風のない街
とある扉の前で幸子は困っていた。この向こうには娘がいる。だが、娘はあの事故から一回も部屋を出ない。
「あのね。……おかあさんなんて言ったらいいかわからないんだけどさ。元気だしなよ。じゃないと彼に顔向けできないよ。」
「……」
「聞いてるの?……入るよ?」
「……」
そうして幸子は扉の中に入って仰天した。
「どうしたの!!ねえ!!ねぇってば!!何で返事しないのよ!!
」
だが、彼女は動くことはなかった。それから5日がたった―――。
―――この街には風は吹かない。住む者たちは風という言葉すら知らない。そんな街。この街に一人の少女がいた。彼女の名は安藤 知恵。高校2年生。彼女は友達がそれなりにいる。好きな人だっている。学力や顔だって普通だ。つまり平凡だ。そんな彼女は今、全力疾走してた。
「おらおらおらおらおら〜〜〜〜〜。」
「ちょっ……タンマ!!待て知恵。怖い!!走り方が怖っ……ぎゃ〜〜〜〜!!
」
「さぁ追い詰めたわよ。準備はよろしくて? 」
「いやいやいやいや。たかが肉まんで……。」
「たかが?たかがと言ったか?愚民よ。」
「誰が愚民だ。ならお前はムシケ……。」
「なんか言った? 」
「いえ……何も言ってません。」
彼の名は敏明。同じクラスで、バカで間抜けで運動ができる人。そして知恵の幼なじみ。これもまたいわゆるマンガぐらいにしかでない人間である。
彼女は、誰が見ても誰よりも幸せな人間だった。
そんな、幸せな彼女は毎日夢を見る。
「いいのか? 」
「えっ……なに? 」
「お前はそのままでいいのか? 」
「……やめて」
「このままでいいのか? 」
「やめて!! 」
彼女が目覚めたときは汗がびっしょりになっていた。どうしてもあの“声”が頭から離れない。
―――いいのか?
やめて!!
―――それでいいのか?
「やめて!! 」
「知恵?どうしたの? 」
1階から母の声が聞こえた。
「ううん。なんでもない。」
そそくさと訂正した彼女は忘れようと思った。そう、いつもと同じように……。
その頃、幸子はきっと大丈夫。病室に入ったらあの子はきっと笑顔で「どうしたの?」と、あっけなく答える。だが、現実はそうではなかった。彼女は病室のベッドで、安らかに眠っていた。5日間も……。
知恵の学校は歩いて20分と、ものすごく近かった。なので、もちろん電車で登校である。いつだったか敏明に「なぜ電車なんだ?
」と聞かれたことがあったが、知恵は、不気味に笑いながらそして目を光らせて「めんどくさいからよ」と言った。さらに彼女は「あのね〜。女子高生ってのはね〜。老化が進んでるのよ。ろ・う・か・が!!小学生じゃないんだから20分も歩けるわけないじゃない!!
」と言った。非常に全国の女子高生に失礼である。
学校についた彼女を迎えるのは、たくさんの友達。そう……それはまるで“夢”のような幸せ―――。
ある日。こんなことを聞かれたことがある。
「君はなぜそんなに無口なんだい? 」
「……しゃべるのがめんどくさいから。」
「そっけない答えだね。」
そう彼は言った―――。
―――友達なんて要らない。別に必要になんて思わない。ただウザイだけ。そう思っていた。この人に会うまでは……私は知った。
―――孤独とはどんなに寂しいことか。
――― 一緒に笑える友達がいるとどんなに心強いか。
―――彼はどれだけ私に必要だったのかを。
だが、1度起きた時間はもう戻らない。
―――なぜ私はもっとしゃべらなかったのだろぅ?
―――なぜ私はもっと早く告白しなかったのだろぅ?
―――なぜ?
だが、わかってる。そんなこと言ったってもう彼は帰らないのだから。心ではわかってるつもりなんだ。でも―――。
もうすでに放課後になっていた。知恵は、すでに通学路を通っていた。公園に近づいたとき
「最近日が暮れるのが早いな〜」
と、知恵はつい独り言を言ってしまった。それが間違いであった。
この公園は人が隠れるぐらいの草がいくつも生えていた。そしていきなりガサッとなる音がした。何かいるのかと思い知恵は近づいた。
「!!? 」
そこに会ったのは一つの死体と一人の男。男は包丁を持っていた。知恵は動かなかった。いや、動けなかった。
「へへへ。見られたからにはしかたねぇな。」
身じろぎもせず、顔色も変えず、男はそのまま近づいてくる。
知恵は思った。死体を見て。
―――ああ。この人は死んでいるんだ。
―――もう生きてないんだ。
―――また死体を見せられるとは……。
“また?”また……っていつだっけ?おじいちゃんやおばあちゃんは生きてるし、いつ見たっけ?……ああ、そうだ、あの時……あの時だ。
知恵は必死に忘れようとした。思い出させないで……と。だが、皮肉にもその願いは叶わずその時知恵は思い出した。
―――血血血。コンクリートの道に飛び散った血。多くもなく少なくもない血。
「事故なんですってね。」
「かわいそうにね。」
私はただ呆然とその場を見ていることしかできなかった。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「なんだ?この女いきなり」
「認めない……認めない!!あんな出来事認めない!!お前も認めない!!
」
その後のことは知恵は覚えてなかった。
「いつまでそうしてるつもり? 」
その声で知恵ははっとした。声の主は死体だと思ってた女からの声だった。
「1歩踏み出すことができないの?あなたはいつか踏み出さなきゃいけないのよ?そしてもう時間はないのよ?
」
「わかってる……わかってる!! 」
その時気がついた。男も死体も消えている。ただ……血を付けた包丁を残して―――。
屋上。そこで春の暖かい空気に当たってのほほんとしている私に彼は近づいてきた。
「やっぱりここか。」
「なに?ここにいちゃ悪い? 」
「なんでこの場所が好きなの? 」
「人が来ないから。」
「じゃあ俺は招かざる者だな。」
「……うん。」
「さりげなく傷つくこと言うなよ……。」
私は笑った。彼も笑った。いつまでもこの幸せなひと時がずっと……ずっと続くと信じていた……のに―――。
もう夕暮れだった。面会時間はあと少ししかなかった。早く起きて。早く起きて。幸子は何度も願った。そんなことをしていると、思い出す。
思えば変な子だった。小学校でも中学校でも誰とも話さなかった。だが、高校でだんだん明るくなってきて、私とも少しずつ話してくれるようになった。でも……その代償はあまりにも大きくあまりにも悲しかった。何度も何度も幸子は願った
―――早く起きて、知恵……と。
いつもの青い空。白い雲。輝く太陽。……だが、いつもと同じで何かが違う。そのとき知恵はそう思った。
「遅いよ知恵。」
「おはよう知恵」
みんなのいつも通りの声。対応。だけど……やはり何かが違う。
―――ああ、そうか。今日で終わりなんだな。
そんなことを思ってしまう。……いや、私がそう思ってしまったのだ、だからきっとこの夢はもう終わりなんだと。
いつもの授業。いつものようにボーっとし、うつらうつら授業を受ける。昼には皆でいつものように囲んで食べて……そんないつもの日常どおり進んでいった。もしかしたらいつもどおり終わってくれるのでは?と知恵が思うほどに……。
だが、別れはきっとくる。それが望んだものでもなくても、始まりがあれば終わりがある。
「知恵。今日は一緒に帰ろうか。」
これが確信だった。みんな遠くに住む人たち。なのに一緒に帰る。これはもう決定的だった。例の公園にさしつかったとき
「知恵。今までありがとね。」
「短い間だけど楽しかった。」
そんなありきたりの言葉を言ってみんな消えていく。知恵は礼を言うしかなかった。今までありがとうと―――。
―――夏と秋の境目。私が風邪を引いて寝込んだときだった。携帯電話が鳴った。相手はあいつだった。私は電話に出た。
「もしもし、この電話は現在使われていません。もう一度掛けるな!!
」
「ひどっ!!って、風邪大丈夫かよ? 」
「まぁ大体ね。で、なに?イタ電なら切るよ。」
「お前性格悪いな……。まぁいいや。用件は今からおまえん家にプリント届けてやる。」
「ハァ……!!?って風強いよ。大丈夫? 」
「大丈夫だって、じゃあな。」
これが彼との最後の会話だった。
知恵は走った。走り続けた。最後にあいつに会うために。あいつは学校の校門の前で待っていた。
「敏明……。」
「よっ」
―――私はいつも屋上にいた。ここが私のお気に入りの場所だった。ここから見える景色はきれいだった。この世の汚いものなんて見えないしなにより落ち着く。
「よぅ。またここか? 」
「ふぅ……敏明。何? 」
「ぅわ。暗っ……怖いぞ。」
「余計なお世話だ!! 」
「知恵……。お前なにが好きだ? 」
「景色」
「似合わねェ。」
「何よ!!そう言うあんたは、何なの!! 」
「風。いいだろ風って。なんか気持ちよくねェ? 」
私はこのとき初めて気がついた。風はこんなに気持ちよく目を瞑ればフワフワと飛べるような気がする。春の暖かい風は実に心地がよかった。
「なにしてんだ?目つぶって……。」
「うっさいわね〜」
私はこのとき初めて景色よりいいものを見つけた。……けど、この風が私の大切な人を奪ったとき、風が憎くて憎くてたまらなかった。風がなければよかったのに。そう思った。
今。私の前には死んだはずの敏明がいる。しゃべりたいことはたくさんあったのに……。
「知恵……ありがとな。今まで」
そうじゃない。そうじゃないのに……礼を言うのは私なのに、敏明は礼を言った。
「でもな。風を嫌いにならないでくれ。ほら風がなければ雲は別に動かないただの白い塊だし。鳥は飛べない獣だ。そして……俺が風が好きなのはな、どんなにつらいことがあっても頑張ろう。そう思わせてくれるからだよ。」
「敏明……のバカ、アホ、ドジ、マヌケ、たんそく、変態……え〜とえ〜とeat!!
」
「言いたい放題だな。おい」
「あのとき大丈夫だって言ったのに……うそつき」
「じゃあもう嘘はつかないよ。……俺はお前が好きだったぜ。」
そう言って敏明が消えていく。
「敏明!!」
私は泣いた。だけど、彼が消えることは止まらなかった。
「知恵……元気でな。お前なら……きっと……きっと……。」
そう言って敏明が消えた。その瞬間知恵の後ろに扉が現れた。知恵は扉の取ってを掴み、そして振り返ってこう言った。
「ありがとう。私の夢。最後に敏明に合わせてくれて。」
そう言って知恵は扉をくぐった。
―――もう逃げない。
―――もう夢に頼り、逃げたりしない。
―――でなければあなたに笑われてしまう。
―――もう会えないけど。
―――もう会えることはできないけど。
―――私は大丈夫。力強く生きてみせる。
―――きっとこれからもあなたが教えてくれた明るさで……。
こうして知恵は長い長い眠りから起きた。
ここは……どこだ?まだ寝ぼけていた知恵は、目を凝らした。
「……病院? 」
私はどのぐらい寝てたのだろぅ?そう思った瞬間、開いていた窓から風が吹いてきた。
「……敏明。」
その風はまるで敏明みたいに知恵は感じた。
―――大丈夫。あなたがいなくても私は大丈夫。
―――いつも風が私を支えてくれるから。
―――もし、誰かに何が好き?と聞かれたらきっと風って答えるよ。
その時病室の扉が開いた。私はその人物に笑顔でこう言った。
「どうしたの?お母さん」
―Fin―
あとがき
え〜と他のサイトで人気が出たので送ってみました。え〜と感動してくれると助かるな〜とか思います。