この小説はTacticsより発売されたWindows95用ゲーム「ONE〜輝く季節へ〜」をもとに作成されています。
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いつもそばにいる君へ(後編)
「こらっ! 浩平! 早く起きないと遅刻するよ!」
長森の声。
ゆらゆらゆら。
うるさいなあ、もう。
起きればいいんだろ。起きれば。
むくっ。
「……………」
「おはよー、長森」
「……………」
「どうしたんだよ、長森」
「う、うん……浩平、いやに簡単に起きたから驚いちゃって……」
「……そういう事言うならもう一回寝る」
「あーっ、もう一回寝たら遅刻するよ〜!」
年が明け、今日は三学期の始業式。
風はまだ冷たい。
だけど陽射しは暖かく、鮮やかな青い空が広がっている。
「浩平」
「ん?」
「あけましておめでとうございます」
ぺこんと頭を下げる長森。
「……そういやあ、長森と会うのはクリスマス以来か」
「うん、そうだよ。だからあけましておめでとう」
「そうか……確か長森、去年もここで『あけましておめでとう』って言ったよな」
「え〜? そうだったっけ?」
「うん……あれからもう一年になるのか」
去年も、一昨年も、その前も、長森は毎朝俺を起こしにきて、俺はその度に文句を言って、遅刻ギリギリで学校に駆け込んで……。
「今年も毎朝ちゃんと起こしてあげるから」
にこにことやけに嬉しそうな長森。
こんな日常が、きっとずっと続くのだろう。
来年も、再来年も、そのまた次の年も。
いつもより時間が早いせいか、下駄箱で氷上シュンと会った。
「よお、シュン」
「あ、浩平君、今日は早いんだね」
いつものように笑って答えるシュン。
しかし長森だけが、いつもと違っていた。
「ねえ、この人、浩平の知り合い?」
「……………」
一瞬、意味が分からなかった。
「誰なの? 紹介してよ」
「なに言ってんだよ。こいつは同じクラスの……」
「いや、浩平、いいんだ」
俺の言葉を、シュンが遮った。
「長森さんは僕の事を知らない。ただそれだけだよ」
そんなはずはない。俺達はクラスメートだ。知らないはずはない。
長森とシュンの事で話した事だってある。
「じゃあ浩平君、僕は先に向こうで待ってるから」
そう言うと、シュンは呆気に取られている俺を置いて歩き始めた。
「ねえ浩平、あの人、どうしたの?」
長森が話しかけてくる。
「長森、お前本当にあいつの事、知らないのか?」
「うん……全然……」
どうしたんだよ。長森の奴、この前まで一緒の教室で勉強していた奴を忘れるなんて。名前を忘れたくらいならともかく、顔も覚えてないなんて。
「長森、これ持って先に教室に行っててくれ」
「え? いいけど……どうして? あ、浩平、ちょっとどこ行くのよ!」
俺は長森にカバンを押し付けると、シュンを追って走り始めた。
詳しい事はシュンに直接聞いた方が良さそうだ。
シュンを追って着いた場所は屋上だった。
風が強い。
身を切るように、強い風が、叩き付けるように吹いている。
「浩平君……」
風に柔らかそうな髪を乱し、シュンはそこに立っていた。
怪訝そうな顔で俺を見る。
「一体、何があったんだよ。長森がお前の事を知らないなんて言い出して……」
「始まったんだよ」
短く、シュンは言った。
「僕の存在が消え始める……まず最初にそれほど親しくない人の記憶から消え、次にだんだんと親しい人の記憶から消え……最後には僕自身が消えてなくなる」
「……………」
「いや、始まるんじゃなくて、終わると言った方が正しいかな? 僕という存在が終わる……」
「なに言ってんだよ。始まるとか終わるとか消えるとか……」
言い知れない不安が俺の胸を締め付ける。
かつて見たような、感じたような。
あやふやな……そして確かな予感。
「ベッドの上で咳き込みながら、霞んだ目で白い壁を見ながら、僕はいつも思っていたんだ。とても辛い。辛くて、辛くて、それでも僕は裏切りたくないと思っていたんだ。世話をしてくれる両親を、励ましてくれる数少ない友達を……」
ふぅっ、と息を吐いて、シュンは続ける。
「でもね、ある時、思ったんだ。いっそこのまま死んでしまえば、もう苦しまずにすむんじゃないか、周りの人に迷惑をかけずにすむんじゃないか……ってね」
「……………」
「結局僕は死ななかった。まだこの世界に残っている。こうして君の前に立っているんだから当たり前だけど、病気は僕を救ってくれなかったんだ。絶望に蝕まれた、僕の心を、ね」
「シュン……」
「でも、それももう終わるんだ。周りの人に辛い思いをさせて、自分はそれ以上に辛い思いをしながら、心に希望の代わりに絶望を抱いたまま生きていくのは」
シュンは笑っていた。
いつものように楽しそうに、でもどこか寂しそうに、シュンは笑っていた。
「おい、シュン!」
俺はシュンに駆け寄り、肉付きの薄い腕をつかんだ。
しかしその後にかける言葉は見付からない。
それだけが、あの時との唯一の違いだった。
「どうしてそんな悲しそうな顔をするんだい? 僕は望んで向こうの世界に行くんだ。君も喜ぶべきなんだよ」
「どうして俺が喜ぶんだよ! お前が消えていなくなる事を、喜べっていうのかよ!」
「残念だな。君ならわかってくれると思っていたのに……」
「わかるわけねえよ!」
「それはおかしいよ。だって君は……僕と同じ絶望を感じていたはずだからね」
その言葉を最後に……シュンは消えた。
向こうの世界に行ってしまった。
教室に戻ると、ちょうどホームルームが始まるところだった。
「浩平、どうしたの? もう少しで遅刻じゃない?」
「ああ」
長森の言葉を聞き流し、カバンを受け取って自分の席に着く。
隣に空いた席があった。
向こうの世界に行ってしまったシュンがかつて使っていた席。
それと俺の中に残された記憶だけが、シュンが残していった痕跡だった。
………。
……。
…。
うあーーーん…
うあーーーーーーーんっ!
泣き声が聞こえる。
誰のだ…?
ぼくじゃない…。
そう、いつものとおり、みさおの奴だ。
「うあーーーーん、おかあさーーんっ!」
「どうしたの、みさお」
「お兄ちゃんが、蹴ったぁーーっ!」
「浩平、あんた、またっ」
「ちがうよ、遊んでただけだよ。真空飛び膝蹴りごっこして遊んでたんだ」
「そんなのごっこ、なんて言わないのっ! あんた前は、水平チョップごっことか言って、泣かしたばっかじゃないのっ」
「ごっこだよ。本当の真空飛び膝蹴りや水平チョップなんて真似できないくらい切れ味がいいんだよ?」
「ばかな理屈こねてないで、謝りなさい、みさおに」
「うあーーんっ!」
「うー…みさおぉ…ごめんな」
「ぐすっ…うん、わかった…」
「よし、いい子だな、みさおは」
「浩平、あんたが言わないのっ!」
じっさいみさおが泣きやむのが早いのは、べつに性分からじゃないと思う。
ぼくが、ほんとうのところ、みさおにとってはいい兄であり続けていたからだ。
そう思いたい。
母子家庭であったから、みさおはずっと父さんの存在を知らなかった。
ぼくだって、まるで影絵のようにしか覚えていない。
動いてはいるのだけど、顔なんてまるではんぜんとしない。
そんなだったから、みさおには、男としての愛情(自分でいっておいて、照れてしまうけど)を、与えてやりたいとつねづね思っていた。
父親参観日というものがある。
それは父親が、じぶんの子供が授業を受ける様を、どれ、どんなものかとのぞきに来る日のことだ。
ぼくだって、もちろん父親に来てもらったことなんてない。
でもまわりの連中を見ていると、なんだかこそばゆいながらも、うれしそうな顔をしてたりする。
どんな頭がうすくても、それはきてくれたらうれしいものらしかった。
しかしそのうれしさというものは、ぼくにとっては、えいえんの謎ということになる。 きっと、たぶん、二度と父親なんて存在はもてないからだ。
振り返ったとしても、そこには知った顔はなく、ただ誰かから見られているという実感だけがわく、ちょっと居心地の悪い授業でしかない。
ぼくの父親参観とは、そんな感じでくり返されてゆくのだ。
でもみさおには、男としての愛情を与えてやりたいとつねづね思っているぼくにしてみれば、ぼくと同じような、『ちょっと居心地の悪い授業でした』という感想で終わらしてやりたくなかった。
だから、一大作戦をぼくは企てたのだ。
「みさお、ぼくがでてやるよ」
「お兄ちゃんって、あいかわらずバカだよね」
「バカとは、なんだ、このやろーっ!」
「イタイ、イタイよぉーっ、お兄ちゃんっ!」
アイアンクローごっこで少し遊んでやる。最近のお気に入りだ。
「はぅぅっ…だって、お兄ちゃん、大人じゃないもん」
「そんなものは変装すればだいじょうぶだ」
「背がひくすぎるよ」
「空き缶を足の下にしこむ」
「そんな漫画みたいにうまくいかないよぉ、ばれるよぉ」
「だいじょうぶ。うまくやってみせるよ」
「ほんとぉ?」
「ああ。だから、次の父親参観日は楽しみにしてろよ」
「うんっ」
初めはバカにしていたみさおだったが、最後は笑顔だった。
みさおの笑顔は、好きだったから、うれしかった。
そして来月の父親参観日が、ぼくにとっても待ち遠しいものになった。
……いつのまにか夢を見ていた。
ずっと昔の夢。遠い遠い昔の夢。
どうしてこんな夢を見たんだろう。
もうとっくに忘れていたと思っていたのに。
それはそれとして、もう昼休みだ。
今日は家からパンを持ってきているから、売店まで買いに行かなくてすむ。
「おーい、住井、一緒に食おうぜ」
「……………」
しかし住井はきょとんとした目で俺を見ているだけだ。
「おい、住井、どうしたんだよ」
「……お前、誰だ?」
「……!」
俺は言葉を失った。恐る恐る手を伸ばし、住井の腕をつかむ。
「おい、ちょっと、放せよ」
「住井、何かの冗談だよな? いつもみたいに俺の事をからかってんだろ?」
「は、放せよ。痛いじゃねえか……」
「いくら友達だからって、冗談ですむ事とすまない事があるんだぜ? そろそろ言えよ、冗談だって……」
俺は住井の襟首をつかんで椅子から立たせ、壁に押し付けた。
「し、知らねえよ。俺はお前の事なんか全然知らねえよ」
「『お前』じゃねえ! いつもみたいに『折原』って呼べよ!」
怒鳴って手に加えた力を強めると、住井の表情が苦痛に歪んだ。
「いい加減にしろ! まだ……まだ俺をからかうのかよ!」
「おい、そろそろ放してやれよ」
「事情は知らねえけど、住井が苦しんでるぞ」
何人かの男子生徒が俺の手をつかむ。みんな見知った顔だ。
住井の身体が床にくずおれる。苦しそうに咳き込む。
「住井、大丈夫か?」
「何があったか知らねえけど、やり過ぎだぞ!」
「住井に謝れよ!」
いつのまにかクラスのほとんど全員が俺と住井を取り囲んでいた。
しかし住井の名前を口にする者はいても、俺の名前を口にする者はいない。
まさか……消え始めているのか? この俺も?
俺は腕をつかんでいた男子生徒を振り払うと、教室を飛び出した。
みさおが病気になったのは、そろそろ変装道具をそろえなきゃな、と思い始めた頃だった。
ちょっと直すには時間がかかるらしく、病院のベッドでみさおは過ごすことになった。
「バカだな、おまえ。こんなときに病気になって」
「そうだね…」
「おまえ、いつも腹出して寝てるからだぞ。気づいたときは直してやってるけど、毎日はさすがに直してやれないよ」
「うん、でも、お腹に落書きするのはやめてよ。まえも身体検査のとき笑われたよ」
ぼくはいつも、油性マジックでみさおのお腹に落書きしてから布団をなおしてやるので、みさおのお腹はいつでも、笑ったり、泣いたり、怒ったりしていた。
「だったら、寝相をよくしろ」
「うん。そうだね」
みさおの邪魔そうな前髪を掻き上げてやりながら、窓の外に目をやると、自然の多く残る町の風景が見渡せた。
そして、秋が終わろうとしていた。
「みさおー」
「あ、お兄ちゃん。どうしたの、こんな時間に」
「みさお、退屈してると思ってな」
「ううん、だいじょうぶだよ。本、いっぱいあるから、よんでるよ」
「本? こんな字ばっかのが、おもしろいわけないだろ。やせ我慢をするな」
「ぜんぜんがまんなんかしてないよ。ほんと、おもしろいんだよ」
「というわけでだな、これをやろう」
ぼくは隠しもっていた、おもちゃをみさおに突きつけた。
「なにこれ」
「カメレオンだ」
「見たらわかるけど…」
プラスチックでできたおもちゃで、お腹の部分にローラーがついていて、それが開いた口から飛び出た舌と連動している。
「みろ、平らなところにつけて、こうやって押してやると、舌がぺろぺろ出たり入ったりする」
「わぁ、おもしろいね。でも、平らなところがないよ」
「なにっ?」
言われてから気づいた。
確かにベッドで過ごしているみさおからすれば、平らな机などは、手の届かない遠い場所だ。
「あ、でも大丈夫だよ。こうやって手のひら使えば…」
ころころ。
「お、みさお、頭いいな。でも少し爽快感がないけどな」
「そんな舌が素早くぺろぺろ動いたって、そうかいじゃないよ。これぐらいがちょうどいいんだよ」
ころころ。
「そうだな」
「お兄ちゃん、ありがとね」
「まったく、こんなくだらない本ばっかでよんで暮らすおまえが、見るにたえなかったからな。よかったよ」
「うん。これで、退屈しないですむよ」
しかし話しに聞いていたのとは違って、みさおの病院生活は、いつまでも続いていた。
一度、大きな手術があって、後から知ったのだけど、その時みさおのお腹は、みさおのお腹でなくなったらしい。
そして、そのころから母さんは病院よりも、ちがう場所に入りびたるようになっていた。
どこかはよくしらない。
ときたま現れると、ぼくたちが理解できないようなわけのわからないことを言って、満足したように帰ってゆく。
『せっぽう』とか言っていた。どんな漢字を書くかはしらない。
「わ、病室まちがえたっ!」
「合ってるよ、お兄ちゃん」
「え…? みさおか?」
「うん、みさおだよ」
みさおは、髪の毛がなくなっていた。
「びっくりしたぞ、お兄さんは」
「うん…」
ただでさえ、ここのところやせ細っているというのに、さらに頭がツルツルになっていれば、ぼくだって見間違える。
そのくらい、みさおは姿が変わってしまっていた。
「やっぱり、お腹がなくなったら、体重減っちゃったのか?」
「そうかも」
喋りながら、ころころとカメレオンのおもちゃを手のひらで転がしていた。
ぺろぺろと舌が出たり入ったりするのを、みさおはくぼんだ目で、見つめていた。
ぼくはみさおには絶対に、苦しいか、とか、辛いか、とか聞かないことにしていた。
聞けば、みさおは絶対に、ううん、と首を横に振るに違いなかったからだ。
気を使わせたくなかった。
だから、聞かなかった。
ほんとうに苦しかったり、辛かったりしたら、自分から言いだすだろう。
そのとき、なぐさめてやればいい。
元気づけてやればいい。
そう思っていた。
年が明け、みさおは、正月も病室で過ごしていた。
ぼくも、こんなにも静かな正月を送ったのは初めてだった。
「みさお、今年の願い事はなんだ?」
「もちろん元気になることだよ。それで、お兄ちゃんがきてくれる、ちちおや参観日をむかえるの」
「そうだな。去年は無理だったもんな」
「うん。今年こそはきてもらうよ」
時間はあのときから止まっていた。
そろえ始めていた変装道具も、中途はんぱなままで、部屋に置いてある。
進んでいるのは、みさおのやせる病状だけに思えた。
そのときを機に、みさおは父親参観日のことをよく口にするようになった。
ぼくも、今年こそはと、強く思うようになっていった。
学校を飛び出した俺は、通行人を押し退けるように自分の家まで走った。
クラスメートが俺の事を忘れていたとしても、血を分けた叔母さんは忘れていない。
きっと俺の事を覚えていてくれる。
いつものように「お帰りなさい、浩平」と言ってくれる。
そう信じて。
家の前に、たくさんの荷物が積んであった。
近付いてよく見てみると、俺の机や椅子やら衣装ケースやらだった。
「あの……どうしたんですか? 引っ越しですか?」
荷物を運びだしている男の人に声をかけた。
「引っ越しじゃなくてリサイクルです。ほら、最近は粗大ゴミ捨てるだけでも料金取られるでしょう?
わざわざお金出して捨てるくらいならリサイクルにって人が多いんですよ……あ、奥さん、お客さんみたいですよ」
ちょうど叔母さんが出てきたから、リサイクルの人が声をかけた。
「あの、どちら様でしょう?」
にこやかに笑って……でもいつも俺に向けてくれる笑顔じゃない。
他人に向けるための愛想笑いだった。
「……いえ、たまたま通りがかっただけですから」
「そうですか……もし欲しい物があったら、持っていってもらえませんか?
家には男の子なんていないし、買った覚えもないのに、いつのまにか家にあって困ってたんですよ」
「……いえ……結構……ですから……」
欲しかった物はそんな物じゃない。
俺は逃げるように家の前から走り去った。
正月も終わり、街並みが元通りの様相に戻ってゆく。
でも、みさおの過ごす部屋だけは、ずっと変わらなかった。
「みさおー」
「お兄ちゃん、また、こんな時間に…」
「また手術するって聞いて、きたんだよ。また、どこか取るのか?」
「ううん…。その手術はしないことになったよ」
「そうか。よかった。どんどんみさおのお腹が取られてゆくようで恐かったんだよ」
「うん。もうしんぱいないよ」
「ほんと、よかったよ」
「うん…」
ころころ。
二人が黙り込むと、ただカメレオンを手のひらで転がす音だけが聞こえてくる。
「おかあさんは、どんな感じ?」
「相変わらずだよ」
「お兄ちゃん、お母さんのことも心配してあげてね」
「うん、そうだな…」
「じゃあ、そろそろ眠るよ」
「ああ」
静かに目を閉じる、みさお。
手には舌を突きだしたままのカメレオンを握ったままだった。
恐いくらいに静まり返る室内。
「………」
「…みさおー」
………。
「…みさお?」
………。
「みさおっ!」
………。
「みさおーっ! みさおーーっ!」
「…なに、お兄ちゃん」
「いや、寝ちゃったかなと思って」
「うん…寝ちゃってたよ。どうしたの?」
「ううん、なんでもない。起こしてわるかったな」
「うん…おやすみ」
「おやすみ」
月がまた変わった。
でもぼくたちは、なにも変わらないでいた。
みさおは誕生日を迎え、病室でささやかな誕生会をした。
でもぼくひとりが歌をうたって、ぼくひとりがケーキをたべただけだ。
………。
ころころ。
「………」
………。
ころころ。
「………」
「おにいちゃん…」
「うん、なんだ?」
「ちちおや参観日にしようよ、今日…」
「今日…?」
「うん、今日…」
「場所は?」
「ここ…」
「ほかの子は…?」
「みさおだけ…。ふたりだけの、ちちおや参観日」
「………」
「だめ?」
「よし、わかった。やろう」
「…よかった」
みさおが顔をほころばす。
ぼくは走って家に戻り、変装道具を押し入れから引っぱり出し、それを抱えて病院へと戻った。
病院の廊下で、ぼくはそれらを身につけ、変装をおこなった。
スーツを着て、ネクタイをしめ、足の下に缶をしこんだ。
そして油性マジックで、髭をかいて、完成した。
カンカンカンっ!と、甲高い音を立てながら、みさおの部屋まで向かう。
ドアの前にたち、そしてノックをする。
ノックより歩く音のほうが大きかった。
「みさおー」
ドアを開けて中に入る。
………。
「みさおーっ?」
………。
「…みさおーっ?」
「う…おにいちゃん…」
口だけは笑いながらも、顔は歪んでいた。
「ちがうぞ、おとうさんだぞ」
みさおが苦しい、辛いと言い出さない限り、ぼくも冷静を装った。
「うん…そだね…」
「じゃあ、見ててやるからな」
ぼくは壁を背にして立ち、ベッドに体を横たえる、みさおを見つめた。
ころころ…。
弱々しくカメレオンが舌を出したり、引っ込めたりしている。
ただそんな様子を眺めているだけだ。
………。
ころころ…。
「………」
………。
ころころ…。
「………」
「うー…」
「みさおっ?」
「しゃ、しゃべっちゃだめだよぉ…おとうさんは…じっとみてるんだよ…」
「あ、ああ…そうだな」
………。
「うー…はぅっ…」
苦しげな息が断続的にもれる。
ぼくはみさおのそんな苦しむ姿を、ただ壁を背にして立って見ているだけだった。
「はっ…あぅぅっ…」
なんてこっけいなんだろう。
こんなに妹が苦しんでるときに、ぼくがしていることとは、一番離れた場所で、ただ立って見ていることだなんて。
………。
「はーっ…あうっ…」
………。
カメレオンの舌が動きをとめた。
そして、ついにみさおの口からその言葉が漏れた。
「はぁぅっ…くるしいっ…くるしいよ、おにいちゃんっ…」
だからぼくは、走った。
足の下の缶がじゃまで、ころびながら、みさおの元へ駆けつけた。
「みさお、だいじょうぶだぞ。お兄ちゃんがそばにいるからな」
「いたいよ、おにいちゃんっ…いたいよぉっ…」
カメレオンを握る手を、その上から握る。
「だいじょうぶだぞ。ほら、こうしていれば、痛みはひいてくから」
「はぁっ…あぅっ…お、おにいちゃん…」
「どうした? お兄ちゃんはここにいるぞ」
「うんっ…ありがとう、おにいちゃん…」
ぼくは、みさおにとっていい兄であり続けたと思っていた。
そう思いたかった。
そして最後の感謝の言葉は、そのことに対してのものだと、思いたかった。
みさおの葬儀は、一日中降り続く雨の中でおこなわれた。
そのせいか、すべての音や感情をも、かき消されたような、静かな葬儀だった。
冷めた目で、みさおの収まる棺を見ていた。
母さんは最後まで姿を見せなかった。
ぼくはひとりになってしまったことを、痛みとしてひしひしと感じていた。
そして、ひとりになって、みさおがいつも手のひらでころころと転がしていたカメレオンのおもちゃを見たとき、
せきを切ったようにして、ぼくの目から涙がこぼれだした。
こんな悲しいことが待っていることを、ぼくは知らずに生きていた。
ずっと、みさおと一緒にいられると思っていた。
ずっと、みさおはぼくのことを、お兄ちゃんと呼んで、
そしてずっと、このカメレオンのおもちゃで遊んでいてくれると思っていた。
もうみさおの笑顔をみて、幸せな気持ちになれることなんてなくなってしまったんだ。
すべては、失われてゆくものなんだ。
そして失ったとき、こんなにも悲しい思いをする。
それはまるで、悲しみに向かって生きているみたいだ。
悲しみに向かって生きているのなら、この場所に留まっていたい。
ずっと、みさおと一緒にいた場所にいたい。
うあーーーん…
うあーーーーーーーんっ!
泣き声が聞こえる。
誰のだ…?
ぼくじゃない…。
そう、いつものとおり、みさおの奴だ。
「うあーーーーん、うあーーーんっ!」
「うー…ごめんな、みさお」
「うぐっ…うん、わかった…」
よしよし、と頭を撫でる。
「いい子だな、みさおは」
「うんっ」
ぼくは、そんな幸せだった時にずっといたい。
それだけだ…。
きーっ。
夕暮れ時の公園。
さっきまで砂場で遊んでいた子供達も、母親に連れられて帰っていった。
この公園で動く物は、ブランコに揺られる俺一人。
きーっ。
忘れていたわけじゃなかった。
きーっ。
忘れていたふりをしていただけだった。
きーっ。
忘れてしまったと思い込んでいただけだった。
きーっ。
シュンが抱いていた深い絶望と孤独。
同じ物を、子供の頃の俺も確かに感じていた。
きーっ。
あの時もこうしていた。
みさおを失って、この町に引っ越してきて、友達もなく、絶望と孤独を紛らわせたくて、ただ真っ赤に目を腫らしてブランコを揺らしていた。
きーっ。
どうしてぼくはこんなところにいるんだ?
きーっ。
もう大切なものは何も残っていないのに、どうしてこんなところにいるんだ?
きーっ。
ぼくはまだこんなところにいる。
きーっ。
いっそみさおがいる場所まで行ってしまえばいいのに。
きーっ。
確かにあの時、俺は望んだんだ。
きーっ。
永遠の世界を。
きーっ。
永遠の世界に行く事を。
きーっ。
だけど俺はあの時……。
きーっ。
こーっ。
「浩平……」
きーっ。
こーっ。
長森だ。
ただ真っ赤に目を腫らしてブランコを揺らす俺に、長森は話しかけてきたんだ。
きーっ。
こーっ。
今みたいに隣のブランコに座って、心配そうに俺を見て。
きーっ。
こーっ。
『ねえ、いつまで泣いてるの?』
きーっ。
こーっ。
『いつになったら泣きやむの?』
きーっ。
こーっ。
『ずっと泣いてるだけなんて、悲しいよ』
きーっ。
こーっ。
『待ってるんだよ。君が泣きやんで、一緒に遊んでくれるのを』
きーっ。
こーっ。
「長森……」
俺が話しかけると、長森の顔がほころんだ。
きーっ。
こーっ。
「俺、これから遠い世界に行ってくる」
「うん」
きーっ。
こーっ。
「長森が待っていてくれたら、帰ってこれそうな気がする」
「うん。待ってるよ。」
きーっ。
こーっ。
「……待っていて……くれるか?」
「うん、もちろんだよ」
きーっ。
「ずっと待ってるよ」
きーっ。
「ずっと待ってるから」
きーっ。
「ちゃんと帰ってきてよ」
きーっ……。
きーっ………。
あれから一年が過ぎました。
「ねえ瑞佳、近くにきれいな喫茶店ができたんだけど、みんなで行ってみない?」
「ごめんね、私、これから用事があるから」
「もう、部活もとっくにやめたっていうのに、付き合い悪いなあ」
「ごめんね、今度、埋め合わせするから」
「うん、あてにしてるわよ」
私は友達の誘いを断って、教室を駆け出しました。
きーっ。
すっかり夕暮れ時の風景。
砂場で遊んでいる子供を迎えに、お母さんがゆっくり歩いてきています。
きーっ。
あれから季節が一回りしました。
きーっ。
だけどこの町は何一つ変わっていません。
きーっ。
ここで浩平を待っている私も、いつかここに帰ってくる浩平も、きっと何も変わっていないと思います。
きーっ。
帰ってきたら、またいつもみたいに……。
きーっ。
こーっ。
「……………」
きーっ。
こーっ。
だけど言葉につまってしまいました。
急に涙があふれそうになって、それを必死でこらえたら、言葉が出なくなってしまいました。
きーっ。
こーっ。
「ただいま、長森」
きーっ。
こーっ。
そう言われて、涙があふれてきて。
きーっ。
こーっ。
ようやくいつもみたいに言えました。
きーっ。
こーっ。
「お帰り。浩平」
いつもそばにいる君へ(後編) 了
あとがき
ど〜も、wen-liです。
「いつもそばにいる君へ(後編)」いかがだったでしょうか。
「ToHeart」の神岸あかりのパクリと名高い長森瑞佳がヒロインの本作も、ようやく完結しました。
私がこのゲームを好きになれなかった理由をいろいろ考えてみると、やっぱり「別の世界に行く」という事に納得できなかった事です。
どう直そうかと考えた結論が「目の前で誰か消えてくれたら嫌でも納得するだろう」で、隠れキャラの氷上シュン君に消えてもらう事にしました。
彼は本来なら主人公が消える事の意味を説明するキーパーソンになるべき人物です。
しかし実際は隠れキャラであるため存在を気付かれない可能性もありますし、さらに言ってる事が押し付けがましくてよくわからない、最後は主人公のように別の世界に行ってくれればいいのに病気で死んでしまう、など、充分な役割を果たしたとは思えません。
そこで本作では「主人公と同じクラス」「病気で死なないで別の世界に行く」の2点だけ、ゲームの設定を変更しました。
次は長森瑞佳の話です。
六人のヒロインの内、彼女だけが初期状態から主人公と知り合いで、しかも妹が死んで絶望していた主人公に話しかけ、元気づけたという設定まであります。
しかしゲーム本編では、主人公のウソの告白を真に受けるイベントで「幼なじみ」という関係が終わり、さらにその後のいくつかのイベントを経て「恋人」という関係に変わります。
この時点で他のヒロインにはない幼なじみという設定がなくなり、肝心の別れのシーンで彼女らしさを出せなくなっています。
そこで本作では別れのシーンまで幼なじみという関係で通し、みんなが主人公の事を忘れる中、彼女一人だけが覚えている事にしました。
幼なじみって、普段は「口うるさいやつ」かも知れませんが、いざという時に本当のありがたさがわかる、そういう存在だと私は思います。
そんなこんなで書き上げてみたら、ゲーム本編のストーリーは少しも残っていません。
良かったのかなあ、これで。
ところで瑞佳ってどうやって毎朝主人公の部屋まで侵入してるんでしょう。
誰か教えて下さい。
次回作は雨の中、消えた幼なじみを待ち続ける少女、里村茜を予定してます。
感想お待ちしてます。
でわでわ。
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