イエナイココロ

 ある日の昼休みです。
 藤田さんと出会って二ヵ月が過ぎて、わたし、姫川琴音にはひとつの日課ができました。
 自動販売機に八十円を入れて、りんごジュースを買います。
 そしてりんごジュースを飲みながら、自動販売機の近くで藤田さんを待ちます。
「あ、琴音ちゃん、こんなところで会うなんて偶然だね」
 なんて藤田さんは言いますけど、本当は違います。
 本当はわたしが藤田さんを待っているだけです。
 行き違いになって会えない日もありますけど…それでも誰かを待っているのは楽しいです。
 タッタッタッ…。
 誰かの足音が近付いてきます。
 だけど藤田さんの足音じゃないみたいです。
 校舎の陰から一人の女の子が現われて…。
「あっ!」
 わたしが声を上げた瞬間、その女の子は勢い良く転んでしまいました。
「…………」
「イタタタタタ…」
 わたしは手を貸すのも忘れて、その女の子が立ち上がって走り去っていく背中を見送っていました。
 まさか……今のは……。
「琴音ちゃん?」
「…あ、はい!」
 背中から声をかけられて、わたしは驚いて飛び上がってしまいました。
「ふ、藤田さん…」
「えっと…驚かせちゃった?」
「いえ…」
「何か考え事でもしてたの?」
「いえ…」
 藤田さんはまだ納得できないようでしたが、それでもいつものように自動販売機でカフェオレを買います。横目でわたしの様子をうかがいながら。
「琴音ちゃん、何だか顔色が悪いけど?」
「え? そうですか?」
「熱でもあるのかな?」
「あっ…」
 藤田さんは手を伸ばしてわたしのおでこにあてました。
「ふ、藤田さん…」
 藤田さんの手……とっても暖かいです…。
「う〜ん、熱はないみたいだけど……琴音ちゃん、顔が赤くなってきたよ」
「あ、赤くなってません!」
「良かった。琴音ちゃん、元気になったみたいで」
「え?」
 気が付くと…さっきまでのモヤモヤした気持ちは消えていました。

 授業が終わりました。
 わたしは急いで勉強道具をカバンに詰め込みます。
 今日は藤田さんと一緒に帰りたい気分です。
 一緒に帰りたいとはいつも思ってますけど…今日は特別、そう思います。
「ねえ、琴音、一緒に帰ろうよ」
「…ごめんね、今日はちょっと…」
「なんだ、付き合い悪いなあ〜、また二年の彼氏と?」
「か、彼氏なんて…そんな……」
「ほら、彼氏がお待ちかねよ」
 友達に追い出されるように教室を出ました。
 予知能力がなくなって以来、自然と友達ができるようになりました。
 みんなは「琴音って最近明るくなったよね」って言ってくれますけど……本当はどうなんでしょう。
 自分ではよくわかりません。
 教室を出て、階段の前に差しかかりました。
 階段の中ほどに一人の女の子がいて…。
「あっ!」
 わたしが声を上げた瞬間、その女の子は階段を踏み外しました。
「きゃああああああああああああっ!」
 わたしが驚いて悲鳴を上げるヒマもなく、その女の子とわたしはもつれ合うように廊下に倒れてしまいました。
「いたたたたた……ダ、ダイジョーブ?」
「…あ、はい……」
「本当にゴメンね。私、急いでるから」
 その女の子はわたしを立たせて軽くスカートのホコリを払うと、玄関の方に走って行ってしまいました。
「…………」
 また……予知が……。
「琴音ちゃん?」
 呆然としていたわたしに、声がかけられました。
「藤田さん……」
 わたしは心配そうに見ている藤田さんに、思わず抱きついてしまいました。
「こ、琴音ちゃん…一体どうしたの?」
「藤田さん……わたし……わたし……」
 もう藤田さんと一緒にいられなくなるかも知れません。
 思わず口に出しかけた言葉を、わたしはこっそり胸の中にしまいました。

 夏が近付きかけた屋上は、陽射しは強いのに冷たい風が吹き付けてきます。
 わたしと藤田さんは並んでフェンスに寄りかかって座っています。
「ふ〜ん…なるほどねえ」
 わたしの話を聞いて、藤田さんはうなずいています。
 昼休みの事、そしてついさっきの事……こんな事話せるのは藤田さんだけです。
 予知能力がなくなって友達はできましたが、みんなそれ以前はわたしを避けていた人達ですから。
 ふと見ると、藤田さんはフェンスの一角を真剣な目で見つめています。
 そこは少し前まで大きな穴が開いていて、藤田さんが飛び降りるマネをした場所ですが、今ではもう穴は埋められています。
「藤田さん、もしかしてまたそこから飛び降りるつもりですか?」
「え? うーん、場合によってはそうするかもね」
「駄目です! そんな絶対に事しないで下さい!」
「こ、琴音ちゃん?」
「この前は何事もなかったですけど、もし間違えて本当に落ちたりしたら……わたし……わたし……」
 もし藤田さんがいなくなったら…想像しただけで、胸が熱くなって涙ぐんでしまいました。
 藤田さんはわたしの肩に手を置いてくれました。
「わかったよ、琴音ちゃん。絶対にそういう事はしないから」
「はい…」
 でも本当に必要だと思ったら、わたしが止めても飛び降りると思います。
 藤田さんはそういう人です。
 そしてわたしはそんな藤田さんだから好きになったんです。
 藤田さんは腕組みをして考え込んでから言いました。
「ほら…きっとあれだ、ただの偶然だ」
「そうだといいんですけど…」
「なに暗い顔してんだよ。そんな顔してるから予知なんかするんだよ」
「で、でも…」
「今日は気晴らしに寄り道でもして帰ろうか」
 藤田さんはわたしの手をつかんで立たせると、そのまま歩き出しました。

「そういえば琴音ちゃん、人ごみは苦手だっけ?」
「いえ、最近は大丈夫です」
 予知能力があった時は、周りの人がみんなわたしの事を避けているように思えて、人ごみの中を歩くだけで息苦しくなっていました。
 だけど今はそんな風には思いません。
 それに今日は藤田さんが一緒ですから、嬉しくて嬉しくてしかたがありません。
「どこか行きたいとこはない?」
「藤田さんにお任せします」
「そうか…じゃあ、ゲーセンに行こうか」
「…ゲームセンターですか?」
「嫌?」
「えっと…行った事ないですから」
「何事も経験。とりあえず行ってみよう」
「はい、そうですね」

 わたしと藤田さんはゲームセンターに入りました。
「エアホッケーやろうか」
 藤田さんにルールを教えてもらいました。
 エアホッケーは大きな台の上で丸い板を打ち合うゲームです。
 これならわたしでもできそうです。
「琴音ちゃん、いくよっ!」
「はいっ」

 わたしと藤田さんはしばらくエアホッケーを楽しみました。
「藤田さん…さっきから手加減してませんか?」
「え? そりゃ琴音ちゃん、初心者だから…」
「わたしに気を使わないで下さい。藤田さんにも楽しんでもらいたいから、思い切りやって欲しいんです」
「…そうだね、悪かった。もう手加減はやめるよ」

 結果は一点差でわたしが負けました。
 藤田さん、やっぱり手加減はやめてなかったみたいです。
 でもそんな藤田さんが、わたしは大好きです。

「琴音ちゃん、楽しかった?」
「はい、とっても」
 こんなに気持ちのいい汗をかいたのは久しぶりです。
「運動したら腹が減ったな」
「もう、藤田さんったら…どこかで食べていきますか?」
「そうしようか。琴音ちゃんは?」
「わたしもお付き合いします」

 わたしと藤田さんはヤックに入りました。
 ゲームセンターは初めてでしたが、ヤックは友達と何度か来た事があります。
 わたしはヤックバーガーとポテトとオレンジジュースのセットを注文しました。
「藤田さんは何にしますか?」
「う〜ん、新製品のスパイシーベーコンバーガーにしようか…しかしいつものダブルヤックバーガーの方が量が多くて捨てがたい…」
 くすっ、藤田さん、迷ってるみたいです。
 わたしはメニューから目を離しました。
 するとカウンターの向こう側の厨房の様子が目に入って…。
「ポテトSひとつお願いしま〜す」
「は、はい、ちょっと待って下さ〜い」
「あっ!」
 わたしが声を上げた瞬間、ポテトを運んできた女の子は足を滑らせて転んでしまいました。
 今度こそ……間違いない!
 気が付くとわたしは…
「琴音ちゃん!」
 藤田さんの声から逃げるように駆け出していました。

 日が暮れて真っ暗になった公園は、か細い街灯だけが唯一の明かりでした。
 冷たい風が、走って熱くなった頬に気持ちいいです。
 わたしが息が上がって立ち止まったところで、藤田さんが追い付いてきました。
「琴音ちゃん!」
「だ、駄目です!」
 わたしは思わず叫びました。
「これ以上…わたしに近付かないで下さい!」
 だけど藤田さんはどんどん近付いてきます。
「駄目…わたし……」
 藤田さんを不幸にしたくないっ!
 そう叫ぶ前に、わたしは藤田さんに抱き締められていました。
「…………」
 身体全体で感じる藤田さんの優しさが、わたしには暖かく、そして辛くて、胸が熱くなりました。
「琴音ちゃん、また予知したのか?」
「はい…」
 わたしはうなずきました。
「藤田さん…どうして……」
 どうしてこんなに優しいんですか?
 大好きな…大好きな藤田さんだから、絶対に不幸にしたくないのに。
 優しくされればされるほど、一緒にいるのが辛くなるのに。
「琴音ちゃん、オレはな、オレ自身に不幸が降りかかる事よりも、琴音ちゃんが一人で辛い思いをしている事の方がずっと辛いんだ」
「…藤田さん」
「だから、もう絶対に離さない」
 そう言って、わたしを抱き締める腕にぎゅっと力を込めました。
「世界中の人間が琴音ちゃんの事を避けても、オレは絶対に琴音ちゃんと一緒にいるからな」
「藤田さん…」
 涙がこぼれ落ちました。

 翌日の昼休みです。
 中庭を歩いていたら、藤田さんが走ってきました。
「琴音ちゃ〜〜〜〜〜ん」
「あ、藤田さん、こんにちは」
 わたしが笑ってあいさつしたのに、藤田さんはわたしの近くまでそのままの勢いで走ってきました。
 そしてわたしの腕をつかみます。
「ふ、藤田さん…どうして腕をつかむんですか?」
 周りにはたくさん人がいて、そんな事をしたら恥ずかしいのに…。
「琴音ちゃんが逃げないように」
「逃げませんよ」
「本当に?」
「はい、だから腕を離して下さい」
「じゃあ、琴音ちゃんを信じる」
 藤田さんはようやくわたしの腕を離してくれました。
 昨日の夜、藤田さんに抱き締められて、ひとつ気付いた事があります。
 周りの人がわたしを避ける事よりも、藤田さんと一緒にいる事の方がずっと大切だという事…。
 だから腕なんかつかまなくたって、わたしは藤田さんから離れません。
 でも……。
 手くらいつないでいても良かったかも知れませんね。
「藤田く〜〜〜〜〜ん!」
 誰かが藤田さんを呼んでるみたいです。
 手を振りながら走ってくる女の子を見て、
「あっ!」
 わたしが声を上げた瞬間、その女の子は勢い良く転んでしまいました。
「藤田さん…」
 わたしは藤田さんの腕につかまりました。
 そうしていないと、自分では立っていられないような気がして。
「また予知か?」
「はい…」
 その女の子は痛そうな顔をしながら立ち上がりました。
「イタタタタタ…また転んじゃった…」
「おい、大丈夫か?」
 藤田さんが手を貸して上げます。
「あ、うん。ダイジョーブですっ! わたし、ジョーブですから!」
「オレ達同級生なんだから、敬語使わなくたっていいんだぞ」
「あ、そうだね…はあ、わたしって、どうしてこうドジなのかしら。昨日もバイト中に転んじゃったし…」
「バイト?」
「うん、昨日はヤックでポテト揚げてたんだよ」
「ふ〜ん、もしかして昨日の昼休み、自販機の前で転ばなかった?」
「うん、よく知ってるね」
「じゃあ昨日の放課後、階段の途中で足を滑らせたりしなかった」
「うん…もしかして藤田君、見てたの? 恥ずかしいなあ……」
「いや、見てたわけじゃないんだけどな」
「あ、もうこんな時間……ごめんね、藤田君。わたし、急いでるから」
 そしてその女の子は走っていきました。
「あっ!」
 途中で一度だけ、わたしが声を上げた瞬間に転んで。
「琴音ちゃん、不幸の予知だけど…」
「藤田さん……ずっと一緒にいてくれますよね? 昨日の夜、そう約束してくれましたよね?」
 わたしは必死に藤田さんの制服の袖にしがみついて言いました。
 だけど藤田さんは困った顔をして、
「琴音ちゃんの不幸の予知だけど…きっとただの勘違いだよ。彼女、自分で転んでるだけだから」

イエナイココロ 了


あとがき

 ど〜も、wen-liです。
 「イエナイココロ」いかがだったでしょうか。
 約束通り、琴音ちゃん小説です。
 今回はストーリーはすんなり決まったんですが、タイトルを決めるのに困りました。
 最終的には琴音ちゃんのBGM「言えないチカラ」をちょこっとかえてこのタイトルにしました。
 ちなみに「イエナイ」がカタカナなのは、「言えない」と「癒えない」の2種類の意味があるからです。
 どうです? すごいでしょ。
 私も今、初めて知りました。(おいおい)

 琴音ちゃんの小説を書こうと思った時、やっぱりエンディング後のちょっぴり明るい琴音ちゃんを書きたいなと思いました。
 琴音ちゃんはちょっと控え目で、だけど自分の意志をしっかりと持っている、とても優しい女の子です。
 しかしストーリーを考える立場としては、こういう女の子は困りものです。
 だって性格からじゃストーリーが作れませんから。
 それでどうしよう、と思い、予知能力復活、というのを考えました。
 やっぱりわたしが書く琴音ちゃんは不幸になる運命なんでしょうか。
 念のためにオチの解説をしますと、琴音ちゃんが不幸の予知だと思っていたのは、ただ単に理緒ちゃんが勝手に転んでいただけという事です。
 わかりましたよね?

 感想お待ちしてます。
 でわでわ。


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