二人の英雄・第2部「フィルスーン解放軍編」

第5話「二人の英雄」

 夜もとうに更け、レイクウッドの森には雨が降り続いていた。
 森の中に身を潜めるフィルスーン解放軍の面々は、誰もが星のない夜空を見上げて雨の行く末を案じ、そして木々の隙間から闇の向こうをうかがっていた。
 帝国最強と名高い鷹獅子騎士団を退け、愛する家族と仲間を守るために志願した決死隊である。
 一人の例外なく、これから繰り広げられるであろう、凄惨な戦いで命を落とす覚悟を決めた者達だった。
 その中の一人、鷹獅子騎士団の鎧を着た少年の姿があった。
 名前をラティスといい、アークザット将軍に憧れて鷹獅子騎士団に入団したが、今はフィルスーン解放軍にいる。
 そして決死隊を組織して鷹獅子騎士団との相打ちを狙う、という作戦はラティスの発案による物だった。
 かつて憧れた英雄との戦いの時を目前に控え、その心境はいかなる物だろう?
 激しく降りしきる雨粒の向こう側を見据える瞳はただ真っ直ぐで、迷いがないように見えた。
 その肩を叩く者がいた。
 フィルスーン解放軍のまとめ役の一人、カルロスだった。
「ラティス……鷹獅子騎士団は間違いなく来るのか? 雨脚が強くなれば、進むのをやめるんじゃないか?」
 いつも明るく豪放な彼らしくもなく、その声は沈んでいる。
「彼は来ます」
 ラティスは断言した。
 アークザットの、力強い眼差しと後ろ姿を思い出す。
 それだけで、自分の事以上にアークザットの事が分かるような気がしてくる。
「僕が憧れたアークザットなら、必ず来ます。臆して進むのをやめるような、そんな人じゃありません」
「……そうか」
 カルロスはうなずいた。
 その顔から不安の色は消え去っている。
「そんな真っ直ぐな目で言うんだ。間違いないだろうな」
 そう言って、カルロスも雨の向こう側を見据える。
 決戦の時が迫っていた。

「……雨、ひどくなってきたな」
 フードの端を持ち上げて、シェリナは空を見上げた。
 木々の隙間からのぞく空は暗雲に覆われ、雨粒を地面に落とし続けている。
 先刻、降り始めた雨は次第に勢いを増し、今では降る、というよりは叩き付ける、という勢いになっていた。
 地面もぬかるみ始め、シェリナの乗馬も泥の中から蹄を引き抜いて、歩きづらそうにしている。
「よっ、暗い顔してどうした!?」
「わっ!」
 誰かに背中を叩かれて、シェリナは危うく落馬しかけた。
 鷹獅子騎士団の中で、こんな子供じみた悪戯をするのは一人しかいない。
 その人物はアークザット将軍に次ぐ副将という立場にある。
「レイバート様……」
 気恥ずかしさで頬が赤くなってきたが、怒鳴っても、のらりくらりとはぐらかされるのは分かっていたので、ぐっとこらえる。
「ついにここまで来たな」
「……はい」
 かつて共に戦ったラティスがいるかも知れない、フィルスーン解放軍との戦いが迫っている。
 この戦いを避ける機会は、確かにあった。
 だけどシェリナは逃げ出す事はせず、今も鷹獅子騎士団の戦列に混じっている。
 戦って、どうしようというのだろう?
 今さら鷹獅子騎士団を離れて、ラティスのいるフィルスーン解放軍に行くつもりはない。
 しかしラティスを殺したいと思うはずもない。
 ただ、この戦いから逃げたら絶対に後悔する気がしたから、シェリナは今もここにいる。
 理由は分からない。
 だけどラティスに会いたい。
 それだけがシェリナにとって、確かな気持ちだった。
「全く、ひどい雨だなあ」
 レイバートが空を見上げ、シェリナも吊られて空を見上げる。
 雨はますます勢いを増して、降り続いていた。

「敵襲だーーーーっっっっっ!!!」
 鷹獅子騎士団の一人が上げた悲鳴にも似た絶叫は、辺り一帯に届くはずだった。
 しかし叫びは激しい雨の音にかき消され、近くの何人かを振り向かせるにとどまった。
 その間にフィルスーン解放軍の一団は距離を詰める。
 その足音さえかき消し、鬨の声も雨の音に溶け込んでいく。
 エルラザ帝国末期の戦乱の時代、類を見ない程に凄惨を極め、最も多くの戦死者を出したとして語り継がれる戦いが始まった。

 ラティスが立案した決死の作戦は、実行面では精緻を極めた。
 兵力が少ない時は分散させず、集中して運用するという兵法の基本はあえて破った。
 フィルスーン解放軍の兵力は幾つかに分けられ、それぞれに森の中に身を潜めた。
 鷹獅子騎士団が目の前を通るタイミングを見計らい、一斉に襲いかかったのだ。
 そして狭い林道を抜けるために、細く、長くなった鷹獅子騎士団の隊列は各所で分断され、指揮系統はたちまち混乱に陥った。
 しかしそれぞれの部隊で連携が取れなくなったのは、フィルスーン解放軍も同じ事。
 戦況はそのまま救いようのない血みどろの消耗戦へともつれ込んでいく……。

 フィルスーン解放軍の兵士は、穂先にかぎ爪を付けた槍を持った者と、剣を持った者とがいた。
 槍を持った者と剣を持った者と数人が一組になって、鷹獅子騎士団の騎士に襲いかかっていく。
 馬上の騎士に対し、槍に付けたかぎ爪で引きずり落とす、あるいは馬を槍で突く、といった攻撃で落馬させたところを、剣を持った者が襲いかかり、とどめを刺す。
 ぬかるんだ地面と入り組んだ木々に自慢の機動力を奪われ、歴戦の勇者である鷹獅子騎士団の騎士達が、一人、また一人と命を落としていく。
 高い機動力を生かした集団戦闘を得意とする鷹獅子騎士団だったが、本来の力を発揮できない状況に追い込まれ、苦戦を強いられていた。
 対するフィルスーン解放軍は、決死隊を組織して以来、鷹獅子騎士団を打ち破るためだけに、血の滲むような訓練を叩き込まれた。
 孤立した騎士を小集団で確実にしとめていく、それだけに特化した訓練だった。
 個人個人の技量と兵力の、双方でフィルスーン解放軍は鷹獅子騎士団に遠く及ばない。
 しかし天候と悪い足場が鷹獅子騎士団の長所を奪い、そんな相手に特化した戦法と決死の覚悟を以てようやく、フィルスーン解放軍の戦力は鷹獅子騎士団に追いついていた。
 局地的に見ればフィルスーン解放軍が優勢であっても、全体の兵力を勘案すれば互角と言わざるを得ない。
 不毛な消耗戦であった。

「馬から下りて戦え! 一人で相手をするな! 数人で固まって応戦しろ!」
 自分自身、襲いかかるフィルスーン解放軍を剣一本で薙ぎ払いながら、レイバートは声を涸らして叫ぶ。
 しかし声は雨音と戦いの喧噪に虚しくかき消されるのみ。
 それどころか命令を下した事でかえってフィルスーン解放軍の兵士を呼び込む事になっていた。
 それでも鷹獅子騎士団でもアークザット将軍と並ぶ剣の腕の持ち主と名高いレイバートである。
 群がる鷹獅子騎士団の槍の穂先を切り払い、懐に飛び込んでは次々とフィルスーン解放軍を血祭りに上げていった。
「レイバート!」
 乱戦の中で、彼の名を呼ぶ声が聞こえた。
「ウェイン!」
 相手の名前を呼んで、レイバートも応える。
「こいつ、今までどこに行ってやがった?」
「それはこっちの台詞です。レイバートの事だから迷子になったかと思ってましたよ」
 血戦の渦中にいるにも関わらず、二人の口から出るのは軽口であった。
 十年来、共に死闘をかいくぐってきた戦友である。
 二人が一緒になれば、例え百万の大軍でも蹴散らせるような気力が湧いてきた。
「……レイバート、戦況は絶望的です。ここは撤退するべきです」
 しかしウェインの口から出てきた言葉は、レイバートの意に沿わない物だった。
「撤退だって? バカ言うな! エルラザ帝国最強を誇る鷹獅子騎士団が、賊軍相手に背を向けろって言うのか!」
「そうです」
 間髪入れず、ウェインは答える。
「ですが撤退は今だけの事。一度退いて体勢を整え、再戦して蹴散らすための撤退です」
「………」
「絶望的な戦況はあなたも分かっているはずです。このままでは消耗戦の果てに共倒れするだけです。本当に我々が最強に相応しいなら、一時の屈辱を甘受した後、再び最強の名を取り戻す事もできるはずです」
「………」
 確かにレイバートにもわかっていた。
 いくら彼が武勇を誇ろうとも、一人ではこの状況をひっくり返す事はできない。
 今は撤退が最良の選択だと。
「……しかしどうやって撤退する?」
「………」
 今度はウェインが沈黙する番だった。
 狭隘な地形に長く延びきった隊列。
 どこに向かって撤退するかさえ定める事ができない。
 それに鷹獅子騎士団の指揮系統は崩壊していた。
 撤退の命令を伝達する手段さえ失われている。
 それ以前に、彼ら二人には撤退させる権限がなかった。
 唯一の決定権を握るアークザット将軍と連絡さえできない。
 この乱戦の中で、レイバートとウェインが出会えた事自体が奇跡に等しいのだ。
「退く事はできない。だったら、最後の最後まで戦うしかないだろ!」
「しかしそれでは……」
「うるさい!」
 レイバートはウェインの手を振り払った。
 直後、鷹獅子騎士団とフィルスーン解放軍の入り交じった集団が雪崩れ込んできて、二人は離れ離れになった。
 そしてこれが二人の永遠の別れになった。

 今まで最強の名を誇っていた鷹獅子騎士団だったが、消耗戦が長引くにつれて、その心には恐れが生まれてきた。
 すなわち鷹獅子騎士団が敗北し、全滅するのではないか? という恐れだった。
 これまでどんな苦境でもその剣ではね除けてきた分、それができない時に心が挫けてしまうのは、仕方のない事なのかも知れない。
 各所で鷹獅子騎士団の騎士が敗走しようとする。
 不敗神話が崩れようとしていた。
 今もフィルスーン解放軍の包囲網から辛うじて逃れ、走り去ろうとしていた騎士がいた。
 しかしその腕を掴み、とどめた者がいた。
 騎士は驚いて足を止め、相手の顔を見て、さらに驚愕した。
 鷹獅子騎士団の三人の副将の一人、ノークトだったのである。
 ノークトが軽く腕を引くと、騎士はバランスを崩して倒れた。
 悲鳴を上げる暇さえ与えない。
 ノークトの剣が一閃すると、騎士の首は半ばまで切断され、高く血飛沫を上げた。
 凄惨な光景を目にして、近くにいた者は鷹獅子騎士団かフィルスーン解放軍かを問わず、戦いの手を止めて息を飲む。
 一つ大きく息を吸って、ノークトは大音声を上げる。
「聞け! 鷹獅子騎士団の者どもよ! 命令なく敵に背を向けるは、本人のみならず、鷹獅子騎士団にとっての恥辱でもある!
 それを知ってなお逃亡を図るなら……この剣を以て切り捨てるのみ!
 選べ! 戦いの果てに潔く散るか、我が剣の錆になるか!」
 周囲に喧噪が戻る。
 再び戦いが始まった。

 慢心していた。
 それは否定できない。
 戦場を駆けるウェインの胸中にあるのは、内側からその身を引き裂く後悔の念だった。
 奇襲を受ける可能性はいつも考えていた。
 ところが今晩に限っては、深い森の中の細い道であり、夜襲を仕掛けてもお互いに統率が取れなくなり、自滅するのは目に見えていた。
 だから夜襲の可能性は低いと考えていた。
 戦争は、ただ勝てばいいという物ではない。
 その後も戦い、勝ち続けなければならないのである。
 相打ちが前提の作戦など、もってのほかなのだ。
 しかし、相手はそれをやってのけた。
 守る物など何もないかのように。
 いや、きっと守る物のために命を投げ出したのだ。
 まるで……。
 ふと思う。
 まるで、数年前の自分達のようだ。
 鷹獅子騎士団が今のような帝国最強という評価を確立するずっと前。
 アークザットは小隊長に過ぎず、自分達もアークザットの人柄を慕った一兵卒に過ぎなかった頃。
 あの頃は毎日のように勝ち目のない戦いに身を投じ、辛うじて生き延びていた。
 夜には仲間でかがり火を囲み、今日の勝利に祝杯を上げ、また次の日には命がけで戦場を駆けた。
 いつからだろう?
 勝利が当たり前の事になったのは。
 前任の将軍が戦死してアークザットが将軍になり、勝利を重ねて帝国最強ともてはやされ、自分達が負ける事などあり得ないと思ってしまったのは。
 だから、負けるのは仕方のない事なのかも知れない。
 昔の理想を失った自分達が、昔の自分達の生き写しであるフィルスーン解放軍に負けるのは……。
 ……いいや、このまま負けるわけにはいかない。
 これまで手塩にかけて育ててきた鷹獅子騎士団は、我が身と引き替えにしても惜しくない存在だ。
 帝国軍の鷹獅子騎士団、という言い方は相応しくない。
 アークザットの、というべきである。
 まずはアークザットを探し出し、撤退を促す。
 組織的な撤退ができないのは仕方ない。
 大きな損害が出るのもどうしようもない。
 必要な事は、アークザットの健在と、いくらかでも兵力を温存する事である。
 それだけでいい。
 後はそれを中核として新たな鷹獅子騎士団を復活させる事はできる。
 困難な道のりには違いない。
 しかし決して不可能ではない。
 昔やった事を、もう一度やってみせるだけなのだから。
 まずはアークザットと合流しなくてはならない。
 全てはそれからだ。
 ウェインはアークザットの姿を探し、戦場を駆けた。
 鷹獅子騎士団の中では参謀としてのイメージが強いウェインだったが、アークザットやレイバートには及ばないとしても、剣の腕はかなりの物だ。
 数人が束になってかかっても、素人に毛が生えた程度のフィルスーン解放軍では相手にはならない。
 並んだ槍と槍の間の、ほとんど隙間には見えないような隙間に身体を潜り込ませると、鎧の隙間を狙って剣を振るい、次々とフィルスーン解放軍の兵士の命を奪っていく。
 フィルスーン解放軍の兵士にとって、ウェインと剣を合わせる事は死神と相対する事にも等しいように思えた。
 そしてまた一人、フィルスーン解放軍の兵士を切り捨てるはずだった。
 必殺を期した剣は、予想に反して弾き返された。
 慌てて距離を置き、油断なく剣を構えるウェイン。
 剣を弾いた相手も追撃してくる事なく、じっとウェインを見据えている。
 今、剣を弾かれたのは偶然ではない。
 相手の隙のない構えを見て、ウェインは確信した。
「……名前は?」
「ブリンナー」
 初めて聞く名前だった。
 しかしフィルスーン解放軍の中で知られている名前と言えば、リーダーのフォルトくらいだ。
 幹部クラスの人間に違いないとウェインは見た。
「今すぐ、兵を退きなさい」
 ウェインは言った。
「こんな不毛な消耗戦はそちらも望んでいないはず。今すぐ兵を退きなさい。見事な奇襲の手並みに免じて、命だけは助けてあげます」
「無駄だ」
 にべもなく、ブリンナーは答えた。
「指揮系統を失い、退く事ができないのは我々とて同じ事。それがわからないあなたじゃないはずだ」
「うるさい!」
「この泥沼のような消耗戦の中で、鷹獅子騎士団もフィルスーン解放軍も力尽きる。これはもう決まった事だ。誰にも覆す事はできない」
「黙れ!」
「帝国最強を誇り、勝利と栄光に彩られた鷹獅子騎士団の戦歴は、このレイクウッドの森で、血と泥に塗れて終わる。それは……」
「やめろぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!」
 激情に駆られ、剣を叩き付けるウェイン。
 ウェインの剣術は、姿勢を低くして相手の懐に滑り込み、一撃で相手をしとめる事を信条としている。
 それを見抜いていたブリンナーは、素早く後退してウェインを懐に潜り込ませない。
 下からの受けづらい攻撃を、剣で打ち落としていく。
 ウェインに付け入らせる隙を決して与えない。
 しかしこのままでは相手に打ち込めないのはブリンナーも同じ事。
 ウェインは攻めあぐねていた。
 それと同じくらい、ブリンナーも攻めあぐねていた。
 傍から見れば、必死で打ち込むウェイン、それを余裕を以て受け流すブリンナー、という構図に見えたかも知れない。
 しかし実際のところ、矢継ぎ早の連続攻撃を受け流すだけで精一杯のブリンナーだった。
 転機は意外に早く訪れた。
 ウェインが渾身の力を込めて打ち込んだ一撃の勢いを殺しかね、ブリンナーはよろめく。
 その隙を見逃すウェインではない。
「もらった!」
 ……しまった!
 ブリンナーの隙を見付けた時、すでに身体は動いていた。
 しかしこれまで戦場で数え切れない危機を乗り切ってきた本能は警告を発した。
 鋭い踏み込みと一体となった追撃は、もはや止められない。
 ウェインの剣はブリンナーの腹に吸い込まれていく。
 しかし同時にブリンナーの手はウェインの首を捉えた。
「ぐ……がっ……」
 ブリンナーの指はウェインの首に食い込んでいく。
 ウェインは引き剥がしにかかるが、ブリンナーの指は鋼のように硬く、動かない。
 気道が狭まり、呼吸の度にゼーゼーと壊れた笛のような音を立てる。
 意識が朦朧として、顔からは血の気が失せていく。
 ウェインが与えた傷は間違いなく致命傷のはずだった。
 にも関わらず、死力を尽くしたブリンナーの反撃は、致命傷を与えたはずのウェインを死の淵に追いやろうとしている。
 もはや視界もかすみ始め、鬼気迫るブリンナーの形相も確かには捉えられない。
 ブリンナーを引き剥がそうとする指からも血の気が失せ、力が込められない。
 さすがのウェインも死を覚悟した。
 しかし先に限界を迎えたのはブリンナーの方だった。
 まず口の端から赤い筋が流れ、次の瞬間には堰を切って溢れ出した赤い液体がウェインの顔にぶちまけられた。
 わずかに指が緩み、空気の分子ひとつが通るだけの道が辛うじて確保される。
 身体が求めるままに新鮮な酸素を取り込もうとしたウェインは、かえって返り血を吸い込んでしまい、激しく咳き込む。
 わずかに力を取り戻したウェインは、再びブリンナーを引き剥がそうとする。
 ついに最期の死力さえ尽きたのか、ブリンナーは白目を剥いて倒れ込む。
 ブリンナーに押される格好でウェインもバランスを崩し、二人はもつれるように倒れた。
 ウェインが倒れ込んだ場所は血溜まりの中だった。
 ようやく回復してきた意識と五感で、ウェインは状況を確かめる。
 その瞳から生命の輝きを失ってなお、その身体から執念は失われていないのか、ブリンナーは未だにウェインの身体を捉えて放さない。
「助かった……のか……?」
 ウェインの喉から零れ落ちる、掠れた声。
 しかし期待は朝露のように儚く霧散した。
 自分を取り囲み、見下ろす幾つもの人影……それら全てが手に剣や槍などの武器を携えていたのだ。
 この身体を浸す、ブリンナーの血でできた小さな池。
 もうすぐそこに自分の流す血が加わる事を、ウェインは知った。

 全体としてはフィルスーン解放軍が優位に戦いを進めていたが、鷹獅子騎士団がしぶとい抵抗を続けている場所がいくつかあった。
 その中のひとつでは、ノークトが逃走を図る鷹獅子騎士団の騎士を斬り捨てる事で、戦列を維持していた。
 しかしノークトがいくら奮闘しようと、限界は近付いていた。
 気付いた時にはノークトの周囲の味方は大きく数を減らし、わずか五人の騎士がノークトをかばうように剣を構えるだけとなった。
 対するフィルスーン解放軍の兵士、その十倍を超える。
 装備は粗末だが、戦意は高い。
 敵味方入り交じった死体を踏み越え、ノークトらを討ち取る構えを見せている。
「……もはやこれまでかも知れんな」
 ノークトの弱気な呟きを聞き付けたのか、騎士の一人が言う。
「ノークト様、ここは我らに任せてお逃げ下さい」
「………」
「そうです。ノークト様は急ぎアークザット様の元に駆け付けて下さい」
「………」
 そうしている間に戦いは再開した。
 さすがに残った騎士達は死をいとわない猛者ばかり。
 圧倒的多数のフィルスーン解放軍を前に、一歩も退かない戦いを見せる。
 しかしそれも時間の問題だ。
 いずれ彼らの必死の抵抗も潰える。
 この混戦状態で、圧倒的な兵力差を覆す方法はない。
 ……ついさっきまで、逃げるな、戦え、と自分の部下を斬り捨てていた。
 それが今は逃げてくれと、部下にかばわれている。
 おかしな話だった。
 ノークトは自分の手の中の剣を見つめる。
 自分達は王族ではない。
 貴族でもない。
 何の後ろ盾も持たない、ただの一兵卒に過ぎなかった。
 それが現在の地位に登り詰め、鷹獅子騎士団を帝国軍最強に育て上げたのは、強力な敵に臆する事なく立ち向かい、不利な戦況を覆して勝利を重ねてきたからだ。
 それを古くからの仲間と、手にした剣だけが知っている。
「……今さら逃げるなんてあり得ない」
 そう、今までと何も変わらない。
 剣一振りだけを頼りに生きていく。
 ただそれだけだ。
 進む先に待つのが死神だとしても、それは変わらない。
 剣を掲げ、ノークトは前に進み出た。

 カルロスの眼前には、悪夢のような光景が広がっていた。
 一人、また一人とフィルスーン解放軍の兵士が虚しく斬り捨てられていく。
 それもたった一人の鷹獅子騎士団の騎士のためだった
 その騎士の戦いぶりは吹き荒ぶ嵐のようで、フィルスーン解放軍の兵士が束になってもかなわない。
 ほとんどの者が一度か二度、剣を打ち合っただけで命を散らしていく。
 ……止められるか?
 カルロスは自問する。
 剣の腕には自信がある。
 しかし相手はそれどころではない。
 人間離れしていると言ってもいい。
 ……それでも……いいや、だからこそ、戦わなくちゃいけない。
 もしこのままあの騎士が突き進んだら、ラティスと戦う事になるかも知れない。
 それだけは何としてでも避けなくてはならない。
 ラティスはこれからのフィルスーン解放軍に必要な人間だ。
 そして、ルティーナにとっても大切な……。
 ひとつ頭を振って、カルロスは騎士の眼前に飛び出していく。
 閃光が走る。
 振り下ろされた剣を、カルロスは辛うじて弾き返す。
 続く二撃目、三撃目を弾き返したところで、示し合わせたように両者は後ろに跳んで間合いを開けた。
 ……冗談じゃない!
 カルロスの背筋に震えが走った。
 相手の方が格上だと覚悟はしていたが、想像以上だった。
 たった三度、攻撃を受けただけで、両手が痺れている。
「やるな」
 ニヤリと笑って、騎士は言った。
 たった三度、剣を合わせただけで、相手の実力を見切っているのはお互い同じようだった。
「俺の名前はレイバート」
 騎士は言った。
「死ぬまでの間、憶えておけ。お前を殺す男の名前だ!」
 鋭い踏み込みから放つ一撃。
 素晴らしい速さに、申し分ない力が込められている。
 続く二撃目と三撃目。
 その継ぎ目に隙は見られない。
 カルロスは後退しながら弾き返すだけで精一杯だ。
 レイバートはさらに攻撃を続ける。
 反撃の糸口さえ見付からない。
 このまま一方的に攻撃を受け続ければ、いつか防ぎ切れなくなる時が来る。
 レイバートを止めるどころか、自分の命さえ危うい。
 ラティスの手助けにはならない。
 時間稼ぎにしかならない。
 カルロスの心の中に、焦りが生まれようとしていた。
 ……いいや、落ち着け。
 無謀だと初めからわかっていて、それで挑戦したじゃないか。
 この首はまだ繋がっている。
 この手はまだ剣を握っている。
 反撃はできない。
 しかし防御はできている。
 レイバートの猛攻を、辛うじてだとしても、一撃残らず防いでいる。
 諦めるのはまだ早い。
 今は防戦一方でもいい。
 落ち着いて、防御に集中して、反撃の時を待てばいい……。
 ……そして「その時」は唐突に訪れた。
 渾身の力を込めて振り下ろされたレイバートの剣を、カルロスは弾き返した。
 高く澄んだ音が響き、空に回転する銀の光が舞った。
 半瞬。
 恐らく一瞬にも満たない時間だった。
 これまでレイバートの超人的な奮戦に付き従っていた剣だったが、ついに酷使に耐えかね、半ばから折れ飛んだ。
 状況を把握し、方針を変えるまで、両者共に要した時間は一瞬にも満たなかった。
 攻守が入れ代わる。
 レイバートは後ろに飛んで間合いを開け、カルロスは踏み込んで斬りかかる。
 この戦いで、初めてカルロスは攻勢に転じた。
 しかしレイバートは三分の一ほどに長さを減じた剣を操り、カルロスの攻撃を凌ぐ。
 今を逃したら、万に一つも勝ち目はない!
 カルロスは猛攻をしかける。
 渾身の力を込め、考え得るありとあらゆるパターンの攻撃を、可能な限りのスピードで叩き込んでいく。
 しかしカルロスの気合いも虚しく、レイバートは攻撃を捌いていく。
 手にした剣は、折れて三分の一になっているにも関わらずに。
 形勢は逆転したものの、レイバートの実力に改めて舌を巻くしかない。
「レイバート様! これを!」
 近くにいた鷹獅子騎士団の騎士が、レイバートに剣を放った。
 空中の剣に手を伸ばすレイバート。
 剣を取られたら負ける!
 カルロスは無我夢中で体当たりするように剣を突き出す。
 剣に伸ばした手はそのままに、レイバートは身体を捻る。
 二人の影が交錯する。
 カルロスの剣を通じて確かな手応えが伝わり、鎧と鎧がぶつかり合う音が続く。
 すれ違い、両者は立場を入れ替えて再び対峙する。
 いつしか二人の周りでは戦いの手が止まり、鷹獅子騎士団もフィルスーン解放軍も、固唾を飲んで二人の戦いを見守っていた。
 静まり返った二人の世界に、雨音だけがやむ事を知らずに降り続いている。
 肩で息をしながら、それでもカルロスは油断なく剣を構える。
 対峙するレイバートは、苦々しい表情を浮かべていた。
 カルロスの剣が捉えたのは脇腹。
 鎧の隙間から赤い筋が伝い、雨に流されて途中で消え去っている。
 致命傷にはほど遠い浅手である。
 しかし長い戦いで疲労が蓄積し、油断のならない相手と戦うには、致命的な影響を及ぼすかも知れない。
 それでも相手の実力を考えれば、素手で対峙するのは無謀でしかない。
 極限状態で剣を諦めず、怪我も最小限に抑えたレイバートこそ賞賛に値するだろう。
「……お前とはこういう立場では会いたくなかったな」
 レイバートが苦笑いを浮かべて言う。
「味方同士なら、安心して仕事を任せられる相手になっていたかもな」
「……確かに」
 カルロスも答える。
「だけど結果は同じだ。このレイクウッドの森が最期の戦場になる」
「……違いない」
 示し合わせたように全く同時。
 両者は地面を蹴り、再び剣を合わせる。
 刃と刃が噛み合い、ギリギリと音を立てる。
「……ラティスを知っているか?」
「!」
 カルロスは地面を蹴り、距離を離した。
 しかしレイバートはそれを許さない。
 距離を詰め、苛烈な猛攻をしかける。
 それでも最初ほどの勢いは感じられなかった。
 やはり脇腹の傷が効いているのか?
 攻撃を弾き返しながら、反撃を試みるカルロス。
 ダメージを与えるには至らないが、剣が鎧を打って金属音を上げる。
 代わりにカルロスの防御もおろそかになり、レイバートの攻撃を全て弾き返すには至らない。
 怪我というハンディが効いて、両者の実力を互角にまで縮めているようだった。
「ラティスは来ているのか!?」
「………」
 無言を肯定と受け取って、レイバートは問いを重ねる。
 カルロスの心に微かな動揺が生まれる。
「それを知ってどうする!」
 カルロスは大きく踏み込み、剣を突き出す。
 渾身の力を乗せた一撃!
 しかしレイバートは冷静だった。
 そしてカルロスはわずかに集中力を欠いていた。
 レイバートの剣は蛇のようにカルロスの剣に巻き付き、捕らえる。
 しまった!
 そう思った時にはもう遅い。
 レイバートは剣を後ろに引きながら勢いを殺し、カルロスの剣を巻き込んで天高く跳ね上がる。
 勢い余って、雨でぬかるんだ地面に倒れ込むカルロス。
 罠だった。
 怪我の影響があるように見せかけたのも、ラティスの事を持ち出して動揺を誘ったのも。
 カルロスに油断があったのも否めない。
 剣技における実力差以上に、駆け引きにおける実力差の方が結果として現れた。
 カルロスは地面を転がり、辛うじて身体を起こす。
 しかし立ち上がるには至らない。
 その鼻先に剣が突き付けられていた。
 武器はなく、文字通り絶体絶命。
「ラティスが来ていたら……どうする?」
「………」
 少し間があった。
 そしてレイバートは答える。
「殺す、さ」
「させない!」
 叫ぶと同時に剣を突き出す。
 ……カルロスとレイバートの間には、埋めがたい実力差があった。
 それでもカルロスがここまで互角に戦えたのは、数々の偶然が彼を助けてきたからに他ならない。
 レイバートの剣があのタイミングで折れ飛んだのが偶然なら、今、カルロスの手に剣があるのは奇跡以外の何物でもなかった。
 カルロスが倒れ込んだ先に、一足先にレイバートに切られたフィルスーン解放軍の兵士の死体があって、彼が手にしていた剣の柄がたまたまカルロスの右手に触れたのだった。
 この世界に戦の神がいるのなら、最期の最期までカルロスの味方をしてくれるようだった。
 ……そう、「最期の最期」まで。
 カルロスの剣はレイバートの腹を貫いた。
 そしてレイバートの剣はカルロスの首筋を深く切り裂いた。
「………」
「………」
 再び沈黙が訪れる。
 雨音だけはやまない。
 時間にすれば恐らく一秒にも満たない、しかし見守る者には永遠にも等しい時間が過ぎて。
 お互いの身体に剣を埋め込んだ二人は、ほとんど同時に崩れ落ちた。
 ……戦いの喧噪が雨音を打ち消すまで、それほどの時間はいらなかった。

 両軍の幹部クラスの人間が戦死した事で、組織的な戦いはなくなった。
 とは言っても、苛烈を極めた戦火の残り火は今なお各所でくすぶり続け、不毛な命の奪い合いが繰り広げられていた。
 もはやこれは戦争と呼べる物ではない。
 そこには戦術も戦略もなく、誰もが状況を把握できず、ただ目の前の敵の命を奪う事に忙殺され、ついには力尽きて命を奪われていく。
 慈悲深い雨だけが凄惨な殺し合いの場所に降り続いて、両軍の兵士が流した血を等しく洗い流していく。
 夜明けまでにはあと少し、時間が必要だった。

 シェリナが目を覚まして、一番最初に感じたのは後頭部の鈍い痛み。
 そして次に感じたのは身震いする寒さだった。
 ……あれ? 私、どうしたんだろう?
 ああ、そうか。
 思い出した。
 フィルスーン解放軍の奇襲があって、目の前の敵と必死で戦っている内に落馬して、頭を打ってそのまま気絶してしまったのだ。
 身震いするほど寒いのは、気絶している間ずっと雨に打たれていたからだ。
「くしゅん!」
 もしかすると、風邪を引いてしまったかも知れない。
 ……ああ、みっともない! ラティスに知られたら、どんな顔で笑われる事か!
 赤面しつつ、シェリナは思い出す。
 ……そうだ。ラティスは?
 辺りを見回して、シェリナは息を飲んだ。
 一面、敵味方を問わない死体が折り重なっていた。
 そのどれもが血と泥雨とに塗れている。
 見渡す限り、死体の山が広がっているようだった。
 生きている人間の姿はひとつも見付からない。
 年頃の少女とはいえ鷹獅子騎士団の一員であり、死体は見慣れていると思っていたシェリナだったが、その光景には思わず吐き気を覚えた。
 戦いが始まって間もなく、落馬して気絶してしまった自分は幸運だったのだ。
 みっともないとか、そんな事は問題じゃない。
 この凄惨な地獄に参加せずに済んだ自分は幸運なのだ。
 雨に打たれていたのとは別の理由で、寒気が走る。
 ……そうだ! ラティスは!?
 少年の姿を求めて、シェリナはあてもなく走り始めた。
 そして再び気紛れを起こしたのは神だったのか悪魔だったのか?
 シェリナは求めていた姿を見付けた。
 ようやく姿を見せた朝日の下、剣を構えたラティスと、同じく剣を構えたアークザットの姿を。

 こんな結末を、望んでいたわけじゃなかった。
 鷹獅子騎士団とフィルスーン解放軍。
 生まれ故郷の村を戦火で失ったラティスにとって、どちらも第二の故郷と呼ぶべき大切な場所である。
 その一人一人、失われていい命などひとつもない。
 それが今、両軍の死体は血と泥と雨とに塗れ、うずたかく積み上がってレイクウッドの森を埋め尽くしている。
 平気なはずがない。
 そしてラティス自身、凄惨な戦いをくぐり抜けて、立っているのもやっとだった。
 しかし心の中は不思議と澄み渡り、穏やかだった。
 今、目の前にアークザットがいる。
 全身に幾つもの傷を負い、剣も見る影もなく刃こぼれし、まさに満身創痍。
 それでも両足でしっかりと地面を踏みしめて立ち、鋭い眼光は普段と遜色ない輝きを放っている。
 子供の頃に生まれ故郷の村を救われて以来、ずっと憧れ、その背中を追い続けてきた英雄。
 それが今、目の前にいる。
 剣を構え、静かな瞳でこちらを見据えている。
 お互いの地位も、名誉も、立場も超え、守るべき物も、築き上げてきた物も超えて、何もない、ただ一人の人間として、向き合っている。
 悲しみに押し潰され、何度も諦めそうになりながら、挫けそうになりながら、それでも貫き通してきた道の終着点に、今、自分は立っている。
 悔いはない。
 そう思った。
 アークザットも同じ気持ちでいるのだろうか?
 この凄惨な戦場の中で、何もかもを失いながら、自分だけの信念を貫き通した結果を受け入れ、すがすがしいほどに澄み渡った気持ちでいるのだろうか……?
 ラティスは剣を構え直す。
 腰を低く落とし、相手に切っ先を向けた剣を目の高さで水平に構える。
 いつか再会したアークザットが教えてくれた剣の構え。
 それを見たアークザットは少し意表を突かれた表情になった後、微笑んで同じ構えを取る。
 ああ、そうか。
 きっとアークザットも同じ気持ちに違いない……。
 ようやく雨も上がろうとしていた。
 木々の隙間を抜けた朝日が二人を照らしている。
 そして……。
 二人は同時に地面を蹴った。

 エルラザ帝国末期、戦乱の時代を駆け抜けた二人の英雄がいた。
 一人はアークザット。
 この時代最強の剣士として称えられ、帝国軍最強を謳われた鷹獅子騎士団を率いた将軍である。
 高い機動力を生かした柔軟な用兵ぶりは敵味方双方で語り草となり、何度も不利な戦況を覆し、反乱軍を打ち破った。
 エルラザ帝国が斜陽の時代を迎える中で、事実上、アークザットと鷹獅子騎士団の奮戦だけがエルラザ帝国を支えていたと言っても過言ではない。
 もう一人はラティス。
 アークザットの秘蔵っ子と言われ、鷹獅子騎士団に在籍していたが、後にその元を離れ、フィルスーン解放軍の戦列に加わる。
 そこでの戦いは二度に過ぎない。
 しかしエステー川の戦いでは巨竜騎士団のバーンスタイン将軍を討ち取り、レイクウッドの森の戦いでは鷹獅子騎士団を打ち破った。
 事実上、この二度の戦いがエルラザ帝国を滅亡に追いやったと言っても過言ではない。
 レイクウッドの森の戦いを経て、エルラザ帝国の勢力は衰退の一途をたどり、幾つもの武装勢力が群雄割拠する時代を迎える事になる。
 その過程でアークザットの名は帝国軍の象徴として称えられ、ラティスの名は帝国と敵対する武装勢力の間で守り神のように語り継がれていく。
 幾つもの武勇譚(サーガ)が吟遊詩人の手によって生み出され、大陸全土で歌い継がれていく。
 レイクウッドの森の戦いの後、アークザットとラティスの名が歴史の舞台に登る事はない。

 一晩中降り続いた雨もようやく上がり、雲間から朝日が射し込んできた。
 女性や子供などの非戦闘員を連れた、フォルトが率いるフィルスーン解放軍である。
 鷹獅子騎士団の手を逃れ、今まで暮らしていた土地を捨てて新天地を求めての逃避行の最中である。
 今頃、フィルスーン解放軍の主力は鷹獅子騎士団と死闘を繰り広げているはずである。
 一行の誰もが言葉少なく、沈痛な表情を隠すようにマントのフードを深く下ろしていた。
「……お姉ちゃん、帰ってくるよね?」
 繋いだリアナの手に力がこもって、ルティーナは立ち止まる。
「ラティスお兄ちゃん、帰ってきてくれるよね?」
 リアナのような幼い少女でも、今度の戦いが今までとは違う、特別な物だという事は知っている。
「……帰ってくるわよ」
 濡れるのも構わず、ルティーナは膝をついて小さなリアナを抱き締める。
「ラティスは必ず帰ってくる。きっと帰ってくる。そう約束したから……」
「お姉ちゃん……」
 だけどラティスが選んだ道は絶望的な戦場へと続いている。
 そう思うと、心細くて涙が零れそうになる。
 ルティーナの方こそ、本当は誰かに「ラティスはきっと帰ってくる」と言ってもらいたかった。
 それでも折れそうな心を支えて、挫けそうな心を支えて。
 もう立ち止まらない。
 もう迷ったりしない。
 ラティスを信じる。
 いつまでも信じて、待ち続けていく。
 誰よりも真っ直ぐな少年が、憧れた英雄の背中を追い続けているように……。
 ルティーナは立ち上がって、深く下ろしていたフードを上げた。
 雨はとうに上がり、太陽が東の空に昇り始めている。
 この澄み渡った青空はきっと、ラティスの上にも広がっている。
 この朝日はきっと、ラティスの上にも降り注いでいる。
 ルティーナはそう信じた。

二人の英雄 完


あとがき

 ど〜も、wen-liです。
 「二人の英雄」いかがだったでしょうか。
 これでついに本編が完結、という事になります。
 第1話の掲載が2001年の事ですから、6年目にしてようやく完結です。
 本当に長い間、お付き合いいただき、ありがとうございます。
 まあ、その頃から読んでいただいている方がどれだけいるかわかりませんが。
 もちろん、途中から読み始めた方も、最後まで読んでくれてありがとうございます、ですね。

 「二人の英雄」の構想自体は、第1話掲載の2001年より何年か遡る事になります。
 その頃、熱中して読んでいた田中芳樹先生の作品の影響もあり、戦記物を書きたいなあと思っていました。
 最初に浮かんだのは、英雄と呼ばれる男と、それに憧れる少年、というイメージでした。
 言うまでもなく、アークザットとラティス君の一番最初のイメージです。
 以前にアンケートで「銀河英雄伝説と人間関係がほとんど同じ」というご指摘をいただきました。
 マネしたつもりはありませんが、否定できないのが悲しいところです。
 でもアークザットだけはロードス島戦記のカシュー王が近いかなあ。
 銀河英雄伝説のヤン提督とはかけ離れているかと。
 あと、結末も違いますよね?
 もっとひどい事になってます。
 そんなこんなでアークザットとラティス君のイメージができて、その後のストーリーをどうしよう? と考えた時に、そのまま一緒に戦ってたんじゃ面白くないなあと思って、現在のストーリーの原型ができて、そこに肉付けして過去の設定やらもできあがりました。
 ちなみにこの頃はホームページ開設のずっと前で、富士見ファンタジア長編小説大賞に応募していたりしていた頃でした。
 ですが前述のストーリーを前提にすると、富士見ファンタジア長編小説大賞の文庫本1冊に収まるくらいの分量では短すぎます。
 想定していたのは、第1部で1冊、第2部で1冊、という上下巻の構成です。
 文庫本1冊に収める事は物理的には可能でも、アークザットの元を離れる事の重みを読み手に共感してもらうためには、どうしても文庫本1冊くらいの分量は必要じゃないかと考えました。
 そういう事情で富士見ファンタジア長編小説大賞への応募は断念、2006年になってようやく本編完結、という事で日の目を見る事になりました。

 一応、当初の構想はここまで、第2部第5話「二人の英雄」を以て完成しました。
 ですが執筆中に浮かんだ事や、想定してなかったやり残した事もできてしまいましたので、さらに外伝もう1話をラインナップに加える事にします。
 必要最低限の事はこれまでの本編で書き上げましたが、私の不明によってやり残しができて、恐らくこれまで本編を読んできた方も心残りに思っている部分があると思います。
 全体の構成としては蛇足になる事は承知の上ですが、あともう少し、「二人の英雄」にお付き合いいただけると幸いです。

 感想お待ちしてます。
 でわでわ。


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