コスプレイヤー和樹

 俺、千堂和樹が寝ぼけ眼をこすって塚本印刷から出てくると、俺を待ちかねたように玲子ちゃんが立っていた。
「お疲れ様。原稿、間に合って良かったね」
「ああ……」
 俺は返事をするが、眠くて死にそうだったので生返事になる。
「やっぱり84ページ、フルカラー表紙はまだきつかったかなあ……でも玲子ちゃんが手伝ってくれたおかげでなんとか間に合ったよ。ありがとう」
「にゃはは☆ どういたしまして。ベタ塗りくらいしか手伝えなかったけどね」
 玲子ちゃんはにこにこと楽しそうに笑って続ける。
「それでひとつお願いがあるんだけど……いい?」
「お願い? 一体、なんだよ」
「うん……千堂クン、コスプレしてみない?」
「コスプレ?」
「カップルでね、恋人同士のキャラクターのコスをやるの。楽しいそうでしょ?」
「確かに……だけど俺、コスプレなんかした事ないぞ」
「いいじゃない、今回がデビューって事で」
「そうだけど……う〜ん……」
「もしかして千堂クン、あたしとコスプレするの、嫌なの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
 そんなウルウルした目で俺を見るなあっ!
「今回だって原稿書くの手伝ってあげたじゃない……」
「確かに助かったけど、ベタ塗りだけ……」
 だんだん形勢が不利になっていく。
 そしてとどめの一言。
「千堂クン……あたしの事、嫌いになったの?」
「そんなわけないって……わかったよ、やればいいんだろ、やれば!」
 少しムキになって言うと、
「にゃはは☆ だから千堂クンって好き♪」
 嬉しそうに抱き付いてくる。
 往来で(っていうか塚本印刷の前で)そんな事するなって。
「だけど衣装なんか用意してないから、明後日のこみパには間に合わないよ」
「あ、それは大丈夫。ちゃんとあたしが用意しておいたから」
 用意周到だな。まあいいけど。

 翌日。
 場所は俺の部屋。
 玲子ちゃんが用意してくれた衣装の試着をしてみる事になった。
 集まったのは俺と玲子ちゃんの他に、どこから噂を聞き付けてきたのか、大志と瑞希までやってきた。
 この時、俺はたったひとつだけ、だがとても重要な事を忘れていた。
「うんうん。やっぱり思った通り、よく似合ってるよ」
 嬉しそうなのはやっぱり玲子ちゃん。
「うむ。よもやここまで似合うとは。コスプレもこなす同人マンガ家……これで我輩の野望が達成される日も、また一歩近付いたな」
 いつも通りでかい態度でよくわからん事を言うのは、もちろん大志。
 そして。
「……………」
 仏頂面で肩を震わせているのは、この場に居合わせた最後のひとりの瑞希である。
「……そりゃあ確かに最初は和樹がマンガ書くのに反対したわよ。だけど最近はできるだけ協力してあげてるじゃない」
 何故か震えた声で、脈絡のない事を言ってくる。
「……コスプレするなって言うつもりもないわよ。私だって一回だけやった事あるし」
 そういやそんな事もあったっけ。
「だけど……」
 だけど? 
「女装だけは絶対に反対よっ!」
 力一杯怒鳴られた。
 そう。
 玲子ちゃんはいつも男キャラのコスプレをしている。
 そしてその玲子ちゃんと恋人同士のキャラのコスプレをするには、当然俺が女の子のコスプレをしなくてはいけないのだ。
 ちなみに玲子ちゃんのコスプレはいつもの翔サマ。
 そして俺は翔サマの恋人ユミのコスプレで、セーラー服の女の子である。
「まあまあ、同志瑞希、落ち着きたまえ」
 大志が仲裁に入る。
「これほど素晴らしいコスプレをやめさせては、我が国のコスプレ文化にとって大いなる損失。ここはひとつ大目に見て……」
「似合ってるから余計にイヤなの!」
 ……火に油を注ぐような事を言うな、大志。
 瑞希は大志を押し退けるようにして、大股に歩いて部屋を出ていった。
 そしてドアを閉める直前に一言。
「アンタと幼なじみだって事自体がイヤになったわ!」
 バタン。
 ……瑞希、ゲームが違うぞ、ゲームが。
 だいたい俺だって女装したくてやってるわけじゃないんだ。
 本心を言えば、こんな衣装、今すぐにでも脱ぎ捨ててしまいたい。
 しかしそんな事をすれば大志は怒るだろうし、それより何より玲子ちゃんが泣く。
 なんとか二人を納得させるには……。
「大志に玲子ちゃん、頼む。このコスプレの事はみんなには秘密にしてくれ」
「どうして? 似合うのに」
 と玲子ちゃん。
「貴様! オタク業界の支配という我らの壮大かつ華麗な野望が頓挫してもいいというのか!?」
 こっちはもちろん大志。
「二人とも聞いてくれ! 普通の俺のマンガのファンは、作者が女装コスプレなんかしていると知ったら、もう二度と俺のマンガを読んでくれなくなるぞ!」
「そんな事ないよ」
 と玲子ちゃん。
「あれだけのコスプレ、喜ばない方がおかしい」
 こっちはもちろん大志。
「さっきの瑞希を見ろ、瑞希を。普通はああいうリアクションをするもんだぞ」
「そーかなぁ?」
 と玲子ちゃん。
「そうだろうか……」
 こっちはもちろん大志。
 ……どうしてこの二人はこう、世間一般とズレているんだろう。
 しかししばらく説得している内に、
「まあ、千堂クンがコスプレしてくれるなら、あたしはいいけどね」
 と言って玲子ちゃんは納得してくれた。
 そして大志は、
「我が遠大な野望の達成のためには多少の回り道は止むを得ないか……同志和樹、次回のこみパでは男のコスプレを頼むぞ」
 と言った。
 どうやら納得してくれたらしい。

 翌日、こみパ当日。
 売り子を大志に任せた俺(コスプレ済み)は、玲子ちゃん達と一緒にコスプレブースにいた。
「ねっねっ、似合ってるでしょ☆」
 相変わらずご満悦の玲子ちゃん。
「よく似合ってますよ、千堂さん」
「うんうん、似合ってるよん☆」
「あ〜あ、ボクも一緒にコスプレしてくれる彼氏が欲しくなっちゃった」
 順番に夕香ちゃん、美穂ちゃん、まゆちゃん。
 ……頼む、誰かひとりでいいから似合わないと言ってくれ。しくしく。
 ちなみにこの三人には口止めする前に玲子ちゃんが話してしまったのだ。
「あ、そうだ。せっかくだから写真撮りますね」
 夕香ちゃんが使い捨てカメラを取り出す。
「撮って撮って〜〜〜☆」
 玲子ちゃんが俺の腕にしがみ付く。
 パシャッ。
 背の高いユミ(俺)と小柄な翔(玲子ちゃん)のツーショット……きっと異様な写真になるに違いない。
「それじゃあ次はあたしも一緒に☆」
「あ、ボクもボクも」
 美穂ちゃんとまゆちゃんも俺達にくっついてくる。
 パシャッ。
「次は私も入りたいです」
「じゃあ交替で撮ろっか」
「いや、ここは我輩がシャッターを押してやろう」
「あ、ありがとうございます☆」
 パシャッ。
 ……………。
 …………。
 ………。
 ……。
 …。
 ……我輩?
「って大志! どうしてこんな所にいるんだ! 売り子はどうしたんだよ!」
「うむ、よく考えたらコスプレしたからと言って売り子ができないわけではないし、我輩は同人誌を買ったりコスプレの写真を撮ったりと多忙な身なのだ」
 ……ちっ、友達甲斐のない奴め。急いで自分のスペースに戻らないと。
「それじゃあ玲子ちゃん、また後で」
「え? もう行っちゃうの?」
「後で大志と代わって戻ってくるから」
「うん。約束だよ☆」

 さて、急いで自分のスペースに戻らないと。
 しかしまだサークル入場の時間だっていうのに、どうしてこう人が多いんだ?
 ヒトゴミをかき分けかき分け、通路を半分塞いでいるグループの脇をすり抜け、走る走る、走る。
 確かこの辺りに……あった。ブラザー2のスペースだ。
 残りの短い距離を一気に駆け抜けようとして……。
 ドンッ!
「きゃっ!」
「うわっ!」
 イテテテテ……。
 誰かとぶつかった。
 ぶつかった相手は俺と同じように尻もちをついて……あ、南さんじゃないか。
 大丈夫ですか?
 そう言いかける直前、俺は自分のカツラがない事に気付いた。
 や、やばい!
 慌てて辺りを見回してカツラを見付け、大わらわで頭に乗せる。
「………」
「………」
 なんとなく気まずい沈黙。
「………」
「………」
 南さんはしばらく目をしばたかせた後、ずいっと身体を乗り出し、息が届くくらいに顔を近付け、眉間にしわを寄せる。
「………」
「………」
 やがて顔を離すと、にっこりと笑う。
「あ、コスプレイヤーの方ですね? 会場はたいへん混み合ってますので、走らないようにお願いします」
 ……ばれなかった。
 よく見ると南さん、ぶつかった拍子にメガネを落としてるじゃないか。
 俺は適当に謝りながら南さんにメガネを渡し、立ち上がるのに手を貸した後、そそくさとその場を立ち去った。

 ブラザー2のスペースにたどり着くと、そわそわした瑞希が待っていた。
 なんだ、大志の奴、瑞希がいるからスペースを離れたのか。
「ちょっと、か……」
 瑞希は俺の名前を呼びそうになって、慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
 それから俺の耳に口を近付け、小声で話しかける。
「和樹、大変なの。まだ同人誌が届いてないのよ。どうするの?」
 う〜ん。印刷所には直接会場に届けるように頼んであったはずだが……千紗ちゃんの事だ。きっと会場のどこかで迷っているのだろう。
「とりあえず準備はできるだけやっておかないと。値段表を貼って、前回の同人誌も並べて……」
「あ、その辺は私がやっておいたから大丈夫」
 気が利くなあ、瑞希は。
 他にできる事といえば千紗ちゃんを待つ事だけだが……。
「そう言えば瑞希、一昨日はすごい剣幕だったから、今日は来ないかと思ってたんだけどなあ」
 俺がなんとなくそんな事を言うと、瑞希は顔を真っ赤にした。
「べ、別に来たくて来たわけじゃないわよ! ……ほ、ほら、あんたがどんなカッコしていても、マンガに罪があるわけじゃないし……」
 もごもごと口の中でつぶやくような声になっていく。
 俺のためじゃなくて俺のマンガのために来たってわけか?
 なんだか嬉しいような、悲しいような……。
「と、とにかく! 私はもう帰るからっ!」
「あっ! ちょっと待てよ!」
 瑞希はあっという間に行ってしまった。
 何しに来たんだよ、あいつ……。
 とにかく、後はひとりで千紗ちゃんが来るのを……。
「お兄さ〜〜〜〜〜ん! ど〜〜こ〜〜で〜〜す〜〜か〜〜〜〜〜!?」
 すぐ目の前を千紗ちゃんが通り過ぎていった。
 俺は慌てて身を乗り出し、千紗ちゃんを呼び止める。
「千紗ちゃん! こっちこっち!」
「え?」
 千紗ちゃんは走ったまま振り返り、
「ふにゃにゃにゃにゃにゃ〜〜〜〜〜っっっっっ!!」
 足をもつれさせて転んでしまった。
「い、痛いですぅ……」
「千紗ちゃん、大丈夫か?」
 俺は千紗ちゃんに駆け寄り、助け起こす。
「ありがとうですぅ……でもお姉さん、どうして千紗の名前を知っているんですか?」
「え? そ、それは……」
 しまった。今はコスプレ中だった。
「あっ! それよりお姉さん、お兄さんがどこにいるか知りませんか!? 千紗はお兄さんに同人誌を届けなくちゃいけないんですぅ!」
 どこにって千紗ちゃんの目の前に……などとは言えず、俺は他人のフリをして千紗ちゃんから俺の名前とサークル名を聞き出した。
「え〜と、ブラザー2ならここ……ですよ」
「でもあそこはお姉さんのサークルじゃないんですか? お兄さんはいないです」
 ……千紗ちゃん、今までサークル名じゃなくて俺の顔で探していたのか。
「今は俺……じゃなくて私が店番をしている……のよ」
「そうなんですか……あの、お兄さんはどこにいますですか?」
「え、え〜とぉ〜……徹夜……そう、連日の徹夜で体調を崩して……今日は来れない……のよ」
「た、大変ですぅ! すぐにお見舞いに行きますですぅ!」
「わあぁっ! ちょっと待ったぁっ!」
 俺は慌てて千紗ちゃんの服の袖をつかみ、引き止める。
「お姉さん! 止めないで下さいです! 千紗はお兄さんのお見舞いに……」
「え〜と……ほ、ほら、千紗ちゃんにうつったら大変だからお見舞いには来ないようにって、千堂さんは言ってたよ……わよ」
「そうなんですか……やっぱりお兄さんは優しい人ですぅ……」
 なんとか千紗ちゃんは納得してくれたようだった。
 ……それで徹夜の何がうつるんだ? 一体。

 さて、ようやく届いた同人誌も並べ終えたし、後は一般入場の時間を待つだけか。
 クイッ、クイッ…。
 それはそうと、こんな格好でも買いにきてくれる人はいるのかなあ。
 クイッ、クイッ、クイッ…。
 え〜っと、おつり用の小銭は……よし、ちゃんと用意してある。
 クイッ、クイッ、クイッ、クイッ…。
 あれ? この袖を引く感触は……。
「………」
「あっ、彩ちゃん……そうか、今回は創作系で、隣のスペースだったっけ……久しぶり。元気だった?」
「?」
「……じゃなくて……えっと、長谷部彩さん……ね? あなたの事は千堂……さんから聞いてるわ」
「………」
 ぺこん、と彩ちゃんは黙ったままおじぎをする。
 そしてテーブルの上に積み上げた自分の同人誌の山からを一冊取り、俺に差し出す。
「どうぞ……」
「あ、どうも……」
 彩ちゃんの同人誌。
 今回はどんな内容なんだろう。
「あの、すみません」
 おっと、その前にお客さんだ。
「いらっしゃいませ〜」
 にこやかに笑ってお客さんの応対をする。
 さあ、こみパの始まりだ!
「新刊は800円になります」
「あ、どうぞ、ご自由にお手にとって内容を確認して下さい」
「はい、おつり200円になります!」
 目の回るような忙しさで売り子をする。
 これもひとえに俺のマンガの面白さと、売り子を手伝ってくれない大志と瑞希のせいである。
 そんな俺を、彩ちゃんが隣でじっと見ている。
 そして小一時間ほどが過ぎた。
「ふう、疲れた……」
 ようやく一段落つき、ぐったりとパイプ椅子に座り込む。
 クイッ、クイッ…。
 あれ? また袖をひっぱる感触。
 隣を見ると、彩ちゃんがキレイな布の袋に包んだ物を差し出している。
「……どうぞ」
「これ……俺……じゃなくて私に?」
 こくん。
 彩ちゃんがうなずくので、受け取って袋を開けてみると、クッキーが入っていた。
「……本当は……和樹さんに……食べてもらいたかったんですけど……」
「………」
 うぅ、ごめんよ、彩ちゃん。
 今度のこみパの時は、ちゃんと千堂和樹の姿で食べるからな。
 心の中で謝りながら、俺は彩ちゃんのクッキーを食べた。

 彩ちゃんのくれたクッキーを食べながらお客さんを待っていると、オーバーオールを着て、大きなメガネをかけた女の子がやってきた。
 いつも俺の同人誌を買ってくれる、常連のお客さんだ。
「……えっ……えっと……」
 おろおろと辺りを見回す。
「……あっ……あのぉ……」
 今度は真っ赤になってうつむいてしまう。
「……そ、そのぉ……」
 やっぱり上がり性なのは相変わらずだった。
「はい」
 俺は新刊を女の子に手渡す。
 女の子はにっこりと笑って新刊を受け取り、代わりに千円札を差し出す。
「はい、おつり200円」
 おつりを手渡す。
「……えっ……えっと……」」
 でも女の子は帰ろうとしない。
「……あっ……あの……その……」
 う〜ん、どうしたんだろう。
 新刊は渡したし、代金も受け取った。
 おつりも間違いなく渡してるし……。
 あ、そうか。
「はい、スケブ」
 俺は笑って手を差し出す。
 女の子はしばらく俺の顔と手のひらを見比べていたが、やがてにっこり笑って俺の手にスケッチブックを乗せる。
「……お願いしますっ!」
 そしてぺこんと頭を下げる。
 俺はスケッチブックを開き、鉛筆を取り出す。
 それでは今回の同人誌の主人公などひとつ。
 サッサッサッサッサッ……。
 サッサッサッサッ……。
 こういう時は少しラフな感じの方が受けるんだよな。
 サッサッサッ……。
 サッサッ……。
 こんな感じかな……うむ、我ながらよくできた。
「はい、どうぞ」
「………」
 女の子はじっとスケッチブックを見つめた後、ぺこんと頭を下げる。
「あっ、ありがとうございますっ!」
 そして大事そうにスケッチブックを抱えて帰っていった。
 ああいう素直で可愛いファンが俺のマンガを読んでくれてると思うと、本当に嬉しいよなあ……。
 ……………。
 …………。
 ………。
 ……。
 …。
 あれ? スケブを開いて……まず輪郭をちゃっちゃっと描いて……顔をさくさくっと描いて……髪をさっさっと描いて……その後……。
 その後、端っこの方に名前を……。
 書いちゃったのかな、もしかして。
 いや、やっぱり書かなかったかも。
 あれ? でも書いたような気もするし。
 でも確かめに行くわけにもいかないし……。
 う〜む、参ったなあ。

 もうすぐお昼だなあ、と思いながら売り子をしていると、
「あ〜ら、まだ売れ残ってるの?」
 とても失礼な事を言いながら、大庭詠美がやってきた。
「あたしのとこなんか、とっくに完売しちゃったわよ」
 大きなお世話だ。
 そう言いかけてやめた俺を無視しながら、詠美はテーブルの上の同人誌を脇に避け(彩ちゃんのスペースを一部侵犯して)、でかい態度でテーブルの上に腰掛ける。
 そして手に取った新刊をパラパラとめくりつつ、批評する。
「大体、何よ、今回の同人誌は。
 あたしの全然知らない原作じゃない。
 こんな誰も知らないマンガだかアニメだかの同人誌、読みたがる人がいると思ってるの?
 わかってないわね〜。今、一番タイムリーでホットな原作を選んでこそ……」
「あの……」
「何よ、あんたがあたしに意見するなんて百億光年早いのよ。
 まあ、あたしは寛大だから特別に聞いてあげてもいいけど……」
「……創作系……なんですけど、それ」
「………」
「………」
 沈黙。
「………」
「………」
「何よ何よ何よ! ちょっと勘違いしたくらいで大笑いする事ないじゃない!」
 今度はキレた。
「これくらいの勘違い、誰にだってあるわよ! ……え〜と……やっぱり勘違いじゃなくて……」
「……わざと、ですか?」
「そう、それ! わざとよ! ギャグでやったんだから!
 この大庭詠美がそんなバカな勘違いするわけないじゃない!」
「………」
「ああ……あたしって今日はギャグも冴えてるわ……罪な女ね〜」
 相変わらず愉快な奴め。
 見ていて飽きないな。
 などと思っていると、急に詠美が顔を近付け、まばたきをした。
 そして一言。
「ところであんた誰?」
「………」
「なんでブラザー2に知らない女が座ってるのよ」
「………」
「さてはあんた、スパイね! ブラザー2の一員のフリしてウチのサークルを探るつもりなんでしょうけど……」
 いつものように支離滅裂な事を言っている。
 なんて言ってやろうかと考えていると、
「なんや、今日の詠美は大バカ詠美やのうて大ボケ詠美なんか?」
 聞き覚えのある声が割って入ってきた。
 大庭詠美の天敵、猪名川由宇だ。
「さっき、大志はんが言うてたやろ。
 和樹はんは過労で寝込んでて今日は休むって。
 忘れてたんか?」
「わ、忘れてないわよ! ただ……その……とっさに思い出せなかっただけよ!」
「それを忘れてたって言うんや、世間一般では」
「きーっ、温泉パンダの分際で生意気〜〜っ!」
 地団駄踏んで悔しがる詠美。
 そんな詠美を気にもしない様子で、由宇は俺に向き直る。
「そこのあんた、和樹の知合いなんやろ?」
「は、はい……」
「それなら今度和樹に会ったら言っとき。
 同人漫画家はただマンガを書けばいいわけやない。
 即売会で売り子をして、読者と触れ合う事こそが同人漫画家の醍醐味なんや!」
「………」
「それを過労で倒れたくらいで休んで……根性たるんどるで!
 同人漫画家失格や!」
 由宇は一気に言い切って、ひとつ息をついてから、俺の新刊を手に取って斜め読みを始める。
「まあ、新刊も根性で完成させたみたいやし、今回は大目に見てもええけど」
「………」
 俺に言ってどうする。
 本人に言えよ、本人に。
 ……やっぱり俺か。
 などと三人で漫才のような会話をしていると、突然、学ランを着た大男が現われた。
「………」
「………」
「………」
 無言で立ち尽くす謎の男。
 そして顔を引きつらせている詠美と由宇。
「い、いらっしゃいませ……」
 俺は辛うじて声を絞りだす。
「………」
 謎の男はじっと押し黙ったまま俺の顔を見ていたが、やがてきびすを返して俺のスペースから離れていった。
「ちょっと、今の何よ! 感じわる〜〜〜っ」
 詠美が唇を尖らせている。
 すると、
「………」
「きゃっ!」
 また謎の男が戻ってきて、詠美は思わず飛び上がって悲鳴を上げた。
「あ、あの……」
 俺も何となく謎の男の雰囲気に圧倒されつつ、口を開く。
「何か、御用でしょうか?」
「………」
 謎の男はまた俺の顔をしばらく見た後、山積みにされた俺の同人誌を一冊手に取る。
「一冊、もらうぞ」
「あ、はい……800円になります……」
 俺の手に五百円玉一枚と百円玉三枚を置いて、謎の男は立ち去っていった。
「なんだったんや? 今の……」
 由宇がつぶやくが……俺に聞かれても困る。
 三人で何となく呆気に取られてぼーっとしていると、両手に同人誌の入った紙袋を抱えて大志が戻ってきた。
「見たまえ、同志和樹! これで我が野望はまた一歩、達成に近付いたぞ!」
 ふう、これでようやくちょっと休める……。
「ああ、我輩と交替したらコスプレブースに来るように、玲子君が言ってたぞ」
「………」
 もうイヤ、こんな人生……。

 こうしてこみパは幕を閉じた。
 ついさっきまで何万人もの人がいたとは思えないくらいに、夕焼けを浴びた会場は閑散としていて、寂しかった。
 更衣室で着替えを済ませた俺と玲子ちゃんは、長く伸びた自分の影を追いかけるように、並んで会場の前の道を歩く。
「千堂クン、今日のこみパ、すっごく楽しかったね☆」
「そうね、とっても楽しかったわ。明日からまた次回のこみパに向けて原稿を描かないとね」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「千堂クン、コスプレ衣装はもう着替えたんだから、言葉遣いは元に戻した方が……」
「………」
 しまった。
 今日は一日中、この言葉遣いだったから……。
 しくしく。
 などと話ながら歩いていると、少し先に数人の人が集まっているのが見えた。
 見知った人達である。
 俺達の事、待っててくれたのかな。
 近付いて行って声をかけようとしたが、それより早く由宇が飛び出してきた。
 そして自分の同人誌の表紙を指してまくしたてる。
「なあなあ、和樹はん、今度のこみパは、この子のコスプレしてーな。それで辛味亭の売り子してくれたら、売り上げ倍増間違いなしやで!」
「ああっ! 私も頼もうと思ってたのに!」
 すぐに詠美も寄ってきた。
「何ゆうてんや。どうせまだ次回の題材も決まってへんのに」
「企業秘密よ! きぎょーひみつ!」
 ……バレてる? 俺がコスプレしてたの。
「大志ぃ! どういう事だよ! みんなにバレてるじゃないか!」
「ふっふっふっ……安心したまえ、我が魂の兄弟」
 大志はいつものように大げさな動作をしながら、芝居がかったしゃべり方で言う。
「お前のファンにはバレないよう、我輩が直々にみんなに協力を頼んでおいたからな! これで同人誌の売り上げも安泰間違いなしだ! わっはっはっはっはっ!」
「………」
 いつもは悪魔の言葉に聞こえる大志の言葉。
 それが今は大魔王の言葉に聞こえた。
「お兄さん、とってもキレイだったです!」
 意味もなくはしゃぐ千紗ちゃん。
「……とても……似合ってました……」
 彩ちゃん、頼むから袖をひっぱらないでくれ。
「残念ですねぇ。私も和樹さんのコスプレ、見たかったのに」
 ……南さん、本当に気付いてなかったのか。
 そしてみんなの間をすり抜けるようにして俺の前に立つ人影。
 瑞希だった。
「和樹……私、いろいろ考えたんだけど……」
「………」
「こんなにたくさんの人が和樹のコスプレを楽しみにしているんだもの……今度からは私も協力するわ」
「………」
「大した事はできないけど、裁縫くらいは手伝えるから。手伝って欲しい時はいつでも呼んでよね」
「やめてくれぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!」
 俺の叫び声は、人影もまばらなこみパ会場にただ虚しく響き渡った。

 そしてその日の夜。
 もうこんな時間か、たまにメールでもチェックしてみるか。
『こんばんは。
 和樹さん、今日はコスプレをして売り子をしていたそうですね。
 所用でどうしてもそちらに行く事ができず、残念に思います。
 もしよろしければ、写真など送っていただければ幸いに思います。
 それでは体に気を付けて、創作活動をがんばって下さい。

立川』

 ……一体、なんて返事を書けばいいんだ?
 などと頭を悩ませていると、
 ドンドン! ドンドン!
 やかましくドアを叩く音。
「は〜い、今、出ま〜す!」
 ドアを開けると、そこにはこみパにも来ていた例の学ランの大男が立っていた。
「……なんだよ、こんな時間に。近所迷惑だぞ」
「………」
 謎の男はしばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開く。
「今日のこみパで、お前のサークルで売り子をしていた女がいたな」
「ああ、いたな」
 ……俺の事……なんだよな……やっぱり。
「一目惚れした! 連絡先を教えてくれ!」
「やめてくれぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!」
 俺の叫び声は、アパート全体にただ虚しく響き渡った。

コスプレイヤー和樹 了


あとがき

 ど〜も、wen-liです。
 「コスプレイヤー和樹」いかがだったでしょうか。
 「こみっくパーティー」を始め、コスプレ娘が登場するゲームはいくつかありますが、主人公がコスプレするというゲームは聞いた事がありません。
 そんなわけで書いてみましたが、いかがだったでしょうか。
 あとは初めてのこみパ小説という事で、それぞれのキャラの話し方とかで苦労しましたが、違和感はなかったでしょうか。

 う〜む、書く事がない……あんまり工夫がなかったですからね、今回は。
 なんとなくこみパの雰囲気が書けてれば良しとしましょう。

 最後に一言。
 立川(兄)のファンの皆様、ごめんなさい。

 感想お待ちしてます。
 でわでわ。


 一部に固有名詞の間違いがあると、メールで指摘を受けましたので、修正しました。(1999/09/16)


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