マルチの料理
らんらんらんらんらん。
お掃除はとっても楽しいです。
ぐお〜んぐお〜んぐお〜ん。
掃除機さんもとっても楽しそうです。
お掃除が終わったら、買物に行って、晩ご飯の支度です。
御主人様の幸せそうな顔が、今から楽しみです。
ぴんぽ〜ん。
チャイムが鳴りました。お客さんですね。
「はい〜、今出ま〜す!」
玄関を開けて出てきたのは、ヒロじゃなくて来栖川エレクトロニクスのメイドロボ、マルチだった。
「あれ? ヒロはいないの?」
「はい、御主人様は大学に行ってます」
大学? 天下の長岡志保様が一年ぶりに日本に帰ってきたのに、出迎えもせずに大学に行くとは、ヒロの分際で生意気な真似を。
今度会った時には空中コンボの一つでも叩き込んでやらなきゃ気が済まないわね。
あたしは悪くないわよ。ヒロに連絡してなかったけど。
「え〜と、確か長岡志保さんでしたよね」
「あたしの事、知ってるの?」
「はい、御主人様に写真を見せていただいた事があります」
「ふ〜ん」
「確か、デタラメな噂を捏造しては無差別にばらまいて周囲に甚大な被害を与える、人間の風上にもおけない悪魔のような女だと……あれ? どうしたんですか?」
「い、いや……ちょっとめまいがしただけよ……」
ヒロの奴……今度会ったら、コ・ロ・ス!
「志保さん、お昼はまだですよね?」
「うん、そうだけど」
「良かったら何か作りますけど、食べていきませんか?」
お昼ねえ……あかりにも会いたかったけど、マルチからヒロの話を聞くのも悪くない。何か面白い話を聞き出して、あちこちにばらまいてやろうか。
「じゃあ、ご馳走になろうかな?」
「はいっ!」
マルチは明るく元気良く返事をした。
「こう見えても私、料理には自信があるんです!」
マルチが料理をしている間、あたしは居間でテレビを見る事にした。ワイドショーを見てたら、あたしが出ていて変な気分になった。
それはそれとして、まさかヒロがメイドロボと同棲するとは思わなかった。てっきりあかりと一緒になると思っていたから、あたしも潔く身を引いたのに。こんな事になるなら、あたしが取っちゃえば良かったわね。
……まあ、ヒロが幸せなら、それはそれでいいのかも知れないけど。
「お待たせしました〜」
マルチが戻ってきた。どでん、と皿をテーブルの上に置く。
「げっ、何よその巨大なお皿は」
「えっ? 多過ぎましたか? 御主人様はいつもこれくらい食べるんですけど……」
「うーん、ヒロは大食いだから……」
「多かったら遠慮なく残して下さい」
言われるまでもなく、とても食べきれないけど。
お皿の中身はスパゲティ・ミートソース。ごくごく一般的なパスタ料理の定番。こう見えてもこの長岡志保、パスタには少々うるさい。
見た目は悪くないが、問題は味。さてさて、来栖川エレクトロニクスの最新のメイドロボの料理は、あたしの舌を満足させてくれるかどうか。
フォークの先に巻き付けて、口に運ぶ。
「うっ」
危うく上げかけた悲鳴を、あたしは喉の奥に押し込んだ。
何だろう。この表現しがたい味わいは。
感想を言うだけならただ一言だけで足りる。しかしそれではこのパスタ料理研究家としての長岡志保様の名前が泣くというもの(本当は芸能レポーターだって!)。
「おいしいですか?」
にこにこと楽しそうに笑うマルチ。
どうしてあんたはそんなに幸せそうなのよ! あたしは死にそうになりながらあんたの料理を食べてるのに!
「ねえマルチ、ヒロは毎日あんたの料理を食べてるの?」
「はい。いつもおいしいって誉めてくれるんですよ」
おいしい? このスパゲティが? そんなバカな! このスパゲティがおいしかったら、パスタにかけたあたしの三十年は何だったの! (お前は何歳なんだよ!)
「マルチ……この際だからはっきり言うけど……」
「はい?」
「あんたのこのスパゲティ、すっごくまずいわよ!」
ガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!
……何? 今の効果音、何なの?
「で、でも御主人様はおいしいって言ってくれますよ?」
「バカね。あんたが一生懸命作ってくれたのに、ヒロがまずいなんて言えるわけないでしょ? 本当はまずくてまずくて仕方がないのに、あんたの事を思っておいしいおいしいって言ってるのよ!」
「……………」
プシューッと音を立てて、マルチは倒れてしまった。
……あれ? ちょっと言い過ぎたかしら?
まあいいか。これもヒロとマルチのためだし。
……ちょっとそこのあんた、なに白い目で見てるのよ。あたしは悪くないわよ。本当の事を言っただけだし。悪気はなかったし。それに来栖川エレクトロニクスのメイドロボは丈夫だから、ほっとけばすぐに再起動するって……たぶん。
それでもあたしを責めるの? そんなにあたしを悪者にしたいの?
いいわよ。そんなに言うなら食べてあげるわよ。食べればいいんでしょ!
というわけで志保さんは帰ってしまいました。
何だか顔色が悪かったんですけど、どうしたんでしょう。
うう……私って本当は料理が下手だったんですね。それなのに御主人様は我慢して私の料理を食べてくれてたんですね。
でも、いつまでも御主人様の優しさに甘えているわけにはいきません。
御主人様のためにも、ちゃんとした料理を作れるようにならないと。
あ、確か御主人様、お隣のあかりさんは料理がお上手だと言ってました。では早速、あかりさんに料理を教えてもらう事にしましょう。
私は玄関で靴を履いて家の外に出ました。
御主人様、マルチは行ってきます。御主人様のため、がんばって料理の腕を磨いてきます! 見守っていて下さい!!
……と思ったら、家の鍵をかけ忘れるところでした。
あぅぅ……私ってどうしてこう、ドジなんでしょう。
ピンポ〜ン。
チャイムが鳴った。お母さんは買物に出ているから、私が出ないと。
私、神岸あかりは自分の部屋を出て玄関に行った。
玄関のドアを開けると、そこには浩之ちゃんのところのメイドロボ、マルチちゃんの無邪気な笑顔があった。
「あかりさん、こんにちはー。今日は大学はお休みですか?」
「うん」
「良かったですぅ。お留守だったらどうしようかと思いました」
マルチちゃんって、本当に感情がそのまま表情に出るの。だから話してるとロボットだって事、つい忘れちゃうな。
「それでマルチちゃん、私に何か用なの?」
「あ、はい! 今日はあかりさんに料理を教えてもらおうと思って来たんです」
「え? 料理?」
「はい、私、料理が得意だと思ってたら、実は下手だったみたいで……御主人様はいつも我慢しているみたいなんですけど、私、やっぱりちゃんとした料理を食べてもらいたいんです」
「……………」
「あの、あかりさん、どうしたんですか?」
「え? あ、うん、何でもないの」
私ったら、いつのまにかボーッとしてたみたい。
「それであかりさん、私に料理を教えてくれませんか?」
「うん……ごめん、マルチちゃん。私、これからちょっと用事があるから」
「えぇ! そうなんですか? 残念ですぅ……」
「本当にごめんね。また今度、教えて上げるから」
「はい。じゃあ失礼します」
ぺこんとお辞儀をして、マルチちゃんは家を出ていった。
「……ごめんね、マルチちゃん、浩之ちゃん」
聞こえる事はないだろうと思ったけど、私はつぶやいた。
「本当は用事なんて、ないのに……」
あかりさんは用事があるそうで、教えてくれませんでした。
残念です。
そうです! 御主人様のお友達に教えてもらいましょう!
そういうわけで、御主人様の通う大学に行く事にしましょう。
ココは弓道場デス。アタシ、宮内レミィは弓に矢をつがえ、弦を引き絞って矢を放ちマシタ。
「Oh! Hitネ!」
矢は見事に的の真ん中に当たりマシタ。
ヤッタ! 嬉しいデース!
「うん、レミィは相変わらずやるなあ」
弓道部の先輩が誉めてくれマシタ。
「Yes! 一念、マトをも通すネ!」
アタシが言うと、先輩は何故か苦笑いしマシタ。
Why? アタシ、何か変な事言いマシタ?
「フゥ……」
アタシは一息つこうと椅子に座りマシタ。タオルで汗を拭きマス。
弓道はとっても楽しいデス。でも本物のHuntingには適わないデス。
獲物を待ち伏せる時の緊張感。震える指先に触れる、冷たい引き金の感触。銃を撃った反動と、硝煙の臭い……。
そして仕留めた獲物をその場で解体し、火にあぶって料理した時の味といったらもう……。
「レミィさ〜〜〜〜〜ん! 私に料理を……」
「フリーズ!」
アタシは矢を放ちマシタ。
サクッ!
矢は獲物の顔をかすめ、壁に突き刺さりマシタ。
「……………」
獲物は硬直してマス。
「フフフ……可愛い可愛い獲物サン……大人しくしていれば痛くしないように料理して上げマス……」
「あ、あの……私を料理して欲しいんじゃなくて、私に料理を教えて欲しいんですけど……」
「料理を教えて欲しい……追い詰められた獲物はみんなそう言うネ……」
「そ、それに私ロボットだから、料理しても食べられないと思うんですけど……」
「私はロボットだから食べられない……追い詰められた獲物はみんなそう言うネ……」
アタシは新しい矢を取り出すと、弓につがえマシタ。
「でも安心するネ……アタシがおいしくおいしく料理して上げマスカラ……」
「いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
獲物は悲鳴を上げて逃げ出しマシタ。でも無駄な努力ネ。レミィの矢からは誰も逃げられないネ!
「やめるんだレミィ!」
「みんな〜! レミィが切れたぞ〜!」
「取り押さえろ〜!」
「あ、先輩! どうして止めるんデスカ〜〜〜〜〜!」
……ふぅ。危うく殺される……じゃなくて、壊されるかと思いました。
レミィさんには料理を教われなかったので、別な人に教えてもらいましょう。
私、松倉葵は相手の様子を観察しながら、ゆっくりと呼吸を整えています。相手は来栖川綾香さん。私よりずっと強い人で、今も余裕の表情です。
綾香さんはしっかりとガードを固めて、自分から攻撃を仕掛けようとはしません。私も知る限りの攻撃パターンを試してみたのですが、綾香さんのガードは堅く、とても崩せそうにありません。
本当に……勝てるの?
そう考えかけ、私は慌ててその考えを振り払いました。
弱気になったその瞬間に、負けは決まってしまいます。ガードが堅くて崩せないなら……ガードを崩させるだけです!
私はさっきまでと同じように、しかしそれ以上の勢いでラッシュを仕掛けます。右、左、右、左……規則正しく、次々と攻撃を叩き込みます。
少しずつ、綾香さんの表情から余裕がなくなっていきます。
仕掛けるのは今! スタミナが切れたかのように、私は攻撃の手を緩めます。一瞬の隙を見て、綾香さんは短い、しかし鋭い踏み込みから肘打ちを仕掛けます。
まともに受ければ一時的に呼吸ができなくなるような一撃を、私は身体を開くようにして……かわした! 綾香さんのガードが一瞬だけ崩れる!
私は得意技の回し蹴りを放ちました。
しかし綾香さんの表情に、いつもの余裕の笑みが戻りました。
しまった! 綾香さんは私の狙いを知っていて、その狙いに乗った振りをしていたんです!
私の回し蹴りは綾香さんの頭上を掠めて空を切り……。
バキッ!
「……………」
「……………」
バタン。
私の回し蹴りはいつの間にか現われたメイドロボのマルチさんの顔に当たり……マルチさんは倒れてしまいました。
「マ、マルチさん! 大丈夫ですか?」
私は慌ててマルチさんを抱き起こしました。ああ、どうしましょう。もしマルチさんが故障したら、私が弁償しなくちゃいけないんでしょうか。
「葵、落ち着きなさい。来栖川エレクトロニクスのメイドロボはこれくらいじゃ壊れないわよ」
「で、でもマルチさん、呼吸してませんよ?」
「メイドロボは最初から呼吸なんてしてないわよ」
……あ、そうなんですか。
「しばらくしたら再起動するから、放っておきなさい」
「は、はい……」
ふう。ちょっと落ち着きました。落ち着いたら、ウイーンウイーンって音が聞こえます。本当に大丈夫だといいんですけど……。
「このマルチ、製品版じゃないみたいだけど……誰が持ち主なのかしら」
「試作品なら、浩之先輩の所のマルチさんじゃないですか?」
「きっとそうね。じゃあ、葵に用があってきたんじゃないの?」
「え? でも私なんかにどんな用事が……」
言い終わる前に、マルチさんがまた動き始めました。
「あうぅ〜〜〜〜〜何だか顔がとっても痛いですぅ」
「細かい事はいいから。葵に用があってきたんじゃないの?」
「あ、そうでした。葵さん! 私に料理を教えて下さい!」
「え? で、でも……」
「葵、料理得意なんでしょ? 教えて上げたら?」
綾香さん、面白がって適当な事言わないで下さい!
「葵さん、お願いしますぅ!」
「でも私、人に教えられるほど上手じゃないですから……」
「え? そうなんですか?」
「マルチはメイドロボなんですから、私よりずっと上手だと思いますよ」
「そうですか……残念ですぅ」
マルチさんは失礼します、と言ってぺこんとお辞儀して帰っていきました。
ごめんなさい。力になれなくて……。
葵さんにも教えてもらえませんでした。
私より料理が下手なんて、大変ですね。
そうです! 私が料理が上手になったら、葵さんにも教えて上げましょう!
「はあ……もう春やなあ……」
図書館の窓の外の景色を見て、うち、保科智子はつぶやいた。
三年前までは、「神戸の大学に入るんや」って躍起になって勉強してたけど、今はこの街の大学に入って、何となく楽しくやってる。
あいつと出会って、色々あって、肩肘張るのをやめてから、友達もできて、それまではくだらないと思っていたものも、違って見えるようになった。
ま、結局、あいつには振られたんやけど……それでも神戸の思い出と同じで、今では懐かしいような、寂しいような、暖かいような……そんな感じや。
「と〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜こ〜〜〜〜〜さ〜〜〜〜〜〜ん!」
名前を呼ばれて振り返ると、パタパタと足音を立ててマルチが走ってきた……と思ったらその途中で転んでしもうた。
「なんやマルチ、ここは図書館なんやで。静かにせなあかんやろ?」
「あうぅ〜〜〜〜〜すみませ〜〜〜〜〜ん」
マルチの手を取って立ち上がらせてやって、うちはつい吹き出してしもうた。
「ぷっ……マルチ、どうしたんや、その顔……」
「え? 私の顔がどうしたんですか?」
うちはコンパクトを取り出して、マルチに見せてやった。
「どうしたんや、その足跡。誰かに蹴られたんか?」
「あうぅ……よく覚えてないんですぅ……」
「しょうがない子やなあ、ちょっときいや」
「は、はい……」
うちはマルチの手を引いてトイレに連れてった。
「ちょっとじっとしててな」
「はい」
ハンカチを濡らしてマルチの顔を拭いてやる。
本当にこの子、ロボットなんやろか。時々そんな事を思う。肌だってすべすべで柔らかだし……三年前のうちなんかよりよっぽど人間らしい気がする。
「ほら、これで綺麗になったで」
「はい。ありがとうございますぅ」
「それでマルチ、今日はうちに何か用なんか?」
「あ、はい。実は智子さんに料理を教えてもらおうと思ったんです」
「料理?」
「はい、実は私、メイドロボなのに料理が下手だったみたいで……それで智子さんに教わって上手になろうと思ったんです!」
「それで料理が上手になって、誰に食べさせるんや?」
「もちろん御主人様です!」
「念のために聞いておきたいんやけど……その御主人様って誰の事や?」
「もちろん浩之さん……の……事……なんですけど……何だか智子さん、さっきから目付きが恐いですぅ……」
「うちに料理を教わって、それを浩之に食べさせる? マルチ、あんたなかなかいい根性してるやないか」
「え、え〜と……何だかよくわからないですけど……私、帰った方が良さそうですね……失礼しますぅぅぅぅぅぅ!」
とっても恐かったですぅ。
智子さん、どうして怒ったんでしょう。よくわからないですぅ……。
……あれ? ここはどこでしょう。夢中で走っている間に、よくわからない場所に迷い込んでしまったみたいです。
あうぅぅぅぅぅ……何だか薄暗くて気味が悪いですぅぅぅぅぅ……。
私、姫川琴音は不幸です。
中学、高校の頃は予知能力のせいで友達が作れず、その予知能力が治ったと思ったら、好きになった浩之先輩に「俺は琴音ちゃんの事、妹みたいに思っているから」と言われて振られ、大学に入って心機一転、新しい気持ちでやり直そう……と思ったら、わけのわからない先輩に捕まり、わけのわからないサークルに入れられてしまいました。
この前は「超能力を使った前後のエネルギーの流れを調べる」実験と言って、密閉された大きなガラス張りの容器に入れられました。
おかげで危うく超能力を使う前に窒息するところでした。
そしてその先輩は今も私に背中を向けて怪しげな実験の準備をしています。
「あ、あの、先輩、こんな実験もうやめましょうよ」
「……………」
「え? 嫌なんですかって? 嫌に決まってます……」
「……………」
「泣きそうな顔されても困るんですけど……泣きたいのは私の方なんですから……」
私と先輩が話していると、かちゃっと音を立ててドアが開きました。
「あ、芹香さん、こんにちはー」
「……………」
「え? 何か用ですかって? そうなんです! 実は料理を教えてもらおうと思ってきたんです!」
「……………」
「え? 料理なんてした事がないんですか? 残念ですぅ……」
マルチさんは落ち込んでしまいました。あ、そうだ……。
「ね、ねえ、マルチさん、私、少しくらいなら料理できますよ」
「ほ、本当ですか?」
「良かったらこれからすぐ教えて上げても……」
「……………」
「え? 今、琴音さんは用事があって手が離せないんですか? 残念ですぅ……」
「……………」
「え? 料理は教えられないけど、代わりにこのホレ薬をくれるんですか? で、でも私はロボットですから……え? 夜の生活が激しくなる? そ、それは欲しいです……」
そしてマルチさんは帰っていきました。最後に「ありがとうございましたっ!」って大きな声でお礼を言って。
ああ、私の最後の希望が……。
でも今の私は縛られて魔法陣の上に転がっているので、マルチさんを追いかける事はできません。
「あ、あの、先輩、今日はどんな実験をするんですか?」
「……………」
「え? 半数染色体でも生け贄として役に立つか試してみる? や、やめましょうよ、そんな実験……」
「……………」
「泣きそうな顔されても困るんですけど……泣きたいのは私の方なんですから……」
はあ、私、姫川琴音は不幸です……。
残念です……芹香さんも琴音さんも料理を教えてくれませんでした。
あかりさんと琴音さんにはまた教えてもらいに行くとして……。
はあ、これからどうしましょう……。
あれ? あの人は……えーと、誰でしたっけ?
う〜ん……あ、思い出しました!
「理緒さ〜〜〜〜〜ん!」
私、雛山理緒が振り返ると、浩之君のところのメイドロボのマルチさんが走ってくるのを見付けたの。
「はあ、はあ、はあ……こんにちは、理緒さん」
「……マルチさん一人買うお金でごはんが何杯食べられるのかしら。羨ましい……」
「あ、あの……理緒さん?」
「え? ううん、何でもないの。マルチさん、私に何か用なの?」
「あ、はい! 実は理緒さんに料理を教えてもらおうと思って……」
「う〜ん、私、これから買い物に行くところだったんだけど……」
「あ、そうなんですか?」
「それに買い物の後もアルバイトにいかなくちゃいけないし……」
「あぅぅ……理緒さんも忙しいんですね。残念です……」
あれ? 落ち込んじゃったみたい。どうしたのかしら?
「でもマルチさんはメイドロボなんだから、料理上手なんじゃないの?」
「それが違うんです……私の料理なんて全然おいしくないのに、御主人様はいつもおいしいおいしいって食べてくれるから、てっきりおいしいんだと思い込んでたんです」
「マルチさん……」
「それで御主人様に本当においしい料理を食べさせてあげたいなって思って……」
「うぅ〜〜〜〜、いい話です〜〜〜〜〜」
「あ、あの……理緒さん? どうして泣いてるんですか?」
「だって、とってもいい話じゃないですか。愛する浩之君のためにおいしい手料理を食べさせてあげたいと……私、感動しました!」
「はあ……」
「私、マルチさんに全面的に協力します!」
「でも理緒さん、これから忙しいんですよね?」
「あ、そうだった……じゃあこれからマルチさんに買い物の極意を教えてあげます!」
「買い物……ですか?」
「そうです! 料理はまず買い物から始まるんです! これをおろそかにしたら、いい料理は完成しません!」
「そ、そうですね! ぜひ教えてください!」
と、いうわけで私とマルチさんは一緒に買い物に行く事になったの。
「そういえば理緒さんって、どうして高校の制服着てるんですか? もう卒業してますよね?」
「うん。うちは貧乏だから、新しい服買えないの。三年しか着ないなんてもったいないのよ」
「理緒さんって物を大切にするんですね。とっても偉いです」
「違うの。うちは貧乏だから仕方ないの」
「これでやっとわかりました。御主人様が夜になると私に制服を着せたがるのも、きっと物を大切にしているからなんですね!」
「そ、それは違うと思うけど……」
商店街に着いたの。
えーと、まずは入り口の近くの魚屋さんに行ってみようかな。
「あーっ、おいしそうなお魚さんですーっ」
マルチさんが魚屋さんの店先に並んだ魚を見て声を上げたの。
「へい、らっしゃい!」
「あのー、このお魚さんっておいしいですか?」
「お嬢さん、お目が高いね! うちの魚はみんな新鮮でうまいけど、そのサンマは特にお薦めだよ!」
「じゃあ、これくださ……」
「ダメよ! マルチさん!」
「り、理緒さん、どうしたんですか?」
「このサンマは高過ぎるわ! こっちの魚にしましょう!」
「確かにこっちの方が安いですけど……サンマさんだって特に高いわけじゃないですし、おいしそうですよ?」
「マルチさん、その油断がいけないんです!」
私は一際大きな声で言いました。
「こっちの方がおいしそうだから、今月はまだお金が残ってるから……そうやって油断するから、月末にお金が足りなくなるんです! 今ここでじっと堪え忍ぶ事が、明るい明日を作るんです!」
「そ、そうだったんですか!」
「わかったらマルチさん、こっちの魚を買いましょう!」
「はい!」
「マルチさん、がんばってね! 私、応援してるから!」
理緒さんは私に大きく手を振って帰ってしまいました。
理緒さんのおかげで買い物の極意をマスターできました。
でもなんだかよくわからない材料ばかりです。
どうやって料理したらいいんでしょう。
「お願いです! 私を料理ができるように改造してください!」
HMX−12、マルチが来栖川電工の中央研究所第七研究開発室HM開発課に着いたのは、私、長瀬が昼休みを利用して近くのコンビニで買ってきた幕の内弁当を食べている時だった。
「料……理?」
「はい! 研究所にいた時みたいに黒焦げの料理は作らずにすむようになったんですけど、おいしい料理は作れないんです!」
「うーん……」
予想通りのトラブルだ。
試作版のマルチは学習型のOSを採用している。従ってある程度の経験を積む事によって、一定の技術を習得する事ができる。
しかし、マルチには味覚がない。掃除や洗濯なら視覚と触覚で自らの仕事を評価し、学習する事ができるが、料理はその結果を自分で評価できない。
昔のマルチは黒焦げの料理しか作る事ができなかったが、今は視覚を元にした学習の成果によって見た目だけはおいしそうな料理を作る事ができる。しかし味覚がない以上、おいしい料理を作る事はできない。
「主任、セリオのようにに料理用のライブラリを用意してはどうでしょう」
「無理を言うな。マルチのOSは外部からのデータを柔軟に取り入れるようになっているんだ。そこに変更不能なデータを持ち込んでみろ。すぐに整合性が取れなくなるに決まってる」
「やっぱり味覚センサーを付けるしかないんじゃないですか?」
「マルチが製品版では大幅な試用変更を強いられた理由を忘れたか? 視覚や触覚ならともかく、味覚アルゴリズムなんて完成までにどれだけの費用と時間がかかるかわかったもんじゃない」
『うまそうに料理を食べるメイドロボは必要ない。必要なのはうまい料理を作るメイドロボだ』
そう言ったの重役の顔を、今でも忘れる事ができない。
その言葉で、マルチは大幅な試用変更を余儀なくされた。
これまでの学習型OSに代わり、セリオとほぼ同等のOSと、光ディスクのライブラリが搭載された。
製品版のマルチは、ただのセリオの廉価版に過ぎなかった。
『これがロボットか! ただの機械じゃないか!』
製品版のマルチもセリオも、結局は人間の労働を肩代わりする事しかできない。それは機械と奴隷の役割だ。
開発当初のマルチはそれ以上の目標があったはずなのに……。
「うーん、何とか感覚器官からのデータとデータライブラリの間で整合性が取れればなあ……」
「無茶ですよ、主任。複数のOSでも積まない限り……」
「複数の……そうか! その手があったか!」
「ちょっと主任! OSが二つなんて、構造的に不可能ですよ!」
「誰が二つなんて言った! 三つだ! メインのOSが残りの二つ、感覚器官からのデータを管理するOSとデータライブラリを管理するOSを支配下に置く。そして状況に応じて、二つのOSを使い分けるんだ」
いける! これならいけるぞ!
「主任、お客様です」
「客? 今忙しいんだ。後にしてくれないか?」
私の言葉が終わる前に、「客」は勝手にドアを開けて入ってきた。
「浩之君……」
あのおっさんは確かマルチの生みの親だっていう……えーと、なんて名前だっけ。確か長瀬とか言ったよな。
「ご、御主人様……どうしてここへ?」
マルチが駆け寄ってきた。
「あかりから聞いたんだよ。料理を教えてもらいに来たって。それなら遅かれ早かれここに来るだろうと思ってな」
「そうですか……すみません、わざわざ心配してきてくれたんですね?」
しょんぼりするマルチ。俺は手を挙げて……。
ゴチン。
「あぅぅぅ……痛いですぅ……」
「バカ。お前が一生懸命作ってくれた料理がまずいわけないだろ」
「うぅぅぅ……私……御主人様の気持ちも知らないで……ごめんなさい……」
マルチの奴、泣き出しやがった。
そんなに強く殴った覚えはないんだけど……後でなでなでしてやろうか。
「さ、帰るぞ……あ、すんません、マルチが邪魔したみたいで」
「いや、構わないよ。今度は二人一緒に遊びにきてくれ」
長瀬のおっさんは嬉しそうに言った。さすがマルチの生みの親。話がわかるね。
今度はマルチに向かって、
「ところでマルチ」
「はい、何ですか? 主任さん」
「お前、幸せか?」
「はい! とっても幸せです!」
「ところで主任、すぐに研究に取りかかりますか?」
「研究? 何の事だ?」
「メイドロボに三つのOSを積むって奴ですよ」
「ああ、その事か。やめた」
「え? どうしてですか? うまくいけばきっとすごいのができますよ?」
「いや……必要ないよ、きっと……」
と、いうわけで。
「御主人様。晩ご飯できましたよ〜」
「おう、待ちわびたぜ!」
今日も浩之はマルチの料理を食べる。
めでたしめでたし。
マルチの料理 了
あとがき
ど〜も、wen-liです。
「マルチの料理」いかがだったでしょうか。
「ToHeart書くならとりあえずマルチだ!」といい加減な理由でマルチを主人公にして、思い付いたままに書いてみました。
何となくメインキャラ総登場になってます。
あ、雅史忘れてた。セバスチャンもいないし。
委員長の神戸弁が「大阪人に怒られる大阪弁」になっているとか、どうしてみんな同じ大学に通ってるんだとか、琴音ちゃんが不幸だとか、マルチの構造の話が手抜きだとか、色々と問題はありますが、ToHeart小説は楽しければそれでいいでしょう。きっと。
琴音ちゃんが不幸だったので、次回は琴音ちゃん小説を書きたいと思います。
琴音ちゃんファンからウイルス付きメールが届く前に書き上がるといいなあ。
感想お待ちしてます。
でわでわ。
久々に「ToHeart」をやってみたら、レミィの一人称が「ワタシ」ではなく「アタシ」である事に気付きました。
修正しておきます。(1998/09/09)
他にも何かミスはないかと探してみたら、何だかたくさんありました。
琴音ちゃんの一人称は「私」ではなく「わたし」とか、主人公は「俺」ではなく「オレ」だとか。
全部直すのは面倒だし、雰囲気さえ間違ってなければ良かろうと思うので、致命的な部分だけ直しました。
具体的には「来栖川重工」を「来栖川エレクトロニクス」または「電工」に修正しました。
ゲーム中では「電工」と「エレクトロニクス」と二種類があって、たぶん正式な社名は「電工」で、一般に知れてる名前が「エレクトロニクス」なんでしょう。(1998/09/10)
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