手をつないで帰ろ
私、保科智子の目の前にある分厚いガラスの向こう側で、赤やら青やらの小さな熱帯魚が泳いでいる。
「なあ委員長、なに怒ってんだよ」
「………」
隣で藤田くんが何か言ってるけど無視して、ふわふわ泳いでいるのか漂っているのかよくわからない熱帯魚を見つめるふりをする。
「なあ委員長、オレ、何かひどい事とか言ったか?」
「………」
「委員長を怒らせるような事したか?」
「………」
それでも私は藤田くんを無視する。
……悪いのは藤田くんなんや。絶対に私の方から謝ったりせえへんで。
「はあ……全く……」
「………」
ため息をついて、藤田くんは私と同じように水槽の方に目を向ける。
私は顔を横に向けて藤田くんの方をうかがうけど、藤田くんが私の方に目を向けたから、慌てて顔を水槽の方に戻す。
「………」
「………」
だけど藤田くんは何も言わず、ただじーっと私の横顔を見つめる。
……なんだかほっぺたの辺りがこそばゆいやんか。
「おーい、いいんちょー」
「………」
「オレの話聞いてくれよー」
「………」
「『おはよー』
ある朝、雅史君は寝呆け眼をこすりながら起きてきました
しかし平和な時は束の間、食卓の上でホカホカとおいしそうに湯気を上げる物を見て、雅史君は思わず叫び声を上げてしまいました。
『今日、ふの味噌汁〜〜〜〜〜っ!!!!!(恐怖の味噌汁)』」
「………」
「さ、さすが委員長……これまで琴音ちゃんやあかりを笑わせてきた、この藤田浩之のギャグに眉ひとつ動かさないなんて……」
「………」
「……念のために言っておくと、今のは具に『ふ』が入った味噌汁と恐怖の味噌汁をかけ合わせた、高度なギャグだからな」
「………」
「はあ……」
「………」
……私が笑わへんかったんは、藤田くんのギャグがおもろうないだけや。
「なあ、いいんちょ〜」
「………」
「機嫌直してくれよ〜」
「………」
それでも私は藤田くんを無視し続ける。
「………」
「………」
藤田くんは腕を組んで何やら考え込む。
……どうせまたしょうもないギャグでも考えてるんやろな、きっと。
「………」
「え? 委員長、今なんて言った?」
「………」
「え? 今まで無視してごめんなさいって? いいよ、気にしてねえから」
「………」
「え? 本当は藤田くんの事が好きで好きでたまらない? 藤田くんってなんてかっこいいんでしょう、だって? いやあ、本当の事言われると照れるなあ」
「私は来栖川先輩かいなっ!」
「お、委員長、やっと話してくれたな」
「………」
……しまった。はめられたんかいな。
私はまた正面の水槽に向き直り、できるだけ厳しい表情を作る。
「お〜〜〜い、いいんちょ〜〜〜〜〜」
「………」
「………」
「………」
藤田くんはちょっと考え込んで、水槽から離れ、私の後ろに回った。
「………」
ふにっ。
藤田くんの手が私のほっぺたをひっぱる。
「………」
ふにっ。
藤田くんの手が私のもう片方のほっぺたをひっぱる。
水槽のガラスに映る私の顔は、いつもより横に一割くらい広がっていた。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「おい、委員長……」
「………」
「はあ……オレが悪かった」
「………」
さすがの藤田くんもちょっとは応えたようだ。
ほっぺたを離して私の隣に戻ると、がっくりと肩を落としてうなだれる。
せやけど……。
藤田くんと反対側に目をやる。
クリスマス目前の日曜日の商店街は、少し寒そうに……だけど幸せそうに身体を寄せ合う恋人たちで溢れ返っている。
……なのに私ら、こないなとこで水槽にへばりついて、なにやってるんやろ。
せっかくの日曜日、久しぶりに二人で出かけているっちゅうのに……。
「………」
「………」
藤田くんはさすがに私にかける言葉が見付からないのか、さっきからしばらく口を聞かない。
当然、私も黙り続ける。
しゃべったらしゃべったでイライラするけど、しゃべらなかったらしゃべらなかったで寂しい気がする。
「………」
「………」
なあ藤田くん、私に無視されて、ちょっとは辛いって感じとるか?
私がこうして藤田くんに辛くあたるのは……自分から謝ったりしないのも、藤田くんを無視するのも、それでも藤田くんを置いて一人で帰ったりしないのも……みんなみんな藤田くんが好きだからなんやで?
わかってるんか?
「………」
「………」
藤田くんは黙ったまま水槽の前を離れると、私の後ろに回った。
そして私の胸の少し上に腕を回して、背中からぎゅっと抱き締める。
「ふ、藤田くん……いきなりなにすんねん!」
「………」
「恥ずかしいやんか。みんな見とるで?」
「委員長、愛してる」
「………!」
「オレは委員長の事、みんな知りたいって思ってる。だけどなあ、実際には知らない事の方が多いと思うんだ。今、委員長が怒っている理由だってそうだ」
「………」
「なあ委員長、話してくれよ、どうして怒っているのか……」
「………」
水槽のガラスに、私の顔が映っている。
背中から藤田くんに抱き締められて真っ赤になった私の顔。
そしてその私の顔を、水槽のガラス越しに藤田くんが見つめている。
「……さっき……ヤクドの前を通った時になあ……」
「ヤックの前……ああ、確かに通ったな」
「藤田くん……すれ違った女の人に見とれてたやろ」
「………」
藤田くんはちょっとの間、なにやら考え込んだ。
「ああ、あれか。なんだ、そんな事で怒ってたのか」
「そんな事、やない!」
私は藤田くんの腕を振りほどき、振り返って叫んだ。
「私なあ、すごく悔しくて……辛かったんやで? 藤田くんがちょっとでも他の女の人を見ていた事が……私の事を見てくれていなかった事が……」
「……あれなあ、委員長」
藤田くんは人差し指でほおっぺたをかきながら言う。
「別に見とれてたわけじゃねえよ。知り合いに似てる人がいたから、それでちょっと見てただけだよ」
「………」
私は黙り込んだ。
見とれてたわけじゃない?
知り合いに似てただけ?
「ホンマか?」
「ああ、もちろん本当だ」
「なんや、それじゃまるで私がアホやったみたいやんか!」
「まあ結果的にはそういう事になるな」
「………」
私は恥ずかしくて情けなくて、藤田くんの事を見ていられなくなって……藤田くんに背中を向けて熱帯魚の水槽の方を向いた。
……なんや、私一人で怒って、藤田くんにつれない態度を取って……。
私の後ろに立っていた藤田くんが隣に並んで言った。
「それはそうと、すっかり日も暮れちまったな」
「……ごめんな、藤田くん、せっかくの日曜日やったのに」
「謝るなよ。けっこー楽しかったぜ、オレは」
「ホンマか?」
「委員長の横顔って可愛いから、見ていて飽きなかったぜ?」
「アホか! 褒めたって何もでえへんで!」
ぷいっと反対方向を向く。
すると藤田くんは私が向いた方向に回り込んだ。
「そろそろ帰るか。ほら、委員長」
そう言って自分の手を差し出す。
「……なんのつもりや?」
「送ってくよ。ほら、手え出せ」
「………」
私は藤田くんの顔と手を見比べてから、
「……うん」
ちいさくうなずき、そっと自分の手を藤田くんの手に乗せた。
そして私はまるで迷子になって連れ帰られる子供みたいに……藤田くんに手を引かれて歩き始めた。
「なあ委員長、今度二人で出かける時は、もうちょっと楽しいデートにしような?」
「……うん……せやな」
今日のデートはあんまり楽しくなかったけど……藤田くんの手があったかいから、今回はそれでよしとするわ。
手をつないで帰ろ 了
あとがき
「なあこっち向いてーな なあ機嫌直してーな
僕らの日曜日は夏休みほど長くぅない
なあこっち向いてーな 今君がどんな顔してるか
水槽の魚たちしか知らないなんて〜」
っと。
ど〜も、wen-liです。
「手をつないで帰ろ」いかがだったでしょうか。
今回のタイトルは槇原敬之のアルバム「Such a Lovely Place」に収録されている、「手をつないで帰ろ」からとってみました。
「手をつないで帰ろ」は私のお気に入りの曲です。
このタイトルで小説書けないかなあ、とか考えてたら、サビの部分(上記参照)が関西弁なので、「よし、これは委員長しかない!」と思い、しかも曲に出てくる女の子が委員長に似てるなあと思ったので、曲のままのストーリーにしてしまいました。
それで思ったのは、やっぱり槇原敬之にはかないませんね。
もしこの小説を読んでちょっとでも面白いと思った人は、ぜひとも「手をつないで帰ろ」を聞いてみましょう。
相変わらず関西弁が怪しい、私が書く委員長ですが……。
委員長は些細な事で怒ったり、でも急にしおらしくなってみたりと忙しいキャラクターですが、その辺が彼女の魅力ですし、書いていて面白いキャラクターでもあります。
最初に想定していたより短めになりましたが、彼女の魅力がきちんと書き切れたと思います。
構成の都合上、1回目には気付かなかった事も、2回3回と読み返していただければ気付いていただけるかも知れません。
そういうわけでもう1回読んでいただけると嬉しいです。
それはそうと関西弁っていいですよね、なんとなく。
まあ私が書いてるのはエセ関西弁ですけど。
感想お待ちしてます。
でわでわ。
ご意見、ご感想は「私にメールを送る」または「私の掲示板」でお願いします。
トップページに戻る