コスプレイヤー瑞希

 お願い! 買わないでっ!
 オタクどもの発する熱気の充満するこみパ会場で。
 高瀬瑞希はブラザー2というサークルの売り子をしながら、そう願っていた。
 しかし瑞希の切実な願いをよそに、同人誌は飛ぶように売れていく。
 一般入場の開始直後という事もあって、常連客が一度に詰めかけてくる時間帯なのだが……。
 混雑の原因のひとつに、「ポニーテールの可愛い売り子さん」というのがある事に、瑞希は気付いていなかった。
 しばらくして混雑が一段落する頃……。
「ふはははははっ! 今日も繁盛してるかねっ!? まいしすたーあんどぶらざー!」
 盛大な高笑いと共に現われたのは、千堂和樹と並ぶ高瀬瑞希の腐れ縁、九品仏大志だった。
 右手には同人誌のたっぷり詰まった紙袋を、そして左手にもやはり同人誌のたっぷり詰まった紙袋を提げている。
 千堂和樹を同人誌の世界に引きずり込んだ張本人だが、ブラザー2が一番忙しい時間帯には、自分のための同人誌を買い漁りに行って、いないのである。
「誰かさんがいないおかげで、順調に売れてるわよ」
 残りの在庫といつもの売れ行きを考えると、終了までには完売するだろう。
「ふっふっふっ、それは僥倖……我が野望の達成にも一歩近付くというものだ。それに……」
 キラーンッ!
 大志のメガネの縁が光る。
「今回完売すれば、次回のこみパは同志瑞希のコスプレ売り子効果で売り上げ倍増、間違いなしだからな!」
 ああっ、それを言わないで!
 瑞希は心の中で頭を抱えていた。

 数日前の事。
 ふとした事から、どういうわけか「次回のこみパで和樹の同人誌が完売したら、瑞希がコスプレ売り子をする」という事になった。
 しばらくして冷静になった瑞希は、その事を非常に後悔したのだが……。

「同志和樹、売り子を代わるから、お前も自分の使命を果たしてくるがいい」
「え? あ、ああ……」
 眠そうに目をこすりながら、和樹は自分のスペースを出ていった。
「交代、今日はずいぶん早いんじゃないの?」
 瑞希が大志に聞く。
「ふっふっふっ、今日は二時から桜井あさひちゃんのミニコンサートだからな。迅速に用事を済ませてきたのだ」
「あっそ」
 普段、忙しい時間帯に売り子をしない事を反省したわけではなかったようだ。
「そういうわけで、新刊の内容もノーチェックだし、コスプレ写真の写り具合の確認もまだの我輩には話しかけないように」
 そう言って買ったばかりの同人誌をパラパラと開いたり、デジカメの映像の確認を始めてしまった。
 どうやらまともに売り子をする気もないようである。
 文句を言う気力も失せて、瑞希はひとつため息をついてから売り子に集中する事にした。
 しばらくすると、見慣れたお客さんがやってきた。
 オーバーオールを着て大きなメガネをかけた、背の小さい可愛い女の子だった。
「あ、あの……」
 女の子は真っ赤になってうつむく。
「いらっしゃい……前回の新刊は買ったと思うから……今回の新刊だけでいいのかな?」
「あ、はい!」
 なじみのお客さんだから、こんな会話も成り立つのだ。
 お金を受け取り、おつりを返す。
「そ、それから……あの……千堂先生は?」
「先生? ……ああ、和樹の事?」
 自分の腐れ縁に似合わない言葉に、瑞希は思わず吹き出しそうになる。
「和樹なら他のサークルを回ってると思うけど?」
「あ……そうですか……」
 しゅんとうつむいてしまう。
「スケッチブックなら預かっておこうか?」
「あ、いえ……他にも回るつもりなので……ごめんなさい」
 ぺこんと頭を下げてから、女の子は去っていった。
 あの子は和樹のマンガの熱心なファンだ。
 当然、何度も和樹に会って、何度も和樹と話をしている。
 だけど実物の和樹をもっと知ったら、どう思うだろう?
 瑞希はふとそんな事を考えた。
 でもどんなに親しくなっても、恋人同士というより仲の良い兄妹にしか見えないだろうな、きっと。
 そう思って、瑞希は胸がすっと軽くなったような感じがした。
 その時……。
「やーっと見付けたでえっ!」
「きゃあああああっ!」
 突然耳元から聞こえた声に、瑞希は悲鳴を上げてイスから飛び上がった。
 見るとちょうど和樹の新刊を積み上げた辺りに、黄色い生物らしき物が浮かんでいた。
 ぱっと見た感じは、背中に白い羽の生えた虎模様の猫といったところだ。
 しかし横に長い白目と縦に長い黒目の組み合わせは、愛嬌がまるでなかった。
 瑞希はこの生き物を見た事があり、名前も知っていた。
 しかし本来は現実の存在ではなく、ブラウン管の中の存在であるはずだった。
「ヘ……ヘモヘモ……」
「ふっ、わいもずいぶん有名になったもんやなあ」
 ヘモヘモ(らしき生物)はクールに(似合わない)決める。
 恐らくこのこみパ会場に集まったおたく達の99.9%はその正体を知っているはず。
 普通の女の子のモモをカードマスターピーチに変身する能力を与えた、張本人(?)なのだ!
「どうした? 同志瑞希。騒がしいぞ?」
「だ、だって、そこにヘモヘモが……」
「ヘモヘモ?」
 大志はメガネを軽く持ち上げ、瑞希が指さす辺りをじっと見る。
「……どこにもいないではないか?」
「え?」
「夢でも見たのではないか?」
 大志はそう言って膝の上の同人誌に視線を戻す。
「ど、どういう事?」
「ふっ、わいの姿はおたくどもには見えんのや」
「あ、なるほど」
 だからおたくである大志に見えなくて、おたくではない自分には見えたのか。
 瑞希は納得した。
 ……でも迷惑な話だった。
「この広いこみパ会場の中で、わいの事が見えたんは瑞希はんだけやったで」
「そ、そう……それであたしに何か用なの?」
「決まっとるがな。わいの使命はただひとつ、道をまちごうたおたくに、正しい道を指し示してやる事や。
 それで瑞希はんにも手伝ってもらおう思ってな」
「イヤよ!」
 瑞希ははっきりと強い口調で言い切った。
 そして大きな声を出してしまった自分に気付いて、慌てて両手で口を覆う。
 幸い、同人誌を読むのに忙しい大志を含めて、誰にも気付かれなかったらしい。
「そんな大声出さんでも聞こえるがな」
「だ、だって……どうしてあたしがおたくなんかのために働かなくちゃいけないのよ……。
 おたくなんて、みんな暗くて臭くて不潔で、脂肪分たっぷりでコレステロール高そうだし、一匹見付けたら十匹くらいいそうだし、物陰で薄笑いなんか浮かべてたら気味が悪いじゃないの」
「……そこまで言うか? 瑞希」
「とにかく、イヤだからね」
「せやけど、瑞希の言ったようなおたくを正すのもわいらの仕事のひとつやで?」
「でも……」
「それとも何か? ねーちゃん、こみパ会場っちゅうおたくの巣窟みたいな場所に来といて、自分はおたくじゃないと言い張るつもりなんか?」
「そ、それは……」
 言い淀む瑞希。
 まるで天の計らいのようなタイミングで、瑞希に声がかかる。
「やっほ〜☆ 瑞希ちゃん、元気?」
「あ、玲子ちゃん」
 瑞希に声をかけてきたのは芳賀玲子だった。
 以前に瑞希がピーチのコスプレをした時、色々と教えてもらった、瑞希のコスプレの先生に当たる女の子だ。
 ちなみに「ファイターズブレイカー2」の翔のコスプレをしている。
「ねえねえ瑞希ちゃん、今度のこみパでまたコスプレするって本当?」
 ズシャーッ。
 瑞希はテーブルの上に倒れ込んだ。
「今日、和樹の同人誌が完売したらの話よ!」
 誰が言いふらしたんだろう?
 大志しか容疑者はいないのだが。
「なるほどね。新しい衣装作るんだったら呼んでね。手伝うから」
「あ、ありがとう……」
「ところで千堂クンは?」
「和樹なら他のサークルを回ってると思うけど」
「あらあら、せっかく誘いに来たのに残念……」
 悲しそうにうつむく玲子。
 玲子ちゃん、もしかして和樹の事……。
「それなら瑞希ちゃんでもいいや。一緒に回ろーよ」
 言うが早いか、玲子は瑞希の手を引っ張る。
「で、でも売り子が……」
「大丈夫だって。大志くんがいるから☆」
「ちょ、ちょっと……」
 悲鳴の尾を引きながら、瑞希は玲子に手を引かれてブラザー2から離れていった。

 ひとごみの隙間を縫うように、瑞希は玲子に手を引かれて歩く。
 やおい系の同人誌を置いているスペースの近くを通りがかる度に、玲子は瑞希にやおい系同人誌を薦めて、その度に瑞希は真っ赤になってしまった。
 そんな瑞希を怒るでもなく、玲子はしたり顔で言った。
「わかるわ〜。あたしも初めてやおい同人誌を読んだ時は、すごく恥ずかしかったもの」
「………」
「でもその恥ずかしさを越えたところに真実の愛はあるんだよ☆」
「………」
 イヤ。そんな真実の愛なんていらない。
「もうすぐ瑞希ちゃんもわかるようになるって」
「………」
 だから……絶対にイヤッ!
「ところで瑞希ちゃんはもうコスプレしないの?」
「え?」
「瑞希ちゃんがピーチのコスプレした時、千堂クン、すごく喜んでたのに」
「で、でも……」
「でも……何?」
「恥ずかしいし……」
「わかるわ〜。あたしも初めてコスプレした時は、すごく恥ずかしかったもの。でも……」
「………」
 もうイヤ。何も言わないで……。
 そんなこんなで二人はコスプレブースにたどり着いた。
「玲子ぉっ! 大変よっ!」
 コスプレブースに入るなり二人に声をかけてきたのは、玲子の親友のまゆだった。
「ケンカよ! ケンカ!」
「ケンカなんてどーでもいいじゃない。早くスタッフの人を呼んできたら?」
「ミロクのコスプレした人と翔さまのコスプレした人が……」
「なにゅっ!? すぐ翔さまの応援に行かないと!」
 叫ぶなり、玲子はまゆを置いて走り出した。
 ずっと引いていた瑞希の手を放すのも忘れて。

 二人が向かった先には、黒山の人だかりができていた。
 周囲の観衆の野次に混じって、ケンカしている張本人らしい声が聞こえてくる。
「翔よりミロクの方が強いぞ!」
「ふん! ミロクには無敵時間の長い対空技がないじゃないか!」
「しかしミロクには必殺の弱足払い連打がある!」
「弱足連打セコすぎ!」
「大技ばかりの翔なんて、素人が使うキャラだっ!」
 て、低レベル……。
 ファイターズブレイカー2の事はよく知らない瑞希だったが、それでも和樹と大志が話しているのを聞いて、何となく格闘ゲームがどんなゲームかくらいは知っていた。
「まるで子供の口ゲンカじゃない……」
「まあ、おたくっちゅう奴らはみんな、子供の遊びを大人の財力で楽しんでいるような連中やからなあ」
 馴れ馴れしく瑞希の頭の上に乗っかったヘモヘモが言う。
「だからおたくなんて嫌いなのよっ!」
「まあ、それはそれとしてやなあ……あれ? コスプレねーちゃんは?」
「玲子ちゃんなら、もっと近くで応援するのよって言って、人ごみの中に入っていったけど?」
「ふむ、それは好都合や……瑞希、ちょっとこっち来いや」
「え? あ、ちょっと……」
 ヘモヘモは瑞希の髪を引っ張ってコスプレブースの片隅に連れて行く。
 いつもは隅々までコスプレイヤーの熱気が充満しているコスプレブースだったが、今はケンカのせいで喧噪が一カ所に集中してしまい、隅っこは常にない静かさだった。
「なあ、瑞希、自分の役目、わかっとるよな?」
「あ、あたしの役目?」
「そや」
「………」
「ほならヒント。わいの役目はいたいけな少女をカードマスターに変身させる能力を与える事や」
「ま、まさか……」
「そや。瑞希の想像しとる通りや。わかったらさっさと変身せんかい」
「そんな事言われても……」
「なんや? 変身の仕方は知っとるやろ? テレビアニメの通りのやればいいんや」
「どうしてあたしがそんな事しなくちゃいけないのよ!」
「どうして、やて? そんなん、わいに選ばれたのが運の尽きや。これもきっとシロウカードのお導きっちゅう奴やな」
「イ、イヤよ!」
「何がイヤなんや? 瑞希にとっても悪い話やないと思うんやけどな。なんせ、瑞希の嫌いなおたくに痛い目見さして、清く正しいおたくに改心させるんやからな」
「………」
 確かにそれはちょっと魅力的かも。
 今だけでも本当のカードマスターピーチと同じ力を手にする事ができるのなら……。
「わかったらちゃっちゃと変身せんかい。どうせ減るモンやなし」
「で、でも恥ずかしいし……」
「大丈夫。変身している間は瑞希の正体はわからんようになっとる。恥ずかしいのは最初だけや。二回目からは病み付きになるで」
「なんかヘモヘモ、セリフが悪役……」
「細かい事、気にせんと、さっさと変身せんかい。しまいには怒るで!」
「わ、わかったわよ、変身すればいいんでしょ?」
 半ばヤケクソに言って、瑞希はおたくの人だかりに向き直る。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「ところでやっぱり変身って……」
「瑞希なら知っとるやろ? 『らーめんたんめんたんたんめん! れいめんにゅーめんひやそーめん!』や! 力一杯叫ぶだけで万事OKや!」
「や、やっぱり恥ずかしいよお……」
「何ゆーてんねん! そんな事でこのこみパ会場に巣くう鬼畜外道なおたくに正義の鉄槌を下す、世界最強絶対不可侵の力を手に入れられるとでも思っとんのか!?」
「なんかヘモヘモ、セリフが過激……」
「……どうしても瑞希が変身せんっちゅうんなら、こっちにも覚悟があるで」
「え?」
「ピーチがおらんなら仕方ない、わいみずから手を下す!」
 そしてどこからともなく機関銃を取り出すと、音高く弾倉を取り付けてみせる。
「ケケケ……わいの前に立つと弾に当たるでえ……当たると痛いでえ……血ぃ出るでえ……コスプレブース一杯に広がる血の海と死体の山……そして血の臭いと腐臭の入り交じった空気から逃げるように出口に殺到するおたくどもの背中に、わいは銃口を向けるんや」
「………」
「これこそまさに阿鼻叫喚の地獄絵図! ケケケ……笑いが止まらんなあ……胸躍るなあ……でも悪いのはわいやないで……ピーチとしての役目を果たさない、瑞希がみんな悪いねんで……」
「や、やるわよ! やればいいんでしょ!」
「お、瑞希やってくれるんか?」
 ぽっと機関銃を放り出すヘモヘモ。
「いやあ、わい、ほんまはこんな事やりとうなかったんやけどな。瑞希がようやくやる気になってくれて、わい、ほんまに助かったわ」
「……はあ、あたしってば不幸」
 ため息をつく瑞希。
 瑞希に聞こえないようにか、小声でつぶやくヘモヘモ。
「……瑞希もまだまだ甘ちゃんやな。わいが何をしようと、自分には関係ないゆうて無視する冷酷さがない限り、真のカードマスターにはなれへんのや」
「………」
「あ、瑞希、今のオフレコやからな」
 本当に変身しないと、とんでもない事になるような気がする。
 瑞希はゆっくりと口を開く。
「えっと……ら、らーめん……」
「声が小さーいっ!」
「え? あ、うん……ら、らーめんたんめん……」
「まだまだ小さーいっ!」
「………」
「いいか、瑞希、そんな蚊の鳴くような声で、巨人の星をその手に掴み取る事ができると思うてんのか!?」
「どうして巨人の星……」
「最初からやり直しや!」
「わ、わかったわよ……らーめんたんめんたんたん……」
「……ま、ほんまは声の大きさは関係ないんやけどな」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「あ、瑞希、今のオフレコやからな」
 瑞希はたっぷりとヘモヘモを締め上げてから変身した。

 翔(のコスプレをした男)とミロク(のコスプレをした男)のケンカは、激化の一途をたどっていた。
 最初はただの口喧嘩にとどまっていたが、ついに拳と拳で語り合う、本当のケンカになってしまったのである。
「ええい! 食らえ! 闇焼き!」
「なんの、ミロク必殺の弱足連打!」
「うおっ! なかなかやるな!」
「ふっ、お前こそ!」
 しかしあくまでも小学校低学年レベルのケンカだった。
 その時!
「待ちなさい!」
 ケンカしている二人と、彼らを取り巻く人だかりの耳を打つ少女の声!
 人々が目を向けると、そこには朱色と白を基調にした、フリフリのドレスを着た少女が仁王立ちしていた。
 どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている!
 第二期TVアニメシリーズ、絶賛放映中!
 その少女の正体は……。
「カードマスターピーチ! はじめからいるけど、ただいま参上!」
「………」
「………」
 しーん。
 静まり返る一同。
「……ど、どうしよう、ヘモヘモ。静まり返っちゃったわよ」
「せやから前口上なんかいらんから、いきなり先制攻撃しかけいゆうたのに。先手必勝は戦士の常識やで」
「と、とにかく……」
 瑞希はひとつ咳払いをした後、深呼吸して一同に向き直る。
「二人とも、ケンカはやめなさい!」
「………」
「………」
 しーん。
 やっぱり一同は静まり返っていた。
「ケ、ケンカをやめないと、ゴミ箱ポイポイのポイよ!」
「………」
「………」
 しーん。
「瑞希、それは番組ちゃうで」
「あ、そうだった……」
(作者注:ゴミ箱ポイポイのポイしても、「ごみ箱を空にする」を実行するまでファイルの実体は消えません。ハードディスクの空き容量を圧迫する前に「ごみ箱を空にする」を実行しましょう)
「お願い! ピーチ!」
 その時、コスプレブース全体に漂う気まずい空気を打ち払ったのは、一人の少女の叫び声だった。
 それは瑞希のコスプレの師匠、芳賀玲子だった。
「この二人を懲らしめちゃって!」
 そしてケンカをしていた、ミロク(のコスプレをした男)と翔(のコスプレをした男)を指差す。
「こっちの男は翔さまの事をバカにしたし、こっちはコスプレをする事自体が翔さまに対する侮辱よ! 二人とも万死に値するわっ!」
「言うなあぁぁぁっ! 人が気にしている事をっ!」
 翔(のコスプレをした男)が絶叫する。
「……ねえ、ヘモヘモ、いっそ玲子ちゃんも一緒にやっつけちゃった方がいい気がするんだけど」
「瑞希の好きなようにするとええで。生殺与奪の全権は、今やカードマスターである瑞希のモンや」
「………」
 瑞希は気を取り直してカードを取り出して広げた。
 様々な絵柄のカードが瑞希の手の中にある。
 別に痛い目に遭わせる必要はないだろう。
 しばらく頭を冷やして反省させるのに相応しいカードは……。
「ウィンディー! あなたに決めたわ!」
「瑞希、ちょっとちゃうで」
「え?」
 瑞希は自分の中のカードをよく見る。
 ウィンディーズ。
 微妙にパチモンみたいな名前がカードには書かれていた。
「……ヘモヘモ、このカード、理由もなく勝手に固まったりしない?」
「まあ、その時は運命と思うて諦めるんやな」
「大したパワーアップもしてないのに、アップグレードに法外な代金を要求したりしない? バグフィックスと称して新しいバグを作ったりしない? 周辺機器の互換性は大丈夫?」
「ええい! さっさと使わんか! それでもシェアは世界一や!」
「わ、わかったわよ!」
 意を決して、瑞希はカードを顔の正面に構える。
「風よ! 戒めの鎖となれ! ウィンディー! ……ズ!」
 瑞希がそう叫んでカードにステッキを叩き付けると、カードはいくつもの風の流れに姿を変えた。
 そしてケンカしていた二人のコスプレイヤーの周りを取り巻くと、そのままぐるぐる巻きにしてしまった。
 ついでに玲子を含む数人の無関係の人間も捕まえていたが。
「やったっ! これで一件落着よ!」
「あかんっ! 逃げるで、瑞希!」
「えっ!?」
「あそこでとばっちり食らったの、こみパスタッフの南はんや! 瑞希の正体ばれたら、こみパから永久追放やで!」
「ひ〜ん! あたしってば不幸!」

 ブラザー2のスペースに戻ってきた瑞希を待っていたのは、「新刊完売」の四文字を書いた張り紙だった。
「はあ……やっぱり完売しちゃった」
「なんや、瑞希、完売して嬉しくないんか?」
「今回の新刊が完売したら、次回のこみパでコスプレ売り子をしなくちゃいけないのよ」
「なるほど……それは難儀なこっちゃなあ」
 などとヘモヘモと話をしてから、瑞希は大志がテーブルの上に突っ伏しているのに気付いた。
 そろそろ誰だかのコンサートの時間のはずだが……。
「ねえ大志、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「はあ……」
「え〜と……誰だっけ? なんとかちゃんの……」
「桜井あさひやろ? ピーチの声優やないか。忘れてどないするんや」
「そうそう、そのあさひちゃんとかいう子のコンサートじゃなかったの?」
「……あさひちゃん」
 大志がぽつりとつぶやく。
 かと思いきや、いきなりがばっと起き上がると、
「あさひちゃん! そう! 我が愛しの桜井あさひちゃん! ああ、我輩を置いてどこへ行ってしまったというのだっ!」
 そう叫び、またテーブルの上に突っ伏してしまった。
「な、何よ、今のは……」
「うむ……何やら大事件の予感がするで」
 あの大志がこんな状態になった事自体が充分に大事件という気もするが。
 とりあえず瑞希は大志の身体を揺すってみる。
「ねえ、大志、しっかりしなさいよ。何があったのよ」
「む、まいしすたー瑞希か……良かろう。特に瑞希をまい同志と見込んで、特別に真実を教えよう」
「何だか急に聞きたくなくなってきたわ……」
「桜井あさひちゃんのコンサートが中止になった事は知っているな?」
「……あ、いや、初耳……」
「表向きは体調不良という事になっている……しかし実際は失踪してしまったらしい」
「し、失踪?」
「ああ! 我が愛しの桜井あさひちゃん! あなたに我輩の愛は届かなかったというのか!? 悩みや迷いがあるというのなら、我輩に打ち明けてくれれば良かったのに!」
 そしてまた、ばたっと音を立ててテーブルに突っ伏してしまう。
「……あたしだったら、こういう男に囲まれるだけで失踪したくなるけど」
「でもなあ、瑞希、何も自分の意志で失踪したとは限らんやろ?」
「というと?」
「とりあえず容疑者は桜井あさひのファンの男やな。最初はファンの一人で満足していた気持ちが募りに募り、ついにあさひを自分だけの物にしようと誘拐したってのはどうや?」
「………」
「あるいはあさひの人気を恐れた別のプロダクションが誘拐したとか、あるいはあさひに主役の座を奪われて逆恨みしたライバル声優による犯行というのもありうるで」
「……あのね、勝手に犯罪をでっち上げないでよ」
 そんな瑞希とヘモヘモの会話が聞こえたわけでないのだろうが、大志はいきなり跳ね起きる。
「そうだ! あさひちゃんは何者かに誘拐されて、どこかで我輩の助けを待っているに違いない! きっとそうだ! そうに違いない!」
「あ、あの……」
「あさひちゃん! 今助けに行くぞおおおぉぉぉぉぉ……!」
 気が付くと大志の姿は遙か彼方に消えていた。
 瑞希の耳にドップラー効果のかかった声を残して。
「何があったの? 今……」
「う〜む、あれでこそおたくの中のおたく。見上げた男やなあ……ところで瑞希」
「な、何よ?」
「わいらもあさひを探しに行くで」
「どうしてよ!」
「決まっとるやろ? あさひは今のアイドル声優の星。いなくなったとあれば、血迷うおたくどもがぎょうさん出るのは目に見えとるやないか」
「でも手掛かりが……」
 瑞希のささやかな抵抗。
 しかしそれは結局のところ、全く無意味な物だった。
「いたぞ〜っ! あさひちゃんだっ!」
 そう遠くない場所から声が聞こえてくる。
「エラく都合のええ展開やないか」
 ヘモヘモが言う。
 瑞希は乗り気ではなかったが、首を巡らして、何十人かのおたくの集団から逃げ回っている二つの人影を見付けた。
「どうして……」
 我知らず、唇の間から声が漏れる。
「どうして和樹が一緒にいるのよ!」

 二つの人影の内の一人は、瑞希のよく知る千堂和樹だった。
 そしてもう一人も瑞希の知った人。
 よく和樹の同人誌を買いにくる、オーバーオールを着て大きなメガネをかけた女の子……だけどどこかで落としてしまったのだろうか、今はメガネをかけていない。
 そしてメガネを外したその顔は、前にアニメ雑誌で見た桜井あさひの顔によく似ている気がする……いや、あれだけ多くのおたくが追いかけているところを見ると、恐らく本人に間違いないのだろう。
 だけど……だけど……。
 まるで恋人同士のように手を取り合って。
 まるで将来を誓い合った二人が駆け落ちでもするように逃げ回って。
 そこにあるのは和樹の話してくれなかった女の子の姿で。
 そこにいるのは瑞希の知らない千堂和樹で……。
 胸が痛い。
 引き裂かれるように、胸が痛い。
「いや〜、これは話が早くて助かるわ〜。さ、瑞希、ちゃっちゃと変身するんや!」
「………」
「どないした? 瑞希?」
「……イヤよ」
「イヤやって? なに生意気ゆうてん。瑞希の腐れ縁も助けられて好都合やないか」
「知らないわよ! あんな奴!」
 瑞希は思わず怒鳴り付けた。
 胸の中の熱さと痛みが、そのまま言葉になって口から溢れ出てしまったのだ。
「あんな奴……あさひちゃんだか何だか知らないけどデレデレしちゃって! 二人で逃げ回ってればいいじゃない!」
「瑞希、なに怒ってんねん」
「怒ってないわよ!」
 言い返しながら、瑞希は一方で知っていた。
 今の自分が怒りと胸の痛みの入り混じった感情に支配され、ヘモヘモに八つ当たりしている事を。
 そしてそんな自分を嫌いながら、そんな自分を止められない事も。
「あんな奴……あんな奴、関係ないわよ! どうしてあたしが助けなくちゃならないのよ!」
「瑞希……」
「勝手に……勝手にすればいいじゃない! あんな奴!」
 そう言い放ち、そっぽを向く。
「なあ瑞希……」
 静かに、ヘモヘモが言う。
「せやけどなあ、瑞希。今回の事は、瑞希にも責任があるねんで」
「!」
 ヘモヘモの口調には瑞希を責めるような物は何もなく、むしろ悲しみと同情の気持ちを含んだ物だった。
 しかしそれ故に、確かに瑞希の胸に突き刺さった。
「本当は瑞希もわかってんやろ? 千堂和樹の優しさと距離の近さに甘えて、自分の気持ちを伝えてあいつの心を捕まえとかんかった、瑞希にも責任がある事……」
「………」
「どんなに強くあいつを想っとったって、言葉にせな伝わらへん。何も想ってへんのと同じや」
「あたし……あたし……」
 頬を熱い感触が伝う。
 溢れ出た胸の痛みが雫になって、頬を伝い落ちていた。
「せやけど……まだ間に合うやろ?」
「………」
「今からでも遅くはない。せやけど今すぐやないと間に合わないはずや」
「………」
「わかってるやろ? 自分のせなあかん事。今の瑞希にはその力がある。あとは勇気だけや」
「ヘモヘモ……」
 袖で涙をぬぐう。
 ただそれだけで不思議なくらい胸の中が軽くなる。
 代わりに身体中に力が湧いてくる気がした。
「ヘモヘモ……あたし、やるわよ。アイドル声優だか何だか知らないけど、あたしは負けない。自分の気持ちからも逃げたりしない!」
「よっしゃ! その意気や! それでこそ瑞希や!」
 瑞希は和樹とあさひが逃げ回っている方に向き直る。
 何度も練習したのに、一度もきちんと言えなかった言葉。
 それを今こそ、今こそ胸を張って、瑞希は言った。
「らーめんたんめんたんたんめん! れいめんにゅーめんひやそーめん!」
 言葉が終わると同時に、瑞希の身体はまばゆい光に包まれる。
 そしてその光が消え去った後には、カードマスターピーチの衣装に身を包んだ瑞希の姿があった。
 すかさず一枚のカードを宙に放り投げると、ステッキを叩き付ける。
「ジャンプ!」
 瑞希が地面を蹴ると、その身体は軽々と宙を舞う。

 何度かジャンプを繰り返して、瑞希は和樹達に追い付いた。
 ちょうど手近な場所の壁サークルのテーブルの上に降り立つ。
「うわぁっ! なんでピーチが降ってくるんやあ!」
「ちょっとぉ! 詠美ちゃんさまの同人誌の上に着地するなんて生意気よ! えーぎょーぼーがいだわっ!」
 足下近くで騒がしい声がする。
 だけど瑞希の方はそれどころではなかった。
 すでに和樹とあさひは壁際に追い詰められている。
 足下で騒いでいる人達に心の中で謝りながら、瑞希はカードを取り出し、ステッキを叩き付ける。
「シールド!」
 そして瑞希は再び宙を舞う。

「ふっふっふっ……観念するのだ。まい同志」
 おたく達の先頭で和樹とあさひを追いかけていた大志が言う。
「いくらまい同志とはいえ、我らのあさひちゃんを独り占めする事は許さん!」
「大志! 目を覚ませ!」
「あさひちゃんを想うお前の気持ちは痛いほどわかる。そしてお前とあさひちゃんを引き裂く事は、我が身を引き裂くような痛みを伴う事だ。しかし……」
「………」
「我輩の熱いファン心理の前には全く無意味な物だぁっ!」
「くっ、万事休すか!?」
「和樹さんっ!」
 和樹は引き離されまいと、震えるあさひの身体を抱き締める。
 しかし二人に延びるおたく達の無数の手は、見えない壁のような物に阻まれた。
 そして二人とおたく達の間に割って入るように、ひとつの人影が降り立つ。
 朱色と白を基調にした、フリフリドレスのコスチュームに身を包んだその姿は……。
「二人とも大丈夫!?」
「え? ……なんでピーチが?」
「ほ、本物の……えっと、ピーチさんですか?」
 和樹もあさひも開いた口が塞がらない。
 だけど抱き合った二人の姿を見て、瑞希は何だか腹が立ってきた。
「バカ和樹!」
 そしてステッキで和樹の頭をひっぱたく。
「イテッ! ……お前、なんで俺の名前知ってんだ?」
「そんな事どうでもいいわよ! いい? あんたも男の子なら、女の子をちゃんと守ってあげなきゃダメじゃない!」
「う……」
 返す言葉をなくす和樹。
 今度はあさひに向き直る。
「あさひちゃん、もう大丈夫よ。このカードマスターピーチが助けてあげるから」
「あ、はい……ありがとうございます……あ、あの……ホントの……本物のピーチさんですか?」
「そうよ。あたしは本物のカードマスターピーチよ」
「そ、そうですか……あ、あの……ピーチさん、とってもかっこいいです……」
「くすっ、ありがと」
 そして今度は群がるおたくどもに向き直る。
 さっきまで「あさひちゃ〜ん!」と叫んでいた連中が、今はその三分の二くらいが「ピーチ〜!」と叫んでいて、瑞希はウンザリした。
 でも何とか気を取り直して、瑞希は声を張り上げる。
「みんながあさひちゃんを想う気持ちはわかるわ。でも女の子の気持ちを傷付ける事は、このカードマスターピーチが許さない!」
 しかしおたく達は歓声を上げたり拍手したりして、却って喜んでいる。
 ……言われた事の意味、わかってるのかしら?
 瑞希は頭が痛くなってきた。
「さ、二人とも掴まって」
「あ、ああ。ほら、あさひちゃんも……」
「は、はい。それじゃあ……」
 それぞれ瑞希の身体に左右から抱き付く。
「しっかり掴まっててよ……ジャンプ!」
「あっ!」
「あさひちゃ〜ん!」
「ピーチ〜! 待ってくれ〜!」
 三人の身体は軽々と宙を舞う。
 おたく達とおたく達の声が追いかけてきたが、ついに三人に追い付く事はなかった。

 その後もおたく達の一部はあさひの跡を追いかけていた。
 いくつもの廊下を抜け、部屋を通り、途中で一部がはぐれ、さらに一部が諦め、少しずつ数が減っていく。
 最後まで残った一握りのおたく達は、桜井あさひのコンサートが行なわれる予定だったステージの前にたどり着いた。
「みなさーん、こんにちはー☆ 桜井あさひで〜す!」
 そして彼らがいつもテレビやラジオ、CDなどで聞き慣れた、元気な声がスピーカー越しの大音量で響く。
 一同がステージの上に視線を向けると、いつものステージ衣装を着た桜井あさひが立っていた。
「今日は急にコンサートを中止にしちゃってゴメンね。あさひも今日はみんなに会えなくて、スッゴク残念です。だから、せめてものお詫びに一曲だけ歌っちゃいます!」
 スピーカーからピアノのメロディが流れてくる。
 そう、この曲は……。

  いてもたってもいられない♪ どうして?
  足が地に着かないなんて♪まさかね?

 ステージの前に詰めかけたおたく達は、自分達が幸運だと思った。
 ステージの上で歌っているのが本物の桜井あさひだと信じていた。
 しかしその正体は「ミラー」のカードで桜井あさひの姿に化け、「ボイス」のカードで桜井あさひの声を持った、瑞希であった。

  私が私でいられない♪ あいつがそばにいるからで♪
  無口になるの♪ 嘘でしょ? 恋をしたからなのね?

 確かにおたく達があさひを追い回した事は許される事ではない。
 しかし楽しみにしていたコンサートが中止になった事は、同情に値する事だろう。
 だからあさひの代わりに、一曲だけでも歌ってあげよう、と思ったのだ。

  幼い頃から隣に住んでた♪
  ただの幼馴染みだった♪ いわゆる♪

 だけど……。
 だけどどうしてだろう?

  私の知らない女の子♪ 仲良く歩いてるからで♪
  何かが胸を貫いた♪ 抜けないトゲみたいね♪

 数あるあさひの曲の中で、この曲を選んだのは。

  あの日から眠れない。恋わずらい。
  友達に話せない。

 和樹とあさひが助かって、嬉しいはずなのに。

  そよ風がつれてきた。
  淡いピンク色した。頬隠せない……。

 それなのに……それなのにどうしてこんなに……。
 こんなに……こんなに胸が痛いのは……。
 涙がこぼれそうなのは……。

 歌い終えて変身を解いた瑞希を出迎えたのはヘモヘモだった。
「瑞希、いい歌だったで。わい、感動したで」
「ありがと、ヘモヘモ……あれ?」
 ヘモヘモに笑いかけて……瑞希は目をしばたかせた。
「あれ? あれあれ? どうしちゃったのかな?」
「どうしたん?」
「うん……ヘモヘモがよく見えないのよ……どうしちゃったのかな?」
 目をこする瑞希。
 ヘモヘモは得心がいったのか、うんうんと何度もうなずく。
「なるほど……ちゅう事は、わいの役目が終わったっちゅう事やな」
「え?」
 瑞希はようやく気付いた。
 自分の目がおかしいわけではない。
 ヘモヘモの姿が少しずつ薄くなっているのだ。
「お別れやな、瑞希」
「え?」
「今日一日、瑞希はほんまにようやった。もう思い残す事は何もあらへん」
「え? え? ちょっと……」
 知り合ったのはつい何時間か前。
 最初はうざったくて仕方がなかった。
 ピーチに変身するのがイヤでイヤでたまらなかった。
 でも、今は……。
「瑞希、そんな泣きそうな顔したらあかん」
「う、うん……」
 あたし、泣きそうな顔してる?
 よくわからない。
 泣けばいいのか笑えばいいのか……。
 ひとつ確かな事は、自分でもよくわからない理由で、うまく言葉が出てこなくなっている事だ。
「わいはな、嬉しいんやで。わいが瑞希の前から消えるっちゅう事は、わいの役目が終わったっちゅう事なんやから。瑞希には笑って祝ってもらいたいんや」
「………」
 もう少し長く一緒にいる物だとばかり思っていた。
 それが一週間か一ヶ月か一年かはわからないけど……少なくともこんなに短い時間だとは思っていなかった。
 TVアニメなら、1クール十三話が終わるまでは一緒のはずなのに……。
「ヘモヘモ……あたし、あたし……」
「泣かんといてーな、瑞希。これでええんや、これで」
「イヤ……あたし、イヤよ、お別れなんて……」
「これでええんや、これで。なんせこれで……」
「ヘモヘモ……」
 しかし次にヘモヘモが発した言葉が、瑞希の全身の血液を一瞬に凍り付かせてしまった。
「なんせこれで、瑞希も一人前のおたくになったんやから」
「え?」
「最初にゆうたやろ? わいの姿はおたくには見えへん。瑞希の目にわいの姿が写らなくなってきているっちゅう事は、瑞希が立派なおたくになったっちゅう事や」
「………」
「わいの役目は道をまちごうたおたくに正しい道を指し示してやる事や。このこみパ会場で起きた事件を解決するのも役目やけど……瑞希のような中途半端なおたくを真のおたくにするのも大切な役目なんや」
「イ、イヤ……イヤよ! そんなの!」
「なあ、瑞希……頼むからから泣かんといてーな……瑞希が一人前のおたくになって、わいは心の底から嬉しいんや。だから……最後くらい笑って見送ってーな」
「イヤ! そんなの絶対に!」
「瑞希……そんなにわがまま言わんといてーな。わいだって辛いんや。瑞希はもう充分におたくになった。もうわいがいなくなっても……ぐ、ぐえっ」
「イヤ! 絶対にイヤ!」
 瑞希がヘモヘモの身体を掴む。
 力を込めすぎて、ヘモヘモの身体はお風呂スポンジよろしく変形する。
「ぐえっ……く、苦しい……瑞希、別れが辛いのはわかるんやけど……し、死ぬ……ほんまに死んでまう〜!」
「イヤよ! ヘモヘモがいなくなるなんて、絶対に許さない!」
「……し、死ぬ……後生やから最後くらい笑って……」
「お願い! ヘモヘモ! 消えないで!」
「し、死ぬ〜〜〜〜〜っ! 死んでまう〜〜〜〜〜っ!!!!!」
 そして。
 ヘモヘモの身体は、もう何も思い残す事がないと言っているかのように、何一つ痕跡を残す事なく消えてなくなり。
 こみパ会場全体に響く断末魔の悲鳴さえ、少しずつ薄れて消えていく。
 そして。
「あたしがおたくだなんて、神様が認めてもあたしは絶対に認めないっ!」
 瑞希の魂の叫びがこみパ会場に響き渡ったのだった。

 夕焼けに赤く染まるこみパ会場を、瑞希は一人離れていく。
 背中に疲労やら空腹やら怒りやら悔しさやら切なさやら寂しさやら、色々な物を背負って。
 大志はあさひの騒動以来、会っていない。
 もしかすると、今でもあさひの姿を探して走り回っているかも知れない。
 そして和樹は……瑞希の知った事じゃない。
「お〜い! 瑞希〜っ!」
「え?」
 聞き慣れた声が自分の名前を呼ぶのを聞いて、瑞希が振り返る。
 そこにいるのは、疑うまでもなく千堂和樹だった。
「一人でさっさと帰る事ないだろ? 一緒に帰ろうぜ」
「ふーん……あさひって子と一緒に帰るんじゃないの?」
「わっ! お前、なんであさひちゃんの事知ってんだよ!」
「そんな事どうでもいいわよ!」
 瑞希が怒鳴ると、和樹はあきらめたようにため息をつく。
「……あさひちゃんの事、人にしゃべるなよ。大騒ぎになったら困るから」
「わかってるわよ。で、あさひちゃんと帰るんじゃないの?」
「別にそんなんじゃねーよ。あさひちゃんは俺の同人誌のファンで……まあ強いて言うなら妹みたいなもんか」
「ふ〜ん……そっか……」
「な、なんだよ」
「ふ〜ん……そうなんだ……」
「なにニヤニヤ笑ってるんだよ」
「笑ってなんかいないわよ!」
 そう言い返してはみても。
 口許が緩んでいるのは自覚していたし、それを止められない事も知っていた。
「……あ、そうだ」
 和樹がぽんと手を打つ。
「今回の新刊、完売しちまったな」
「あ……そうだったわね」
「なあ、完売したらコスプレ売り子するっていう約束……瑞希がイヤなら、無理にやらなくていいんだぞ」
「………」
「そりゃ確かに瑞希がコスプレしてくれたら俺は嬉しいけど……嫌々コスプレされると、こっちも後味悪いし……大志の方は俺が何とかするから」
「……するわよ」
 瑞希はつぶやくように言う。
「約束は約束だから。するわよ」
「そ、そうか」
 歯切れの悪い和樹の返事。
 その口許が嬉しそうに少し綻んでいるのを見ると、何故だか急に腹が立ってきた。
「でもね! 勘違いしないでよ! 約束だから仕方なくするだけで、あんたに見せるためにコスプレするわけじゃないんだからね!」

コスプレイヤー瑞希 了


あとがき

 今回の没シーン。
 ヘモヘモ 「瑞希! ピーチに変身するんや! 変身の呪文は知っとるやろ!?」
 瑞希    「イ、イヤよ! そんな不吉な呪文、あたしには唱えられない!」
 ヘモヘモ 「和樹がどうなってもええんか!?」
 瑞希    「う……わ、わかったわ……」
 ヘモヘモ 「よっしゃ! それでこそ瑞希や!」
 瑞希    「フ、フリーズ!」
 ……………。
 …………。
 ………。
 ……。
 …。
 以上。お粗末様でした。

 ど〜も、wen-liです。
 「コスプレイヤー瑞希」いかがだったでしょうか。
 前作の「コスプレイヤー和樹」に引き続きコスプレネタ。
 っていうかタイトルの読みが一文字しか違わない……。
 ちなみに「猪名川でいこう!」のメニュー画面で瑞希をクリックした時に、「完売でコスプレ売り子」という話が出てくるので、それが一番最初の元ネタになってます。
 ほとんど原形とどめてませんけど。

 「私はここにいます。」自体がオリジナル中心のサイトに移行するという事で、書かないつもりでしたが、こみパはもうすぐアニメ化&DC移植という事で、お祝いの意味も込めて書いてみました。
 で、書いた結果がこれですが、笑いあり、涙あり、シリアスあり、パロディありと、個人的には二次創作最高傑作かも、とか自画自賛してます。
 でも最後の最後で大志が本編(あさひシナリオ)と正反対の役柄を演じているので、そこだけは失敗だったかも。

 こみパ本編にも出てくるヘモヘモは、言わずと知れた「カードキャプターさくら」のケルベロスことケロちゃんがモデルですが、「コスプレイヤー瑞希」でのヘモヘモは、言葉遣いとかがさりげなくケロちゃんよりかも。
 ちなみにタイトルも「カードマスター瑞希」か「コスプレイヤー瑞希」で、最後の最後まで検討していましたが、最終的には「コスプレイヤー」の方で落ち着きました。
 作品の主旨的にこっちだし。

 とりあえず泣いたり怒ったり、素直になれない瑞希が描けたので良かったとしましょう。

 というわけで。
 次回! 「コスプレイヤー彩」に……続きません。

 ちなみに今度こそ最後の二次創作になるかも。
 「二次創作を書きたい!」と思わせるような作品があれば、また書くかも知れませんが。
 最後の最後で「コスプレイヤー瑞希」が書けて良かったなあと思っています。

 感想お待ちしてます。
 でわでわ。


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