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TWIN

今の僕は確かに幸せだといえる。
でも、
今幸せだと言ってしまえば、
幸せに思えたあの時が、
嘘になってしまうようで、
恐い。

<4月27日>
『立入禁止』
それが中国語であったとしても、多分その意味は同じだろう。
問題はその貼り紙がされたドアに鍵が掛けられていないという事だ。
よって俺がここに居たとしても、それは咎められるべき問題じゃないと思う。
この時期の屋上の日溜まり。昼寝の場所としてはこれ以上のものはないはずだ。
横にならないと眠れない体質なので、午後の授業の分までたっぷりと寝溜めをしておかなければなるまい。
周りに何も無い場所を選んで大の字に寝転がる。
「みゅー」
…昔のことわざにも有ったな。どうしてこういいタイミングで邪魔が入るのか?
ボフン。
腹部に衝撃。一瞬息が止る。ダイブされたらしい。
「わあぁ。繭っ、なんてことを」
先程とは別の声。
「小林君。大丈夫?」
俺の心配をしてくれている。しかしそれ以前に俺はやる事があるのだ。
「しぃいなぁ。おまえなぁ」
どうにか息が整うと、俺は腹の上に乗っかっている奴を睨みつける。
「みゅぅ」
椎名 繭(しいな まゆ)。短く刈られた髪がその子の快活さをアピールしている。
いや、快活というよりも、後先考えないタイプ…良く言えば無邪気、悪く言うなら成長しない。そんな感じの女の子だ。
「ほら、繭、小林君に謝っちゃいなさい。今、謝れば小林君だって許してくれるから。」
「そんなに簡単に許すなよ」
俺の横で椎名を諭してるのが、渡辺 美亜(わたなべ みあ)。椎名と比べるとおとなしそうな印象だが、どちらかというと、物事を一人で進めていく、少し強引な性格の持ち主。
「ごめんなさい。」
「そういう訳で、繭も反省してるみたいだから、許してあげて。」
「わかったよ。で、何か用か?」
「べつに用って程の事じゃないけど…」
「お昼寝。」
「え?」
「草野君に小林君の居場所を訊いたら、屋上で昼寝だろうって。それで繭も一緒にお昼寝したいって言って。」
「それでどうして俺を探してたんだ?」
「だから特別用事があったわけじゃなくって…」
結局 、昼休みが終るまで俺は横になっただけ、椎名は熟睡、渡辺はその横に座ってくだらない事を話していた。

「いっしょに帰ろ」
放課後になると真っ先に椎名が誘いに来る。そして当然のごとく渡辺も一緒だ。
「今日は山葉堂よって行かない?」
「山葉堂って、あの山葉堂か?」
「そう、長い事行ってないから、そろそろまた行きたいな。と思ったの」
ワッフルの専門店『山葉堂』は、新聞の地方版やタウン誌で何度も紹介されている名店だ。
ワッフルブームの頃はどうにも客を捌ききれず、整理券を配ったほどだとも聞く。最近ではそう言った事態にはならないが、それでも下校時間には長い行列ができる。
俺はそれほどワッフルが好きと言う訳でもないので、たいていはその行列を冷ややかに見てきたが、今日はそういう訳に行かなくなったようだ。

案の定。山葉堂の前は行列ができていた。
「これに並ぶのかぁ」
「大丈夫。せいぜい30分ぐらいよ」
そう言って渡辺は行列の最後尾に付く。
「30分だとぉ。俺はどっかで時間潰して来るから、後は頼む」
「一人で待ってろって言うの?小林君て冷たいのねぇ。普通男の子の方が並んでくれるもんじゃない?」
「彼女にだったらそうするよ。って椎名。割り込むと起こられるぞ」
椎名が列の前の方に向かって走り出したかと思うと、数メートル先に立っていた人物に、後ろから抱き着いた。
「ちょっと椎名を連れ戻してくる」
「すぐに戻ってきてよぉ」
椎名が抱き着いたのは大学生風の男。しかもすぐ側に彼の連れと思われる女性が、椎名とその男を見つめている。どう見ても恋人同士と言った雰囲気だ。
「椎名!」
その場に駆けつけると、真っ先に椎名の肩を掴む。
「おっ。椎名の彼氏か?」
俺の顔を見て、椎名に抱き着かれていた男がそう言う。どうやら椎名の知り合いらしい。
椎名の方も少しはしゃぎ気味の様だ。
「君もワッフル食わないか?」
彼が再び俺に向かって言う。
初対面の人間に対して二言目で誘うのか?
なんだか余裕のある人だなぁ。
顔見知りする質の俺にはちょっと真似が出来ない。
「ええ、そのために並んでいたんですけど…」
こっちとしては失礼の無い様に振る舞うので精一杯。
「一緒に注文してあげますよ。」
今度は女性の方が言った。やはり二人連れだったようだ。
「いいんですか?それにもう一人いるんですけど」
「構いませんよ」
ここまで言われたら、その好意を甘んじて受けるのが誠実と言うものだろう。
「じゃあ。ちょっと待って下さい。そいつを呼んできますから」
俺はすぐに渡辺のところに戻り、事情を説明してやる。
「ホント?あの辺だと10分くらいよね」
渡辺は手放しで喜び、俺は渡辺を連れて再び3人と合流する。
「何がいいですか?」
俺と渡辺が加わると、まず女性の方がそう訊てきた。
「チョコレート!」
椎名が即答。渡辺はちょっと迷っているらしい。
「俺。あんまし甘くないやつで、」
今度は男性の方が、妙な笑みを浮かべてこんな事を言った。
「そうか、だったら茜と同じやつだな」
どうやら『茜』と言うのが彼女の名前のようだ。
「浩平!」
今度は女性の方が抗議の声を上げた。
「だっておまえ、誰彼構わずあれを薦めてたじゃないか」
多分『浩平』というのがこの人の名前だろう
「この人は『甘くないの』って言いいました。」
「茜でもあれの甘さは自覚していたか?」
「おいしいですけど」
「まあいいか、面倒だから全種類2個づつにしよう。そうすりゃ適当に分けれるだろう」
この『浩平』という人はわりと強引な人のようだ。
その後、俺たち3人は言われるままにが列を離れて待つ事になった。
暫くすると、さっき『茜』と呼ばれていた女性の方が紙袋を持って俺達の元にやって来た。
「近くに公園があるからそこで食べましょう」
「あれっ。お連れさんは?」
一緒だと思っていた『浩平』と呼ばれた男性の姿が見えない。
「浩平なら飲み物を調達して来るって」
そう言いながら彼女は近くのコンビニを目配せした。
「じゃあ俺も。後から行きます。先行っていて下さい」
そう言ってコンビニに向かった。

「ちょうど良かった。もう一人の女の子、あの子の好みとか分かるか?」
探すまでもなかった。
中に入るなり彼の方から声を掛けてきた。
「渡辺の事ですか?あまり好みとかはわかりませんけど、烏龍茶か紅茶でいいんじゃないですか?」
「そうだな。君は?」
はっきりとは言わないがおごるという事なのだろう。
「コーヒーにします」
こういう時に自分だけ別清算にする方が失礼なんだ。
清算を終え、ビニール袋を下げて店を出る。
「名前聞いてもいいか?」
「俺のですか? 小林です。小林 翔(こばやし しょう)」
「しょう?どんな字書くんだ?」
「飛翔の翔です」
「ふーん。オレは折原 浩平(おりはら こうへい)だ。よろしくな翔。」
この折原と言う人は、会っていくらもない俺を名前で呼んできた。
昔はよく名前で呼ばれていたが…
「どうした。気に触ったか?」
「いえ。名前で呼ばれる事に慣れてなくって…」
「ああ、そうか。でも小林なんてありふれた名字より、翔って名前の方が良いと思うぞ。」

公園に着いてみると椎名が『茜さん』の髪の毛にじゃれついているところだった。
「なんだ。またおさげいじらせているのか?」
「昔、七瀬さんの髪の毛を、よく引っ張っていましたよね」
「俺には触らせてもくれないくせに。」
「浩平に触らせると、どんな髪型にされるかわかりません。」
「ちっ。そういや面と向かって話すのは初めてだよな。」
「はい。」
「いいか椎名。この人が里村 茜(さとむら あかね)だ。この人はな長森のお母さんで…」
「違います。」
「髪が長いのは、ギネスに挑戦しているからなんだ。」
「してません。普通に紹介して下さい。」
「…で、俺が折原浩平」
「あの」
折原さんの名前を聞いて、渡辺が口を挟んだ。
「折原さんて、ひょっとして繭が登校拒否してた時に…」
「ああ、よく知ってるな。君は?」
「あっ。私渡辺美亜って言いいます。繭とは中学から一緒で、」
「おい、何なんだよ繭と折原さんて?」
どうやらここにいる人間の中で椎名と折原さんの関係を知らないのは俺だけのようだ。
「…あとで話すわ」
どうやら本人のいる所では言い辛い話らしい。
折原さんの方を見ると
「翔。茜に自己紹介してくれ。」
口でそう言いながら、『話せば長くなるんだ』と目で訴えてきた。
「あ、はい。小林翔です。こいつらとはクラスメイトなんですけど…」
「翔?」
「はい?」
「いい名前です。気に入ってますか?」
唐突に、自分の名前が気に入っているか?などと聞かれれは誰だって戸惑うものだと思う。だいたい『良くない名前』などあるのだろうか?名前と言う物は親が少しでも良い名前をと思ってつけるものだろうに。
「おいおい、早いところ食わないと冷めちまうぞ」
いいタイミングで折原さんが割って入り、その場の雰囲気ががらりと変る。
これは彼の才能なのかもしれない。
「山葉堂のワッフルは、パタポ屋のクレープ、ココファームのアイスクリームと並ぶ名品だからな。」
「ええっ?アイスクリームもやっぱりパタポ屋だと思うけど」
渡辺がすぐに反論する。
「パタポ屋の場合は種類が多いだけで、味の点ではココファームの方が上だろう。」
その後1時間近くにわたって折原さんと渡辺の議論が続いた。

「翔」
駆(かける)が来たのを確認する。
僕は生まれつき体が弱かったので、
あまり親しい友人を作る事もできなかった。
僕にとって駆は、唯一親しい間柄だった。
僕には駆しかいなかった。

<4月28日>
今日も昼飯を食い終えて屋上に向かう。
クラスメイトの草野 直次(くさの なおつぐ)は、中庭の方が良いというが、日当たりのコンディションを考えれば、たとえ3階分の階段を上る事になっても屋上の優位性は揺らがない。
『立入禁止』の貼り紙のあるドアを開けて屋上に出ると、そこには先客がいた。
女の子だ。フェンスの前に立ってそこから景色を眺めているようだった。
制服の着こなしから見て1年生だろう。俺自身20回も袖を通しているが未だにしっくりこない。
しかしそれ以上に目を引いたのがその子の顔立ちだ。
『可愛いではなく綺麗』
そう。まだ15そこそこで『可愛い』を卒業していた。しかし『美人』と言うには少しあどけない。まるで人形のような完璧さを持ってそこに立っていた。
しかし、短く刈られた髪型が、その顔にまったく似合っていない。
入学前にイメチェンしようとして失敗したんだろうか?
美容師であれ、理髪師であれ、こんなに無残な髪型にするだろうか?
『無残』
その表現が最もしっくりくる気がした。
「あ、あ、邪魔はするつもりないから」
とりあえずそう言ってど真ん中に腰を下ろす。
ここで仰向けになるのはさすがに気が引けた。
しかし、ただ座ってもやる事など無い。元々寝に来たのだから何か用意してあるわけでもない。寝ていいか?とか聞けばいいのかもしれないけれど、今日は横になったところで、眠りに集中できない気がする。
「何か見えるのか?」
寝る事を諦めた俺は、彼女の横に立って、同じ風景を眺める事にした。
「高いところは好き?」
煙と何とかではないが、面と向かって『高いところは好きか?』などと聞かれれば、何か裏があるのではと疑ってかかるのが当然だと思う。しかし、この状況において『嫌い』などと答えれば、『何故こんな所にいるのか?』と聞かれてボロを出す結果になりかねない。
「眺めの良いところは好きだ」
結果としてこのくらいひねって答えた方が、後々の為なのだと思う。
「確かに眺めは良いわ。でも高くはないのよね」
学校の場所は高台にあり、この屋上に立てば街が一望できる。しかし学校の建物は3階建て、駅前や商店街の方には10階前後の建物がいくつかあるので、発展途上気味なこの街においてもこの学校は高い方じゃない。
多分そういう事なんだろう。
その後、昼休みが終るまで黙って景色を見ていた。

ただ並んで歩く。
それだけの事に何故これほどに違和感を感じるのだろう?
俺と彼女が並んで歩いているのは、単に行き先が同じだからに過ぎない。しかもお互いに申し合わせたわけでもなんでもないのだから、先に行けば付いて来るわけでもないし、足を止めれば待ってくれるわけでもない。
違和感、後ろめたさ、嫌悪感、居心地の悪さ、…。
どれも当てはまりそうで当てはまらない焦燥感。
しかしそんな感覚も教室に着いてしまえば別種の物になる。
俺が教室の前で立ち止まっても、彼女はそれを気にとめる事無く先へ進んでいく。
当たり前のはずなのに、何故か苛立ちを覚える。
その所為だと思う。俺は自分の教室の前に立ったまま、彼女が教室に入るまで彼女の背中を眺めていた。
「小林は牧村狙いか?」
「うわっ」
いつのまにか後ろに田槙(たまき)が立っていた。
「脅かすなよ」
「いや悪い。ただ小林が牧村 彩(まきむら あや)と仲良く降りて来るのが見えたものだからな」
「たまたま屋上にいたんだよ。それよりあの子の事知っているのか?」
「知っているって程じゃないさ。ただ今年入学した中で一番の綺麗どころだって噂だ」
確かに誇張でもなんでも無く、そうだろう。しかしあの髪型の不可解さだけはどうにも拭えない。
「田槙?」
「ん?」
「下の名前、晋也(しんや)で合ってたよな?」
「おう。牧村紹介してくれるか?」
べつにそんな事が知りたかったわけではないが、こいつがそうとうな楽天家だという事は分かった。

「渡辺。」
放課後になり、荷物をまとめて帰り支度を済ますと、すぐに向き直って渡辺に声を掛ける。
「みゅ?」
しかし案の定というか、ちょうど俺の目の前まで来た椎名に呼びかける形になった。
それでも椎名のすぐ後ろには渡辺が立っているので目的には適っている事になる。
「…今日、時間あいてる…よな?」
この図式は俺を誘いに来ているのだから、俺に付き合えと言って断られるとは思えない。
しかし一月足らずの付き合いでしかないのだから、俺の知らない用事や、行動パターンが有ったとしても不思議はない。
「小林君の方から誘ってくれるの?珍しいねぇ。何か下心でもあるの?」
あくまでも確認だ。バカ
口には出さず、心の中でそう呟いた。
「いや、折原さんの事だ」
「ああ、そう言えばまだ話してなかったね」
「だから今日はBOSに行かないか?あそこならゆっくり話せる」
「ハンバーガー」
椎名が嬉しそうに言う。
「じゃあ、決まりね」
「おいっ、椎名がいても大丈夫なのかよっ?」
「大丈夫よ」
あれっ。思っていたのと話が違うような…

「彼はね、繭の憧れの人。」
渡辺はそう言って話を始めた。
「繭、中学のとき登校拒否しててね。学校に行かずにフェレットのみゅーと遊んでたんだって。」
「それで、そんな時、繭の遊び相手だったみゅーが死んじゃって、その子のお墓を作ろうとしてたとき、彼が通り掛かって、手伝ってくれたんだって。」
「その後、繭が独りぼっちだって事を知って、繭を学校に連れてってくれたの。」
「学校?説得したって事?」
「違う違う。折原さんの学校。あ、あの人うちのOBなの」
「それでか、椎名がうちの高校に入った理由は」
渡辺の横でジュースを啜っている椎名に目をむける。
「うーん。繭が入れる所がうちだけってのもあったんだと思うけど…」
「でも、すごい人よね。繭のために制服とか用意して、繭の学校嫌いが直るまで面倒見てくれるなんて」
確かにそうだ。登校拒否の理由も聞かずに、自分の学校に連れて行くなんて、普通にできることじゃない。
大抵の人ならば、壊れ物のように扱ったり、距離を置いてしまうものなのに…
「そう言えば、なんで登校拒否なんか?」
「うん。私も全部知っているわけじゃないんだけど…イジメとかじゃないかな?」
「イジメ?」
椎名が苛められる?
………。
「ほら、繭って…。中学のときも、男子にイタズラされたりしていて…」
「でも、イジメくらいでへこむようなタマか?」
「それは今の繭だからだよ。繭ってボーッとして見えるけど、すっごく堪えちゃう子なんだよ。見た目では想像も付かない位、辛いはずなんだよ。でも、それに耐えられるくらい強いんだよ。」
ふと、昨日の事を思い出す。
折原さんと里村さん。
椎名があの二人の関係を承知していて…承知の上で憧れの折原さんに甘えに行ったのだとしたら…
「そうだな」
俺は氷を齧っていた椎名の頭に手を置いてやる。
「椎名は強いな」

「おかえり」
単身赴任中の父さんが一時帰宅していた。
「…ただいま」
ここのところ帰宅したときに迎え入れる人がいなかっただけに、『ただいま』を言う癖が抜けていた。
「今年は…9日?」
「ああ」
明日からゴールデンウィーク。
普通ならば貴重な家族団欒の時をすごすのだろうが、我が家の場合は憂鬱な1週間の始まりを意味する。
「今日も寿司?」
我が家の恒例で父さんが帰ってきた日は外食になる。
日頃家にいない父の謝罪…あるいは…
寿司と言っても回転寿司だから、それほど美味いとも思えない。そうでなくてもこの時間は決して楽しいものじゃあない。
最近この行事が回転寿司オンリーになっている理由…
だが…
昨日の事を思い出す。
折原さん、里村さん、椎名、渡辺、
人付き合いの苦手な俺があんなにもくつろげたのは…
ひょっとしたら…いや、もし俺に変えられる事があるとしたら…
「今日はしゃぶしゃぶにしない?」
微かな希望。たとえ叶わなくても、今はすがりたい…

その日はジャージ姿で現れた。
確かサッカーの試合だとか言っていた。
「試合、どうだった?」
「2―3で負け。うちのチームはパスワークが…」
駆はチームのエースストライカーだと言っていた。
駆の話は時々分からない事があるが、
駆はそのつど分かりやすく説明してくれた。
駆は将来サッカー選手になるのだと言っていた。
そんな駆が僕の自慢だった。

<5月1日>
来週には体育祭。高校の学校行事は2学期に集中するのを避けるため。体育祭と修学旅行を1学期、2学期で振り分けるようになっている。
我が校の進学率は決して高い方ではないのだが、かつては名門校だったらしくその名残で、修学旅行は2年次の2学期に行われ、体育祭が1学期に開かれているそうだ。
「俺も参加しなきゃいけないんですか?」
「一応全員参加が基本になっているからな、まあ勝ち負けにこだわらずに無理のない範囲でやればいいだろう」
ほぼ全ての教員には、俺の身体の事は話が通っている。だから体育祭には不参加で済むものと思っていたのだが…。
「でも、なんだってサッカーなんですか?」
「サッカー部員が多いんだよ。おまえが入ってくれなきゃメンバー不足なんだ」
1年部員まで外すこともないだろうに…。大体、来年まで何人在籍しているって言うんだ?
来年の体育祭でも『幽霊部員も不可』なんて言っているんじゃないだろうか?
「とりあえず、今日の授業はハーフコート6対6でやるから、やれる範囲ってのを体で覚えておくといい」
「とりあえず、わかりました」
「ヤバそうだったら手を挙げろよ」
「その時は倒れますから、後はお願いします」
そう言って体育教師のもとを離れ、メンバーにまざる。
「何話していたんだ?」
草野も同じチームになっていた。
「俺。生まれつき心臓が悪いんだ」
「…毛が生えてるとか?」
「…それはおまえだろ」

「なんで俺にばっかパスを出すんだよ?」
「あそこまでフリーの奴に回さないで、何処に蹴れってんだ?」
結果は6―0。
「できるだけ邪魔にならんようにしてただけだ」
「その上、ものすごく良いところに上げて来るし…」
俺個人では3アシスト。
「とにかく。おまえレフティで決まりな」
「俺を殺す気か」
「どうせ何試合もするわけじゃないんだから」
「当たり前だ。心臓止ったりしたらお前のよこせよ」
「おまえの心臓の方が強そうな気がするが…」

3限目が終り昼休みになる。
午前中に体育があったせいで、適度な疲労感とともに、空腹感が俺の全てを満たしていた。
今日はパンだけじゃ足りないな。
そう思って学食に行くことにした。
注文カウンターに並びながら、空席を確認する。
もちろん流動的な物だから、今ある空席に必ず座れるわけじゃない。
流れを見極めることが大切なのだ。
その時に目に付いた空席と、その前に座る人物。
確か牧村…。
彼女が食事をしている真正面が、丁度空いていた。
カツカレー(大盛り)を抱えて彼女の前に座る。
「…」
「…」
「…」
「…」
しまった。座る前に『ここ、いいですか?』くらい言えばよかった。
「先週、屋上にいたよね?」
とにかく話題をひねり出す。
コクン。
無言で頷く。
「…」
「…」
「…」
気まずい。
ここが空いていた理由が分かったような気がした。
「…」
「…」
黙ったままだとホントに気まずい。
「いつも学食なの?」
「そうね」
今度は口を開いたが抑揚のない声。
駄目だ。話が続かない。
だいたい人付き合いが苦手な癖に、何をしてるんだ俺は?
「みゅー」
突然背中を叩かれる。
振り返れば椎名と渡辺が立っていた。
「小林君も来ていたんだ」
どうやら二人は食い終わったところらしい。
「知り合い?」
目の前にいる牧村を見てそう訊ねる。
「知り合いと言うか、何と言うか…」
再び彼女の方を見ると、その横に椎名が立っていた。
「椎名繭」
椎名はそう言って牧村に笑顔を見せる。
自己紹介のつもりらしい
「…」
「…」
「…牧村…彩」
しばらくの沈黙の後、牧村が表情を和らげて、椎名に自分の名前を告げた。。
「私っ、渡辺美亜って言います」
すかさず渡辺も名乗り出る。
「あっ、おっ、俺は小林翔」
雰囲気に流されるようにして俺も自分の名前を出した。
「牧村さん、1年生ですよね?」
「ええ」
「私たちと一緒ですね。私…」
このあと昼休みが終るまで、渡辺が話題を振り、牧村が答えると言うパターンが繰り返された。

「牧村さんて、奇麗な人よね」
駅寄りにある喫茶店『さんぱうろ』の利点は、500円でコーヒーが飲み放題ということだ。
「女の目から見てもそう思う?」
飲み放題と言っても店の主人が一杯ずつ煎れるので、味の方も保証付きだ。
「女を見る目は同性の方が確かなのよ」
聞いたような台詞だな。
「そう言うもんかぁ?」
「だってさ。男の子ってちょっとした小細工で、すぐ騙されるんだもん」
「経験あるような言い方だな?」
「でも、どうしてあんなに短くしてるんだろ?」
こいつめ。思いっきり話を逸らしたな
でも、追求したいわけじゃないし
「やっぱり失恋じゃない」
「あのね、小林君。髪を切ったら失恋なんて短絡すぎ。そりゃ気持ちを切り替える為に髪形を変えたりもするけど、でも髪を切る理由なんていくらでもあるんだから。」
「いや、それ位は分かってるけど…。でなきゃあれだ。入学式前に切りに行って失敗したとか」
「それでもあんなに短くは切らないわよ。」
ふと目の前にもショートカットの女の子がいることに気づいた。
「椎名は髪伸ばさないのか?」
「みゅっ。長いとたいへん。」
どうやら長い髪は手間が掛かることを言っているらしい。
「長くしていると、手入れとかにすんごく手間が掛かるの。」
「いや、それくらい判るって。」
「おかわり、お持ちしましょうか?」
ウェイトレス(奥さんだけど)が話しに割って入る。
俺のカップも渡辺のカップももう殆ど残っていない。
「いただきます。」
「お願いします。」
二人してそう告げると、二つのカップが下げられた。
椎名は空になった自分のグラス(椎名だけオレンジジュースを頼んでいたのだ)を持って、恨めしそうな顔をしている。
「判っていると思うが、自前だからな」
そう言うと、暫くきょろきょろと目を動かしていたが、諦めたらしくお冷やのグラスに持ち替えた。
「やっぱり短きゃ短いほど手入れは楽なのか?」
そう言って俺は話を戻す。
「一応そういう事になるけど…あれはちょっと違う気がする」
「だよな」
「なんか、自分を醜く見せようとしているみたいな…」
「なんだよそれ?」
「…わかんない」
そこで二杯目のコーヒーが来た。

<5月2日>
昼休み。学食に行ってみると昨日と、同じ席に牧村が座っていた。
そして今日も向かいの席が空いている。
「ここ、いいかな?」
そう言って、サバ定食の乗ったトレイテーブルの上に降ろし彼女の反応を伺う。
「どうぞ」
そっけなくではあるが、彼女がそう答える。
「…」
「…」
「…」
しかし好調だったのはそこまでで、自分一人では話題を振っていけず、またしても気まずい雰囲気になって来る。
「…」
「…」
情けない話だが、誰かしらに雰囲気作りをやってもらはない事には、間が持たない。
仕方なく、食堂内に渡辺の姿を探してみる。
「昨日の子達は一緒じゃないの?」
突然、彼女の方から話掛けてきた。
「えっ、ああ、多分来ていると思ったんですけど…」
「可愛い子達よね。どっちの子がいいの?」
どうやら牧村は、あいつらの事を彼女か何かだと思っているようだ。
「そんなんじゃないですよ。懐かれたと言うか、取り憑かれたと言うか…」
「?」
「入ってすぐの事なんですけど、そこで並んでいたら、椎名…ってわかります?」
「ショートカットの子ね」
「そうです。あいつが入り口ん所でコケて、小銭ばら撒いたんですよ」
「ああ、いたいた」
突然割り込む声。渡辺だ。
「牧村さん、こんにちは」
「こんにちは。ちょうどあなた達の話をしていたところ」
「何の話?」
「椎名が小銭ぶち撒けた時の」
「ああ、あの時小林君も拾うの手伝ってくれたんだよね」
「あれが間違いの元だった」
ガタン。
俺の隣が空いた。
今食い終わったと言うより、渡辺の為に空けたようだ。
「すみません」
すかさず渡辺が座る。気が付けば椎名はとっくに牧村さんの隣に座っていた。
「あの時は、小林君て親切な人なんだって思ったけど」
「と言うか、二人して近くに落ちたのしか拾ってなかったじゃない。普通は一人が近くにあるやつ拾って、一人は転がってったやつを拾いに行かないか?」
「考えもしなかったね」
椎名と渡辺がお互いに見合う。
牧村さんはおかしそうに笑っている。
「ね。どっちにしてもこんなの彼女ってタイプじゃないですよ」
「じゃあさ、じゃあさ、小林君のタイプってどんなの?牧村さん?」
こいつはなんてことを言い出すんだ。
「…」
「…」
「…」
「…」
おかげで変な雰囲気になってしまった。
「でもさ、ほら、牧村さんて奇麗だし」
さすがの渡辺もばつが悪かったらしく、そう言ってフォローした。
しかし当の牧村さんは、渡辺の言葉を聞いて、一瞬顔を引き攣らせた。
「ホントにそう思う?」
声は落ち着いているが、聞き返す牧村さんの表情はやはり硬い。
「ええ、やっぱり牧村さん奇麗ですよ」
「ありがとう。でも、奇麗で得する事って無いのよ」
そう言うと自分のトレイを持って立ち上がった。

渡辺は連休中に旅行に行くらしく、今日はさっさと帰った。
椎名はどうするつもりなのかは知らないが、俺と寄り道をする気はないらしい。
俺も特にあてがあるわけではなかったが、早く帰るのが嫌だったので、取り合えず商店街をぶらつく事にした。
商店街の中程、ガードレールに腰掛ける人物に目を止める。
「折原さん!」
割烹着と言うのだろうか?料理人が着るような白衣を身につけ、自動販売機を前に缶コーヒーを啜っている。
「何やってんですか?」
「休憩。あそこの弁当屋でバイトしてるんだ」
通りを挟んで斜め向かいにある弁当屋を指差して言った。
「小林君!」
その弁当屋から女の子が駆けて来る。全く見覚えの無い子だ。
「知り合いか?」
俺はさあ?と言うように首を傾げて見せた。
「小林君でしょ?久しぶり」
少し離れたところにある女子校の制服を着て、弁当屋の袋を提げた女の子が、馴れ馴れしく話掛ける。
「えっと、一応僕は小林ですけど…」
「あ、あー、覚えてないかなぁ。宮前よ。宮前 梢(みやさき こずえ)」
「?」
「んー。あれから5年経ってるものねぇ」
何だか気落ちしたように言う。
5年?…いや待てよ。
「多分、弟と間違えてらっしゃる?」
「弟?」
「小林は小林でも小林駆って言いませんでした?」
「えっ?えっ?えっ?」
「双子なんですよ」
「えー。じゃ小林君のお兄さん?」
「小学校の頃は学校を休みがちだったんで、双子がいること知らない人多かったんですよね」
「そうなんですか?ごめんなさい」
「別に構わないよ」
「あのー、お兄さんの名前。教えてもらえます?」
「僕は翔。飛翔するの翔」
「駆君と翔君。面白い名前の付け方ですね?」
「そうだね」
「じゃ、私行きますね」
「さよなら」
「さようなら」
そう言って商店街の奥の方に消えていった。
「弟がいたんだ?」
後ろから折原さんが聞いてきた。
「ええ、もういませんけど」
「…さて、休憩時間も終りだ」
そう言いながら立ち上がる。
「このバイト、給料は大した事ないが、賄いが付くのが利点なんだ」
そう言って走るように、店に向かった。

僕と駆の誕生日、僕は退院した。
先生は症状は治まっているから、またしばらくは学校に行ってもいいと言っていた。
僕と駆の前にはケーキが置かれていた。
12本のロウソクの立ったケーキ。
チョコレートのプレートにに『翔』『駆』と書いてある。
一緒に火を吹き消す。
僕が2本。駆が10本。
「聞いてよ翔」
母さんが話しはじめる。
「駆ったら、女の子からプレゼント貰ったんだって」
「よせよ。母さん」
「駆はカッコイイからな」
「冷やかさないでよ」
「冷やかしてなんかないさ。駆は僕の自慢だよ」

<5月4日>
休みとは言え、家にいるのは苦痛だった。
それは僕に限った事じゃないらしく、母さんは朝からパチンコに出かけた。
父さんは昨日から2個目の椅子に取り掛かった。
椅子造りは父さんの趣味のようなものになっていた。
でもそれは趣味なんかじゃなく、
常に余分な椅子がある事で、家族の不在を紛らわそうとしているのだと思う。
互いに顔を合わせる事で、気付いてしまう、その存在。
だから、いつのまにかお互いを避けるようになっていた。
もともとあてがある訳でもなかったから、まず最初に腹ごしらえのあてを探した。
BOSは食い飽きていたし、牛丼もぱっとしない。少し暑いくらいなのでラーメンはやめておきたい。
結局弁当屋でオニカラセットを買って、歩きながら食い、そのあとゲーセンに入って適当に時間を過ごした。
チャーラーン。
サッカーゲームに興じていると、誰かが乱入してきた。
俺はフィンランドチームを使っていたが、乱入者はドイツチームを選んだ。
このゲームのフィンランドはボールの動きが遅いものの、パスが繋がり易い。
一方のドイツは、ボールの取り合いでは一番強いが足が遅い。
ちょうど対照的なチームの対戦だが、システム上ドイツに不利なはずだ。
素人か?それとも侮られているか?
確かにそれほど得意なゲームではないが、このカードで負けるとは思えない。
画面の中でホイッスルが鳴った。
さあて、お手並み拝見。
5分後。
0―2で敗退。
4バックで守りを固められ。ロングパスと安定したドリブルで、強引に攻め込まれた。
オフサイドも何度かとったが、その位では怯まず、力押しで2点も取られてしまった。
戦い方としてはまったく見栄えがしないが、安定性と言う強みの元で、これ以上無いくらい有利な展開を作り出している。
どんな人だろう?
この店に顔を出すくらいだから、案外同じ学校かもしれない。
しかし向かいの台に座っていたのは意外な人物だった。
「折原さん」
「悪いな。勝たせてもらって」
すぐに店内を見回してみる。
「里村さんは一緒じゃないんですか?」
「バイト上がりなんだよ。さっき店に来てたよな。茜ならもうすぐ来るはずだ。ここで待ち合わせ」
そう言いながら立ち上がり、クレーンゲームの方に移動した。
すぐに狙い目の物を見付けたらしく、ケースの中身をじっくりと眺める。
その時、折原さんの後ろに里村さんが立った。
「こんにちは」
その言葉は折原さんではなく、俺に向けられていた。
「ちょっと待っててくれ。取れそうな奴があるんだ」
そう言いながら百円玉を投入口に入れる。
スタートのメロディが半分も鳴らないうちにクレーンが横に動く。
ボタンから手を離し、狙った位置で止めると、頭を前後左右に動かし、奥行きを見定めて縦のボタンを押す。
タイミングを見計らって手を離すと、クレーンが下がりアームがぬいぐるみを掴む。
「よしっ。上がった。」
クレーンはそのままぬいぐるみを離すことなく、取出口まで来てアームが開く。
「一発ですか、上手いもんですね。」
「いや、形状的に掴み易いせいもある。」
そう言って取出口からぬいぐるみを拾うと、里村さんに渡す。
クマだかネズミだかは判らないが、丸くて黄色いぬいぐるみで、腕と思われる部分は黒い紐。耳と足はフェルトを貼り付けてある。
今時の景品にしてはずいぶんと安っぽい造りだ。
「何かのキャラクターなんですか?」
「わからないです」
「よくわからんが、茜のお気に入りらしい」
里村さんは、そのぬいぐるみをしばらく眺めていたが、
満足したらしく手に持っていた買物袋にそれを入れた。
「ずいぶん重そうですね。それ」
「そういや、何を買ってきたんだ?」
そう言って折原さんが、里村さんの手から袋を受け取る。
「よろしければ、晩御飯ご一緒しませんか?」
「おお、そうだ、茜が晩飯を作ってくれる事になってんだよ。翔も来ないか?」
「えっ?え?でも…」
「心配するな。茜はけっこう料理が上手いからな」
…折原さん、話の論点がずれてるよ。
「遠慮する事無いですよ。食事はみんなでした方が楽しいです」
不思議な組み合わせだと思う。
この二人は恋人同士と言うより、まるで夫婦だ。
それだけじゃない、この人たちはまるでストレスを感じさせない。
人付き合いが下手で、友達と話すだけでも疲れてしまう俺が、ここまで気兼ねなく話せる相手は他にいるだろうか?
「まあ、連休中くらいは家族に合わせるか?」
と言う折原さんの言葉で思考が中断した。
「ええ、まあそんなところです。」
あいまいに答える。
「じゃあ、俺達の方が訪ねて行こうか?」
「!」
一瞬、両親と折原さんを引き合わせるところを想像した。
…想像も付かない。
「浩平。翔が困ってます」
「いや、そういう訳じゃないんですが…」
「まあいいや、飯は次の機会にでも来いよ。そん時は椎名でも誘ってさ」

<5月8日>
5連休だけあって、旅行に行っていた奴も多いようだ。
「休み中どうしてた?」
渡辺は家族全員で北海道に行っていたらしい。何処だかの原野を写した絵葉書を何枚か見せてくれた。
「お客さん、いっぱい来た」
渡辺の問に椎名が答える。
「お客?」
「繭のお父さんて、会社の常務なんだって」
「なるほどな。でも椎名に接待役なんて務まるのか?」
「うーん」
渡辺も苦笑いで返す。
「おいしかったけど、つかれた」
一応は大人しくしていたらしい。
「それで小林はどうしていたわけ?」
何故か田槙がやってきて口を挟む。
「父さんに、久しぶりの我が家を満喫させてあげました」
俺はいかにも孝行息子と言わんばかりに言い返してやる。
「なんだいそりゃ?」
「単身赴任」
「なるほど。結局おまえらはバラバラに過ごしたわけだ」
「勝手に一括りにするな」
「あくまでも本命は牧村って事なのか?」
「おまえまで、そういう事を言うか?」
ぽかっ
椎名が田槙の鼻先を殴っていた。
「いってえ」
「そら見ろ。おまえがキープみたいに言うからだぞ」
「でも、どう見たって…」
「た・ま・き・くーん」
渡辺が不敵な笑顔を見せていた。
「…それで、おまえは何やっていたわけ?」
この場を血で汚さない為にも、話題を元に戻す。
「部活。練習。」
田槙はサッカー部だ。
「シドニー狙いか?」
「ばーか、この時期1年に課す練習なんてふるい分けだよ。」
なるほど、ちょうど仮入部から正式入部に変わる時期だ。
「続けるのか?まあ頑張れよ」
「おまえを道連れにしたい」
「言ったろ。俺は心臓が…」
「それなら俺と死んでくれー」
ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。

「翔。」
父さんが来た。
「落ち着いて聞いてくれ、駆が事故に遭った。」
えっ?
「かなり難しいそうだ。」
どういう事?
「先生と話したんだが…」

ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
「しょーお?」
気がつくと目の前に椎名の顔があった。
「大丈夫か?小林」
田槙が左腕を掴んでいた。
「…どおしたんだ?」
自分の声がかすれている?
「いや、おまえの様子がおかしいんで、ホントに脈を取ろうかと思ったんだ」
冗談のように聞えるが、本気なのかもしれない。
「それに、顔色も悪いよ」
かなり心配を掛けるような状態らしい。
「保健室に行く?」
「…そうするよ」
その方がこいつらも安心するだろう。
「椎名。田槙を殺しといてくれ」
立ち上がって椎名にそう言うと、椎名は大きく肯いた。
椎名なら殺るかもな…
教室を出てからそう思った。

「失礼します」
そう言って保健室に入る。
保険医は30代後半と言ったところのおばさんだが、名前までは覚えていない。
まあ、これから何度も世話になるのだから早いところ覚えておいた方が良いだろう。
「1年の小林翔です」
「ああ。あなたが小林君?一人で来て大丈夫だったの?」
「ええ、今日はどっちかって言うと精神的な方で…」
「顔が青いわね。いいわ、手前のベッドを使って。教科の先生には?」
「友達の方から話が行くと思います」
そう言いながらベッドに腰を掛け上履きを脱ぐ。
「じゃあゆっくり休みなさい。カーテン閉めるけど、気持ち悪くなったりしたら声掛けて」
そう言うと、カーテンが閉められた。

キーン コーン カーン コーン
予鈴か?本鈴か?そもそも今が何限目かも判らない。
眠っていたようだ。
俺は、ゆっくりと起き上がり、ベッドの下にある、上履きに足を入れる。
「もういいの?無理しないでゆっくり休んでもいいのに」
「ええ、大丈夫です。それに戻るのが遅いと、心配する奴もいますし」
「友達思いなのね」
「いや、心配かけ慣れているだけです。」
そう言って保健室を出た。

「小林君からも一言言ってよ」
教室に戻るなり、渡辺に責め寄られる事になった。
「何?」
「小林君があんな事言うから…繭ってば私が言っても止めようとしないんだもの」
ああ、なるほど。そう言う事か…
「サンキュー椎名」
俺はそばにいた椎名の頭に手を置いてやる。
「みゅー」
椎名も嬉しそうに答える。
そして俺は田槙の席の前までいって、奴の様子を見る。
「小林ぃ、今度からそいつをけしかけるのは止めろよ」
椎名が何をしたのかは知らないが、思ったよりもダメージは少なそうだ。
「さあな。俺は椎名の自主性を尊重するから」
俺がそう言うと、
「みゅー」
椎名が同意の声を上げた。

退院の日。
駆だけが迎えに来なかった。
担当の先生が言っていた事
「この薬を飲んでいる限り、他の人と同じ事ができるからね」
僕が退院してやりたかった事。
駆とサッカーがしたい。
でも、
それができない事を理解していた。

<5月9日>
「時間なんてものは始めっから無いんだから、ここは基礎を重点的にやるべきだ」
俺は草野がサッカー部に入っていない事が不思議でしょうがない。
本人曰く。
『やるのと見るのは大違い。』
…まあそのとおりだ。
草野は自他共に認めるサッカーフリークで、試合観戦となれば何処にでも行く奴だ。
二人一組、スラローム、PK、2対1、
まるでサッカー部の練習メニューだ。
「素人揃えて、ここまでやるか?」
「負けるより、勝つ方が楽しいだろ」
「たかが体育祭でか?」
「たかが体育祭を、最高に面白くしてやろうじゃないか」
「俺を巻き込んでまでか?」
「小林。俺だってあと50年き生きられるかどうか分からないんだ。死ぬ時には後悔したくない。そうじゃないか?」
「後悔しない為に、長生きさせてくれないのか?」

昼休み。学食に入るといつもの席に牧村さんが座っていた。
「こんにちは。ここいいよね?」
「ええ。」
何故か今日は不機嫌そうな気がする。
今までが馴れ馴れしすぎたのかな?
「昨日、来なかったけど…」
「あ、昨日は体調が悪くて」
「連休疲れ?」
「いえ、そうじゃないんですけど…。ひょっとして待ってました?」
「…」
彼女にも心配を掛けていたようだ。
「でも、牧村さん。学食来るの早いんですね」
「え?」
「チキンライス。いつもそれみたいですけど」
チキンライスは学食の、いわば限定メニューで、大盛りの指定できない唯一のメニューとしても知られている。(ここでは同じ値段で大盛りにしてもらえるのだ。)
「一日100食出ないらしいですよ。だからすごく競争率高くて」
「…」
「うちの生徒数は全部で1100人くらいだから、その半数が学食を利用するとして約550人。教員の一部も利用するけど、それは大した数じゃないから無視。チキンライスが1日80食とすると、競争率は約7倍。5分で終るとまで言われるわけですよ」
「…考えた事もなかったわ」

放課後。草野の追撃を振り切り(椎名の協力があってこそだが)昇降口まで来ると、牧村さんの後ろ姿が見えた。
「みゅー」
椎名が彼女の元に駆け寄ると、何かを耳打ちしだした。
すると今度は牧村さんが、椎名に耳打ちをし、二人して肯くと椎名が再び舞い戻ってきた。
「山葉堂。」
「山葉堂?牧村さんも?」
渡辺が聞き返すと、椎名が肯く。
「いいんじゃない?案外また折原さん達と会ったりして」
「いや、多分、折原さんはいないと思う」
折原さんのバイトの事はまだ渡辺に話していなかった。
「どっちにしても、山葉堂なら急いだ方がいいわね」
「急いでも待ち時間は変わらない気がする…」

今日も山葉堂はすごい人だかりだった。
「30分、確実だな」
みんなで走りながらここまで来たが、行列の長さは大して違うようには見えない。
「いいのよ、売り切れなきゃ」
「練乳蜂蜜なら大丈夫だろう」
「やめてー」
それがどれほどの物だったのかは知らないが、この間折原さんに薦められて、食べた渡辺は『うえー』『アウー』などの奇声を発し、残った半分を椎名にやったのだが、貰った椎名の方はずいぶんと美味そうに食っていた。
「練乳蜂蜜って何のことです?」
聞くところによると牧村さんは、母親がお土産として買ってきたワッフルしか知らないので、山葉堂のメニューについては疎いらしい。
「命知らずのメニューだ」
「あはは。折原さんそっくり」
『命知らずのメニューだ。』
この台詞は折原さんが、例のワッフルを食べてのたうちまわる渡辺の横で言った台詞だ。
「噂じゃ、折原さんて伝説的な先輩だったらしいけど、具体的な話が無いんだよな」
「でも私たちと入れ替わりでしょ?」
「どうも3年になってから、急に大人しくなったらしくて…。でも卒業写真は別枠になっていた」
「たまたま病気だったとか?」
「いやそれに関してだけは逸話が在って、その時担任が渡辺先生だったらしいんだけど、折原さんがいないのに、欠席者無しと言う事で写真撮っちゃったみたいなんだ」
「渡辺先生てそういう話多いですよね」
「うん、折原さんの件で駄目押ししたらしいね。それで今年から担任外されたとか」
「ねえ、もうすぐ私たちの番だよ」
「あ、牧村さん、何がいいですか?メニューはプレーン、チョコレート、ストロベリーと…何だっけ?」
「ココナッツとアーモンド」
「れんにゅうはちみつ」
「これは、お勧めできませんから…」
俺は苦笑いをする。
「れんにゅうはちみつ!」
「そうか。椎名はそれで決まりか?」
「私も椎名さんと同じのを」
「マジでっ?」
逆効果だったか?いや恐い物見たさかもしれない。
「渡辺。俺アーモンドな」
俺はそう言って列を離れる。
「何処行くの?」
「飲み物。あの公園で待っていてくれ」
真っ直ぐにコンビニに向かった。

思っていたよりも時間が掛かったらしく、公園に着く前に牧村さん達に追いついた。
「烏龍茶で良かったかな?」
「別に構わないわ」
しかし椎名は渋い顔をしている。
「安心しろ。おまえにはオレンジを買っておいた」
そう言うと、嬉しそうに顔をほころばせた。
「なんだか小林君、折原さんに似てきたね」
渡辺がそんな事を言い出す。
「え、どこが?」
「うーん。なんとなく。あ、余裕が出てきたみたい」
余裕?…。
「包容力のある感じがするわね」
牧原さんが付け加える。
「そう?」
こそばゆい。
昨日も『友達思いだ』なんて言われたりしたし…。
「一緒にいると楽しいってのもあるけど、安心できる感じになってきた」
「そうですね」
俺はベンチに荷物を置き、袋の中から飲み物を一本ずつ出していく
「楽しくしているのは椎名だろ?」
椎名の場合は殆ど本能だろうが、楽しい奴であることに変りはない。
「そんな事無いじゃない。今日のお昼だって…」
牧村さんのフォローが入る。
「あの時は、俺が一方的に喋ってただけだし」
「でも小林君て優しいし、いろいろ気遣ってくれるし、それに結構面白いところあるし」
再び渡辺が喋り出す。
「別に優しくしてるつもりはないし、それ程気を遣っている方でもない」
「それが良いんだと思うよ。優し過ぎるのはちょっと嫌だし、気を遣われ過ぎると、今度はこっちが疲れちゃうし」
「…俺にはそれが無いって言うの?」
「そう思います」
「私もそう思う」
「みゅー」

<5月10日>
昼休み。
いつもの席に並ぶ二つのチキンライス。
「チキンライスは嫌いだった?」
牧村さんが聞く。今日は俺の分まで確保しておいてくれたのだ。
「いや、でもここのは初めてなんだ」
噂に聞くチキンライスだが、味については聞いたことがない。
「そうなの?」
「ああ、最初の頃はパンだけだったんでね」
「でも、よく学食来てるわよね」
「メニュー全制覇を目指してね。だからちょうど良かった」
「そう?そう言ってくれると嬉しいわ」
「でも牧村さん、またチキンライスですよね」
「…昨日の話を聞いたせいかしら」
どうやら彼女はレア物に弱いようだ。
「練乳蜂蜜ワッフルは、週に20個くらいしか出ないらしいですよ」
チキンライスを掬っていたスプーンの動きが止る。
昨日の事だ。
俺と渡辺が見守る中、ワッフルを一口齧ったところで、牧村さんが硬直した。
3、4秒は固まっていたと思う。俺が烏龍茶の缶を差し出すと、即座に口に含み、そして一言。
「これ、このレシピで間違ってないのよね?」
その後。それを半分に割って、俺のと交換したが、確かにあれは一口目で思考停止させる程の代物だった。
「他にお薦めとかあるなら…」
そんな事を思い出していると、再び牧村さんが口を開いた。
「山葉堂ですか?学食ですか?」
別の事を考えていたので、話の流れを見失っていた。
「学食で」
「俺が試したメニューってあんまり多くないですから…」
牛丼、カツ丼、カツカレー、天ぷらうどん…。
「でも、サバ定は日替わりみたいですよ」
「日替わり?」
「日によって、塩焼きだったり、味噌煮だったりするんです」
「…変わってるわ」

放課後。昇降口付近で牧村さんを呼び止めて(彼女が待っていたのかもしれないが)、再び4人で寄り道をする事にする。
「昨日が山葉堂だったんだから、今日はやっぱりパタポ屋よ」
渡辺が言い切る。
渡辺は渡辺でこだわりが有るようなのだが、どうしても甘い物になりがちだ。
「昨日の今日なんで、甘い物に近づくのはちょっと…。前田屋じゃ駄目か?」
「前田屋ぁ?今日はタコ焼きって気分じゃないのよ」
「そうは言ってもなぁ…。あれっ?あれ里村さんじゃないか?」
駅の方から向かって来る人物。腰まである三つ編は間違いようが無い。
椎名が手を振ると、里村さんも気づいたらしく、軽くお辞儀を返してきた。
「こんにちは、今日は一人ですか?」
多分、折原さんはまだバイトだろう。
「これから帰るところです」
手には余り大きくはないトートバッグを提げている。
「里村さんて普段何してるんですか?」
俺が聞こうと思っていた質問を、先に渡辺が口にした。
「料理学校に行ってます。それより…」
里村さんが牧村さんの方を見ている。
「ああ、同級生の牧村さん。で、こちらが里村さん、うちのOB」
「牧村彩です」
「里村茜です」
「…なんか牧村さんと里村さんて雰囲気が似てる気がする」
唐突に渡辺がそう言った。
言われた里村さんは少し複雑な表情を作った。
「彩って呼んでいいですか?」
「え?構いませんけど」
「彩には何か趣味とかありますか?」
「…?いえ、特にこれと言っては…」
「料理で良ければお教えしますよ」
里村さん。なんでこんな事言い出したんだろう?
「渡辺。お前も習っといた方がいいんじゃないか?」
「なんで私に振るの?」
「少なくとも椎名はそのつもりみたいだから」
俺がそう言うと椎名が肯いた。
「翔は浩平に誘われていましたね?」
「ええ、何時になるかは判りませんが、一度ご馳走になるつもりです」
「浩平の電話番号を渡しておきます。あなたの都合さえ付けば何時でもいらして下さい」
そう言って里村さんは名刺大の紙片をを差し出した。

<5月11日>
「何でおまえまで付いて来るんだよ?」
昼休み,学食へ向かおうとしたとき草野に呼び止められた。
「何を言う。明日は体育祭だぞ。今から戦術を詰めておかないでどうする?」
「それなら大石と詰めろ。椎名、渡辺、飯食いに行くぞ」
「うちのキーマンはおまえだ。それに飯食いながらでも戦術は練れる」
「多分、おまえが座るところは無いぞ」
「気にするな。それくらいはどうにでもなる」
椎名と渡辺をだしに使って、草野を追い払おうとしたが、草野はまったく意に介さず、学食までくっ付いて来た。
学食のいつもの席には今日も牧村さんが座っていて、俺を見つけると目で挨拶をしてきた。
俺がスパゲッティミートソースをたのんでいる間、草野はパンをみつくろっていた。
「今日は、今日は変なのが憑いてるけど気にしないでもらえます?」
俺が彼女の向かいの席に着いた時、草野はまだ清算している最中だった。
「お友達?」
「クラスの奴。ちょっと取り憑かれてて…」
俺は苦笑しながら言う。
「結構空いてるじゃねえか」
振り向くと、草野が俺の後ろに座っていた。
確かに今日はあまり混んではいない。おそらく実行委員達が、飯食う間も惜しんで準備に掛かっているせいだろう。
「おまえ。ホントにここで作戦会議する気か?」
「何を構う事がある」
「作戦が漏れるぞ」
「安心しろ。俺の作戦はその程度で不利になる事はない」
早い話、具体的な作戦は無いって事じゃないのか?
「草野」
「何だ」
「椎名がおまえの飯を持ってったぞ」
草野が振り向くと、彼の目の前に置かれているはずのパンが無くなっている事に気付いた。
学食の入り口の方にはパンを抱えた椎名が手を振っている。
「小林。これもおまえの差し金か?」
「さあ、椎名に聞いてみてくれ」
「くそっ」
そう言って立ち上がり、椎名を追いかけていった。
「何の話だったの?」
俺が振り返ると同時に牧村さんが聞いてきた。
「明日の話です」
「体育祭?何出るの?」
「サッカーです。そう言えば牧村さんは?」
「私はバレー」
「確か渡辺もバレーでしたよ。まあ、あたる事はないでしょうけど…あとはくじ運次第ですかね」
「椎名さんは?」
「マラソンらしいです。あいつ不器用だから、それくらいしか出来るのが無かったんですよ」
「さっきの男の子もサッカーなのよね?仲良いの?」
「草野ですか?あんまり仲良いって訳じゃないです。あいつは単にお祭り屋なだけですから」
「でも、明日の打ち合わせしておかなくていいの?」
「いいんですよ。あいつが一人で盛り上がっているだけですから、」
「とにかく、頑張ってね」
「牧村さんも」

草野は懲りる事を知らないのか、10分休みまで作戦会議に使うようになった。
「11人でやるとは言え、コート自体はハーフだから、手狭になる」
「パスワークより、ドリブルで攻め込む方がいいってんだろ?」
今いるのは俺と草野と御嶽(みたけ)と大石(おおいし)の4人。
主にオフェンスの担当だ。
「この場合は逆にドリブルで攻め込まれると考えるべきだ。よって新島(にいじま)唐橋(からはし)守口(もりぐち)田辺(たなべ)にはディフェンスバックを頼んである。全員経験者でカンは鈍っていない。」
「細川(ほそかわ)は?」
細川はキーパーをやる事になっている。
「あれはまさに逸材だ。卓球の腕前のすごいらしい。」
御嶽が感慨深げに言う。
「細川って卓球部だったんだ」
「ああ、動体視力もさる事ながら、反応の良さといい…」
その時チャイムが鳴って、話が打ち切られた。

「小林君は良くゲーセンに行く方かしら?」
帰り道で牧村さんがそんな事を聞いてきた。
「俺ですか?そんなにしょっちゅう行くわけじゃないですけど。どうしたんです?」
「大した事じゃないわ。小林君も何か趣味とかあるのかな?って思っただけ」
趣味?
「確かに、趣味と言えなくも無いけど…」
考えてみれば、俺にはこれと言った趣味はない。
「渡辺さんは、何か趣味があります?」
「私?そうね、買い物かしら」
「椎名さんは?」
ひょっとして、昨日里村さんが言ったことを気にしているのだろうか?
「楽しいこと」
椎名の一言に一瞬目眩を感じた。
「いや、そういう事聞いている訳じゃなくてだな…」
「ゲーセンいこっか?」
椎名がいきなり話題を変える。
「ゲーセン?何しに行くんだよ」
「あそびに」
遊びにって、遊ぶ以外の目的でゲーセンに行く奴はいないと思うが…
「いいかもしれませんね」
牧村さんが言う。
「たまにはいいんじゃない」
渡辺も乗り気のようだ。
「じゃあ行くか」
俺はゲーセンのある方に向かった。

「みゅーっ」
また失敗したらしい。
椎名と渡辺はクレーンゲームに懸りきりだ。
俺は牧村さんとガンシューティングをやっている最中なので、あちらがどうなっているのかは判らない。
画面に黄色いマーカーが、2つ、3つ、4つ…。
タン、タン、タン、タン
素早くそれらを撃ちリロード。
続いて画面の右の方から…
タン、タン、タン
3発のうち1発は俺だが2発は牧村さんが撃った物だ。彼女は結構このゲームが上手い。
BGMが替わりボスの登場を知らせる。ライフポイントはお互い1つずつ。
これじゃちょっと無理かな。
彼女の方は連射が苦手、と言うかリロードがワンテンポ遅れがちなので、連射必須のボス戦には向いていない。
そう思っているところ、リロードの隙を突かれて牧村さんがミス。それを気にしていた為、俺の射撃も乱れ、あっけなくゲームオーバーとなった。
「私、足引っ張ってなかったかしら?」
「そんな事無いですよ、牧村さん結構上手かったです」
スコアを見ると命中数と命中率が俺を上回っていた。
「俺と違って撃ち漏らしが無いですからね」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
俺達はその場を離れて、別のゲームを探してみる。
リズム系の機械に目をやると、ちょうど渡辺がプレイしているところだった。
二人で渡辺のプレイを見ている時、背中をぽんぽんと叩かれる。
振り向くと、ぬいぐるみを手にして、椎名が立っていた。
「やっと取れたのか?いくら使った。」
「800円」
「…ちょっと高く付いたな」
「みゅう…」
結構な額の小遣いをつぎ込んでしまったせいだろう。椎名がそうと判るくらいまで落ちこむ。
「でも可愛いぬいぐるみね」
確かに造形的には悪くない。多分パンダだと思うのだが、胴体部分の配色がデタラメで、顔を見なければ牛だと思うかもしれない。
「ねえ、みんなでプリクラ撮らない?」
ゲームが終ったらしく渡辺も戻ってきた。
「確かに悪くないアイデアだが、どう並ぶ?」
4人の場合フレーム内に上手く収まらずに、顔が隠れてしまうことが多い。
「繭が真ん中で、その後ろに小林君、右側に私、左側に牧村さんでどう?」
「2人ずつにした方が良いんじゃないか?」
「そうなると小林君は3回撮るのよ」
「えっ、そうなのか?」
どうりで妙な配置を提案すると思った。
「分かったよ、椎名真ん中な」
色々試行錯誤をした結果、椎名は台に乗らず、牧村さんと渡辺が台の上で中腰になる形で撮影した。
数分後。出来上がった写真を見てみる。
「やっぱり、ちょっと…」
「なんで?」
俺に女の子達が寄り添うような構図になっている。
しかもフレームに収まるように無理をしているので密着率が高い。
「作為的な感じがする。あまり野郎には見せられないな」
「なるほど」
渡辺にも納得がいったらしい。
「ところでこれどうする?」
渡辺が残ったシール台紙を手にしていった。
「いらないから捨てちまえば?」
「そんな勿体無い事しないよ。構わなければ私が貰ってく」
「渡辺」
「何?小林君も何枚か持ってく?」
「いや、おまえそれ変なことに使わないだろうな?」
「変なことって?もし希望があれは考えとくけど」
「するなっ!」

<5月12日>
我が校の体育祭は、各クラス約10名の実行委員と残りの生徒による、参加選手とで催される。
競技種目は男子サッカー、女子バレーボール。
テニスは男子と女子に分かれており、それぞれダブルスとシングルスがある。
男子10キロ、女子5キロのマラソン。それぞれ各クラス5名程度選出。
そして男女混成によるリレー。
それぞれの競技毎の順位で点数がつけられ、合計点の高いクラスが優勝となる。

「ここまで来れたのも、俺の作戦勝ちと言うものだろう?」
「単にくじ運が良すぎただけだ。」
21クラスによるトーナメントなので当然シードがあるのだが、くじ運の強さで、2回もシードを引いた為、たった2試合をこなして、決勝戦まで来てしまっていた。
「しかし、おまえが試合経験が無いなんて信じられないよ。」
「実際無いんだ。文句あるか?」
しかし草野は返事をせずに走り出そうとする。
「待てっ!あれは御嶽にまかせろ。草野は7番マーク。」
「OK。しかし、あんだけ渋っていたのに、良い指示出すじゃないか?」
「ほっとけ。4番フリーだぞっ!」
相手は2年生。体力面での差はないものの、気迫の点でどうしても尻込みしてしまいがちだ。前半は0―0だった物の押され気味だった。
そして後半開始から約10分。
「新島弾けっ!」
シュートを止めに行った新島の足にボールが当たって大きく舞い上がり、落ちてきたところをキーパーの細川がキャッチする。
ちょうど御嶽がフリーなので細川に向かって指で示す。
「左サイド!」
相手のフォワード陣が左サイドを走っている中崎に注目する。しかしそれは撹乱で、ボールは中央付近の御嶽に渡った。
俺はすぐに味方サイドに向かってて走ると、2人程マークが付く。
そしてすぐに前の方に走り出すと、二人とも俺にくっついてきた。
御嶽の方も攻撃が厳しくなってきたので草野にパスを回す。
「大石!あがれーっ」
最前線にいた大石が走り出す。俺は草野の方に向かっていくと、俺をマークしていた相手が、草野のボールを奪いに行く。
「草野っ」
草野が俺にパスをする。しかし、俺のマークも結構キツイ。振り返ってそこに中崎が付いて来てることを確認し、中崎にボールを渡す。
そこでマークの甘くなった草野が駆け出すと、中崎がロングパスを出す。
「大石っ!」
草野にパスが通ったところで再び叫ぶ。
向こうのディフェンス陣が大石を囲みはじめ、さらに草野に攻撃を差し向ける。
その時、がら空きの左サイドをついて俺が前に出ると、草野がパスを差し出す。
そのボールを胸で受けて、足元に落とすと、俺は大石の方を見て右足をさっと引き、爪先がボールに当たる瞬間、俺は正面を見る。
ビンゴッ!
目の前にはゴール右隅。大石を気にしていたキーパーは間に合わずに、ボールはネットに吸い込まれていった。
ピーッ
ホイッスル。
スコアボードに1点が追加された。

「それで小林君の蹴ったボールがゴールに入ったんだよ」
そう言って渡辺が椎名にあの試合のことを話して聞かせた。
あの後、追加点こそなかったものの、試合はうちのペースで進み、1―0でうちの優勝が決まった。
「でも俺は椎名の方がすごいと思うぞ」
驚くことに椎名は1位でゴールした。
コース係をしていた奴の話だと、あんな走り方で良く完走できたものだと言っていた。
フォームもペースも無く、ただ苦しいのを堪えながら走り続けたのだろう。
「お疲れ様」
声のした方を向くと、そこには牧村さんがいた。多分、待っていてくれたのだろう。
「牧村さんも、おつかれ」
「今日も何処か寄っていきません?お二人のお祝いと言うことで」
「嬉しいですね。ちょっと照れるけど」
「みゅーぅ、またこんど」
椎名は見るからにへろへろで、真っ直ぐ帰るだけで精一杯なのだろう。
「ごめん、私繭を送ってく」
「小林君は?」
疲れてはいるが、わざわざ誘ってくれる好意を、無下に断ることもあるまい。それにあまり早く帰るのは嫌だった。
「俺は構いませんよ」
「じゃあまたね」
渡辺がそう言うと、椎名を連れて先に行った。
「何処に行きます?」
牧村さんがそう聞いてきた。
「何処でもいいですよ」
「でも私、良いお店とかあまり知らなくて…」
しまった。渡辺がいれば、そういう事に悩まなくて済むのだが、俺の知っているところでは…。
まさかBOSってわけにもいくまい。
『さんぱうろ』は悪くないが、あそこは食べるものが無い。
「小林君て、ハーブティーは嫌い?」
俺が頭を悩ましていると、彼女が唐突に聞いてきた。
「ハーブティー?いや、嫌いも何も飲んだことないから…」
「そうなの?小林君今日は疲れているだろうと思ったので、ハーブティーなんかどうかと思ったのだけど…」
確かに、ハーブの薬効等と言う話は聞いたことがある。
俺は彼女の気遣いが嬉しくなった。
「そういう事なら喜んで」
「それじゃあ、家に招待するわ」
えっ。
俺はその言葉に耳を疑った。

マンション『エステートワン』601号室。
多分、この辺じゃ高級な部類に入るマンションだろう。
「牧村さん。家族は?」
自分の家ではない家のリビングに自分がいる。
そう意識してしまうと、とてつもなく緊張する。
考えてみれば、俺は今まで他人の家に上がったことすらなかった。
「ここに住んでいるのは、私とママだけ。ママも遅くならないと帰ってこないけど」
キッチンの方から牧村さんの声がする。
と言うことはここには二人きり?…待て、余計なことは考えるな。
少し立つと、牧村さんが長手のトレイを持っキッチンから出て来た。
トレイの上にはサンドイッチの乗った皿と、カップが二つ、それとティーサーバが乗っている。
カップの一つを俺の前に置くと、ティーサーバから淡緑色の液体を注いでいく。
「どうぞ。」
彼女に薦められて、口をつけると、カップか立ち上る湯気がとても良い香りなのに気づく。そして一口啜ると、思っていたような苦味はなく、少しレモンのような酸味と、ハッカの様な味がした。
「へえ、こういう物なんだ」
「いかが?」
「うん、おいしい」
一旦カップを置いて、そこにあったシュガーポットから、砂糖を1杯掬ってカップに入れる。
添えられているスプーンで良くかき混ぜてから、再び口をつける。
一口含むと、体中の緊張が解けていくようで心地が良い。
カップを置いて、今度はサンドイッチに手を伸ばす。
黒パンにチーズを挟んだだけのものだが、軽く摘まむにはちょうど良い。
「牧村さんて、料理得意?」
何気に聞いてみた。
「料理って程のものじゃないわ、こんな物しか出来ないから…」
ちょっとはずしたかもしれない。すぐに話のタネを探してまわりを見渡すと、少し離れたサイドボードに、写真が乗っているのが見えた。
中学の卒業式の写真だろう。今とは違う制服を着て、証書の筒を持っている。
「あの写真、牧村さん?」
「そう、卒業式の。」
「中学の時は髪長かったんだね。どうして切っちゃったの?」
今と写真とのもう一つの違い。写真の中の彼女は髪の長さが胸に届くくらいある。
「…」
しばらく黙っていた彼女が、すっと立ち上がり
「小林君。非処女の女の子は嫌い?」
と聞いてきた。
俺は『非処女』と言う言葉にギョッとして、ただ彼女の次の言葉を待った。
牧村さんは歩いてサイドボードの前まで行き、その引き出しから、何かを取り出して戻って来ると、それを俺の前に置いて見せた。
『38歳の男、15歳の少女に猥褻行為!』
それは新聞の切り抜きだった。
内容を読み終えた俺は牧村さんの方を見ると、彼女は俺を見ながらコクンと肯いた。
「春休みの事よ…まさか白昼堂々と連れ去られるとは思わなかったわ」
『なんか、自分を醜く見せようとしているみたいな…』…そういう事だったんだ。
『でも、奇麗で得する事って無いのよ』…何故気づかなかったんだろう?
しばしの沈黙。しかし彼女が再び口を開く。
「小林君…私のこと、好き?」
好き?すき?スキ?
多分好き、おそらく好き、きっと好き、好きなんだと思う、好きなのかもしれない…
でも、好きは好きじゃないのか?
「…」
俺は『好き』と言う言葉を告げようとするが、何故か俺の口からは言葉が出てこない。
やむを得ず言葉の代わりに、首を前に傾ける。
コクン
「じゃあ…抱いて。」
そういって牧村が制服を脱いでいく。
…まるで夢のように
下着姿になった牧村が俺に抱きついている。
…全てが非現実
俺の手を取り、自分の胸に押し当てる。
…ここは俺のいるべき世界じゃない
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
何もかもが間違っているんだ。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
こんな事が現実にあるはずがない。
違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!
コレハユメナンカジャナインダゾッ!
「違うっ!」

違和感がある。
何故俺はここにいるのだろう?
ここは何処だ?
………
ふと失念していた事に気付く。
他人の家のリビングで一人座っていた自分。
…牧村さんは何処だろう?

トイレかな?

得体の知れない不安感が込み上げて来る。
「牧村さん?」
返事はない。
俺は立ち上がる。
「牧村さん。」
取り合えず手近なドアを開けてみる。
ガチャッ
物置だ。牧村さんはいない。
次のドアを開ける。
ガチャッ
寝室だ。ここにもいない。
次のドアを開ける。
ガチャッ
手前開きのドアが勢い良く開く。
ゴト。
廊下に何者かが倒れ込む。
「牧村さん!」
意識はない。そして彼女の左手首が、血まみれになっている。
何とかしなきゃ。
どうすりゃいいんだ?
誰かを呼ばなきゃ。
誰を?
誰に聞きゃいいんだ?
誰を頼ればいいんだ?
…。
俺の頭の中に折原さんの顔が浮ぶ。
確か折原さんの連絡先は…。
俺はポケットを探って、里村さんに貰った紙片を取り出す。
すぐに電話を取って、そこに書かれている番号を押す。
トゥルルル。トゥルルル。ガチャ
「はい。」
電話の向こうで何者かが返事をする。
「お、折原さん?」
「…翔か?」
「折原さん。すぐ来て下さい!牧村さんがっ」
「ちょっと待て、そこは何処だ」
「牧村さんの家。マンションです。エステートワン。」
「今から行くが、電話を切るなよ!」
「はい。」
「よし。翔、落ち着いて話せ。何があった」
「牧村さんが、手、手首を…」
「自殺か?」
俺は黙って肯く。
「翔!」
「は、はい」
「息は?止血はしたのか?」
「しけつ?」
「いいか、切った方の腕を紐か何かで縛るんだ」
紐、紐、紐、
俺は受話器を持ったままそこら辺を探し回る。
「無かったら輪ゴムでもいい!とにかく腕を締め付けられればいいんだ」
俺は電話台の上にあった輪ゴムを取ると、すぐに牧村さんの腕に巻き付けた。
「翔。そこは何号室だ?」
「えっ?えーと」
「表札は?」
「牧村です」
ピンポーン。
部屋の中にチャイムが響き渡る。
「インターホンだ」
電話台の前に行くと、その壁にはモニター付きのインターホンが取り付けられている。
受話器を取るとモニターに折原さんの姿が写った。
「まず玄関を開けてくれ、そっちで操作できると思う」
そう言われてみるとモニターの横に『OPEN』と書かれたボタンがあるので、それを押す。
1分程するとドアが開き折原さんが現れた。
「それを貸せっ!」
折原さんは俺の手から、受話器を奪い取ると、すぐに電話を掛け直した。
「もしもし!こっちで女の子が手首を切って。場所はマンション『エステートワン』601号室…」

病院からの帰り道。俺は折原さんと歩いていた。
彼女の傷は動脈まで達していなかったらしい。
待合室で警察の聴取を受け、彼女の家族と顔を合わせないうちに、病院を後にした。
「すみません」
黙って前を歩く折原さんの背中に、思わず謝っていた。
「雨が降ってなくて良かったよ」
折原さんは気にも留めないと言う風に答えた。
「俺も、雨の中走るのは嫌だからな」
そんな風に言われると、余計に申し訳がなくなってしまう。
「ちょっと待ってろ」
折原さんはそう言って、近くのコンビニに入って行く。
そして袋を提げて出てくると、その中から缶を一本取り出して、俺に差し出した。
ビールだった。
俺はどうしたものか迷って、折原さんを見返す。
「飲んだことないのか?まあいいや、こういう時は酒を飲むに限る。細かいことはこの際忘れて、グッと行けグッと」
俺は促されるままにタブを起こして、その液体を飲み込む。
…苦い。
折原さんを見ると、平気な顔をして飲んでいる。
もう一口飲む。
さっき程ではないが、やはり苦い。
胃が熱い。軽い空腹感に似た感じがする。
ドクッ。ドクッ。
心臓の動きが速くなる。
ドクッ。ドクッ。
でも悪い気分じゃない。今日ゴールを決めた瞬間のような。
「折原さん。聞いてください」
自然に言葉が出た。
「俺には弟がいたんです。駆って言う」
「もう2年くらい経ちます。交通事故でした。駆はサッカー部で、その練習の帰りに事故に遭ったんです。」
「俺。生まれつき心臓が悪くて、運動なんかできなかったから…駆は俺の自慢でした。」
「俺の心臓…今俺の中にある心臓は、駆の物なんです。駆が死んで、その心臓が俺に移植されたんです。」
「俺ほんとは大人になるまで生きられない筈だったんです。でも、死んだのは俺じゃなくて駆でした。」
「翔…」
そこで折原さんが声を掛けた。
「この世界が憎いか?」
折原さんはそう尋ねた。
「俺にも妹がいたよ。みさおって言うんだけどな。」
今度は折原さんが語り始める。
「小さい時に病気になってな。1年くらい入院したんだけど、助からなかったよ。」
「俺はほとんど覚えていないけど、父さんもいないんだ。母さんは、そのせいでイカレちまってな、今は何処にいるんだか…」
それでも、折原さんの言葉に自嘲は含まれていない。
「もう知っているかもしれないが、椎名もお母さんを亡くしている。」
えっ?
「茜は俺の前の男を…まあ、自殺みたいな形で」

「翔。この世界と、駆のいる世界、おまえならどちらを選ぶ?」
俺の答えを待たず、折原さんが続ける。
「おまえはな。勝手に死ぬわけにいかないんだと思うよ」
折原さんの指先がが俺の胸元を指す。
「そいつがおまえを生かしている限り、そいつがもういいと言わない限り、おまえは生きなきゃいけないんだ。そして、おまえが生きている限り、そいつも生き続けるんだから」
ドクン。ドクン。ドクン。
…そうだった。
そうだったんだ。
「やっぱり折原さん、すごいですよ。俺なんかとても真似できないくらい…」
「真似すんなよ。…おまえは、おまえだ」
「はい。ありがとうございます」
「礼を言われるほどの事は、しているからな」
折原さんはそう言って笑った。

<5月15日>
昼休み。いつもの席に彼女は座っていた。
土日を鋏んだ為か、ちゃんと登校してきた様だ。
それでも彼女の左手には白い包帯が巻かれている。
手首だけではなく掌にまで巻かれているので、一見しただけではどこを怪我したのかは判らない。きっと看護婦さんが気を利かせてくれたのだ。
「ここ、いいよね。」
俺はいつもの調子で、前に座る。
しかし彼女は何も答えない。
目を見なくても、自分が歓迎されていない事くらい分かる。
でも…いや、だからこそ俺はその場の雰囲気を無視した。
「今日俺ん家来ない?招待するよ」

俺の部屋は基本的に物が少ない。
だから、見た目片付いているように見えるが、見るものが見れば、そこに生活臭が感じられない事に気付くはずだ。
あるのはベッドと机と本棚。
本棚には教科書と辞書の他は、上に乗っているサッカーボールだけ。
机の上にもフォトスタンドがある他は、うっすらと積もった埃が、どれほど使われたのかを物語っている。
「小林君て兄弟いたの?」
牧村さんがフォトスタンドを手にしながら聞く。
その写真は12歳の誕生日に撮ったものだ。
「ああ、駆っていうんだ。双子の弟」
「仲良いの?」
「良かった。少なくとも悪くはなかった」
「! ごめんなさい」
過去形に気付いたのか、彼女が謝る。
「いや、いいんだ。今日はその事を話しておきたくて呼んだんだから」
俺は彼女の手を取り、自分の胸に押し付ける。
ドクッ。ドクッ。
「これは駆の心臓なんだ。この心臓のおかげで僕は生きていられる。」
ドクッ。ドクッ。
俺は何も言わない。彩も何も言わない。
沈黙だけが時間を支配していた。
「彩の心臓も確かめたい」
そう言うと彩はうつむいて、しばらく考えてから
コクン
と肯いた。
俺は掴んでいた彩の手を離し、右手を彩の胸の谷間に近づけていく。指先に彼女の脈打つ部分を感じ、今度はそれを指の付根で捉える様に掌を押し当てると、指先の方に柔らかな感触があった。
ドクッ。ドクッ。
彼女の心臓。
彼女もまたこの世界で生きているのを感じる。
ドクッ。ドクッ。
二つの心臓がそのスピードを増し、どちらの鼓動かの区別が付かなくなって来る。
ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。ドクッ。
気が付くと俺は彩を抱きしめていた。
今やっと気付いた。
自分がこの子を好きな事を
俺がどれほど彩の事を好きかを
だから…
「彩。いいか?」
俺から彼女の顔は見えない。けれども彼女の首が縦に動くのは分かった。
俺は一つ一つ彼女の制服を脱がしていった。彼女も俺が脱がし易いように体の向きを変えてくれるので、大して手間はかからなかった。
そして彩を下着姿にすると、俺も着てる物を脱いで、パンツ一丁になる。
そして彩の鳩尾の当たりから、ツーっと谷間の方に指を這わしていく。
ブラの隙間に指を入れて、彩の左胸を直に掴む。
突然の行為に、彩は顔を赤らめ、きつく目を閉じた。
2ヶ月ほど前、彩を傷付けた行為。
それと同じ事をしようとしている?
いや、同じではないはずだ。
俺はそのまま彩の頬に唇を当てた。
すると彩は目を開き俺を見る。
「恐い?」
そう訊ねてみるが、彩は否定も肯定もせず、只俺を見ている。それでもその目に浮ぶ脅えは隠し切れていない。
俺は続いて、ブラを捲りあげ、右の乳房にキスをする。
「あっ」
彩の中でどういう感情が動いているのかは判らない。その声が何を意味するのかは俺には分からなかった。
今度は唇を当てたまま、円を描く様に動かしてみる。
「あああ」
再び顔を上げるろ、彩は目を逸らし唇をきつく結んだ。こころなしか目が潤んでいるように見える。
今度は彩の肩の当たりに唇を当て首筋に向かって動かす。
「はうっ」
エクボの当たりまで来た時に、彩がそんな声を上げた。
そこで俺は口を開き首筋に食らいつくように顎を動かし、さらに息を吸い込むようににしてみる。
「はああっ」
彩の顎先をなめるようにして口を離すと、それと判るくらいまで目を潤ませた、彩の顔が目に入った。
再びさっきの疑問が俺の頭をよぎる。
この行為が彩を傷付けはしないのか?

彩。
俺は今この目の前にいる少女を抱きしめずにはいられない。只それだけだ。
だから俺は賭けに出た。
「彩。自分で脱いでくれないか?」
一瞬彩の目が見開かれ、そして俺から目を逸らし、複雑な表情で逡巡しはじめた。
自分が取るべき行動とその意味を
彩の両手がゆっくりと動き、自分の下着を腰の当たりから摘まんで、ゆっくりと下ろしていく。腰を軽く持ち上げてお尻の下を通すと再び腰を落としてさらに下ろしはじめる。そして膝の少し手前でその動きが止った。ここから先は体を起こさなければならない。
「ありがとう。」
だから俺はそう言って彩の足からそれを抜き、そして俺も生まれたままの姿になる。
そして、制服のポケットからコンドーム(あの日、折原さんに渡された物だ)を取り出し、自分のモノに被せてから、彩の足の間に腰を下ろして、多分そうだろうと思われる部分にイチモツをあてがう。
「いいか?彩」
彩が黙って肯く。
そこで突き入れるように前に出る。
「うっ」
彩がうめいた。
しばらく動きを止め、今度はゆっくりと動く。
暖かい。
俺のイチモツは暖かなモノに包まれている。まるで風呂に入っているようだが、それはブルブルと脈打ち、俺を締め出そうとして来る。
半分ほど埋まったところで、何かつかえる様な感じがある。だが行き止まりと言う訳ではないようだ。
俺は腰を回すようにして、押し込んでいってみる。
「うっく」
今度は息を呑むような声だ。あえいでいるのか、苦痛なのかは判らない。
とりあえず、そのまま続ける
ぐっ、ぐっ、
押し込むたびに、それは俺を締め付け、こころなしか俺のそれは、さらに大きくなったような気がする。
やがて全てが埋まると少し休み、そして少し引き抜いて、再び押し込む。
少し引いて、再び押し込む。
少し引いて、押し込む
引いて、押し込む
「ふっ、くっ、ふん」
彩が鼻にかかったような声を漏らす。
先程と同じように繰り返す。
「ふん、ふん、はん」
繰り返す。
「はっ、ああ、はうん」
俺の魂がそこに吸い込まれていくような錯覚を覚える。
「あう、あっ、あっ、ああん、あうん、あっ」
俺の中で何かが迫って来るのがわかった。飛び降りた時、急速に迫ってくる地面のように。
「うおおおお」
「あううんんんっ」

体に力が入らない。
彩の上に被さってしまう。
どうにか気力を振り絞り、体を反して、彩の横に仰向けになる。
首を回すと彩がこちら向きに、体を横たえている。
俺は彩の首の下から腕をまわし、彩の頭を支えてやる。
「ごめんなさい」
聞き取れ無いくらいのか細い声だったが、俺の耳にはちゃんと届いていた。

しばらくすると彩が起き上がり、服を身に着けはじめた。俺も起き上がってコンドームを取り去り、ティッシュで拭き取った後、自分も服を着る。
先に着替え終わった俺はベッドに腰掛け、彩が身だしなみを整えるのを見ていたが、それらが一通り終ったらしいと判断すると、彩に向かって声を掛けた。
「一つだけ約束してくれ。俺を嫌いになっても、自殺だけはしないって」
彩はしばらくそのままの姿勢で立ち尽くしていたが、
俺の方を向くとさっと屈んで、
俺の唇にキスをした。

部屋を出てみると、リビングには母さんがいた。
いつのまに帰ってきたのだろう?
こうしてみると、今まで家族の出入りに無頓着であった事が、不自然に思えて来る。
母さんが気配に気付いて振り返り、俺と彩の姿を認める。
「あら、お客さん来てたの?」
「ああ、今帰るとこ。牧村さん」
「牧村彩です。」
「まあまあ、お構いもできませんで」
初めて感じた気がする。この人が自分の母親であると言う事。
「俺、そこまで送って行くから」
そう行って玄関に向かい、家を後にした。
送っていくと言っても大した距離じゃない。家の前から人通り多い通りまでだ。
「さようなら」
分かれ際、彩がそう言った。
「さようなら。また明日」
だから俺はそう言った。
彩が手を振って立ち去るのを見送った後、俺は家に戻った。
家に戻るとリビングのソファーに座りテレビを眺める。
そんな当たり前の行為を、何故避けてきたのだろう?
「珍しいわね。翔がお友達連れて来るなんて」
いかにも母親の台詞って感じだな。
でも、2年以上この家には無かったものだ。
もしかしたら…いや、今度のは確信に近い
「今度は別の奴を連れて来るよ」
俺は母さんに向かってそう約束した。

<?月?日>
トゥルルル。
カチャッ
「はい。」
「あ、折原さん?小林です」
「…翔か?どうした?」
「ペルセウス座流星群見に行きませんか?」
「は?」
「夏休みにサッカー部の合宿があるんですけど、ちょうど流星群の頃なんですよ」
「…それで?」
「合宿所の近くで、彩の知り合いがペンションをやってるんです」
「…何と無く事情は分かった。あと誰が来る?」
「椎名と渡辺です。彩の方から話しが付いてて、一泊15000円のところを6000円で泊めてくれるそうです」
「確かに安いな…」
「それで、折原さんと里村さんが来るなら部屋は3つ取るって言ってました」
「…わかった」
「じゃあ、そういう事で伝えておきます」
「翔。…いらん気のまわし過ぎだ。エロガキ!」
ガチャッ
ちょっと怒らせたかな?
「また折原さん?駄目よ。迷惑ばっか掛けちゃ」
「迷惑掛けてるのは椎名と渡辺。ところで父さん帰ってくるの、いつ頃かな?」
「12日あたりかしら?」
「じゃあ、父さんが帰ってきてる間に、一度折原さんを呼ぼうよ。もちろん里村さんも一緒に」


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