ちょうど会話が終わったのを見計らったように、チャイムが鳴った。
 また次の授業が始まる。
「じゃあな、先輩」
「ばいばい、浩平君……誘ってくれて嬉しかったよ」
 みさき先輩が小さく手を振った。

 その日の放課後、俺は一人で商店街を歩いた。
 街はどこもかしこもクリスマス気分に着飾っていた。
 左右に並んでいるレストランやCD屋なんかも、クリスマスらしく飾り付けられ、イルミネーションされて、いつもとは違って見える。
 まるで知らない街に迷い込んだみたいだった。
 行き交う人達も、クリスマスらしくみんな素敵な笑顔を浮かべていた。
 風が吹く。
 季節が季節だけに、少し風が吹くとたちまち身を切るような寒さを感じてしまう。
 俺はポケットに手を突っ込んで、猫背気味になって歩いた。
 ……どうせならみさき先輩と歩きたかったな。
 いつも優しく笑ってくれる先輩は、どんな笑顔を見せてくれるだろう。
 さっき隣を歩いていった恋人同士みたいな笑顔を見せてくれるのだろうか。
 少し強く風が吹いた。
 夜遅くなってきて、人影もまばらになってきた。
 俺は家に向かう足取りを心持ち速めた。

「浩平?」
 突然かけられた声に振り返った。
 長森がこちらの顔をのぞき込むようにして立っていた。
「どうしたんだよ、こんな時間に」
「友達の家でパーティやってて、その帰りだよ。浩平こそどうしたの?」
「別に」
 自分の素っ気ない返事を、不誠実だな、と思ったが、長森からの追求がなかったので、そのまま星を眺めるのに戻った。
 いつも見慣れた公園の、見慣れない夜の風景。
 怖いくらいに暗い木々から視線を上に向ければ、ぎっしりと敷き詰められた数え切れない星くずが夜空を覆っていた。
 俺の座っているベンチの隣に、長森が腰を下ろす。
「浩平、寒くない?」
「寒い」
「帰らないの?」
「もう少し……」
「うん……わかった」
 長森も俺に習って空を見上げる。
 一人で先に帰ってもいいのだが、どうやら最後まで俺につき合うつもりらしい。
「なあ長森……」
「どうしたの?」
「俺とお前が初めて会った時の事……覚えてるか?」
「覚えてるよ。それがどうしたの?」
「いや、前にもこんな事があったような……そんな気がしただけだ」
「え? どういう事?」
「なんでもない」
 少し強く風が吹いた。
 この星空も……先輩に見せてあげたかったな。

 僕はいつも君の幸せだけを考えていた。
 しょっちゅういじめては泣かせたりもしたけど……基本的にはいつも君の幸せを考えていた。
 だけど幸せはいつも、僕の手の届くところより、ほんの少しだけ遠くにあった。
 明日はいじめないようにしよう、今日いじめた分、明日は優しくしてやろうと、いつも思っていた。
 明日は今日よりも幸せに違いないと、いつも思っていた。
 届かない手を必死で伸ばしながら、明日になれば届くかなと期待して、そんな日が来る事を夢見て眠りについた。
 だけど……そんな日々さえ本当は幸せだという事には、それが失われるまで気付かなかった。


BLIND(前編) 了
後編に続く


あとがき

「僕の一番聞きたくないと〜 思う言葉で君が〜
 楽になったり幸せになれるなら
 簡単に言えるよ よく聞いてて
 さよなら さよなら
 僕という目かくしをはずしてあげるよ
 さよなら さよな〜ら
 この魔法を解くよ その人だけ見えるように〜」
 っと。
 ど〜も、wen-liです。
 たいへん長らくお待たせしました。
 「BLIND(前編)」いかがだったでしょうか。
 今回はタイトルを槇原敬之「HAPPY DANCE」のカップリング「BLIND」からとってみました。
 槇原敬之の数ある名曲の中でもお気に入りの曲のタイトルをとった事に、今回の作品にかける意気込みが感じられるのですが、覚醒剤不法所持で逮捕された後では説得力に欠けるのが難点です。
 でも「BLIND」の歌詞から小説の基本的な方針が決めたりしている部分もあるんですよね。
 逮捕されても名曲には違いないので、ぜひ聴いていただきたい一曲です。

 「えいえん」とはなんぞや?
 それが私がONEをプレイしての、最大の疑問です。
 前の2作ではこれを棚上げし、「1年間の別れに至る自然なストーリー展開」を課題にしていましたが、今回の「BLIND」はONEの二次創作第3弾という事で、この「えいえん」に挑戦しています。
 「えいえん」への初挑戦となる本作ですが、ヒロインとなる女の子は長森瑞佳ではなく川名みさきです。
 ONE本編中では、長森瑞佳だけが「みずか」の存在で、「えいえん」との接点を持ちます。
 にも関わらず、長森瑞佳のシナリオは(「えいえん」との関わりという点で)他のシナリオと違いがなかったりします。
 その辺りにONEのシナリオの「えいえん」に対する不誠実さが現われていると思います。
 結局のところ、「えいえん」とは、折原浩平が消えて1年後に戻ってくる事の理由に過ぎないのか?
 折原浩平は「えいえん」に対してどのような結論を出したのか、折原浩平にとって絆を深めた女の子のそばを離れた1年間にはどのような意味があったのか。
 そしてそれを表現できるのは6人の女の子の内の誰なのか?
 たぶんそれは長森瑞佳ではなく、川名みさきだろう、と思ったわけです。
 とりあえず私の筆力では川名みさき以外では無理です。
 さて、川名みさきシナリオにおける問題点ですが……この先は後編をお楽しみに、という事で。

 前作「雨の日の待ち人」の公開後、いろいろな方から貴重なご意見をいただきました。
 自分でも読み返してみて、恥じ入るばかりです。
 本編は直すべき肝心の場所を直さず、ONEの細かい揚げ足取りに始終し、あとがきでは自分の作品に対する過大な評価をし……自分のした事ながら、ただただ反省するばかりです。
 「雨の日の待ち人」とあとがきを読んで不愉快に思われた方、大変申し訳ありませんでした。
 ただし、あとがきにおけるONEの茜シナリオに対する評価全てを撤回するわけではありません。
 私の茜シナリオ評に対して、私の筆力が不足していた事が原因です。
 今回の「BLIND」では上記について深く反省した上で書いております。
 後編の公開後は、みなさまの歯に衣を着せぬ意見をお待ちしています。

 でわでわ。


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